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院長室と書かれた無駄に豪奢な扉を侍女に開けさせて部屋に入ると、酒の臭いが充満していて思わず顔を顰めた。
部屋の主は目が痛くなるような真紅のソファに座り、昼日中から酒を呑んで、醜く肥大した体をさらに肥えさせていたようだ。
「これはグリーズ伯爵令嬢様…。次回の慰問はまだ先かと記憶しておりましたが、今日はどうされましたかな?」
赤ら顔で驚いている男、北の孤児院の院長を一瞥して私は対面のソファに座った。相変わらず悪趣味なソファだが、粗末なものよりまだマシだ。
「臨時の寄附金があるから持ってきたのよ。善意に溢れた第二王子妃候補の方々からよ。」
テーブルの上に手形を出すと、覗き込んだ男はその額に目を瞠る。
「これはまた…儲けましたなぁ!いやはや、お妃候補の方達ともなると、慈善活動にも熱心でらっしゃるんですなぁ。有難いことでございます。」
降って湧いた大金に男は醜悪な顔をさらに醜く歪めて笑う。なぜこんな男が聖職者で、しかも孤児院の院長に収まっているのか心底分からないが、そのお陰でこちらも甘い蜜を吸っているのだから今は考えない事にする。
「いつもは半額が私の取り分だけど、今回は私が稼いできたものだから8割貰っていくわ。」
そう言うと、男は大袈裟に顔を顰めた。
「8割!それはあまりにも無慈悲な!!こちらの取り分があまりに少ないと対外的に取り繕えなくなります。寄附金を着服しているのがバレては貴女様が困るのでは…?」
悪事の露見を仄めかして暗に脅してくる薄汚い男。
この私を脅そうとするなんて身の程を知らなすぎる。
この男の生殺与奪の権利を持っているのは私だというのに、酒の飲みすぎで忘れたのだろうか?
男から漂ってくるすえた臭いに嫌気がさし、扇子で口許を覆い隠す。
「お前が更に懐に入れなければいい話よ。元手のかからない孤児で儲けてるんだから今回くらい我慢したって問題ないでしょ?証拠はこちらが握ってる。バレたら困るのはお前の方よ。」
そう言ってやると男は脂ぎった唇を悔しそうに噛んでいる。やはり忘れていたようだ。
この男は、孤児を人身売買のブローカーに売りつけて儲けている。
もちろん人身売買は犯罪で、露見すれば極刑も免れない。
私はその証拠を握る事に成功し、黙っている見返りに孤児院への寄附金や国の給付金を半分受け取っている。
まだブツブツ言いながらも渋々支払手形を切る男を見ながら、こんなお粗末な脳みそでよくそんな危ない橋を渡れているものだと逆に感心する。
もっとも、寄附金の着服に関しては国にバレないように、私も手を加えている。行政の担当部署の人間を買収して、抜き打ち調査の日程をリークさせたり、会計帳簿も不整合がないよう付けさせチェックしている。
もし万が一バレたとしても、私まで巻き添えにならないよう手は打ってあるが、折角の金づるには長生きして貰った方がいい。
「名宛人はいつも通り『アナベル・ガードナー様』でよろしいですかな?」
「ええ。期日は少し早めて1週間後にして頂戴。」
男が書き終わった手形を受け取り、思わず笑みが浮かぶ。
この大金が1週間後には私の物になる…。
着飾るしか能のないご令嬢達が慈善活動に見せかけた打算で殿下の歓心を買おうとした無駄金。
孤児に使うより私が使った方がよっぽど有意義なのだから私が貰ってあげるのだ。
支払手形さえ手に入ればもう用はない。
居るだけで酒臭くなりそうな空間から早く抜け出そうとソファを立った。苦々しげな男を見下ろして優越感に浸ると同時にふと思い出した。
「あとの2割の寄附金の使い途だけど、教師でも雇って頭の良い子供を2、3人教育させなさい。育ったら王妃陛下に進言して王立学院に入れさせるから、商品達と同じように大切に扱って。」
そう言うと、男はしたり顔で頷いた。
「なるほど、街では最近ウチの評判が悪いですからな。どこが発信源か分からないが、北の孤児院は待遇が悪いから子供を任せるなら南の孤児院へと誰もが声を揃えて言うとか…。ウチが教育に力を入れていると分かれば、変な噂も無くなるかもしれませんな。」
私は鼻を鳴らして嗤ってやった。平民共の噂が何だというのか。
家畜小屋で牛や豚が鳴いていたとて、気にする必要など何も無いのに。
それをあの女は逐一王妃様に報告していたが。
そんな面白くもない話なんかより私の仕入れてくる流行の最先端のファッションの話の方がよっぽど王妃様を楽しませられるのに。
なのに王妃様のお気に入りはあの女。
全くもって理解出来ない。
思い出したら一気に気分が悪くなってしまった。
おそらくあの女は今日という貴重な休日もわざわざ鄙びた孤児院で高尚な慈善活動とやらに勤しんでいる事だろう。
でも…笑っていられるのも今のうち。
そのうちこの男を切る時に一緒にあの女も巻き添えにしてやるのだ。その為の手は打ってある。
いい子ちゃんのあの女が絶望に染まった様を見る日が楽しみでならない。
「下々のくだらない噂話なんて誰も気にしないわよ。検査が来た時に上手く取り繕えていれば問題ないわ。もし何か問題が起きた時は以前話した様に対応して。」
それだけ言うと私は悠々と部屋を後にし、次の目的地である銀行に向かった。