誓願
「なんだよそれ、当主なのに知ってはいけない掟なんて存在するのか?」
海斗の言葉に、灯浬は真剣な面持ちで頷く。
「その当主には知らせてはいけない掟を、俺に話すって事は、俺は既に当主では無いってことか」
「左様でございます。正確に言えば、当主は長子である水姫様に引き継がれました。ただし、海斗様は水姫様が成人の義を迎えるまでは、当主代行として一族を取りまとめて下さい」
「ハッ?ふざけんなよ!アキは郡山家に殺されたようなもんだ。その上、水姫まで、一族の犠牲にさせるわけにはいかない」
「そう言われましても…。一族の総会で決まったことですので…」
「そんな重要な話を、俺、抜きで決めたのか?」
「それは…」
海斗に気圧され、灯浬は言い淀む。
海斗自身、分家にはそれほど恨みは抱いてはいなかった。死にかけていた海斗を助けてくれたのは分家であり、アキの死も、父との確執が招いた結果である。
それが分からない程、海斗は子どもではな い。
当主命令が絶対で、瀑両の命令には誰も逆らえなかった事も、承知の上であったし、海斗の暗殺が一族の総意であれば、死にかけている海斗を助けずに、止めを刺すはずだと…。
もしかしたら、海斗を殺す予定であったが、瀑両が亡くなった事で、計画が狂い、一族を立て直す為に、やむ無く海斗を当主代行に据えた可能性も考えられる。
あれこれ思案を巡らせている海斗に対し、灯浬は確認を取る。
「海斗様、心中お察し致しますが、掟に関して、ご説明してもよろしいでしょうか」
「心中お察しって、キミに何が分かる!」
喪失感に押し殺されないように、これまで冷静に努めていた海斗であったが、灯浬の心無い一言で怒りが爆発してしまう。
海斗の怒号で灯浬は怯え、身を縮めた。
そんな彼女の様子を見て、海斗はすぐに我に返り、年端もいかない少女に声を荒げてしまった事を反省した。
「怒鳴ってすまない。灯浬ちゃんが悪いわけじゃないのに…」
「いいえ、私こそ…配慮が足らずに…申し訳ございませんでした」
「話の腰を折ってすまない。続きを話してくれ」
「はい。本家の長子は母体から生まれ落ちた時点で、親から蛟様を、体に受け継ぎます。そして、その時点で当主になることが確約されます。ただし、成人の儀を迎えるまでは前当主が政を代行する。これが、郡山家の当主に伝えてはいけない掟です」
「それなら、俺は生まれた時には既に当主だったのか…。どうしてこの事は当主に話してはいけないんだ?」
「蛟様は宿主の精神面が不安定になると制御できなくなり、暴走するのだと伝えて聞いております」
「歴代の御当主様には蛟様を宿していることで、不安に苛まれ、暴走させる人が後を絶たなかったそうで、蛟様を御することは困難を極めていました」
「でも、仮に蛟が宿ってる事を知らされてなくても、人間なんだから精神が不安定になるなることなんて当然あるだろ」
「そうですね。そこで、“誓願”を立て、当主に掟を秘密にすることを条件に、当主の体内に宿る蛟様の周囲に結界を張ったそうです」
「《《せいがん》》って?」
「干渉力を 伴った願掛けの事です。干渉者を介して、代償を支払い願掛けを行います。その代償に見合った、効能を干渉力に付与できるのです。干渉者の一族は掟に、“誓願”を掛けることで力を高めてきました。もともとは力の弱い干渉者が、力を得る為に編み出したものだそうですが」
「なるほど…。けど、当主に秘密にする程度の代償で、蛟を抑え込める程の結界を張れるものなのか?」
「いいえ、気休め程度の結界かと思われます。現に水姫様は暴走し、蛟様を顕現されました。ただ、蛟様の存在を伝えない方が、宿主の精神の安定に繋がることは、これまでの郡山家の歴史で証明されてます」
海斗は、説明を聞き終えると頭を掻きながら、何やら考え込んでいた。
「その…誓願とやらを破ったらどうなる?」
「そうですね…。誓願の内容によりけりですが…。過去に誓願を破って命を落とした人もいたそうで、わざわざ、そのような危険を冒す人は、干渉者であれば、まずいないでしょう」
「なるほど…よくわかったよ。ありがとう」
瀑両が、家を出ようとする海斗を無理に止めなかったのも、蛟の暴走を恐れていたからであった。水姫が生まれて、蛟の宿主が海斗から水姫に引き継がれたことで強行手段にでたのだ。
海斗の中で、なんとなくだが、今回の出来事の背景が見えてきた。
「気付けば、こんな時間ですね。今から夕食をご用意を致します。それまで休まれて下さい」
海斗は自分が目覚めた時間はわからなかったが、客間の窓から見える望月で夜だと認識できた。
「灯浬ちゃんは、その歳で料理も出来るのか」
その言葉を受け、灯浬は、少しムッとした表情に変わった。
「私はもう19歳ですから」
それだけいい放つと、彼女はそのまま部屋から出て襖をピシャリと閉めた。
「マジか、…てっきり中学生ぐらいだと思った…。後で謝っておいた方がいいかな」
「……」
灯浬と話していたお陰で、何となく気が紛れていた海斗であったが、1人になるとアキを失った悲しみが、一気に心の中に押し寄せてくる。
海斗は、これまで近しい人の死を幾度となく経験してきた。だが、今回ばかりはアキの死を受け入れることなど、到底できないでいた。
誰もいない客間で、海斗はしばらく呆然と立ち尽くし、宙を眺めていた。
後日、水姫の治療が済んだとの報告を受け、ようやく面会の許可が降りた。
海斗は、指定された日時まで、山家の母屋で父の遺品の整理をして待っていた。
海斗は、父である瀑両の書斎に入り部屋を見渡した。
本棚には分厚い書籍が敷き詰められていた。
おもむろに、それを手に取って開く。そこには、漢字だけの文章がズラリと並んでいる。
漢文の授業をまともに受けていない海斗であったが、何となくだが、戦の戦略について、記載されていることを察した。
「埃を被ってない。手入れが行き届いているな」
これだけで、瀑両の几帳面さが伺えるのだが、海斗はその事にすら今まで気付いてなかった。
「俺って父上の事、何も知らなかったんだな」
海斗と瀑両は顔を合わせる度に喧嘩をしていたし、そもそも顔を合わせないように海斗は避けていた。
「もう少し、父上と話をしていれば、ここまで関係が拗れることもなかったかもな…」
今更、後悔しても、どうにもならないことは、海斗だって百も承知だ。
それでも、アキと父親を喪うという最悪の事態は避けられたかもしれないと思うと、やりきれない気持ちになる。
後悔の念に駆られながら、何気なく本棚を眺めていると、他の本に比べ、くたびれている黒い冊子が目についた。
海斗はおもむろにそれを手に取り、パラパラとページをめくった。
「これは…父上の日記か?」
そこには筆で書かれた達筆な文字で、日記が記されていた。海斗は、その最新のページに目をやった。
3月25日。一族の総会で海斗及び、その妻の処刑が決定した。一族を存続させる上で蛟様の力は必要不可欠。蛟様が他の一族に渡るような事があれば、郡山家の沽券に関わる。
当主として愚息の愚行の責任を取らねば。
3月26日。一族の当主になった時点で私的な感情は捨てた。息子の処刑を決定しなければ、分家の不満も高まり、一族が内部分裂する恐れもある。崇める神を失えば、これを躍起に謀反を起こす者も現れるやもしれん。普通の家に生まれれば、息子との関係もここまで拗れることはなかったかもしれない。このような事を書き留めても詮無きことだが、私の手で始末する事が、父としてできる、せめてもの情けであろうか。
日記はここで途切れていた。
父である瀑両の苦悩を知り、海斗は憤りを感じていた。
「一族ってなんだ!そんなに大事なものなのかよ。家族を犠牲にしてまで存続させる価値ないんたないだろ!」
海斗は、これ以上、遺品の整理を続ける気にもなれず、日記を放り投げ、母屋を飛び出した。
本来の目的であった水姫の面会に、海斗は分家である畔家の家屋まで赴く。
畔家は郡山総本山の麓にある直径100m程の湖の側の小屋で生活をしている。
郡山家では、この湖で、初めて蛟を顕現させたと言い伝えられている。
湖の中央まで桟橋が伸びており、そこには黒い布切れを羽織った老婆が、水面に手をかざしていた 。
水面からは、水の球が浮かび上がっており、その中で水姫が体を丸くして寝ている。
海斗は老婆に近付き、背後から声を掛けた。
「畔婆。水姫の様子はどうだ?」
老婆は、水球へかざした手はそのままに、海斗の方を振り返った。
「これはこれは、坊。お久しゅうございます。当主様なら、あと1時間程で治療が終わりますゆえ。しばしお待ちを」
「蛟は水蛇の化身。水さえあれば何度でも顕現する…か」
「そうですじゃ。ワシの干渉力の効果も相まって、予想以上に治療が早く済みました」
程なくして水球から解放された水姫を、海斗は腕に抱き、頬擦りをする。
「水姫、すまなかった。俺のせいで危険な目に遭わせてしまった。二度と《《こんなこと》》が起きないようにするから。愚かな父さんを許してくれ」
蛟の力に目覚めた水姫の髪の毛は白く変色していた。蛟が顕現すれば水姫の身にも負担が掛かり危険が及ぶ。
そして、分家の思惑を回避する為に、海斗はとんでもない行動にでた。
…数日後、分家の取り計らいもあり、海斗は、遅ればせながらも成人の儀を執り行う運びとなる。
その場には当主である水姫を含めた本家、分家の人間がほぼ全員参加していた。
海斗は水姫を抱えて、用意された壇上にあがり話し始めた。
「本日は私の為に、このような場を設けていただきありがとうございます。突然ですが、この場をお借りして今後の一族の方針を発表します」
「本日を持ちまして郡山家を解体致します。今まで支えて下さった分家の方々ありがとうございました。あとは自由に生きて下さい」
海斗のとんでもない発言に集まっていた全員がざわつき始めた。そんな様子を意に介さず、海斗は淡々と発言を続けた。
「異論のある方は当主代行の権限で一族から追放します。それでも納得がいかない方は俺が力づくで追い出します。その場合は命の保障はしかねますのでご了承下さい」
海斗は、これでもかというぐらい満面の笑みで成人の義を締めた。
そして海斗は、その場で水姫に対して、当主に決して伝えてはいけない掟を伝えたのだ。
ただ、生後間もない水姫にとっては、何の事かは当然理解はできていない。
しかし、掟もとい“誓願”を無視したことには変わりなく、そんな海斗に失望し、分家の人々は一族から離れていった。
当然、納得出来ない分家の者もいたが、ことごとく海斗から返り討ちにされたのだ。