孤立
水姫の目の前で信也と真依が樹海の中へと消えていった。
「クソッ!俺のミスだ。やっぱり竹取さんは連れて来るべきじゃなかった。あのバカ《信也》も、すぐに樹海の中に飛び込みやがって!」
水姫は自分の額を拳で殴り、一旦、冷静になるよう努める。
軽く深呼吸をして朝水の方へと向き直る。
「朝水、当主を危険にさらすわけにはいかない。お前はここに残ってろ」
「間壁さんは俺と来て下さい」
「朝水様。坊っちゃんに付き添っても宜しいでしょうか?」
「いいですよ。間壁さん。兄さんを頼みましたよ」
「承知致しました」
間壁は朝水へお辞儀をすると、樹海に突入する準備を整える。
「待ちたまえ。君たち2人だけでは危険だ。蟒蛇くんをチームに加えたまえ」
そこへ、一部始終を見ていた辰五郎が、蟒蛇を引き連れ水姫たちに話し掛ける。
「わかった。俺は誰と組んでも構ない」
「ワシも構わんで」
水姫たちの承諾を得ると、辰五郎は全体に、任務開始の合図を出す。
「全チームに次ぐ。標的を発見し次第、発煙筒をあげろ。無理はするな。準備が整ったチームから突入せよ!」
「オッサン。アンタの命令なんか無くても突入するさ」
水姫たちは合図を待たずして、既に樹海の中へと飛び込んでいた。
想像していた以上に樹海の中は暗く、無音である。
木々をかきわけ前へと進む水姫であったが、突入して数秒で違和感を感じた。
「ん?」
水姫が周りを見回すと、一緒に突入したはずの間壁と蟒蛇の姿が見当たらない。
「結界の能力か…。こうも簡単に分断されるとは…。蟒蛇は危ないかもしれないが、間壁さんなら1人でも大丈夫だろ。とにかく竹取さんを見つけるのが先だ」
水姫は口に指を咥え、指笛を鳴らした。
“蒼天・制覇”
空気が震え、甲高い指笛の音が鳴り響く。
【蒼天・制覇】
※自身で発した音で、大気中の水の分子に楔を打ち込んでいく。水の分子が物体の輪郭を捉えることにより、大まかな地形や動きのあるものを把握することができる。
欠点として湿度によって、感知精度にムラがでること、他者の干渉力の影響で誤差が生じやすい。
また、音が届く全ての範囲の水の分子に楔を打ち込む為、干渉力の消費が大きい。
「くそっ!くろの結界の時は使えたけど、ここだとほとんど感知できねえ。いまいち結界の能力がわからん。まやかしの類いか…、それとも地形自体を造り替えていっているのか?」
「かなり消耗するが、いっそのこと雨でも降らして湿度を上げるか…」
水姫は独り言のように呟きながら、次の手を考えていると、周囲に違和感を感じた。
「なんだ…?」
風は止み。時が止まったとさえ感じられるほど、辺りを静寂が包む。
水姫は何かの気配を察し背後を振り向く。
振り向いた数メートル先に、白装束の女性が立っている。黄土色の長い髪からは狐の耳が生えていた。
「九尾か…」
水姫は一目見て討伐対象だと理解し、自然体で相手の出方を窺う。
九尾の尻尾が1本しかないことを疑問に思う水姫であった。
低く、くぐもった女性の声で九尾は話し掛けてきた。
「ここにも上玉がおるわい。今日は祭ごとかえ?」
「祭といえば祭だな。ただ…アンタを仕留める為の祭だけどな!」
水姫は自身の恐怖を相手に悟られないよう、軽口で返答し即効で攻撃を仕掛ける。
水姫は両手をおもいっきり地面についた。
“蒼槍・竜起”
九尾の足元から硬化された水の槍が数本飛び出す。
九尾が片腕を振り、容易く槍を薙ぎ、水の槍が砕け散る。
“蒼弓・竜牙”
九尾の意識が水の槍に向いているうちに、水姫は特大の弓で檄を射る。
「これは信也に撃ち込んだのとは比べものにならない威力だぜ」
前回、闘った時、強気に出ていた水姫であったが、信也を、ある程度殺さないように手加減していた。
水姫の目論見通り、檄は九尾の胸部を射ぬいた。
しかし、檄は九尾を貫通したものの、九尾はそれを引き抜き、空いた孔はすぐに塞がる。
「なんじゃ。うぬの力はそんなものかえ」
水姫が次の攻撃を繰り出す前に、九尾は水姫な目の前まで間合いを詰めていた。
「蒼と…」
水の刀を形成しようとしたが、九尾の片腕に弾き飛ばされ、次の瞬間、水姫の体は宙を舞っていた。
数十メートル吹き飛ばされた水姫は、岩に激突した。
「ぐはっ!」
咄嗟に衝突する岩に楔を打ち込み、衝撃を最小限に抑えた。
九尾は余裕の笑みを浮かべ、水姫の元へと歩み寄る。
「さすが4次元クラス…。瞬間火力の高い技で一時的でも4次元まで力を高めれば、勝機はあるか」
「うぉぉぉぉ!」
水姫は声帯を振り絞り雄叫びをあげた。
「良いのう。その怯えた表情、たまらぬわ」
九尾が艶やか声を出し、水姫の元へゆっくりと近付いている。
「そろそろ喰ろうてやろう」
九尾は卑しい笑みを浮かべ、尻尾を揺らす。
「さて喰われるのはどっちかな」
余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》の九尾は水姫の攻撃など、大したことないと、高を括っている。
そこに、勝機を見出だした水姫が攻撃を仕掛ける。
“蒼天・降魔”
九尾の頭上から、水で出来た竜の頭が口を空け襲いかかる。
先程の雄叫びで大気中の水分子に楔を打ち込み、仕込んでいたのだ。
「そんなもの、当たらぬわ」
さすがの九尾も危険を察知したのか、攻撃を避けようとする。
“蒼鎖・自戒”
水の鎖が地面から出現して、九尾の足に巻き付き、地面に繋ぎ止める。
「ぬっ!なんじゃ足が動かぬ」
「さっきの会話の最中に鎖を仕込んだんだよ。油断したな九尾」
「このようなもの…」
九尾は鎖を引きちぎるが、間に合わず竜の頭部に喰われる。
その衝撃で大地が揺れ、水しぶきが周囲の木々を抉る。
「ふぅ…。何とか片付いたか」
水姫は安堵のため息をつき地面に座り込む。
「ヴォォォォ!」
一息ついたのもつかの間。九尾は先程の姿とは別の“化物”になっていた。
身に付けていた白装束の服は破れ、数メートルはあろうかという狐の姿へと変貌していた。
「やっぱ無理だったか…」
水姫は発煙筒を焚き、目の前に放り投げる 。
「さっさと発煙筒を焚いとくべきだったか」
水姫は死を覚悟し構えを解いた。
そして、九尾は唸りながら、水姫に飛びかかってきた。
しかし、九尾の牙が水姫に届く前に、辺りが光に包まれ大地が揺れる。
「何だ!?いったいどうなってる」
九尾は突然苦しみだし、苦悶の表情で顔を歪めている。
「グゥゥ…。一本殺られた。許すまじ」
そう言い残すと九尾は煙のように消え去った。
「何だ…。逃げたのか?」
別の方角で膨大な干渉力が爆ぜた。
理由は不明だが、とにかく助かったと安堵する水姫であった。
九尾の発言を考慮すると、自分の尾を媒介に九つに分裂したのだろう。
「九分の一であれほどの干渉力を有しているのか…。マジで化物だな」
「発煙筒を焚いたのにオッサンの奴、こねぇじゃねぇか」
水姫は愚痴をこぼしながらも、歩きだした。少し動くだけで、体中に激痛が走り、服もボロボロだ。
先程の干渉力の暴発に真依の気配を感じた。
「このままじゃ、竹取さんが危ない!」
水姫は九尾を追い、走り出した。