団長と謎の少女
その日、団内で急な休みが重なり、警備の補充人員として急遽駆り出され、薔薇の宮殿へやって来た第一騎士団長アレックス・アスカーは、小さな子供が薔薇の木の茂みに生えているのを見つけた。
正確には埋まっていると言うべきだろうか……。
「そんな所で何してるんだ?」
アレックスの声に驚いたように顔を上げたのは、黒曜石のような瞳と長い髪の小さな女の子。この国のドレスを着ているが、その容貌からジェパニからの客人である事は容易に推測出来た。
(随行員に子供がいるって話は聞いていないが、皇女の遊び相手を急遽一緒に連れて来たのか? しかし皇女は確か十六歳だったはず……。この子は十二〜三歳位に見えるが……)
関係性はよく分からないが、とにかく客人である事に変わりはないはずと、アレックスは深く考えるのを止めた。
少女はこちらの言葉が分からないようで、何かをしっかり握りしめたまま目に涙を浮かべて、助けを求めるように辺りに視線をさ迷わせている。
『動けない?』
膝に手を当てて中腰の姿勢になり、目線を合わせて片言のジェパニ語で聞いてみる。
こっちが執務中だろうがお構い無しに、団長室で勝手に開催されるバーソロミュー先生のジェパニ語講座を、聞くともなしに聞いていたアレックス。まさかこんな所で役に立つとは思わなかったと思わず苦笑する。
少女は知っている言葉が出たからか、少し表情を和らげてコクコクと頷く。
『私は助ける。少し、待つ。いいですか?』
笑顔でそう聞くと、また恥ずかしそうにコクコクと頷く。普段暑苦しい筋肉ばかり見ているせいもあって、その小動物チックな様子がものすごく可愛らしくて癒されると、アレックスはほっこりした。
少女はどうしてそうなったのか、胸から下が見事に薔薇の茂みに埋まっていて、下手に動くと棘で怪我をしてしまいそうだった。
少し考えた末に、少女の周りの枝を丁寧に折っていくことにする。
綺麗に咲いている花も申し訳ないが容赦なく折って除去する。あとで庭師達に激怒されるだろうが、人命救助の為だ、仕方ない。
薔薇の宮という名を冠するだけあって、この薔薇園には冬に咲く品種も多数植えられており、庭師達が一年通してせっせと愛情を傾けて世話しているのだ。
『痛そう……。ごめんなさい……』
枝を折っていく途中何度も棘が刺さり、あっという間に手が傷だらけになっていくのを見て、少女が呟く。
傷だらけと言っても、普段剣を握る掌は豆やら何やらで分厚くなっていて無傷。手の甲や手首付近の皮膚の薄いところが少し切れた程度で、職業柄これしきの傷など怪我の内にも入らないのだが、そんな風に心配してもらうとなんだかくすぐったい。
『大丈夫。あと少し』
黙々と作業を続け、少女の周りに充分な空間が出来た所で、おもむろに少女の脇に両手を差し込み、赤子を持ち上げるようにスポンと上に引き抜いた。
『うひゃっ!!』
可愛らしい奇声を発する少女をそのまま茂みの外に着地させようとして、何かに引っ張られる感覚に気づく。
見ると、少女の長い髪がまだ茂みに取り残されて枝に絡まっている。このまま引っ張るときっと痛いだろうと思ったアレックスは、少女を腕に座らせるようにして片手で抱き直して、もう片方の手で髪が絡まった枝を折っていく。
『ちょっ! 降ろして!!』
我に返った少女がぺちぺちと胸元を叩いてくる。
(叩いているのに全く痛くないとか、妖精か何かなのか? 腕にかかる重さも、腰に提げているサーベルの方がまだ重たいと思うほどだ……)
『髪の毛、痛い。少し、待つ。いいですか?』
髪が絡まった所を指差して教えると、少女は頬を赤くしてまたコクコクと頷いた。動きに合わせて揺れる髪から、異国の香りが漂う。
昔、実家に出入りしていた東洋の商人が持ち込んだ品の中にあった木の鉢植え――確かジェパニ語で『ウメ』という木だっただろうか、その花と近い匂いだ。
ジェパニの子供達はこんなに小さい頃からしっかりオシャレするんだなと微笑ましく思いながら、枝を取り払っていく。
ようやく茂みに取り残されていた髪の毛を引き上げて、少女を地面に降ろす。頭のてっぺんから顔や衣装、足先まで怪我がないかしっかり確認する。幸い怪我はなかったが、艶やかな髪に細い枝や、葉っぱの破片が絡まっているのを見つけて、丁寧に取り除く。
『あの、ありがとうございました! 助かりました! これが茂みの中に転がってしまって、思わず取りに入ったら出られなくなってしまったんです!』
少女は両手で大切そうに抱えていたボールのような物をアレックスに差し出した。
様々な色の絹糸で編んだような、文様の美しい手のひらサイズの極彩色の球体に、やはり手触りのいい絹糸がひと房飾りとして付いている。ボールからは先程匂った『ウメ』の香りがするので、おそらくジェパニのサシェのような物だろうか。
少女が早口で喋ったので上手く聞き取れなかったが、身振り手振りからすると丸いサシェが転がって茂みに飛び込んでしまったのだろう。茂みの下の方は枝が少ないから、この子がしゃがんで分け入って探して、見つけた時につい立ち上がってそのまま動けなくなってしまったといった所か。
顔に傷が出来ていなかったのは本当に幸いだった。
高く可愛らしい声で一生懸命説明して、おそらくアレックスに謝っている姿がとても愛らしく、子供どころか結婚もしていないが、つい親目線になってしまう。
アレックスはうんうんと笑顔で頷き、少女の頭を撫でた。
『頑張る、いい子!』
すると、少女の頬がみるみるうちに赤く染まっていく。
(おっと、もう頭を撫でて喜ぶ年頃じゃないのか? そういえばこの前、十歳の姪っ子の頭を撫でて子供扱いしないでと怒られたっけ……)
ならばと辺りを見渡して、さっきバキバキと折りまくった枝から綺麗なまま残っている薔薇の花を選んで集める。
このまま枯れてしまうより、少女の手土産になった方が花も喜ぶだろう。
『どうぞ? 私あげる、あなたに、この花』
少女は戸惑いつつも嬉しそうに受け取ると、可愛らしく笑った。
『ありがとう。あの、お名前は?』
今のは聞き取れた。名前を聞かれたのだ。ミュー先生ありがとう!
『私の名前はアレックスです。あなたのお名前は?』
自分を指さして名前を教え、ミュー先生の講義通りに相手にも聞いてみる。
『アレックス様……。私の名前はスズです』
これも聞き取れた。そうかそうか、この子はスズと言うのか。……ん? ちょっと待てよ? 何処かで聞いたなその名前……。
筋肉集団の親玉である団長の脳みそも当然筋肉で構成されているが、そこは腐っても団長。今まさにスズの正体に思い至ろうとして──。
「団長ぉぉ!! どこだー! 交代時間とっくに過ぎてんぞぉぉ! 副団長に言いつけちゃうぞぉぉー!」
「やべっ! 忘れてた!」
遠くから薔薇の宮に似つかわしくない怒声が聞こえる。
(そうだった俺は警護班の助っ人に来たんだった! 副団長に……アリスに言い付けられるのだけはマズイ……!!)
副団長のアリスティドは幼なじみで、小さい頃はそれはそれは可愛くて皆にアリスちゃんと呼ばれて愛でられていた。それが今や筋骨隆々の、泣く子も理詰めで黙らす威圧系メガネに成長してしまい、アレックスは毎日何かしらで怒られている。
そんな訳で、一つでもお説教の案件を減らすため、可及的速やかにアイツらと合流せねばならない。
ポカンとした表情でこちらを見上げているスズの小さな頭を思わず優しく撫でた。艶々として、何度も触りたくなる可愛い頭だ。
『またな! スズ!』
アレックスはニッカリ笑ってそう挨拶すると、スズが何かを言う間もなく野太い声のする方へ猛ダッシュしていった。
****
スズはアレックスが見えなくなった後も、ぼんやりとその方角を眺めていた。
今日はキャロルがお妃教育で忙しい日。そんな時ゲームでは、ルイスをスズに会いに行かせるという選択肢が選ぶことができる。
選考会データ引継ぎでのプレイでハッピーエンドを迎える為には、婚約破棄イベントが必須。
だからルイスとスズが会う機会を積極的に増やす事で、婚約破棄イベント達成への布石とするのだ。
婚約破棄を拒否するキャロルだが、面倒見がいいから、何も考えずにスズの様子を見てきて欲しいとルイスに頼む可能性も充分にあり得る。そう思って、王宮との連絡通路付近を散歩しながら待ち伏せしていたのだが……。
(この前のダンスも良い結果にならなかったし、なんとかしてルイス様に会いたいと思って来たけど、ルイス様じゃなく大きな騎士様に出会ってしまったわ……)
『でも、どこかで見た覚えがあるのよね……』
スズがそう呟いて首を傾げていると、アレックスが駆けていった方向と反対側からスズを呼ぶ乳母の声が聞こえてきた。先程一緒に散歩をしていて、茂みに嵌って動けなくなったスズを救出すべく、助けを呼びに行っていたのだ。
『スズ様! 良かった! 出られたのですね! お怪我などはありませぬか!?』
ランスロットとイヨと共に駆けつけた乳母は、ホッとしたような表情でそう言うと、スズに傷などないか隅々まで点検してまわる。
『アレックスという方が助けて下さったの』
「アレックス……? 第一騎士団の団長、アレックス・アスカー卿ですか?」
ランスロットが顎に手をやり、イヨを通して聞いた。
(団長アレックス!! 何処かで見た事があると思ったけど、【キミ薔薇】の脳筋系攻略対象者の一人だ!!)
アレックスは王子妃選考会に関係してこない為、他の脳筋系キャラの攻略を成功させるとルートが拓ける、ある意味隠しキャラ的な存在だった。
『多分その人だと思います。黒い軍服を着た、赤毛で金の瞳の体の大きい人』
画面越しにしか見た事がなかったから、まさか自分を片手で軽々と抱えられるほど大きいとは思わなかった。お姫様抱っことはちょっと違ったが、男性にあんな風に抱き上げられたのは初めてで、スズは今更ドキドキしてしまった。
『何にせよご無事で良うございました! ……あら、その薔薇はどうなさったのです? しかも赤……一、二、三……』
スズの服に着いた葉っぱなどを払っていた乳母は、スズが抱えたままの薔薇に目をとめ、何故か本数を数え始めた。
『アレックス様が下さったのよ』
スズのせいで折られてしまった可哀想な薔薇を、せめて持ち帰って愛でて欲しいという意味でくれたのだと思ったから、ちゃんと部屋に飾るつもりでいたのだが……。
『十二……!! 十二本の赤い薔薇はこちらの国では求婚を意味するのではないですか!?』
『えっっ!?』
何故乳母がそんな事を知っているのかは謎だが、求婚と聞いてスズはギョッとした。思わずランスロットの方を見ると、何故かこめかみに手をやり項垂れている。
「…………はい。確かに十二本の赤い薔薇にはプロポーズの意味合いがありますが……」
『ほらやっぱり!! まぁぁ!! 流石我らのスズ様! さっそく大陸の殿方に求婚されるなんて! 急いでその殿方の釣書を入手して帝の元へ送らねば!!』
若い娘に戻ったように頬を上気させて騒ぎ始める乳母に、スズも思わず頬が赤くなる。
『そんな……。今日会ったばかりで求婚だなんてどうしたらいいの!?』
「お待ちください……。おそらく団長はウッカリ……ゴホン、えー、その、意味を知らずに渡したのだと思いますから、よく確認を取ってからの方が……」
『まぁ! そんなはずはありませぬ! だって、これだけ薔薇があるのにあえて十二本渡してきたのは、そういう意味以外に考えられませぬ!!』
――【天使と書いてベルたんと読むの会】の会報を読んでいるランスロットからすると、十中八九団長のウッカリだと思うのだが、そんな事を知る由もないスズと乳母はすっかりその気になってしまっている。
よりによって何故十二本で渡したのか……。
ルイスが知ったら、嬉々として二人をくっつけようとする未来が想像できて、全くそんな意図がなかったであろうアレックスが気の毒になるランスロットであった。