仁王
郡山海斗。38歳。
誓願破棄の代償として、老化が著しく進行している。
その容姿は既に高齢者の仲間入りを果たしており、脳の萎縮により認知症も進行している。その為か、1日の半分も思考が定まっていない。
現在、A樹海にて金毛九尾と交戦中。
「何とか水姫たちは逃がせたかの」
海斗は水姫には、一族に縛られずに生きて欲しいと、勘当してまで郡山家から遠ざけた。
一族が解体され、信仰の力が薄まったにも関わらず、蛟の干渉力は、今なお絶大なものであった。
「蛟のお陰で、わしが到着するまでの時間は稼げたが、危うく若人たちを死なすとこじゃった」
海斗に蹴り飛ばされた九尾が体勢を整え今にも飛び掛かろうとしている。
「わらわを足蹴にするとは、許すまじ!」
九尾は怒りに身を任せて、海斗に向かって突進してきた。
「所詮は獣、人様には敵わんの」
海斗は、臆することなく、合気の構えに入る。
九尾は突進ととも8本の尻尾を雷の如く伸ばしてきた。
“流水拳・八塚の捨て石》
この技は、掌に干渉力で形成された、薄い水の膜を張る。その膜に物体が触れた瞬間に水を緩衝剤として、力学的エネルギーの同調を図り、力の流れを意図した方向へと受け流す合気。
海斗は九尾の8本の尾を左手のみで受け流そうと試みる。しかし、全ては受け流せず、海斗の胴に2本の尾がめり込む。
「ぐっ!」
海斗は、勢いよく吹き飛ばされた。
“覆水不返”の代償で、海斗の右手には力が一切入らず、左手のみで応戦するしかなかったのだ。
「大人しく、わらわに喰われよ」
九尾は、怯んだ海斗を丸呑みにしようと口を大きく空けた。
「なんのこれしき」
海斗は身を翻し、九尾の口を交わし、その頭上を取る。
“覆水盆帰”
そのままに左手で、九尾の額に掌底打ちを入れた。
「何じゃこれは?先ほど蛟を抑えた技か」
九尾が上手く干渉力が練れずに狼狽えている。
“龍のつがい”
海斗は隙だらけの九尾の顔面に、両足に水で双龍を形成し、そのままドロップキックをぶちこむ。
「ぐぎゃぁぁ」
九尾は悲痛な叫びを上げながら吹き飛ばされる。
「よくも!よくも!わらわの御尊顔を…」
“九十九・禍津魂寄”
九尾が怒号を上げると樹海中の空気がざわめく。
九尾は口を大きく開き空を仰ぐ。そしと、樹海に蠢く怨念を破竹の勢いで口の中へと、吸い込みだした。
九尾の体は数倍に膨れ上がり、干渉力も先ほどと比べ物にならない程、高まっている。
約千年ぶりにこの世に顕現した九尾は、体が鈍っていた。それが、図らずも海斗たちとの連戦により、勘を取り戻してしまったのだ。
「覆水不返の楔も解かれてしまったか…。ここまでかの、…死して屍、拾う者なし。若人を逃がせただけでも良しとするかの」
海斗は覚悟を決めて九尾へ向け、駆け出した。
九尾の体はドス黒く変色していた。突っ込む海斗目掛け、歪な黒い爪が振り下ろされた。
「死を美徳とするのは日本人の悪い癖だぞ」
その瞬間、海斗の耳に、渋い男の声が届く。
九尾の爪が海斗に直撃するよりも速く、その声の主は、右手のデコピンのみで九尾の巨体を吹き飛ばした。
直後、 辺りに粉塵が巻き起こる。
「この技は…。辰さん!」
徐々に視界は晴れ、海斗の目に、風になびく金色の髪が映る。
そこには、相模辰五郎が海斗に背を向け、仁王立ちしていた。
「あの時とは、立場が逆転したな。これで、借りは返せたかな」
「青龍の件は、貸しだなんて思ってませんよ。それに…あの時、相模さんを助けたのは、大護さんです」
「貴様ら。次から次へと…グォォォォ!」
九尾は誰の目から見ても、かなり消耗しているのが分かる。
九尾は木々を薙ぎ倒しながら、辰五郎へと飛び掛かる。
「九尾さんよ、今の一撃を耐えたからっていい気になるなよ。私は本来は左利きなのだよ」
そう言って辰五郎は、今度は、左手で九尾の額にデコピンを食らわす。
先ほどとは、比べ物にならないほどの土煙が巻き上がる。
「相変わらず凄い威力じゃの」
辰五郎の干渉力は肉体強化。干渉者であれば、誰しも備えている能力である。
その能力に限界を感じた辰五郎は、 ある“誓願”を設けたのだ。
それは、干渉力による肉体強化を、体の局部にしか指定できないというものだ。変わりに、指定した局部に高密度の干渉力が集約される。
移動時は足、攻撃時は手といったように。そして、指定する部分が小さければ小さいほどその威力は絶大なものとなる。
辰五郎のデコピンは、第三指爪先の僅か1mm×1mmの面積に干渉力を絞っている。
再び視界が晴れた時には、九尾の巨体は跡形もなく消しとんでおり、前方の樹海は数百メートル先まで木々が消し飛んでいた 。
「辰さん、助かりました」
「上がった発煙筒に、それぞれ救助に向かっていたら遅くなった。残念ながら、殆どが九尾に殺られていたよ。カイトがいなければ、全滅もあり得ただろう」
「九尾は力こそ増幅していたが、かなり消耗していた。オレだけで倒せたかは、わからんよ」
「いえいえ、ご謙遜を…。ワシも歳には敵いませんから」
「まったく。誓願破棄なんて無茶をするからでしょうに」
「ははは。返す言葉もございませんの」
「それに、口調まで爺さんにしなくてもいいだろうに」
「この見た目で若者のような物言いをすれば、育ちが悪く見られますからの」
「実際、育ちは悪いだろ。とりあえずは、任務完了だ。死亡者の確認と、その後の対応はこちらで請け負う」
そう言うと、辰五郎は目を伏せた。
「どれだけ強くなろうが、何も変わっちゃいない。何の為に私は…」
辰五郎はそれ以上何も言わなかった。
海斗は、その事には触れず、一礼だけして、その場を後にした。
金毛九尾討伐任務完了。
任務参加者54名中、生存者10名。
結界に 巻き込まれた一般人15名。全員生存。