オブジェクトシンドローム
昼間の蒸し暑さとは一変して、日付の変わるころにはそれは心地よい気温となっていた。
駅前の十字路に横になり肌をつけると母体の中にいる心地よい温度が体を支配していくようだった。
終電の終わってしまった駅前ロータリーから続く十字路には人ごみなどは微塵も感じられない。
そこにあるのはただ無意識に動くだけの信号だけが赤と青の連鎖を繰り返す世界が流れている。
十字路の真ん中以外に心地よいところなど、今の私にはなかった。
ただただそこの心地よさが今までで一番安心できるもの、私に安心感を与えてくれるもの、私の存在を唯一認めてくれるもの。
十字路に転がっていると後ろから機械的な光が私に向けられた。
そこには、一眼レフのカメラのストラップを肩からかけた男が一人レンズを通して私を見ていた。
私が身じろぎ彼を見つめ返すと彼は残念にレンズから目を離したのだった。
一言ボソリと生きてたのか・・・と残念そうにつぶやいた言葉は私の耳に届いた。
むくりと起き上がり私はその男に噛み付くような視線を送った。
「私に何か用ですか?」
十字路の真ん中で交わされる言葉は響かない。
「てっきり僕は君が死んでいると思って近寄ったのはいいのだけど、生きていたことに落胆したよ。」
死体でない私には興味がない、ということか。
私は今最高に不機嫌だ。
何故なら先日やっと告白した彼氏と愛を交わしていたのに、まさか死体と間違われて写真に収められてしまうとは・・・
「すみません。私いま彼氏と愛を交わしているので邪魔をしないでいただけますか?」
「彼氏というのは?」
「は?あなたの目は節穴ですか?今、ここにいるじゃないですか。」
私は先ほど抱きついていた彼を手のひらで2回ほどペチペチと叩いた。
できたばかりの彼氏を叩くのは不本意だったが、これは致し方のないこと。手のひらに彼の温もりが残る。
「彼氏。意外にイケメンな彼氏をお持ちですね。」
彼は私に笑いかけた。
一方の私は彼のその返答にポカンとしてしまった。
こんな返答初めてだったからだ。
そうしていると彼はズボンのポケットから財布をだし、その中からレシートを出してなにも印刷されていない面にボールペンでサラサラと何かを書きつづっていた。
それは私の目の前に差し出した。
「君とは気が合いそうだ。よかったらもう一度君の彼氏の自慢話を聞かせてもらいたい。」
少しよれたレシートを貰うと、彼は始発にはだいぶ早い駅の方へと向かっていったのだ。
私はもう一度十字路の真ん中に転がった。
私を愛してくれるただ一人のために、今夜も私はあなたに愛をささげよう。
たとえそれが十字路に対してでも。私にとっては違うもの。
**********
数日後、私はあのレシートの男の死体発言が気になり番号に連絡することにした。
何度目かのコール音の後に彼の声が聞こえた。
「どうも一眼レフレシート死体男さん」
『どうも十字路彼女さん』
「一度お会いしたいとおしゃっていましたね?」
『いましたよ』
「私も少なからず一眼レフレシート死体男さんに興味はあります」
『それは光栄なお話です』
「明日の18時、この間の駅の東口、ロータリーを左に曲がったところのファミレスで待ってます」
『了解しました。では、十字路彼女さん』
「また、一眼レフレシート死体男さん」
そういって電話は切れた。
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18時丁度に向かうと、彼は律儀に店の駐輪場で待っていた。
私を見つけるとすぐに判ったらしく、やぁと小さく声をかけてきた。
店内に入り、ドリンクと軽食を注文すると彼は興味深そうに話しかけてきた。
「君の今の彼氏、どんな人?」
「あぁ、彼ですか。いい方です。とても。私のすべてを包んでくれて、孤独でいて、暖かくて、涙が出てくるような、そんな感じ。」
「ちなみに前の彼氏は?」
「駅前の電話ボックスの右から3番目です。今考えたらなんで付き合っていたのか判らない。」
「恋人というのはそんなものだ、過去の恥ずかしい過ちだよ。」
店員が頼んだアイスを持ってくると、私はすかさずそのアイスを持っていたメロンソーダの中に入れる。
浮き沈みする球体がまるで羊水に漬かっている胎児のようにみえる。
これはこれで愛おしきもの。
「僕からいくつか質問してもいいかな?」
「答えられる範囲内の答えだったら応えます」
「まず、君はいつから物に恋愛するようになったのか。」
「それは・・・・気がついたらそうでした。」
「?」
「人間をめでたり、恋したり、愛しく思うことはありませんでした。」
「ずっとそうだったの?」
「いいえ。物意外にだって愛しましたよ。女でしたけど。」
「同性愛者なの?」
「思うんです。男とか女とかそこで区切るのはおかしい。人間だっていうことに変わりはない。だから性別なんてどうでいい」
「その気持ちはわかる。」
「同性愛者ですか?」
「それは否定させていただこう。」
「じゃぁ、あなたはなにを愛してるんですか?」
「君は“物”僕は“者”」
「者?」
「そうさ、僕はただの死体愛好家だ。」
カタンと溶けた氷がバランスを崩した音がした。
メロンソーダの中に入っていたアイスは、流産のように溶けていた。
「人ってさ。僕が思うに死んでから価値が上がると思うんだ。殉職っていうの?死んでから地位が上がったりとかさ、事故で死んでから改正されたりとか、死んでからこその価値ってあると思う。」
「だから自殺したように見えた私に話しかけたんですか?」
「そう。だって君の死が何らかの価値を生む瞬間っていうのをこのカメラに収めたくてね。でも君は生きていた。」
「残念でしたね。」
「いや、まったくだ。」
彼は笑いながら濃度の違いで二層になったアイスコーヒーに口をつけた。
私は思う。
そしたら彼のカメラの中は死体写真の山なのか?と。
「そんなことはない。」
彼は私の心の語りを見透かしたように返答した。
「確かに死体愛好者だ、しかも人間限定のね。でも中々死体に遭遇できる機会なんてない。」
「それはそうですね。」
「だから君の死体を期待したんだ。」
「でも私の死体に価値なんてない。」
「それは死んでからじゃないと判らない。今君がどんなに価値がない生き方をしていようと、死んだ後になんらかの価値が生まれるんだ。良い意味でも、悪い意味でも。」
「マイナスもあるんですか?」
「それはあるよ。電車でなんか自殺してごらん、高いところから飛び降りてごらん。君の家族はマイナスな価値を背負わされて終わるだけさ。」
「なるほど・・・・」
「でも君らはただ愛し合っていただけ。それだけのことだった。」
彼はバッグの中から一枚の写真を私に渡した。
それはこの間の写真。
私と彼が愛し合っている写真。
他人から見れば、自殺?病気?それとも頭がおかしい人?と見られてしまう。
そんな写真を渡した彼は、いい写真だ。恋人同士で愛し合うとは実にいい。と言ってくれた。
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店を出ると彼は、さようならといって私とは逆方向に歩いていってしまった。
私は来た道を戻るように駅の西口へ歩く。
終電ではまだない。
まだ人ごみはあった。
そんなことを気にせずに私は十字路の真ん中に寝転がる。
彼から貰ったツーショット写真を見せるため。
「写真もらったよ?愛し合うっていいねって。」
私は小さく笑った。まわりの視線なんて気にしないで。
「大好きだよ。ずっと一緒にいようね?」
真昼のコンクリートの残りの暖かさが私に優しく応えてくれた。
end 20110109