ナギ皇子の思惑(1)
執務棟へ移動している途中の回廊で、アナベルは足を止めた。
続編のメインヒーローだというナギが、回廊に面した庭の奥の方を、ジェパニの護衛一人だけを連れて歩いているのが見えたからだ。
しかし彼らの向かう方向は、客人向けの手入れなどはされておらず、薬草などが栽培されている温室ぐらいしかない。
(道を間違えたのかしら?)
辺りに案内の人間は見当たらなかったので、アナベルはやむを得ず道を外れて二人を追いかけた。
ナギ達はどうやら温室を目指していたらしく、迷うことなく中に入っていく。
薬草といっても、用法を間違えれば毒になる物もある。勝手に持ち出されては困るので、アナベルは女官服の裾を少し上げて小走りになり、ナギ達からやや遅れて温室の中に入った。
弾む息を押さえて辺りを見渡すと、温室の中程でしゃがみこんだナギが、丁度青い花を摘み取ろうとしていた所だった。
その花を遠目で見て、アナベルは思わず叫んだ。
『殿下!! 触れてはいけません!! 棘があります!!』
その声に反応してナギは咄嗟に手を引いたものの、既に茎を触っていたらしく、アナベルが駆け寄った時には美しい顔を苦痛に歪めて手を押さえていた。
目の前の青い花が、思った通りの花だった事を確認して、警告が間に合わなかった事を悔やんだ。
ナギの指先を見ると、茎を触ったらしい親指から中指の腹全体に沢山の小さな棘が刺さって赤く腫れ始めていた。
『毒があるのか!?』
殺気立つ護衛にアナベルは冷静に答える。
『命に関わるような毒ではありませんのでご安心ください。しかしながら二、三日は腫れて熱を持ちます。棘を抜いて薬を塗る必要がありますので、直ぐに御典医を呼んで参ります』
そう言って立ち上がろうとすると、ナギの無事な方の手が伸びてきて、力強く腕を掴まれた。
『御典医にも誰にも知らせないでくれ。この件は秘密裏に処理したい』
『しかし……!』
国賓が怪我を負ってしまったのに、簡単に済ませる訳にはいかない。尚も言い募ろうとすると、ナギは切れ長の瞳を細めてこちらを見据えた。
『君が実はジェパニ語が堪能だという事を黙っていてあげるから』
瞬間的に体が凍りついたかと思った。
(しまった。緊急時とはいえ、ついジェパニ語を使ってしまった……)
習い始めましたで押し切るには到底無理のある内容だっただけに、誤魔化す事は不可能だと判断し、アナベルは自由になる手を胸にあてて頭を下げた。
『友好の絆を結ぼうとしている方々を騙すような行為をして、申し訳ございません』
そう言うと、皇子は腕を掴んでいた手を離して苦笑した。
『国交を開いたばかりの国同士だから、腹の探り合いは仕方ない事だ。君もルイス殿下からの指示でそうしていたんだろうし。私は丁度そのルイス殿下と腹を割って、話がしたいと思っていた所だったんだ。そのきっかけが掴めたのだから、この痛みも悪くない』
そう言って、赤くなっている指先を見た。
『と、とにかくまず手当を! 御典医には知らせずに、棘ぬきと薬を持って参りますので、このままお待ちいただけますか?』
ナギが頷くのを確認すると、近くのベンチへ誘導し、アナベルは温室から比較的近い調理場へ向かった。
『お待たせ致しました。救急箱を持って参りましたが、手当は私がしてもよろしいでしょうか? それとも護衛の方がなさいますか?』
救急箱を借りて戻って来たアナベルが問いかけると、ナギは小首を傾げて微笑んだ。
『どうせ触ってもらうなら美しい女性がいいから、君にお願いしてもいいかな?』
艶やかな笑顔でサラッと言われて一瞬固まってしまった。
『こういう人だから、痛がっても気にせずブチブチ抜いて構わないですよ』
『ひどいじゃないかハヤテ……。もっと労わってくれよ』
ハヤテと呼ばれた護衛から至極真面目な顔でそう言われたが、はいそうですかと出来る訳もなく、慎重に一本一本棘を抜いていく。
『パッと見て棘だなんて全然気が付かなかったなぁ……。白い綿毛みたいに柔らかそうに見えたのに……』
ナギは空いている方の腕で頬杖をつき、不思議そうに青い花を見つめた。
このソムニウムという花は、彩やかな青い花が咲く。
花自体を材料にして鎮痛剤にする事もあるが、花からは気分を安定させる効果のある香りが出るため、王宮では主に貴人の寝台の傍に水に浮かべて置くなどして、彩りと香りを楽しむ用途として広く使用されている。
花は綺麗なのだが、茎が白くて細い無数の棘に覆われている為、茎は触らずに残して、ハサミで花だけを摘み取るのが一般的なのだ。
『殿下はどうしてこの花を摘みにいらしたのですか?』
『ああ、スズの侍女から、スズがひどく興奮していて晩餐会が心配だと聞いてね……』
(それはおそらくキャロル様との会談のせいですね……すみません)
『スズの気分を落ち着かせる効果のある花が薬草園に生えているらしいと聞いたから摘んできたいとその侍女が言ったけれど、忙しそうにしていたからね……』
そこで、晩餐会の為の準備も特に必要ない自分が摘んでこようとナギが請け負って、今に至るそうだ。
棘を抜き終わり、薬を塗って幹部をガーゼで覆って固定する。
侍女からは薬草園の場所と、花の特徴は聞いたが、棘に関しては何も言っていなかったそうだ。
薔薇の宮に配属されている人員は、ジェパニ側と接する機会が多い為、万一の不手際も無いように下女に至るまでしっかり人選されており、その総括はアナベルだ。
大切な客人にそのような無責任な事を教えた人物がいたなら、厳重注意しなければならない。
『殿下、こちらの配下の者が無責任な事をお伝えしたようで、大変申し訳ございませんでした。ソムニウムは後ほどスズ様の元へお届け致します。再発防止の為に、私共の誰がそのような対応をしたのか特定したいので、その侍女殿からお話を聞きたいのですが……』
『それは、今は困るな……。こちらにも事情があって怪我した事は一切公にしたくないんだ。とにかく至急ルイス殿下と話をする席を設けて欲しい。頼めるかな?』
頑として怪我を隠したいらしいジェパニ側。
(これ以上は私の手に余る。我らが腹黒ルイス殿下にお任せしよう)
アナベルはしっかり頷いて、ナギには薔薇の宮に戻ってもらい、ルイスの元へ急いだ。
晩餐会まであと二刻。
表面上は冷静さを保ちながら、バックヤードでは各部署が慌ただしく動き回っている王宮内を、ルイスを探してアナベルはひたすら足を動かした。
今回のジェパニ歓待の責任者であるルイスは、部下に任せきりにせずに自身の足で関係各所を見て回っているようで、なかなか捕まらない。
途中でばったり出会ってもいい気がするのだが、来客が歩く表の通路と使用人の歩く裏通路を両方使われると、ルートが特定出来ずお手上げだった。
そろそろアナベルも薔薇の宮に戻って、スズのサポートに回らなければならない。けれど、ルイスに至急伝えなければならない情報が山ほどある。
内容が内容なだけに、伝言は以ての外、文書に残す事も躊躇われる為、結局そのまま捜索を続行した。
またもや入れ違いになった部署から、次の目的地に向かう為に廊下に出た所で人にぶつかりそうになった。
慌てて謝罪しようと顔を見てアナベルは驚いた。
「ランス様……!」
ここしばらく忙しくて、なかなか会う時間が取れなかった婚約者のランスロットが立っていた。
――正装美麗ランスロット、ゴチですぅぅ!
晩餐会の警護に就く為か、装飾の多い近衛の正装を纏っている彼に、脳内キャロルが悶えている。
「同僚から、ベルが王宮中を歩き回っていると聞いて、手伝いに来たんだ。今日は夜勤で勤務開始までまだ少し時間があるから」
労わるように柔らかく細められた新緑の瞳に見つめられて、緊張で張りつめていた心がふっと緩む。
業務開始前の僅かな時間にもかかわらず、こうして会いに来てくれた事がとても嬉しかった。
「わざわざありがとうございます。直接お伝えしなければならない事があってルイス殿下を探しているんです。でも行き違いばかりでなかなか捕まらなくて、どうしたらいいかと……」
仕事中は常に毅然としているべきなのに、この短時間に色々ありすぎて、さすがに動揺を隠しきれなかった。つい弱々しい口調になったアナベルに、ランスロットはひとつ頷いた。
「分かった。ベルは薔薇の宮に戻って、ルイス殿下からの指示を待っていなさい。ベルが動き回るより俺が動く方が早い。他の近衛にも言伝を頼むから、きっとすぐに殿下に伝わる」
安心させるように力強く頷く頼もしい様子に束の間見惚れていると、ランスロットの温かくて大きな手がアナベルの左手を掬い上げた。
そこに輝くのは婚約の証としてランスロットから贈られたブレスレット。
仕事中も着けていられるようにと、シンプルかつ上品なデザインに、彼の瞳の色をした石があしらわれているこのブレスレット。仕事を持つアナベルを認め、配慮してくれたその心遣いだけでも有難いのに、更には正装時に着けられる豪華なデザインの物までセットで贈ってくれた。
――「オフィス用とプライベート用! しかも重ね着け出来るとか何ソレ最高! ランスロットの男前度百点満点!!」
キャロルがわざわざ百点と書かれた札のようなものを自作して、それを振りかざして大絶賛してくれた事も記憶に新しい。
「このブレスレット、いつも着けていてくれて嬉しいよ」
そう言った唇がブレスレットにそっと触れて離れる。
満足そうに微笑むランスロットに、アナベルは思わずよろめきそうになった。
(どうしよう。私の婚約者様が尊すぎてしんどい……)
最近キャロルがやたら呟く言葉が、ピッタリはまった瞬間だった。
以降、毎日更新予定で頑張ります。筋肉達が出番はまだかとそわっそわしています。