15
薔薇の宮には、その名を冠するに相応しく、薔薇が競い合うように美しく咲き乱れる庭園がある。
その庭園を一番美しく鑑賞出来るサロンで、薔薇を愛でる時間など1秒たりともないまま、私達メイドは黙々と茶会の準備をしていた。
というのも……
「ちょっとそこ、花が曲がってるわ。すぐにやり直してちょうだい。」
「もっと早く出来ないの?これだからメイド風情はダメね。」
じゃあお前がやれよと言いたいが、言ってしまえば人生が破滅するレベルの報復をしてきそうな相手一一カチュア・グリーズ伯爵令嬢にそんな事を言える猛者はどこにも居ない。
彼女は階級の低い者に対して酷く傲慢で、いじめられて泣いた者や、耐えきれずに王宮を辞した者も多い。
そんな私達メイドの天敵である彼女に遭遇してしまったら最早、声を殺してひたすらに嵐が過ぎ去るのを待つしかないのだ。
それにしても、茶会の開始時刻までにはあと半刻以上もあり、ここまで準備を焦る必要はないはず。だというのに嫌がらせかと思うほど私達を急き立てるカチュアのお陰で、早くも準備を終えようとしている。
急いでかつ丁寧にカトラリーを設置し終えて、ちらりと天敵の様子を伺う。
カチュアは手下の侍女を従えて出入口である扉の傍に偉そうに立ち、他のメイドに精神攻撃をしかけている。
いつもならこんな茶会の準備など、手下に任せきりで陣頭指揮に立つことなどない天敵がなぜ今日に限ってここに居るのかも不思議だった。
するとにわかに扉の外がざわついた。
主催者のマリア様が早めに来たのかと思い扉口を見ると、何故か天敵がほくそ笑んでいる。違和感を覚えながらも入室してきた人物を見て、サロン内に動揺が走る。
よりによって主賓である第二王子ルイス殿下が時間よりもだいぶ早く来てしまったのだ。しかもこの茶会を主催したマリア様不在の状態で。
主催者の方が遅れてくるなど通常時でも失礼極まりない状態なのに、さらに相手が王族である。
これはまずいのではなかろうか…。
流石のカチュアも慌てるかと思いきや、彼女は先程の嫌な笑みから一転、美しい笑顔で殿下を迎えている。
「これは殿下…!ようこそお越しくださいました!」
「やぁ、カチュア嬢。…もしかして私は来る時間を間違えたかな?」
茶会の招待客どころかホストすら不在のガランとした室内を見渡す第二王子殿下に、カチュアは動揺した風に言い繕う。
「も、申し訳ございません、少々手違いがあったようでございます。今すぐにマリア様をお呼びいたしますので、殿下はどうぞこちらのお席へ。」
そう言うと、共に居た侍女にマリアを呼びに行かせ、私達にはすぐに紅茶を用意するよう命じる。その声音も殿下の前だからか、普段と真逆の慈悲深いもので思わず鳥肌が立つ。
殿下の近くに座ったカチュアは何を思ったか、潤んだ瞳で祈るように両手を胸の前に組み、悩ましげな表情を作る。
「恐れながら殿下、このカチュアのお願いを聞いてくださいませ。」
鳥肌再び。
男を前にするとこうも化けるのかと驚きを通り越して最早感心する。その辺の男ならこれでイチコロなのかもしれない。しかし流石は殿下、常と変わらないにこやかな笑顔で「何かな?」と先を促す。
「大変申し上げにくいのですが…恐らく招待状を代筆した侍女が、開催時刻を書き間違えてしまったのだと思います…。もしそれがマリア様に知られてしまったらその侍女がどうなってしまうかと私は恐ろしくて…。」
そこまで言うと、さも怯えている風に己を掻き抱くカチュア。男の庇護欲をそそると共に、さり気なく豊かな胸まで強調するテク。ブラボー。もはやスタンディングオベーション級である。
そしてマリア様、殿下への手紙も代筆させてるって余程字が汚いのか、王子妃になる気がないのか…。
殿下は少し考える素振りを見せたあと、甘く蕩けるような笑みを浮かべて頷く。
「なるほど。では、私の予定が急に変更になって、少し早めに来てしまった事にしよう。」
するとカチュアの顔がパッと華やぐ。ブラボー(再)
「あぁ…ありがとうございます殿下。なんてお優しいんでしょう!これでその侍女もマリア様に酷い叱責を受けなくて済みます!その侍女に代わり心よりお礼を申し上げますわ。」
そう言うと、潤んだ瞳で殿下を見つめる。いちいちあざとい…。
「マリア嬢はそんなに怯えるほど周りに厳しくあたるのかな?」
「いえ!その…私達が悪いんです…。マリア様のお心通りにして差し上げられないから。でも、時々辛くて…。」
そう言ってハンカチで目尻を押さえる仕草をする。あざとい…。(再)
「そう…。ちょうどマリア嬢について傍付き女官である君に話を聞きたかった所だったんだ。色々聞かせてくれるかい?」
「ええ、もちろんです!」
「ありがとう。では、あまり周囲に聞かれたくない話だから、ジェパニ語で話そうか。」
「…申し訳ありません、ジェパニ語は得意ではなくて…。」
「そうなの?アナベルは堪能だから貴女もてっきりそうなのかと思ったんだが…。」
瞬間にカチュアの顔が固まる。
カチュアにアナベル様の話は地雷だ。
案の定カチュアは直ぐに立て直し、にこやかに笑うが、笑顔が微妙に引きつっているのがよく分かる。
「ジ、ジェパニ語ではなく、フラン語ではいかがでしょう?」
すると殿下は落胆したように首を横に振る。
何故ならフラン語は隣国の言葉で、学院でも必須科目となっていた為、卒業した者ならある程度は話せる。しがないメイド風情の私でもだ。
「で、では、イトゥリ語では?」
「ではそうしようか。」
そうして二人はフラン語よりはややマイナーなイトゥリ語で話し始めたが、カチュアの語学力はそれほどでもないようで、殿下の言葉が聞き取れず話が進まない。
やむなく途中フラン語を混ぜる為、断片的ではあるが会話の内容が漏れ聞こえてくる。ちなみに私はイトゥリ語を勉強したのでもれなく全て聞こえていた。
カチュアは拙いイトゥリ語で仕えているマリア様を遠回しにディスる事に終始している。
給仕を終えて、部屋の隅で空気となりながら、ふと、もしかして今日のカチュアの狙いはこれだったのかもしれないと思った。
彼女の殿下に対する態度を見ていると、明らかに殿下狙いだと分かる。であれば、一番王子妃に近いだろうマリアが邪魔なはず。
そこで、マリアに対する心象を悪くしようと画策したのではないか。
時刻を間違えたという招待状もわざとだったからカチュアは私達に準備を急がせたのではないだろうか?
準備が終わっていないと殿下が出直してしまうかもしれないから。
結果殿下を引き留める事に成功し、さり気なくマリアが殿下への手紙も代筆させていると暴露し、失敗をした侍女に酷くあたると告げ口し、マリアを出し抜いて先に茶会を始めて殿下と二人で会話をする機会を見事得ている。
このまま殿下のハートを射止められると恐らく彼女は思っている事だろう。
しかし話の行方は段々不穏なものになっていく。
というのも、殿下がことある事にアナベル様を引き合いに出すからだ。その度にカチュアの苛立ちは増し、ついには攻撃対象がマリア様からアナベル様へと切り替わっている。
殿下はわざとアナベル様との対立を煽ってどうしようというのか。
私は段々不安になってきた。
このままでは尊敬するアナベル様がカチュアに何かされかねない。
アナベル様は私達下級メイドにも優しく、絶大な人気を誇っているのだ。彼女に嫌な思いをして欲しくない。
やきもきしながら二人の会話を聞いていると、
『何だか変な匂いがしないか?』
ふいに殿下が呟く。
匂い?
私は周囲を見渡して匂いを嗅いだ。しかし、茶菓子の甘い匂いしかしない。そう思って再び殿下に目をやると、こちらを見ていた殿下と目が合った。
しまった。
それはすぐ逸らされた為、周囲には気づかれていないのが幸いだった。
背中をひやりとした汗が伝う。
殿下がイトゥリ語で呟いた言葉につい反応してしまった。つまり私が会話を全て聞いていたことがバレてしまった。
しかし、即刻退出を命じられるかと覚悟していたら予想に反して特にお咎めもなく、マリア様が慌てて現れるまで二人の会話をそのまま聞かされた。
そうして茶会が終わり片付けもひと段落着いた頃、メイド長から呼び出された。
嫌な予感をひしひしと感じながら向かった先には、それはそれは美しいルイス殿下がいらっしゃった。
『メナード男爵令嬢、急に呼び出してすまないね。とにかく座って。』
『メ、メナード男爵が次女のリリーでございます。殿下に置かれましてはご機嫌麗しゅう…。』
いきなりイトゥリ語で始まった会話に、やはり先程の茶会で私が会話を聞いていた事がバレていると分かり私はその場から動けなくなった。
よりによって殿下直々に罰を言い渡す程重大な罪だったのかと、これからの沙汰を想像して体が震え出す。
『ああ…。怖がらせてしまったね。貴女を罰しに来たわけじゃないから安心して?ちょっと頼みたい事があるんだ。』
立ったまま固まってしまった私を気遣ってか、少し首を傾げて優しげに微笑む殿下。
罰されるわけじゃない…?
それに、殿下がこのしがないメイドに頼み事…?
その言葉に勇気を得て、私はブリキ人形よろしく不自然な動きで、勧められたソファーになんとか座った…。