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ナギ皇子の思惑(2)

 

 アナベルが薔薇の宮に戻り、スズの支度の進捗や晩餐会の行程の確認をしていると、ルイスが薔薇の宮に来てくれた。

 引き連れていた近衛の中に、ランスロットの姿がないことにガッカリしている自分に気づき、仕事中だと慌てて気を引き締める。

 人払いした一室で、キャロルとスズの会話と、ナギの怪我に関して一切合切を報告すると、ルイスはにこやかに頷いた。


「ご苦労だったねアナベル。皇女の目的が僕なのは、まぁ放置でも良いとして。……ナギ皇子の方はきな臭いね? 早速話を聞きに行こうか」


(スズ様は放置……! 良かったですねキャロル様! やはりルイス殿下はルイス殿下でしたよ!)


 今頃晩餐会の為の支度も大詰めであろうキャロルに、アナベルは思わず心の中で報告をした。


 ナギの元へ使いを出すと、ジェパニの側近二人を連れて、ナギ自らが部屋にやって来た。


 側近のうち一人は、先程温室で会ったハヤテだった。護衛を担当している彼は、ナギの乳兄弟で一番の腹心だという。

 体つきが逞しく、頬にある刀傷が特徴的なハヤテは、スズがキャロルに話した続編の攻略対象のひとりだったはずだ。


 そしてもう一人、スオウと名乗った狐目で細身の穏やかそうな男は、ナギの通訳を担当しているそうだ。スズの話には出てこなかったので、いわゆる《モブ》という存在なのだろう。


『ルイス殿下、早速お時間を割いていただき感謝します。紫の君も、先程はありがとう』


(紫の君とは瞳の色からして、おそらく私の事だろう……)


 部屋の隅に控えたアナベルの方を見てナギが微笑んだので、アナベルは膝をおとして頭を下げた。


 怪我をしたナギの手は、ゆったりとした袖の民族衣装で隠れるお陰で、パッと見は全く分からない事に安堵する。


 この部屋での会話はスオウが通訳してくれる事になった為、アナベルはひとまずスオウの前ではジェパニ語が分からない設定を通す事にした。


(秘密を知る人間は最低限にした方が良いわよね……)


 ルイスもそれで良いと思ったようで、建前上アナベルが話の内容を理解できるように大陸公用語で話し、スオウに通訳を頼む形になった。


「こちらこそ、配慮が足りませんで、お怪我を負わせてしまい申し訳ない。しかし、怪我を公にしたくない理由があるとアナベルから聞きましたが……?」


『ええ、身内の恥を晒すようでお恥ずかしいのですが……』


 ナギ曰く、ずっと鎖国をしていたジェパニは、三年程前に君主が代わったのを機に、一気に開国路線へと舵を切った。しかし、それを良く思わない派閥も未だ根強くいるらしい。

 鎖国派の中でも過激な思想を持つ一派が、今回の親善大使派遣期間中に何か問題を起こして、世論を煽り、鎖国復活へと引き戻そうとしている可能性があるそうなのだ。


 例えば小さな怪我ひとつでも、『親善大使、訪れた他国で大怪我を負わされる悲劇! 蛮族の国と国交を結ぶ必要性はあるのか!?』といった誇張表現で拡散され、鎖国推進運動の格好の餌となってしまう可能性があるという。


『我々は、ただひとつの瑕疵もなく、親善大使としての役目を無事に終えねばなりません。その為に協力をお願いしたいのです』


 ナギは真剣な顔でそう言ってルイスを見つめた。

 ルイスはナギを安心させるように微笑み、大きく頷いた。


「もちろん協力は惜しみません。……皇子は今回の随行員の中に鎖国派のスパイがいるとお考えか?」


『おそらく……。私の供の者は、概ね見知った顔なのですが、スズの侍女達は大半が今回の外遊の為に配置された者達なのです。やはり、身分のある女性が国外へ出るというのは、まだまだ慣習的に抵抗があるようで、元々の侍女の多くは国に残っておりまして……』


 国が違えば文化も常識も違う。ジェパニの女性達と接する時は言動に充分注意せねばならないと、アナベルは再度気を引き締めた。


「なるほど……。となると、皇女周辺を特に警戒すべきだな……」


 そう言ってルイスがこちらを見たので、さり気なく頷いた。


(ええ、私の仕事ですね。どうしてこんな事に……。王妃様の元に帰りたい……)


「ところで皇女殿下がわざわざお越しになったのは、単に僕に会いたかったからなのですか?」


 スズの目的に関してルイスがズバリそう聞くと、ナギ皇子は一瞬驚いたような顔をした後、口元を袖で優雅に隠し、クスクスと笑った。


『もうご存知なのですね? 妹は何処かで貴方の事を知って、一目会いたいと父にねだって無理矢理ついてきたんです。……まぁ、皇女が国外へ出る事で、古き慣習を捨て、開かれた国になったという事を民衆に印象付けたいという、政府の思惑も無きにしも非ずといった所ですが』


「皇女殿下は、キャロルと僕を婚約破棄させて、ご自分が嫁ぐと仰ったようなのだが……ジェパニとしてはそういった意向はないと……?」


 ルイスが笑顔のままそう聞くと、ナギ皇子は切れ長の瞳を大きく見開いて、慌てたように首を横に振った。


『そんな大それたことをあの子は……!? 申し訳ありません! 八百万の神々に誓って、我らはそのような事は考えておりません。スズは年の頃よりも幼くて夢見がちでして……父もあの子の嫁ぎ先は国内で探しておりましたから……!』


 やはり、スズは連れてくるべきではなかったと、疲れたような深い溜め息を吐くナギ。


「……とにかく、何か問題を起こしたいなら、狙われるのは皇女殿下の方ですね。こちらから信頼のおける騎士をつけて警護に当たらせます」


 そう言ったルイスが何故か黒い笑みでこちらを見るので、アナベルは背筋が寒くなった。


(殿下、絶対何か企んでますね……?)


『畏れながら……未婚のスズ様に他国の男を近づける事は、外聞的に宜しくないと考えます。もしどうしてもと言うなら、私が護衛に当たります』


 狐目のスオウがおずおずと、しかしはっきりと反対した。

 スズの護衛官だった女性は旅の途中で病を得て離脱してしまい、不在の状態だという。

 スオウの懸念は尤もな事ではあるが、異国の地で鎖国派の妨害からスズを護る為に、やはり護衛は必要だとナギは判断したようだった。


『スオウは武官として訓練を受けていないじゃないか。ここはルイス殿下のご好意に甘えよう。万が一スズに何かあっては大変だからね』


 ナギがやんわりと窘めると、スオウは頭を下げて渋々引き下がった。


「ご安心ください。護衛につける騎士には相思相愛の婚約者がいますので、万が一にもスズ様の不名誉になるような事はありません」


 それはもう良い笑顔で宣うルイスの言葉に、アナベルは先の展開が予測できてしまい、表情管理を忘れて顔を顰めそうになってしまった。


 そんなアナベルを余所に、ルイスは真面目な顔に戻って、包帯が巻かれたナギの手をじっと見つめて呟いた。


「手の怪我についてですが……。この後の晩餐会は王族だけが出席しますので、事前に通達して『見て見ぬフリ』を通せばいいから問題ないとしても、二、三日は腫れが引かないとなると、明日の舞踏会が問題ですね……」


 明日王宮で開催される舞踏会は、親善大使一行を歓迎するもので、一般諸侯も参加することになっている。

 ナギも大陸の慣習に則って一定以上の身分の貴族達とは握手を交わす必要があるが、ジェパニの民族衣装は手袋を着用しない為、手の怪我を隠せないのだ。


 怪我に気づいた誰かが、ひとたびその事を口にした瞬間に、事実が公になる。それは避けねばならない。


「畏れながら、そちらに関してはひとつ提案がございます」


 発言の許可を求めてアナベルは一歩前に進み出た。


 ナギの怪我をどう隠すか……。


 ルイスを探して王宮中を歩いている間、アナベルはずっと考えていた。

 そして、思いついた作戦を実行出来るか、歩き回るついでに、とある部署に確認もしてあった。


 内容を聞いたルイスとナギが『名案だ』と快諾してくれたのを見て、王宮中を歩き回った時間は無駄ではなかったと、脳内でキャロル直伝のガッツポーズをするのだった。


 ****


 日没と共に数多の灯りが灯され、荘厳に輝く王宮。


 闇をものともせず明るく輝き、その存在を示す王宮は、この国に暮らす民達の誇りであり、特に日没の早い冬においては心の拠り所でもあった。

 その王宮の謁見の間にて、親善大使一行と両陛下との謁見は友好的に定刻通りに終了し、そのままの和やかな雰囲気で晩餐会へと移行した。


 こちら側の出席者は国王夫妻と王太子夫妻、王兄メイナード公夫妻にルイスとキャロル。

 ジェパニ側は民族衣装を纏ったナギとスズ、その他数名の上流貴族の文官武官だった。


 ナギの怪我に関しては事前に打合せがあったようで、挨拶の握手はジェパニ側に合わせて頭を下げるお辞儀に変更された。包帯が巻かれた痛々しい指での食事も、誰もその事には一切触れない。

 可能な限り出入りする人数を減らし、ナギの怪我は無いものとして扱われた。


 男性陣はこれからの国交についてなどを和やかに語り合い、女性陣はスズの民族衣装についてや、大陸のドレスやファッションの流行などについて楽しげに情報交換した。

 特にスズは明日の舞踏会で、我が国で事前に仕立てたドレスを着る予定である事を楽しみにしていたから、食後のコーヒーも飲み終わって大分経ったあと、男性達の顔に苦笑が浮かぶまで話は尽きなかった。

 会場の隅に控えて様子を見守っていたアナベルはそっと息を吐いた。


(今回は限られた人間だけだったから良かったけれど、本番は明日……)


 ――明日の舞踏会は一般貴族も多く出席する。その中には、おそらく鎖国派に与する者もいるだろうと、ナギとの密会の際にルイスは断言した。


 まさかこの国の貴族の中にジェパニの鎖国を推進する者がいるのかと、アナベルは目を瞬かせて驚いた。

 ジェパニとの交易が本格的になると、物流に変化が起きる。例えばそれまで独占していた販路をジェパニに邪魔され、不利益を被るのではないかと警戒する貴族もいるのだそうだ。


「そういった輩にとっては、ジェパニは鎖国していてくれた方が都合が良いからね。鎖国派が我が国の貴族にどこまで接触しているか分からないが、身中の虫が居ると思って警戒しておいた方がいい」


 ルイスの言葉を思い出し、アナベルは気を引き締めた。

 とにかく、ナギの怪我は参加者の誰にも気づかせてはならない。

 それだけでも胃が痛くなる案件なのに、アナベルはもう一つ頭が痛くなるトラブルの芽を発見してしまった。


 それは、スズの視線……。


 キャロルが言うところの《目がハートマーク》状態のスズの視線の先にはルイス。

 周囲がおやおやと苦笑いし、キャロルが笑顔のまま青筋を立て、ナギが顔色を悪くする頻度でルイスを見ている。

 明日もこんな調子だと、良からぬ噂が立つのではないだろうかと不安になる。


 恨みっこなしの選考会でルイスの婚約者に選ばれたキャロルだが、階級至上主義の一部貴族達からは未だに良く思われていない。

 スズがルイスに好意を持っているなら、男爵家の娘よりも今後重要な友好国となり得るジェパニの皇女を迎えた方が良い、などと言い出す者が出るかもしれない。


(キャロル様の家は男爵家ではあるけれど、由緒ある伯爵家の傍系。代々貴族婚を続けているし、決して蔑まれるような血統ではないのに……)


 良き王子妃になろうと努力している日々が、段々深まっていくルイスとの絆が、身分が低いという理由だけで否定されたくないと、アナベルは悔しく思う。


 熱視線を送られている当人のルイスはというと、スズの視線など全く気付いていない風にやり過ごし、キャロルに甘い笑顔を向けて話しかけている。

 だからキャロルも青筋立てるくらいで我慢出来ているが、もしルイスが少しでもスズにデレデレしていたら、今頃修羅場になっていたのではないだろうか……。


 スズも、ここが外交の場だということをもう少し意識して欲しいところだ。

 好きな人につい視線がいってしまう気持ちは凄くよく分かるのだが……。

 何を隠そうアナベルだって、今現在とっても我慢している。

 ギリギリ視界の端に見える晩餐会の警護中のランスロット。仕事そっちのけでついそちらに目が行きそうになるのを必死で堪えているのだった。


 うっかりランスロットと目が合ってしまって、仕事をしていないと思われるのは嫌だったし、何よりも国賓のお世話を任された身として、職務を疎かにする事は許されないのだ。

 視線はスズに固定したまま、密かに手を動かして左手のブレスレットに一瞬だけ触れる。

 婚約の証としてランスロットから贈られたブレスレット。

 ランスロットに会いたくなった時や、心を落ち着けたい時に触る癖がいつの間にかついてしまっていた。


『何か私の顔についていますか?』


 あまりにスズの視線が煩かったのか、ルイスが小首を傾げて不思議そうに聞いた。


『スズ、殿方をジロジロ見るなんて不躾だよ。ルイス殿下、ご不快な思いをさせてしまい大変申し訳ない』


 スズが何かを言う前に、すかさずナギが間に入り謝罪してその場は終わった。


(きっと後でナギ殿下がスズ様に言い含めてくれるはず……)


 そう願いつつナギを見ると、涼しげな笑顔で、心得ているとばかりにしっかりと頷いてくれた。


(よし、きっと大丈夫……!)


 明日の舞踏会ではずっとスズの側に控える予定だが、女官の立場で何かを物申す事はとても出来ない。スズ自身に自制してもらうしかないのだ。

 くれぐれも説得頼みますよという気持ちを込めてアナベルもナギに頷き返した。


 ふと視線を感じてそちらを見ると、こちらをじっと見つめるランスロットと目が合ったけれど、すぐ逸らされてしまった。

 いつもならこっそり笑顔を向けてくれるのにと残念な気持ちを押し殺しながら、アナベルは仕事に戻ったのだった。


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