戦戦慄慄
真依が目覚めると、どこか見覚えのある和室の布団の中にいた。
「あれ…私はいったい…。ここは、ミズキくんのお家?」
「大切な髪を傷付けられて、怒ったとこまでは覚えてるんだけど…」
『まったく、あれから大変だったんだから』
真依の頭の中で、くろの声が響く。
真依とくろは、声に出さなくても互いに意志疎通が出来る。これが、守護霊特有の干渉力なのか、くろの干渉力なのかは定かではない。
『くろちゃん、無事だったんだね。他のみんなは?』
『一応、命に別状はないとだけ言っとくわ。あの後、水姫のお父さんと、その使用人に助けられたのよ』
『あれ…ミズキくんのお父さんって、あの場所にいたっけ?』
『後で聞いた話なんだけど、ここのお寺から走ってきたみたいよ。イカれてるわよ…まったく』
『起きたばっかで悪いけど、誰か探しに行きましょう。私もまいから離れられないから、詳しい現状は知らないの』
『そうだね。お腹も空いたし、すぐに準備するね』
真依は、短くなった髪を手ぐしで軽く整え、部屋から出た。
長い廊下を抜けると、懐かしい日常を彷彿とさせる匂いが、真依の鼻をつく。
匂いにつられ歩みを進めると、台所に出た。そこには、手慣れた様子で包丁を扱っている間壁が立っていた。
「竹取様、目を覚ましたんですね。今、朝食の準備をしていますので、少々お待ちいただけますか」
彼は、真依の方を振り向くことなく声を掛けてきた。
「お料理中に、ごめんなさい。シンヤくんたちは何処にいますか?」
間壁は真依の問い掛けに対し、少し間を置いてから答えた。
「… 水姫様は、まだ意識が戻りません。生司馬様は目が覚めたんですけど… 」
間壁はそこで言葉を止めた。
そんな間壁の様子を見かねてか、くろが代わりに答えた。
「目を覚ましてから部屋から出ようとしないんですって。酷く怯えているみたいで、人が来るのも嫌がってる」
それに合わせて、間壁も頷いた。
「腹減ったー」
重たい空気を、気だるそうな声が打ち破る。
首もとを掻きながら、寝癖がボサボサに跳ねている水姫が、台所に入ってきた。
「良かった。水姫様も、お目覚になったのですね。すぐに食事の準備をしますので、居間でお待ち下さい!」
間壁の表情が一気に明るくなり、声のトーンまで上がっている。
「間壁さん、お願いします。竹取さんも、そんなとこに突っ立ってないで、行こうぜ」
「うん…」
真依は、水姫が目を覚まして嬉しかったが、それ以上に信也の事が気掛かりで、手放しには喜べずにいた。
「竹取さんも無事で良かった。俺も大きな怪我はないけど、とにかく腹が減ってる。寝起きに日付を確認したんだけど、どうやら、3日近く眠ってたみたいだ」
「そんなに寝てたんだ…お腹が空いて当然だよ」
「話は飯を食ってからにしようぜ」
真依と水姫は間壁が用意した、白米と焼き鮭の切り身を、ものの数分でたいらげた。
一通り食べ終えると水姫が話を切り出した。
「信也は無事だったんだよな?」
「無事なんだけど…」
真依は、くろから聞いた話を水姫にも伝えた。
「そうか…。とりあえず信也は機関に掛け合ってでも、一旦自宅に帰すか。巻き込んだ俺が言うのもなんだが、普段通りの日常を送って、しばらく休んだ方がいいだろ」
「そうだね。私もこの後、様子を見てくる」
その後、水姫と朝水が境界保全機関に掛け合い、必要最低限の見張りをつけることを条件に、信也の帰宅はあっけなく認められた。
真依と水姫は間壁を手伝い、ここ1,2週間の宿泊、食事のお礼に境内の掃除をしていた。
「ミズキくん。シンヤくんって、なんたら機関にとって重要人物なんだよね?よく家に帰るのが認められたね」
「境界保全機関な。信也は違反者の肉親ってだけで、直接何かした訳じゃないしなぁ」
「俺も半分騙すような形で、大護を釣る餌としてここへ連れてきたけど…、結局、大護からのアプローチもなかったしな…」
「ええっ!水姫くん、私たちを騙してたの?」
「それに関しては謝る。総本山に連れて来た後、機関に確認したら監視だけでいいってさ。所在さえ分かっていれば、特に拘束する必要もないそうだ」
「そんなぁ…それなら私たち、無理に戦いに参加する必要なかったじゃない」
「いや、そもそも竹取さんは、無理に参加しなくてもよかっただろ」
「それは、そうなんだけど…」
「ただ、信也が大護側に付いてる可能性も考えられたから、信也の干渉力の内容をはっきりさせておいた方がいいと思ってな」
「ただ、本音をいうと信也に、ちょっと興味があったのもあるけど…」
その瞬間、真依は後退りした。
「ええっ!ミズキくんって、《《そっち》》系の人だったの?」
真依の反応を見て、水姫の表情が一気に険しくなる。
「はっ、頭、涌いてんのか?俺が興味あるのは信也の干渉力だけだ。顔は好みじゃねぇ」
「顔は…?男の子なのは気にしないの」
「…っち」
水姫は、それ以上は面倒臭くなったのか、舌打ちだけして話を元に戻した。
「とにかくだ。皆、無事だったんだからそれでいいだろ」
「それはそうかもしれないけど…。私たち、危うく死にかけたんだよ」
「そうだな。誰が死んでいてもおかしくなかった。実際、あそこにいた殆どの参加者は、九尾や悪霊に殺されたからな」
水姫の言葉に真依の表情が強張る。
「…えっ、死人がでたの?」
「あんたって、ほんとにデリカシー無いわね」
くろが真依の体から出て来て、水姫を睨む。
「これに懲りたら、竹取さんも家に帰るんだな。ここまで、巻き込んでしまったのは悪かったけど、今ならまだ日常に戻れる。ただし、信也にはもう関わるな」
「…えっ?それってどういう…」
「さっきも言ったが、信也は機関に監視されている。大護のこともあるし、既に《《こちら側》》の人間だ」
「………」
真依は言葉に詰まり、目を伏せた。
真依の信也に対する恋心を知っているくろは、真依の肩を擦り、代わりに水姫との会話を続ける。
「結局、九尾の件は、本当にシンヤのお父さんが犯人だったの?」
「そうだな。9割9分、大護で間違いないだろ」
「干渉力を使用したら、力の痕跡が波形として残る。俺たち干渉者は、それぞれ波形が異なり、同一のものは存在しない。干渉力の指紋みたいなものって言えばわかるか?」
「今の干渉具は優秀で、この波形を測定すると、データベースと照合され人物が特定できる。科学と干渉力の融合だ」
「この“ゴーストハンター”のアプリでも力の痕跡を辿れるぜ」
そう言って、水姫は怨霊のイラストが写し出されているアプリ画面を真依とくろに見せた。
「9割9分ってことは、100%じゃないってこと?」
「そうだな。波形を他人と誤認することは、ほぼ無いけど干渉力自体が完全には解明されてないからな。力の種類によっては誤認することもあるかもしれない。あくまで、可能性に過ぎないが…」
真依がようやく気持ちの整理がついたのか、会話に復帰する。
「掃除…これくらいでいいよね?とりあえず信也くんが部屋から出ないことには始まらないよね。何とか説得してみる…」
「…まい」
くろも水姫もそれ以上は何も言わなかった。
皆が寝静まった後、真依は信也が籠っている客間の襖をノックした。
「シンヤくん…」
…返事は無かった。
「…入るね」
それだけ声を掛け、真依は部屋の中へと静かに入った。
信也は頭まで布団を被り…震えていた。
真依はそんな信也を隣に座り、話始めた。
「シンヤくん。…私ねシンヤくんに救われたの。くろちゃんの件だけじゃないよ」
信也の反応は無いがそれでも真依は思いの丈を…言葉を続けた。
「寂しかった…家でも学校でも1人だった…。だからシンヤくんと仲良くなれて救われた」
「…ごめんね。うまく言えないや」
「……だから、今度は私が救う番。シンヤくんが脅えずに済む世界にするから…待っててね!」
真依は最後に明るく声を掛けると、部屋を後にした。
それから、信也の外出恐怖症が治ることなく半ば無理矢理連れ出す形で、真依と共に信也は帰宅した。
日にちは進み、夏休みも終盤へと差し掛かる。
夏休みの宿題に、 慌てて取り組んでいた真依に、水姫から電話が入る。
「竹取さん、久しぶり。信也の調子は?」
「うん……全然ダメ。毎日、家に行ってるんだけど、インターホンを鳴らすだけで、怯えるの…」
「そうか…、俺も少なからず責任は感じている。今度、境界保全機関の本部に行くから、その時にでもメンタルケア専門の干渉者がいないか聞いてやるよ」
「メンタルケア?」
「干渉力でトラウマとか、心の病気を治せる奴が機関にいるって、話を聞いたことがある」
水姫はそこまで話すと、一呼吸置いてかろ話を切り出した。
「それと、少し言いづらいんだけど、竹取さんも呼び出しが掛かっている」
「どうして、私も呼ばれたの?」
「竹取さんは九尾の尻尾を一本削ったからな。力のある干渉者の波形を登録しておきたいんだろう。断っても問題ないと思うけど、どうする?」
「夏休みの宿題が終わってないけど、私も協力した方がいいよね。私からも、機関にシンヤくんを治せるか掛け合ってみる」
「わかった。また日時が決まったら連絡する」
「うん。お願いね」