蛟
「うっ…」
アキは背後から、丸眼鏡を掛けた刺客の一太刀を背中に受け、地面に崩れ落ちる。
「アキ！」
海斗はすぐさまその刺客を殴り飛ばし、アキを抱き抱えた。アキは息も絶え絶えで、背中からは血が溢れでている。
「クソッ！どうしてこんなことに…」
自分の力を過信し過ぎていたあまり、アキを危険に晒してしまった。海斗は後悔に押し潰されそうになる心を必死に繋ぎ止めながらアキの手を握りしめる。
海斗は、そこでようやくアキが抱えていた水姫がいない事に気付く。殴り飛ばした刺客の方に目を向けると、その腕にはこんな状況下にも関わらず、寝息を立てている水姫が抱き抱えられていた。
「まさか、お前らの狙いは、はなから水姫か？」
「そんな！海斗を殺すだけで、アキは助けるって言ったじゃないか。子どもを奪うだけだって」
目の前の出来事は逢海にとっても不測の事態だったようで、アキを切りつけた刺客を問い詰めだした。
「申し訳ございません。これも命令ですから」
丸眼鏡の刺客は、逢海の訴えなど意にも介さず、血の滴る刃を袖で拭う。
「ふざけんなお前ら、俺の家族だぞ！ 勝手に命のやり取りをしてんじゃねぇ！」
海斗は怒りに任せ、丸眼鏡の刺客に殴り掛かった。しかし、刺客は海斗の拳に刀を合わせて攻撃を受け流す。
コイツ、強い！ 海斗が目前の丸眼鏡の刺客に気を取られていると、背後から何者かの手刀がの海斗の胸を貫いた。
「グッ！？…なんだと…俺の体を…貫くなんて 」
海斗は吐血しながらも、背後の刺客を振りほどき、間合いを取る。
何とか態勢を整える海斗であったが、虫の息であるのは、誰の目から見ても明らかだ。
海斗が振り向くと、驚くべき事にそこにいたのは海斗の父、瀑両であった。
海斗は血液を操作して出血を抑えようと試みたが、うまく干渉力が扱えず、そのまま地面に膝をつく。
「海斗どうして、わしの言う通りに生きなんだ。貴様が馬鹿にしていた修行を怠るから、この程度の攻撃すらかわせんのだ」
瀑両は、眉一つ動かさず、そう吐き捨てる。
「…どうして…力が…」
「何故、干渉力が使えぬか不思議なようだな。この技は覆水不返という。力に溺れ、手に負えなくなった一族の者を止める為に編み出された技だ」
「一度、零れ落ちた水が盆に返らぬように、この技を受けた者は自身の干渉力が周囲に奔流し、一時的に力を失う。その代償として、わしも暫くは腕が使えぬが…」
海斗からすれば、技の解説なんて正直どうでもよかった。なぜ父親がここまでの事、実の子を手に掛けたのか…それだけが分からずにいた。
アキ、水姫…。すまない。不甲斐ない俺のせいで守れなかった。海斗は心の中で二人に詫びる。
「父さん！？どうしてアキを殺したんですか」
尚も取り乱している逢海が、瀑両に掴みかかった。
「ぐっ！」
その刹那。瀑両の腕が逢海の胸を貫く。
「父さん…。なぜ…」
「忌み子であった貴様を、本当に我が一族に迎え入れるとでも思ったのか？貴様を殺さなかったのは妻がどうしてもとせがんだからだ。次期当主は海斗の息子が継ぐ。その為にも、貴様らが生きていては、いろいろと面倒だ」
胸が吹き飛んでいるにも関わらず海斗は何とか意識を保っていた。
「父上、アンタは何がしたいんだ。」
「これも一族を守るためだ。当主には、 次期当主を生むまで決して明かされぬ掟が存在する。本来なら、お前にも子が産まれた時点で伝えねばならなかったが…死に逝くお前には必要ないだろう」
「そんなに一族が大事なのかよ」
「ミズキ…」
海斗の耳にアキの消え入るような声が届く 。
「アキ！？」
海斗は体を起こそうとしたが、体に力が入らず、立ち上がることすらできずにいた。
「私たちの…子ども…よろしくね」
その言葉を最後にアキは動かなくなった。
「アキッ！！」
その時、丸眼鏡の刺客が抱えてた水姫が目を覚まし、突然泣き出した。
それを皮切りに水姫の体をから、大量の水が溢れだす。
「まずい！」
瀑両は慌てて水姫の元へ駆け寄る。
そのまま溢れ出た水に周囲にいた全員が飲み込まれる。
朦朧とする意識の中で海斗が最後に見たものは、虚ろな瞳をした白い龍が、天を仰ぎ哭いている姿だった。
「ここは…」
海斗が次に目覚めた時は全てが終わった後であった。
「夢か…？…痛ッ！ 」
辺りを見渡すとそこは郡山家の客間であった。
海斗は胸の激痛で、すぐにあの出来事が現実だと理解した。海斗の胸には包帯が巻かれており、 痛みにより再び意識が遠退く。
次に目覚めた時には小柄な女の子が海斗の横に立っていた。
「アキ！無事だったのか？」
海斗はその女性をアキと勘違いし、抱き寄せ彼女の胸に顔を埋めた。
「海斗様、痛いです…」
「あれ…キミは…？」
海斗の目の前には、まだ顔立ちの幼い、三つ編みの少女が頬を赤らめ立っていた。
「申し遅れました。郡山家分家の前園灯浬と申します。出過ぎた真似かと存じますが、海斗様の介抱を担当させていただいております」
灯浬と名乗った少女は見た目にそぐわない畏まった物言いで頭を下げる。
「そんなに、気を使わなくてもいいぜ？それよりあれからどうなった！アキは？ミズキは？」
灯浬は躊躇いながらも、言葉を紡ぎだした。
「…残念ながら…。あの場にいた、生存者は海斗様と水姫様だけでした」
それを聞いた海斗は、目から涙が溢れ出し。しばらく、声を押し殺し、泣き続けた。
それはアキが救えなかったからか、ミズキが生きていて嬉しかったのか…上手く言い表せない複雑な心境だった。
感情を吐き出し、多少の理性を取り戻した海斗は、事の顛末を灯浬から聞き出した。
「暴走した蛟様に、その場にいたほとんどの者が殺されました。海斗様の父、瀑両様と間壁さんが命を賭して蛟様を鎮めて下さいました」
「まかべ…？」
「間壁 海苔之さんです。瀑両様、直属の召使いになります」
アキを殺した…あの丸眼鏡の刺客か？海斗は少し気になったが、そんな事よりも聞きたいことが山程あった。
「そんな奴の事はどうでもいい、水姫はどこにいる？」
「水姫様は分家の畔家の元で療養中です。かなり衰弱していましたが、命に別状はありません」
「そうか…よかった。それと、蛟について詳しく話してくれ。ただの偶像崇拝じゃないのか？」
「そのことも含め、海斗様にお伝えせねばならないことがございます。しかし、私の口からお伝えするには、少々荷が重いといいますか…」
「何だよ。もったいぶらずに教えてくれ」
灯浬は渋々ながら重い口を開いた。
「郡山家の当主には決して知らせてはならない掟が存在します」
