7.自分の世界
白い世界だった。
地面は白い灰に覆われ、空は白い雲に覆われていた。それがどこまでも続く世界。
「どこなんだここは」
謙斗は周囲を見回すが、目印になりそうなものは何も見えない。月乃も、正義の時空人Xことジックスもいなかった。
これも時空人の攻撃の一つなのだろうか。
とりあえず歩いて移動しようかと思ったが、どちらにも行きたくないぐらい同じ風景が続いていた。どこに行っても同じなら、ここにいても変わらない。そんなことを考える。
しかし、もしかしたら、なにかあるのかもしれない。どこかで月乃が倒れているかもしれない。そう考えてとりあえず今向いている方向に歩き出そうとした時、ズボンのポケットが震えた。音が聞こえて来た。
振動と音が絶え間なく続く。
慌ててポケットの中に入れていたスマホを取り出すと、ひっきりなしに着信を続けていた。電話や、メール、SNSなどの着信がひっきりなしに続く。
「なんなんだよこれ」
スマホを持つ手が震える。スマホが震えているからではない。怖くなって震えたのだ。スマホが着信する、その事実は何を表しているのか。
その想像が怖くて怖くて怖くて仕方がないから口に出してしまって、絶望する。スマホが手から滑り落ちる。
「……ここは、僕の世界なのか」
どこまでも白い世界が続いている。
ようやく鳴り止んだスマホの隣に腰を下ろし、届いていたメッセージを見た。それらの情報を統合すると、突然、世界的な全面核戦争が始まったらしかった。その影響なのか、世界中で地震が頻発し、火山が噴火した。日本では富士山も噴火したらしい。原因は日本のサマータイム対応のシステム変更に由来するものとの説があるらしいが、こんな有様となっては確認する術はない。
もしかしたら、僕の作ったプログラムがこんなことを引き起こしたのか?そして自分だけ、別の世界に逃げ込んだのではないか?そんな荒唐無稽ともいえる考えが頭に浮かぶが、目の前の光景はそれを完全には否定しなかった。
電話の着信履歴のほとんどは母親からだった。留守番電話にも十件ほど登録されている。一番新しいものを再生する。
『母さんです』
きつい口調のその一言で、母親の表情が思い浮かぶ。女手一つで育ててくれた母親。
『あなたが今どこで何をやっているのか分からないけど、きっと生きていると信じています。こっちは、……もう駄目そうです。私は最後まで頑張るつもりだけど、どうなるか分かりません。でもあなたは、最後まで生き抜いてください。どんなことをしても、生きている限り生き抜いてください。それが私の望みです。謙斗へ』
それで終わるのかと思ったら、録音がもう少し続いていた。
『余裕があったら、電話してください』
慌てて電話をかけた。
『電波が届かないところにおられるか、電源を切っている……』
何度電話をかけても、そう繰り返されるだけだった。やがて、全くかからなくなった。
どのタイミングからかは分からないが、謙斗は泣いていた。こんなに泣いたことはないというぐらい泣いていた。涙は尽きることはないのだと思うほど幾らでも出てきた。
誰もいない真っ白な世界で、謙斗は一人泣きじゃくった。
「なんだ。自分の世界に戻っていたんですか。どうやったの?」
唐突に背後から声が聞こえた。謙斗が振り返ると、白いビキニに青いサンバイザーの金髪の少女、ジックスに見降ろされていた。
「ん?泣いてたの?」
「ああ……」
謙斗はシャツで顔を拭きながら立ち上がる。
「やっぱり、ここは僕の居た世界なんですか」
「うん。そうだね」
ジックスの声には憐れんだり、慰めたりするような感じはない。
「これも時空人の仕業なんですか」
「これは時空人は関係ない。この世界の人間がやったことです」
「僕のせいじゃないんですか」
「それはそうとも言えるし、違うとも言える」
謙斗はジックスを凝視する。
「君の作ったプログラムが直接の原因になったわけじゃない。でも君はこの世界の一部だった。この世界で起こることの責任の一端を担っていた。世界と言うのは歪むものです。特にサマータイムなんて時間を捻じ曲げるものは世界の歪みを大きくする。時計を巻き戻せば良いなんて簡単な問題じゃない。世界は時々息抜きをして歪みを修正しているけれど、今回のサマータイム導入は一度にかかる歪があまりにも大き過ぎた。その結果、核戦争が起こり、天変地異が起こり、こうなった。多分君も、その影響を受けて異世界へ飛ばされたんでしょうね」
ジックスは謙斗が被害者の一人であるように締めくくってくれたが、それで謙斗の心が晴れるものではなかった。
「それで、どうする?」
謙斗が思い悩んでいることなど、この世界の惨状など些末な問題であるかのような口調でジックスは訊いてくる。
「あちらの世界はまだ悪の時空人たちの攻撃を受けています。私一人では奴らに対抗するのは難しい。手伝って欲しい」
「あちらの世界って、そんなもの僕には関係な……」
言いかけて思い出した。
「月乃さんは?月乃さんは無事なのか?」
「無事です。今のところはね。でも、これからどうなるかは分からない」
「この世界は、どうなるんですか?」
「この世界の人がなんとかするでしょう。世界中が大体こんな感じだけど、人類は絶滅していません」
「母さんは、僕の母さんは生きていますか?」
「それを調べるのには時間がかかります。君のような特異点ならともかく、五十億もの人間の中から一人を探すんです。しかも生きているかどうかも分からない」
「世界を元に戻してくださいよ。時空人は何だってできるんでしょ」
「時空人は全知全能の神じゃない。失われたものを戻すことはできないし、何かをするのにも準備が必要です。元に戻すのは無理」
「なんなんだよそれ。言ってたことが違うじゃないですか」
「短い時間では全てを説明することはできませんでした。それに理解できるとも思わなかった」
「無茶苦茶じゃないか。でたらめだよそんなの。そんなんで、正義なんて言えるんですか」
「はい。言ったはずですよ。正義とは自分が名乗り、実行するものです」
ジックスは自信満々で答えた。
「早く決めてください。こうしている間にもあちらの世界は攻撃を受けています」
「……僕が一緒に行かなければどうするんですか?」
「一人でできるだけ頑張るだけです。でも、敵わないでしょうから諦めて、他の世界を救いに行くことになるでしょうね」
謙斗は気が付いた。結局ジックスも他の時空人と同じなのだ。それぞれの世界を心配して行動しているわけではない。時空人たちが自らの欲望の為に世界に干渉しているように、彼女もまた、自らの欲望の為に正義を為しているだけなのだ。
だったら、ジックスには世界を救えない。世界を、月乃を救えるのは自分しかいない。
「分かりました。行きます」
「そう言ってくれると思ってましたよ」
ジックスは屈託ない笑顔を見せる。彼女が、彼女の正義を為そうとしているのは本心なのだ。
ジックスはビキニのボトムスからドアを取り出した。
「前から思っていたけど、そこに入れるのは止めた方が良いと思う」
「えー、こういうのが好きなんでしょう?」
「それは好きじゃない!」
謙斗は断言しながら、ドアをくぐった。