舞踏会(1)
晩餐会から一夜明けて翌朝。
(今日が何事もなく無事に終わりますように……)
そう神に祈ってアナベルはその日の仕事を始めた。
夜の舞踏会に備えてスズはゆっくり起床するとの事なので、一日の行動予定をスズ付きの侍女達と確認した後、一旦皇女の部屋を辞した。
その足で王宮衣装部長を連れて向かった先はナギの部屋。
指の怪我を隠す作戦の最終仕上げをしに来たのだった。
『やあ、紫の君。昨日はありがとう。今日もよろしくお願いするよ』
涼しげな笑顔で怪我した手をヒラヒラと振るナギ。
薬が効いたのか、強い痛みはないようでほっとする。
『皇子殿下にご挨拶申し上げます。例の衣装を持って参りました。まずは指の薬の塗り直しをさせていただき、その後ご試着をお願い致します』
指に薬を塗り直して、再度ガーゼで覆い包帯を薄めに巻く。今日はこの上に手袋をして頂く為、極力邪魔にならないように配慮する。ナギは平気そうにしていたが、腫れはまだ治まっておらず、強く握られたりしたら痛いはず。
(参加者達との握手に耐えられるかしら……)
ルイスに報告すべき点としてアナベルは心に留めた。
手当が終わると、持参した衣装を試着してもらった。
ルイス用の衣装として仕立てていた物を、急遽ナギが着られるようにサイズ調整した夜会服だった。
夜会服であれば手袋をして手を隠せると思い、昨日ルイスを探す途中で衣装部へ在庫確認に行ったのだ。
衣装部長が着付けを手伝いつつ、着丈などを最終チェックしていく。
「素晴らしい! 良くお似合いです! サイズも問題ありませんね!」
衣装部長が大絶賛する通り、ナギは見事に夜会服を着こなしていた。
普段は結われて頭巾の中に隠されている長い髪を、下ろして後ろで緩く結ぶだけでも印象がガラリと変わる。
絹のような白い肌に艶やかな黒髪が零れる様がなんとも雅やかで、アナベルは脳内キャロルと共につい見惚れてしまった。
――ど、どんなにイケメンでも攻略なんてしないんだからぁぁぁ!
と、その後我に返った脳内キャロルは叫んでいた。
『似合っているなら良かった。手袋もピッタリだ。これで怪我も隠せて助かるよ。ありがとう』
手を握ったり開いたりしてシルクの手袋の感触を確かめながら、ナギは満足気に微笑んで頷いた。
(ルイス殿下とナギ皇子の背格好が似ていて良かった……。これでパッと見た限りでは怪我をしているなんて分からないハズ)
つい安堵の溜息が零れた。
「そういえばアナベル様、衣装に合わせる香水はどうしましょうか? 衣装部から男性用の物を何点か見繕ってお持ちしますか?」
衣装部長にそう聞かれ、アナベルは悩んだ。
ジェパニでは衣服や髪に香を焚きしめる文化があり、ナギやスズもそれぞれ自分用に調合された香りを身にまとっていた。
スズは花のように華やかな春を思わせる香り。ナギは気持ちを落ち着かせるような、でもどこか甘い香り。
「このままで良いのではないでしょうか? ジェパニらしさが伝わる、印象的で素敵な香りですし、なにも全てこの国仕様にする必要もないですから」
ナギにもその事を通訳すると、嬉しそうに微笑んだ。
『香りは思い出を呼び起こすと言うからね……。素敵な香りの良い男だったと、この国の多くの女性達の記憶に刻まれるならば光栄なことだ。あぁ、こんな事なら私もスズと一緒にダンスを習っておけば良かったなぁ。そうすれば美しい女性達と手に手を取って、めくるめく楽しい時間が過ごせたのに……』
『ちょっとダンスするだけで、めくるめく何かは起こらないと思いますが?』
心底残念そうに呟くナギに呆れ顔でつっこむハヤテ。
呟いた内容は恐ろしく軽いのに、胸に手を当て悩ましげに溜め息をつく様はひどく艶めいていて、ジェパニ語が聞き取れなかった衣装部長は、頬を真っ赤にしてナギに見とれていた。
《知らぬが仏》とはこの事である。
午後からの予定を再確認し、衣装部長と共にナギの部屋を辞去すると、アナベルは周囲に人が居ないのを確認し、衣装部長に膝を折った。
「衣装部長、急な依頼にも関わらず迅速な対応ありがとうございました。昨日も前置きしましたが、この件に関しては他言しないようお願いしますね」
「ご安心ください! これでも私は第二王子妃選考会の折、ルイス殿下の試練にも見事耐え、超ド級の国家機密を守り抜いた実績があります! 誓って誰にも漏れぬように致します!」
衣装部長は自信満々に胸を叩く。
「誰かに言いたくて、言いたくて、ニヤニヤが止まらず、周囲から遠巻きにされたあの日々に比べれば、どうということはありません!」
興奮気味に言い募る衣装部長の様子に、ルイスの試練が何だったのかとても気になったが、世の中知らない方がいい事もあるだろうと流す事にした。
午後になってスズの支度が始まった。
王妃より派遣された精鋭部隊が、ドレスに合うメイクやヘアセットを施す。
長く豊かな黒髪は全てを結い上げる事は難しかった為、一部結い上げて、残りは編み込みながら花飾りや真珠を散らして垂らし、さながら童話に出てくる塔の上のお姫様のように可憐に仕上がった。
『ステキ! ドレスを着たお姫様になれたわ! 夢みたい〜!』
鏡の前で嬉しそうにクルクル回るスズを微笑ましく見守っていると、ルイスの来訪が告げられた。
扉から入ってきたルイスの後ろには、何故かランスロットもいてアナベルは無表情をキープしながらも驚いた。
恥ずかしげに頬を染めてモジモジするスズに、ルイスは営業スマイルを繰り出す。
『皇女殿下、良くお似合いです。我が国のドレスはお気に召しましたか?』
『はい……! 素敵なドレスを着たお姫様になるのが夢だったので叶って嬉しいですっ! ルイス様ありがとうございます!』
ルイスは微笑みながら頷くと、ランスロットに視線を送った。
『今夜の舞踏会は昨夜と違い、多くの招待客がいます。何も問題は起きないと思いますが、万が一に備えて近衛のランスロット・アンバーをお側近くに配置します』
近衛の正装に身を包んだランスロットが一歩進み出て恭しく挨拶をすると、スズが目を輝かせた。
『生ランスロット……! ヤバいかっこいい! ご飯三杯いける……!』
そのつぶやきを聞いて、思わず膝がカクンと折れそうになった。
(ご飯三杯……半年前にキャロル様も叫んでいた気がする……)
現にランスロットも、何とも言い難い遠い目をしている。
半年前はただひたすらに、ランスロットに対する不敬ばかりが気になっていたのに、今は何故かスズに対してモヤモヤとしてしまう。
実際にはそんな事は有り得ないのだが、そんな風に他の女性にキラキラと期待を込めた目で見られると、ランスロットが減るような気がするのだ。
昨夜、ルイスへのスズの熱視線に青筋を立てていたキャロルの気持ちが少し分かってしまったアナベルの脳内では、我が意を得たりとばかりに脳内キャロルが深く頷いている。
ふと、ランスロットからの視線を感じ、仕事中だった事を思い出し我に返る。
(私の役目はスズ様のサポートと周辺の監視……)
特に今夜の舞踏会は何があるか分からないから、細心の注意を払って行動し、しっかりお役目を果たさねばならない。
……そう、たとえ自分の婚約者が常にそばにいて、非常に気が散る状況であったとしても……!
恨みがましい気持ちを押し込めて、こんな過酷な労働環境にしてくださった元凶を見やると、ルイスはキャロルが言うところの《テヘペロ☆》といった笑みを投げて寄こした。
(殿下……絶対面白がってますよね……?)
ナギ皇子との密会の時にスズにつけると言っていた護衛騎士は、やはりランスロットだったのかと脱力感に襲われた。
(……何はともあれ、今夜を乗り切らねば……!)
ブレスレットに手をやり、アナベルは再度気合いを入れたのだった。
本日分短くてすみません。
次はお待ちかねの暑苦しい会報をお届け予定です。