18.海の神ポセイドンはナンパ師でした!
「さすがルリ様です!まさかバタフライで滝登りをするなんて!」
アズミは防水カメラを片手に歓喜の声をあげていた。
そのカメラのレンズが映し出す光景は、彼女の発言通りルリが身一つで滝を上へ登っていく様だ。
なんとも勇ましい泳ぎであり、見応えあるパフォーマンス。
同じくアカネも感心して眺めていたが、しばらくすると最初の様子とは裏腹に呆れ気味な表情でぼやいた。
「ルリさんー。それじゃあ泳ぎの参考にならないよー」
どうやらルリは泳ぎ方を教えるという名目で、バタフライ泳法の手本を披露していたようだ。
だが人間離れした動きである以上、当然ながら彼女ら一般人に真似できるわけが無い。
そんな指摘をされたルリは動きを止めるも、勢いよく流れ落ちる本滝に留まりながら応える。
「えー!?でも、できたら気持ち良いよー!」
「プールでわざわざ滝登りを楽しんでいる人なんて、ルリさん以外だと魚人くらいだよー。あと、なんで止まっても滝から落ちないのー」
「凄い勢いで足をバタバタさせているからね!なんなら水面に立てるよ!」
ルリは浮かれた表情のまま不思議な自慢を始めて、流れる滝の水面に直立してみせた。
そのため彼女の体正面は滝つぼへ向いているのだが、平然としているあたり物理法則に従うつもりが微塵も無いらしい。
それどころかムーンウォークやブレイクダンスを始めてしまう。
これを素直に称賛するのは彼女を神様だと信じ込んでいるアズミくらいなもので、アカネはどうやって彼女を説得すれば良いものかと悩み出した。
一方でエフは遊び道具を借りるために離れていたらしく、ちょうどビーチボールなどを持って戻って来た。
「今日は泳ぎの練習に来たわけじゃないから、みんなで水流に身を任せるくらいにしましょう。それにビーチボールや水鉄砲も借りてきたわよ」
「おぉ!エフは気が利くね!というか、そういうのがプールのお約束って感じがして最高だよ!」
「喜んでくれて何よりだわ。ほら、ここだと巻き込まれるからビーチの方へ行くわよ」
「おっけー!」
ルリは巻き込まれるという彼女の言葉に疑問を抱くこと無く、当然のように水面を跳躍して親友達の隣へ静かに着地した。
同時にペイント弾で陣地取り合戦しているグループが後ろを駆け巡るが、ルリ達は気にせずに談笑を続けながらビーチへ向かう。
そして4人一行が砂浜に足を踏み入れたとき、ふとアズミの視線はどこか見覚えある利用客に移った。
その利用客は魔物の類で、1人慎ましく日光浴を楽しんでいるようだ。
「……あれ?あの人って魔王さんじゃないですか?」
気になって注視すれば、ホワイトハウスの主である魔王がサングラスをかけて寝そべっていた。
ただアズミ以外の3人は一斉に首を傾げる。
噓偽りない反応であり、数日前の出来事だったのに誰1人として魔王のことを記憶していなかった。
そもそも異形の利用客が他にも大勢いるから、アズミがどの人物を指して言ったのか分からないくらいだ。
また、全知全能のルリですら忘れているような口ぶりで訊き返す。
「魔王って誰のこと?アズミのオタク仲間?」
「えっ?あぁ……いえ、やっぱり何でも無いです。知り合いで無ければ、親しい間柄でも無いので。それより飛び込みましょう!この晴れやかな青い海へ!」
当時は魔王の痴態による深刻な精神的ダメージもあったので、わざわざ皆に思い出せる必要なんて無い。
そうアズミは冷静に悟り、話をはぐらかして海水浴を催促した。
それから彼女達は驚くほど普通の女の子らしく海辺を満喫する。
海水を掛け合い、ビーチボールで軽い運動を繰り広げ、海岸で標高4000メートル級の砂山を作っては棒倒しで遊んだり。
更には、この施設ならではの遊び方でイルカを騎乗して波乗りを楽しんだ。
時折、日光浴を装っている魔王から「やはり創作活動には現地取材が欠かせぬな」という恍惚とした声が聞こえたりしたが、誰にも邪魔されず純粋に楽しめるのは心地よかった。
まさしく理想のバカンス。
ただし女の子グループだけで遊べば、ビーチのお約束といえる出来事にも遭遇するものだ。
「ヘイヘイ、可愛い彼女さん達Yo。どうせなら俺達とも遊ばないかぁい?」
ルリ達が小休憩を挟んで雑談しているとき、不意に男性から声をかけられた。
男性は全身が日焼けした褐色肌で、長めの金髪を束ねた筋肉質の体つきをしている。
そして男性の隣には1人の連れが居て、そちらは細身でウェーブかかった黒髪の男性だ。
どちらもルリ達より年上な雰囲気の男性であって、若々しく滾ったオーラと大人の余裕ある佇まいの両面を兼ね備えている。
簡単に言ってしまえば、無粋な誘い方以外は魅力的な印象を覚えるところ。
だが、あいにく彼女ら4人とも異性の容姿に釣られる性格では無い上、今は友達と遊ぶのが最高に楽しいとき。
だから彼らに対する関心は薄く、ルリが真っ先に断った。
「すみません。今日は結構です。今は友達と遊んでいるだけじゃなく、新婚旅行を満喫している最中なので」
ルリはあしらう声色で答えながら、親しそうにアカネの肩を引き寄せる。
さりげない同性愛アピール。
しかも見るからに歳の差を感じさせる結婚だと分かるもので、相手が望んでいるタイプの女性では無いと伝えたつもりだ。
そのはずなのだが、最初に声をかけてきた金髪の男性は愉快気に微笑む。
「まさかの既婚者かYo。だけどぉ余計にそそられたぜ!」
「へっ?」
予想外すぎる相手の反応に、ついルリは素っ頓狂な声を漏らしてしまう。
別の意味で一筋縄ではいかない性癖の持ち主だった。
そのことをルリが知ってしまった直後、先ほどから日光浴と観察を楽しんでいた魔王が立ち上がった。
魔王は躊躇なく接近し、このナンパされている状況へ勝手に首を突っ込もうとする。
「待て待て!かつて我も百合の間に挟まりたいと思った!だがな、今は許せんぞ!少なくとも、我の前でモラルが欠けたことをしようとするな!この不埒者風情が!」
当人達からすれば謎の説教おじさんが登場。
当然ながらアズミ以外全員、いきなり誰だと思う瞬間だ。
特にナンパ男からしても意味不明な展開であって、まだ平穏だったはずなのに喧嘩腰にならざるを得ない。
「おいおい誰だYo、お前は。部外者がいきなり割って入って来て、何のつもりだYo。もしかしてお前も彼女らを狙っていたのかYo」
「違う!我をお前らのような下賤な輩と同じにするな!我は魔王!あの有名サークルホワイトハウスの…」
「お前マジでうるさいYo」
金髪のナンパ男は、魔王の仰々しい口上を遮りながら三又の槍を取り出した。
その取り出し方は明らかに普通の人間とは異なり、三又の槍からは強烈な威圧感が発せられている。
最早ただの揉め事では済まされない魔王は気づくが、既に手遅れだ。
ナンパ男が三又の槍を振るうと、刃は魔王の強靭な肉体を容赦なく貫いた。
「ぐぉっ!?この力は……!」
「一介の魔王如きが神に逆らうなYo」
ナンパ男は残酷な口ぶりで呟くと共に鋭い眼光を覗かせた。
更に彼が槍を強く振り抜けば、魔王は槍と共に海上を越えていき、一気に海の果てまで激しく吹き飛ばされる。
三又の槍は魔王の体に刺さったまま。
そのはずなのにナンパ男の手には同形の槍が握られていた。
「ドォーンだYo!」
最後にナンパ男が気取ったポーズを取ったとき、地平線の奥で辺り一帯を包み込む巨大な雷撃が迸った。
轟く雷鳴、響き渡る爆撃音。
続いて攻撃発生の衝撃で高くうねる波。
おまけに聞こえてくる魔王の興奮した喘ぎ声。
この威力は神の雷を連想させるものであって、ルリ以外の3人は思ったことをありのままに呟いた。
「魔王さん……。一応善意で助けに入ったのに、まさか何もできず塵にされるなんて」
「おぉー。不審な暴漢が吹き飛ばされたー」
「厄介者が多いビーチね。スタッフは対処してくれないのかしら」
これまでの経験で肝が据わったのか、眼前の出来事に対して3人とも動揺していないらしい。
それどころか無関係な顔して立ち去ろうとしたが、金髪のナンパ男は一々ポーズをつけながら制止してきた。
「へい、待ちな彼女たち!その度胸、ますます気に入ったYo!俺は星の神ランク8、ポセイドンだYo!だから海の神として、君達をアトランティスに招待してあげるYo!」
急に自己紹介を始める金髪のナンパ男。
おそらく位が高い職業をアピールすることで、少しでも気を惹こうとしたのだろう。
しかし、それでも彼女ら4人からすれば眼中に無い話だ。
とは言え、このまま無視を続けても諦めてくれそうに無いので、ひとまずルリが会話に応えることにした。
「それって、つまりはお持ち帰りだよね。余計に嫌なんだけど」
「それじゃあ俺と勝負しなYo!勝負方法は水泳競争ぉ!それで俺が負けたら大人しく引き下がるYo!」
「本気で言っているの?勝負する時点で何も大人しくないでしょ……」
「ちょっとした賭け事の遊びだと思って、付き合ってくれれば良いからYo!それに俺は知っているぜ、君は泳ぎが得意なことをYo!とても力強く美しかったぜYeah!」
「えー……。なんで海の神がと思ったら、そこに惚れ込んだの?」
彼はルリの滝登りを見ていたのだろうか。
そのせいで余計に目を付けられてしまったのなら、ルリは親友のために責任を持って相手を追い払わなければならないと思った。
同時に彼女は申し訳ない気持ちを覚えたので、念のため3人に詫びる。
「ごめん。なんか私のせいっぽい。すぐに片付けるから3人で遊んでて」
親友に気を遣った謝罪と提案。
だが、誰一人として事態を重くは受け止めておらず、むしろアズミが率先して彼女の気持ちをフォローした。
「ルリ様が謝ることなんて何も無いですよ!それに是非とも応援させて下さい!ふぁいと、おーです!」
「あ、アズミぃ……」
「おぉー、ルリさんは悪くない。キスしてあげるから元気だしてー。そして、ルリさんパワーで相手をコテンパンにしちゃえー」
「うぅ、アカネちゃんまで……!ありがとうね!私、行って来るよ!」
ルリは感動しながら意気込み、皆の応援を一身に受けて胸を大きく張る。
だが、彼女が相手に立ち向かおうとする前に、エフがちょっと怒り気味な眼差しで喋った。
「ちょっと勝手に前置きを締めないでちょうだい。まだ私だけ何も言って無いわよ」
「もう充分に奮い立ったどころか、アカネちゃんのキスで過剰に英気を補給したくらいなんだけど。何か言いたいの?」
「それじゃあ私が錬金した触手玉をあげるわ。割れば大量の触手が出てくるの。御守りだと思って持ってなさい」
「あ、ありがとう。これまでの人生で、御守り代わりに触手を貰ったなんて初めての経験かも」
こんな時まで怪しい錬金道具を持ってくるだけではなく、触手という珍妙な選択がエフらしくある。
何であれ、あまり追求するべきでは無い話題だと考えたルリは、手の平サイズに満たない球体を戸惑いながら受け取った。
それを紐で自分の手首に括りつけた後、再び金髪のナンパ男………もとい海の神ポセイドンの前に立った。
「待たせたね。そういえば競争するにしても、どうやってゴールを決めるわけ?」
「ここから真っすぐ海を北へ泳いで行けば、サンゴ礁の小島があるんだYo。そこで旗代わりにサンゴ礁を採取して、先に浜辺へ戻った奴が勝者だYo」
「分かった、サンゴ礁ね。ちなみに能力とかの使用に関してルールはある?」
「それは君が自由に決めてくれて構わないYo」
「女の子に花を持たせてくれるわけか。じゃあスキル使用は制限無しの何でもあり。まぁ私はスキルに頼る真似はしないから安心して」
スキルに制限を設けなかったのは、いざとなったら力で相手に勝つためでは無い。
勝負中でも親友達を守れるよう考慮した結果だ。
彼女らが安全に応援できるよう配慮しつつ、勝負を手短に終わらせる。
それがルリにとって理想的な勝ち方になる。
「それなら俺もスキル使用を極力控えるぜぇ」
「ん~?そんなことを言って平気なのかな?私からしたら、そっちがスキルを乱用しても問題ないよ。その上で私が戦闘系スキル不使用のまま圧勝した方が、すっごく気持ち良さそうだし」
「はぁ~ん?海の神である俺相手に生意気な発言、その挑発にやる気が湧いてきたYo!徹底抗戦の構え、負けず嫌いな心意気!?神に逆らう愚か者の末路。今ここに審判を下すYo!Yeah!!」
「さっきから何?テンション上がるとラッパーじみた口調になるの?韻は踏まれて無いけど、俗っぽいことが好きなんだね」
ルリは一方的に巻き込まれた形ではあるが、こうしてお互いに挑発し合うことで自然と場を盛り上げる応酬が行われた。
そのせいで他の利用客まで水泳バトルが始まることに気づき、意図せず観客が増えていく状況になってしまう。
より騒ぎが大きくなる中、ポセイドンの連れである黒髪の男性は依然と黙ったままだ。
神の仲間ということは、きっと彼も同じくらいレベルが高い職業のはず。
だからアズミはこっそり鑑定スキルを発現させ、相手の正体を探ろうとした。
「職業は神の使い……。うーん、ポセイドンさんが海の神なので付き人という事ですかね」
相手から話しかけようとしてこない以上、そこまで気にする必要は無さそうだ。
そう思って彼女はアカネ達と一緒に応援を始めることにして、ルリとポセイドンが立つ海辺に注目を戻した。
それから騒ぎとは無関係な観光客が開始の合図を申し出て、今ここに水泳バトルが始まる。