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ナギとランスロット

 

 舞踏会の翌日、勤務時間前にアナベルはナギの元を訪れていた。

 昨夜、ミリオン伯爵に強く握られていたナギの手の具合が気になっていたから、塗り薬や包帯等を持参して様子を見に来たのだ。


 ナギはまだ起きたばかりらしく、着物を緩く着崩したままソファーに座り、優雅に目覚めの紅茶を飲んでいた。アナベルが人目を気にせずジェパニ語を使えるようにという配慮か、室内には腹心のハヤテが居るだけだった。


『おはよう、紫の君。昨夜は本当にありがとう』

『いえ、殿下がご無事でなによりでした。指の具合はいかがですか?』


 ナギ皇子は困ったというように首をすくめてから、アナベルに手を差し出した。快方に向かっていると思われた指は、怪我した直後以上に悪化し、赤黒く腫れてしまっている。


(痛そう……!)


 アナベルは思わず眉を顰めた。


『ミリオン卿が熱烈に握ってくれたものでね……。実は怪我した直後より痛いんだ』


 冗談めかして言うナギに許可を貰って隣に座ると、アナベルは痛々しく腫れた指に丁寧に薬を塗り、包帯を巻いた。


(こんな状態で舞踏会を乗り切って、痛いまま一晩我慢したのね……。昨夜帰る前に様子を見に来るべきだったわ……)


 色々あって動揺して、舞踏会が終わってすぐに退勤してしまった昨夜の自分を悔やんだ。


『申し訳ありません、昨夜のうちにご様子を見に来るべきでした……』

『気にしなくていいよ。昨日は君も大変だったんだから。今日こんなに早く来てくれただけで充分助かってる』


 そう言って柔らかく笑うナギ。

 常に笑顔を絶やさず、目下の者にも気配りを欠かさない。

 軟派な事を言う割に、自分の怪我よりも親善大使としての役割を優先する真面目なところ。

 出会って数日だが、そんな人柄の良さを感じていたアナベルはポツリと呟いた。


『殿下はご立派ですね。こうして痛いのを我慢なさって、重大なお役目を果たそうと頑張っていらっしゃるのですから……』


 ちょっと辛い事があっただけで仕事を疎かにしてしまった自分とは大違いだとアナベルは自己嫌悪に陥った。

 アナベルの呟きを聞いたナギは、思わず苦笑した。


『私はそんなに立派な人間じゃないよ……。ここに来たのだって、生き残っていくには、それしか方法がなかったからだ』


 ローテーブルからソーサーとカップを手に取り、描かれた模様をしげしげと眺めた後、ナギはアナベルに顔を近付けて内緒話をするように囁いた。


『私が第三皇子である事は知っていると思うけど、実は私には兄が全部で五人居るんだ』

『えっ……であれば、殿下は第六皇子なのでは……』

『ジェパニでは、帝が皇子であると宣言したものだけが皇子になる』


 ナギは紅茶を飲み干すと、ぽつりぽつりとジェパニの内情を話し始めた。


 ジェパニの帝は後宮を持ち、多くの妻がいる。多情な帝は身分の低い使用人階級の女性に手を付けることもあり、必然的に子供も多い。

 しかし、皇子や皇女として認知されるのは、後ろ盾のしっかりした一定以上の身分の母親の子供のみで、それ以外の子供達は臣下として扱われるそうだ。そういった子供達は父帝からの庇護を期待できない中で成長し、良縁に恵まれれば良いが、そうでなければその生活は貧しく大変なものになる。


 同じ帝の子でも、産まれた腹によって人生が大きく変わる、ジェパニはそんな国だった。


『私とスズの母は、当時の宮中で最大勢力を誇る大臣の娘でね……。当然皇族として認められたし、何不自由なく宮中で暮らして、私は当然皇太子になるだろうと言われて育ってきた』


 空になったカップの中に何かを探すように、ナギは虚ろな瞳でじっと見つめている。


『ところが、五年前に政変が起きて、鎖国派の筆頭だった大臣である祖父が失脚したんだ。それ以降、ジェパニは開国路線へと舵をとり、宮中で実権を手にしたのは開国派の貴族達だった。そして三年前、皇太子になったのは第七皇子。開国派の貴族の娘が産んだ、まだ十歳にもならない私の腹違いの弟さ』


 どこの国にも皇位継承問題はつきものだと言うが、目の前の人物が当事者だったという事実に、アナベルは無表情をキープしつつも激しく驚いていた。

 ナギはカップをそっとテーブルに戻すと、怪我した手をゆっくり撫でさする。


『そんな訳で私達兄妹は、落ちぶれた一族を後ろ盾に持つ、非常に立場の危うい存在になってしまった。私は、宮中の外に可愛がってくれる女性達が沢山居るからまぁ良いけど、このままだとスズの今後が心配だからね』


 沢山の女性関係を匂わせて艶っぽく笑うナギの軽口も、アナベルはちっとも軽薄だと思えなかった。


『失脚した祖父には申し訳ないけど、スズが宮中で上手く生き残って行く為には、開国派である事をアピールしなければならない。そして今回の親善大使としての役目を成功させて、国にとって有益である事を示せれば、スズの立場は保証されるはずなんだ』


 ナギはアナベルの方にぐいと身を乗り出して、艶っぽく微笑んだ。


『私はスズのお目付け役の傍ら、あわよくばこの国の女性と仲良くなりたいな〜なんて思いながらついてきただけの、軽薄でしょうもない男なんだよ』


 ナギは自分をしょうもない男だと言うけれど、アナベルにはとてもそう思えなかった。


『……ジェパニからこの国までの旅は、一ヶ月にも及ぶ長旅だったとスズ様から伺いました。途中で体調を崩して、ホームシックになったスズ様を、励まして元気づけて、何とか連れてきてくれたのはナギ殿下だったとも。私はその話を聞いて、殿下はとても優しいお兄様だなと思いました。それに、その怪我もスズ様の為に花を摘もうとして負ってしまったものですし……』


 ナギは褒められて照れくさかったのか、扇を取り出して顔を隠してしまった。


『殿下はスズ様の為にただついて来ただけだと言いますけど、そうだとしたら、そんな風に我が国の事を勉強しないと思うんです』


 アナベルはそう言って、ローテーブルの上に積まれている数冊の本を見た。どれもこの国の事が書かれた本で、それぞれ沢山の付箋が挟まっている。


『あれは別に……ただの暇つぶしに……』

『その割には連日夜遅くまで勉強されているようですが……?』

『こら、ハヤテ! 余計なことをいうんじゃない……!』


 実は真面目に勉強している事をハヤテにバラされ、ナギは白い頬をほんのり染めて、目を泳がせている。


『我が国の事を懸命に学び、一ヶ月もの過酷な長旅に耐えて辿り着き、こうして怪我を隠してまで両国の友好の為に尽くす。殿下がここに来たのは、スズ様の為だけではなく、貴方の中に成し遂げたい何かがあるからなのではないですか?』


『……成し遂げたいナニカなんて……何もないよ。……でも、それなら何故こんなに役目を果たす事に必死になっているんだろうって自分でも不思議に思う』


 ナギは長い溜め息を吐いて、しどけない様子でソファーに身を委ねた。


『三年前に弟が皇太子になって、自分は必要ないと分かってから全てが面倒になって、女性達の元を訪ね歩いてひたすらに自堕落な生活を送っていた。そうやって適当に生きていけばいいと思っていた。……ただ、スズの将来が心配だった』


 もう結婚適齢期なのに、失脚した一族が後ろ盾では、良い降嫁先が見つからないのだとナギは悲しげに笑った。

 一時期は沢山の人々がスズに会うために出入りして賑わっていたスズの部屋も、今は訪れる人もなく閑散として寂しい有様。

 何とかしてやりたいと思っていた矢先に、親善大使を派遣する話が出て、スズが自分も行きたいと父帝に直談判したという。


 勢力図が塗り変わったとはいえ、可愛い娘には変わりないスズの願いを父帝は叶えた。もちろん、皇女が国外へ行く事で、開かれた国になったのだという事を国内外にアピール出来るという思惑も多分にあっただろう。

 それならばと、ナギも親善大使の役目に立候補した。

 鎖国派腹のナギとスズが親善大使になる事で、表向きは鎖国派と開国派の融和を示す事が出来ると提案したのだという。


 ――そなたの働きに期待している。


 父帝にかけられた言葉。その言葉がどれほど嬉しかった事か……。

 そこまで淡々と語っていたナギは急に黙り込み、そうか、と小さく呟いた。


『私は父の期待に応えたくて、こんなに必死になっているんだな……』


 そう言ってナギは答えを求めるようにハヤテを見た。


『今では見る影もありませんが、昔のナギ様は、それはもう真面目な善き皇子でしたからね……』


 そんな悪態とは裏腹に、ハヤテは普段雄々しく釣り上げている眉を心配げに寄せて、ただ労るようにナギを見つめた。

 アナベルはそんなハヤテの様子に、幼い頃から一緒の乳兄弟である二人の、絆の深さを垣間見たような気がした。


『良き跡継ぎになろうと必死で勉強してきた事が無駄になり、無価値になった自分。仕方がないと納得したつもりでいたが、諦めきれていなかったのだろうね……。父のくれたそんな他愛ない言葉に必死に縋るなんて、まるで幼子のようだ……』


 ナギは扇の陰でクスクスと笑った。


 親の言葉に縋る――。既に両親を亡くしているアナベルにはその気持ちが痛いほど分かった。

 死の間際、ほんの少しだけ許された別れの時間に両親がくれた言葉を、アナベルは片時も忘れたことがない。


 ――ノアと仲良くね。

 ――幸せに生きて。

 ――いつでも見守っているから。


 そんな、もう二度と貰う事ができない優しい言葉の数々を支えにして、今日まで生きてきたのだから。

 そう伝えると、ナギは両親の死を悼み、ハヤテと共に祈りを捧げてくれた。


 この優しい祈りが両親の元に届きますようにとアナベルは願った。


『……それにしても、自分でも分からなかった深層心理を、会ったばかりの女性に言い当てられるとはね……』


 そう呟いたナギに、至近距離から観察でもされるかのようにまじまじと見つめられ、身の置き所がないように落ち着かなかった。


『……君は婚約者が居るんだっけ? 惜しいなぁ……』


 アナベルの華奢な腕に存在を主張するブレスレットをナギは恨めしそうに見つめた。


『その婚約は政略的なモノなのかな? どんな相手なの?』


 急に始まった質問タイムに内心驚きながらも、アナベルは正直に答えていく。


『政略ではない……と思います。我が家と縁づくメリットは特にありませんので……。相手は今ちょうどスズ様の護衛に付いているランスロット・アンバー様です』

『なんだって? 君の婚約者がそんな近くに居たとは……!』


 ナギは虚空を見つめて、必死にランスロット・アンバーなる人物を思い出そうとしているようだった。

 その時、ノックの音と共に、ナギの侍従が困り顔で入ってきた。


『ナギ様、ランスロット・アンバーというスズ様の護衛担当が面会を求めておりますが、いかがしましょう?』


(ランス様が? 今日は日勤だったはずだけど、どうしてここに……?)


 噂をすれば何とやら。


 ちょうど話題に上った人物が来ているとあって、ナギは直ぐに入室許可を出した。


「早朝にも関わらず面会の許可を頂き感謝します。ランスロット・アンバーと申します」


 近衛の制服をきっちり着こなし、お手本のような凛々しい敬礼を見せるランスロットに、アナベルは思わず見とれてしまう。


(どうしよう……早朝から私の婚約者様がカッコよすぎる……)


『構わないよ。今ちょうど貴殿が紫の君の婚約者だと聞いてね。どんな人か話してみたいと思っていた所だったんだ』


 アナベルの通訳を通してナギがそう言うと、ランスロットはひとつ頷いた。


「そうでしたか。実はアナベルに用がありまして、こちらに来ていると聞いたもので押しかけてしまいました」

「私に……?」


 アナベルは目を瞬かせた。


「昨日の事で心配していたんだ。勤務が始まる前に少し話せないか?」


 硬い表情のままアナベルを見つめるランスロットに違和感を覚えながらも、アナベルはおずおずと頷いた。


『殿下、そろそろスズ様の元へ行く時間になりますので、御前失礼致しますね。また夕方に指の様子を見に伺います』

『ありがとう。助かるよ。君のような美しい女性に薬を塗ってもらうと回復も早い気がするんだ』


 そう言って艶やかに笑うナギ。


(殿下の軽口にも大分慣れてきたわね……)


 アナベルが冷静にそんな事を思っていると、ランスロットがボソリと呟いた。


「……長旅になると分かっていたのに、ジェパニの医師は連れて来ていないのですか?」


 ランスロットの、どことなくトゲのある言い方をそのまま通訳する訳にも行かず、『お医者様は居ないのですかと聞いています』と簡潔に伝えると、ナギはおや? というように片眉を上げて、それから扇の陰でクスクスと笑った。


『連れてきた医師が、旅の途中で体調を崩してしまってね……。回復次第追いついてくる手筈になっているんだ。彼女には迷惑をかけて申し訳ないが、この件に関わる人間を最低限にしたい事情があると理解して欲しい』


 アナベルがナギの言葉を通訳すると、ランスロットは軽く唇を噛み、渋々といった様子で頷いた。

 ナギはそんな様子を面白そうに見つめて、アナベルに顔を近づけると扇の陰に隠すようにして耳打ちをした。


『君の婚約者殿はどうやらヤキモチ焼きらしいね』

『えっ?』


 ナギの言葉の意味を測りかねていると、アナベルの腕が突然ぐいと引き上げられた。


「行こうベル。時間が無くなってしまう。御前失礼致します」

「ランス様!?」


 アナベルは強引に立たされて、そのまま腕を引かれた。何故かヒラヒラと愉しそうに手を振るナギに、何とか会釈だけして部屋を出た。


 足を止めないランスロットにそのまま着いていくと、人気のない通路でようやく立ち止まった。

 いつもと違って強引なランスロットの様子にアナベルは不安を覚えた。

 ランスロットはアナベルの腕から手を離すと、その手を自分の腰にあてて、疲れたような深い溜め息を吐いた。


「ナギ殿下のご事情は聞いているが……何もこんなに朝早くから行く必要はなかったんじゃないか?」


 ランスロットの発言の意図が分からず、アナベルは眉をひそめた。


「でも、出勤前じゃないと時間が取れないですし、殿下のご様子が気になりましたから……」


 人の気配がないとはいえ、周囲を気にして小声で説明すると、ランスロットは苦しそうに顔を歪めた。


「ベルが仕事熱心なのは良く知っている。でも、勤務時間外まで世話をする必要はないと思うんだ。俺は昨夜の事でベルが体調を崩したりしていないか心配で、朝早く会いに行ったらもう居なかった。ナギ皇子の所だと聞いて行ってみたら、人払いされた部屋であんなに近くに座っているじゃないか」


「近くに居たのは、手当をしたからです。人払いも私がジェパニ語で話しやすいように気遣っての事でしたし、ずっとハヤテ殿が控えていました」


 アナベルが淡々と事実を述べると、ランスロットはまた重い溜め息を吐いた。

 こんなに刺々しい様子のランスロットは見た事がなく、アナベルは動揺した。


「……いや、分かってる。昨日は色々あったから気が立っているんだ、すまない……。ただ、ベルが心配だったんだ」


 淋しげに呟くランスロットの様子に胸が痛んだ。

 ただの付添いとして参加したアナベルでさえ昨夜の舞踏会は緊張の連続で疲れたのだから、国賓の警護をしていたランスロットの精神的疲労は想像を絶する。


 それなのに朝早くから自分を心配して訪ねてくれた事に、アナベルは申し訳なくも嬉しく思った。

 そばに居られない事で感じた昨夜の淋しさが、紅茶に入れた角砂糖のようにほろりと溶けていくようだった。


「ランス様もお疲れなのに、心配して来てくださってありがとうございます。最近ゆっくり会えていなかったですし……とても嬉しかったです」


 これではまるで淋しがり屋の小さな子供のようだと、アナベルは恥ずかしくなって、最後の方は消え入りそうな小さな声でお礼を言った。

 ランスロットはアナベルの手を取り、存在を確かめるように何度もブレスレットに触れた。


「ルイス殿下からの指令もあって、ただでさえ大変な仕事なんだから、なるべく無理はしないで欲しい……」


 ランスロットはそう言って、今日初めて笑みを見せた。


(良かった……。笑ってくださった)


 アナベルは、その笑顔にホッとしながらも、これ以上ランスロットに心配をかけないように頑張ろうと決意したのだった。

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