表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/9

5.時空人現る

 次の朝起きると、サイドテーブルにはまた千円札が二枚置いてあった。寝ている間に忍び込まれていると思うと恐ろしくなる一方、働かなくては、と思う。この世界には存在しないはずの自分に働き口はあるのだろうか?世の中には戸籍のない人もいるらしいので、なんとかなると思いたい。

 今日はメモはなかったが、月乃はまだ寝ているのだろうと想像して二千円札を握りしめて外に出る。

 その時、「もう、どこにも行かないでくださいね」という月乃の言葉を思い出した。喫茶店へ行くつもりだったが、コンビニでおにぎりを買って戻る。

 月乃はまだ起きていないようだった。彼女も不思議なところがある女性だ。多分働きには出ていないのだろう。専業主婦。身体が弱いので朝は遅いといった感じか。昨夜の食事は美味しかったし、広い病院内も綺麗に掃除されている。家事はしっかりとこなしているのだろう。

 昨日隣の部屋で見つけたテレビを観ながら食事をする。充電が成功したスマホをいじってみるがやはり電波を受信することはできない。

 昼前になって、ようやく月乃が降りて来た。

「おはようございます。よく寝られましたか?」

「ええ、おかげさまで。ところで相談があるんです」

「なんでしょう?」

「ちょっと出かけて来たいんです。自分の住んでいたところがどうなっているのか見たくなったんです」

「そうですか……」月乃は少し考えた後、「私も一緒に行きます」と言った。

「良いですけど。大丈夫なんですか?」

「何がです?」

 謙斗は、月乃が強情者の顔をしていることに気が付いた。ついてくるなと言っても聞かないだろう。

「この間も倒れていたし、体調が悪いんじゃないかと思って」

「倒れていたのは謙斗さんの方が先でしょう。倒れたのは、看病で少し疲れていただけです」

 そう言われると謙斗は弱い。

「分かりました。一緒に行きましょう。砂山さんの許可をもらう必要はありませんか?」

「子供じゃないんですから。支度をしてきます」

 出て行こうとした月乃は入口で振り返って、いたずらっぽく言った。

「私も砂山ですよ」

 やっぱりそうなのか。謙斗は軽く失望した。



 白い日傘を差し、裾がふんわりと広がる白いワンピースを着た月乃と出かける。梅雨なんだから少しぐらい雨が降れと思ってしまうぐらい、今日も日差しはきつい。

 交通機関は元の世界と同じように運行されていた。歩いて五分の地下鉄の駅から三駅乗り、私鉄に乗り換えて郊外に向かう。

 一時間ほどの旅の途中、月乃は無口だったが、一つ質問をされた。

「謙斗さんは、元の世界に戻りたいんですか?」

「そうですね……」謙斗は言葉を選びながら答える。

「帰りたいというより、母が心配なんです」

「お母さまが?」

「はい、うちは母子家庭なので。僕がいなくなったら凄く心配しているだろうし、一人になってしまう」

「それは、心配しておられるでしょうね」

 月乃はそれ以上訊いてこなかった。

 最寄り駅の駅舎はあまり変わっていなかったが、私鉄のマスコットキャラクターが電車をモチーフにしたものからカワウソをモチーフにしたものに変わっていた。

 下町の雰囲気が残る商店街に並ぶ店は見覚えがあったりなかったりした。商店街の途中で道を横にそれ、駅から歩いて五分ほどで自宅のあるマンションに着く。築四十年を数える古いアパートだが、この世界では四十年目も迎えられなかったらしい。

「素敵なところに住んでいたんですね」

 真新しい立派なマンションを見て弾んだ声を上げる月乃に、残念な真実を告げる。

「いえ。場所はここですけど、こんな新しいマンションではありませんでした。もう、潰されてしまったようですね」

 もしかしたらそもそも建てられてすらいなかったかもしれないが、確認の仕様がない。

「そうですか。残念でしたね」

「いえ、どうせ遅かれ早かれ建て替えになっていたでしょうから」

 落ち込む月乃をフォローするためにとっさに出てきた言葉は慰めになっていなかった。

「そうだ。近所に行きつけの中華屋さんがあるんです。そこの回鍋肉が大好きで、その店では回鍋肉ばかり食べていたんです。昨日、月乃さんが作ってくれた回鍋肉でその店を思い出して、ここに来てみようって思いついたんです。あの店は残っているかな」

 建物は残っていた。「中華アイニー」と書かれた色褪せた看板はまだ掛けられていたが、扉は閉ざされていた。

「まだ開店していないんでしょうか?」

 店の中を覗き込もうとするが、ガラス窓には内側から板が貼られていて見ることができない。長い間、使われていないように見えた。

 通りがかった中年の男に声をかける。

「こちらの店って止めてしまったんですか?」

「なに言ってんの?」

 男は訝し気な目で謙斗を見る。

「もしかして何も知らないのか?」

「何かあったんですか?」

 殺人事件の現場として有名な場所なのではないかと言う嫌な予感がよぎる。

「本当に知らないのかい?ここはチン海冬カイトウが昔やってた店だよ」

 男は緊張を解いて教えてくれる。

「珍海冬?」謙斗は聞き覚えがない。

「ああ。テレビで見たことがあります。ここだったんですね」

「そうそう、今でもたまにロケをやってるよ」

 月乃が礼を言うと、男は笑いながら去って行った。

「珍海冬って誰ですか?」

「中華料理人です。あちらこちらに店を出されていて、テレビにもよく出ていますよ」

 月乃が鞄からスマホを取り出そうとしたので、謙斗は日傘を預かる。スマホの画面に表示された顔は見覚えがあった。ただし、かなり小ぎれいでパリッとしている。

「そういえば、今朝のテレビでも見た気がする」

 誰だったか思い出せなかったのだが、こんな小さな中華屋の主人が、この世界ではそんな大出世をしていたのか。まさかまさかだ。

「珍さんのお店に行ってみましょうか。ただ、結構な高級料理店だったと思うので、私が持っているお金で足りるかどうか……」

「良いですよ。そんな高級店なんだったら、僕の知っている味とは違うはずです。安い油がギトギト系の回鍋肉でしたから」

 月乃はまだがっかりした表情を崩さないので、謙斗は続けてフォローする。

「そんな有名人なんだったら、もしかしたらレトルト食品で出ているんじゃないんですか?珍海冬の味とか言って。そんなのがあるなら食べてみたいな」

 月乃は今度は困った顔をする。そしておずおずと口を開く。

「昨日の回鍋肉は、そのレトルトだったんです」

「そ、そうだったんですか……」

「はい……」

「美味しかったから、また作ってください」

「はい……」

 珍さんの回鍋肉のせいで少し気まずくなってしまったが、その後も謙斗の思い出の場所を回っている間に雰囲気は元に戻った。一度行ってみたいと思った喫茶店はこの世界にもあったので入ってみたりした。月乃は自分の話はあまりしなかったが、謙斗の話を聞きたがった。楽しい時間が流れた。

 日差しが少々弱くなってきた。謙斗は少々時間が早いんじゃないかと思ったが、サマータイムのせいだと気が付く。

 公園を歩いていると月乃のスマホが短く鳴った。

「大丈夫ですか?」

 スマホを操作した後、少し不機嫌になった月乃に謙斗は訊ねる。

「陽臣さんです。早く帰って来いってうるさいんです」

「やっぱり、許可が必要だったんじゃないですか」

 謙斗は、帰ったら向けられるであろう冷たい目を想像した。

「必要ありません」

「でも、」

「私が謙斗さんと出かけるのに、なんで許可を取る必要があるんですか」

「だって、奥さんが良く知らない男と二人で出かけたりしたら、気分良くないだろうし、心配じゃないですか」

「奥さん?……私が、陽臣さんの奥さんですか?」

 月乃はきょとんとした表情で行った後、大きく笑った。こんなに大きな声が出せるのかと思うほどの笑い声だった。

「そんな風に思っていたんですね」

 まだ少し笑っている。

「違った……んですね」

「兄妹です。よく、似ているって言われるんですよ」

「……確かに。似ています」

 言われてみれば良く似た兄妹だ。なんで今まで気が付かなかったのだろうか。

 しかしそうか、夫婦ではないのか。

「でも、大事な妹が良く分からない男と出かけるのもやっぱり心配ですよ」

「そうでしょうけど、謙斗さんは大丈夫ですよ」

 月乃は笑いながら陰の落ちている木立の中を先に行く。

「何が大丈夫なんですか?」

「大丈夫じゃないんですか?」

 質問に質問が返ってくる。

 謙斗は先回りをして月乃の前に出た。

「大丈夫じゃないです。だって僕は……」

 月乃の顔を正面から捕らえる。月乃もじっと謙斗の顔を見ている。出会ってまだ三日しか経っていない。しかし、この沸き上がってくる気持ちを正直に打ち明けようと思った。

「……」

「だって僕は」

 月乃の顔がすっと遠ざかった。

 一瞬嫌がられたのかと思った。

 しかし違う。地面がベルトコンベアのように動いて、月乃を後方へと運んでいたのだ。そして自分の足元もまた、同じように動いている。二人の距離がどんどん開いていく。

 前へ飛び出そうとした瞬間、今度は身体が横にスライドし始めた。と思ったら、地面が柱のように天に延びていく。謙斗は樹々と一緒にその側面をぐるぐると回りながら登っていく。

「月乃さん」

 叫ぶが返事は返ってこない。

 同じような柱が何本も立っていた。住宅地を巻き込んでいる柱は本当に異様な光景だった。

 次に、柱が空中で折れ曲がった。今度は横方向に延びていく。謙斗の頭の下には本来の地面が見える。それぞれの柱で連携が取れていないのか、ぶつかり合って上に載っている樹や建物、人ごと崩れ始めた。

 やばい!

「月乃さん」

 もう一度大きく叫ぶ。

「はい」

 意外と近くから返事が返って来た。謙斗の頭上に月乃がいた。地面に座り込んで不安な表情を見せている。

 月乃がいる場所は分かったがどうすればいいのか分からない。月乃とは三十メートルほど離れている。頭上とは言ったが、本来の地面から見て上なのか下なのか右なのか左なのかは分からない。どうやればあそこまで行けるのか。

 その時、謙斗は二人の距離が徐々に近づいていることに気が付いた。それはつまり、お互いの柱がこの先でぶつかっているということだ。

「そこにいてください」

 謙斗は前に向かって走り始めた。想像通り、柱がぶつかり合っているのが見えた。

 スポーツは得意な方じゃない。走るのは嫌いだ。でも必死で走った。

 頭上の柱が十メートルほどに迫って来た。目の前にちょうど良い岩があった。謙斗はその岩に足をかけて宙に飛んだ。一瞬の浮遊感の後、下に落ちそうになるのを落ちまいと足をばたつかせる。再び浮遊感が襲ってきて、今度は頭上へと落ちて行った。

「うおおおおおおお」

 ゴロゴロと地面を転がる。からだのあちらこちらが痛むが構っていられない。今度は柱の後方に向かって走る。

「謙斗さん」

 月乃とはすぐに合流できた。しかし再会を喜んでいる暇はなかった。柱がぶつかるポイントはすぐそこに近づいている。

「立てますか」

「はい」

 謙斗は手を伸ばして月乃が立つのを助ける。

 前方の衝突地点ではすさまじい音で、ありとあらゆるものが破壊されていた。二人はそれから逃れようと柱の側面へと逃げる。

「あっ」

 地面の振動によろけた月乃の鞄から何かが落ちた。先ほど神社で買ったお守りだった。

「待って」

「戻れ」

 月乃は静止の声を聴かずに転がるお守りを追っていた。ようやく拾った時には、衝突地点がすぐそこに迫っていた。

 謙斗は反射的に飛び出して、月乃に覆いかぶさった。すぐに激しい衝撃に襲われた。必死に月乃を守る。すると不意に衝撃が止んだ。

 目を開け、顔を上げると、二人はいつの間にか柱のてっぺんに座っていた。柱はどんどん天に昇っていく。下方では柱がぶつかり合っている。

「どうなったんでしょうか?」

「さあ?」

 さっぱり分からないがこれで安心だとは思えない。もう離れないように月乃をしっかりと抱き寄せる。

「きゃあ」

 月乃の悲鳴に振り返ると、怪しい奴がいた。背の高さは百八十センチぐらいあるが、五頭身で大きな子供のような体形だ。全身を青いメタリック調のピッタリとした服で覆っている。顔はマスクをかぶっており、人間ならば目がある位置に二本細い線が入っている。

「誰だ」

 謙斗は月乃を庇って前にでる。その間に、青マスクの隣の何もなかった空間に、突如もう一人青マスクが現れた。青マスクは次から次へと現れ、あっという間に直径五メートル程の柱の縁にずらりと並ぶことになった。

 身振りや手ぶりから察するに青マスクたちは何らかのコミュニケーションを取っているようだったが、その内容は分からない。

「謙斗さん、この人たち、なんなんでしょう?」

 その質問にも「分かりません」と答えるしかない。

 正面にいる青マスクが近づいてきた。謙斗は月乃を守るように両手を広げる。その腕を、左右にいた青マスクに掴まれた。強い力で握られている感じではない。軽く握られているだけなのに、吸いつけられているような感覚がして、全く動かせなかった。腕を掴まれてずるずると引きずり出される。

「謙斗さん」

 叫ぶ月乃の前に青マスクが立ちふさがる。細腕でどれだけ叩いても、青マスクはびくともしない。

 謙斗は必死で身体を捻ってみるが、腕を振りほどくことはできなかった。どこへ連れて行かれて、何をされるのか?不安と、そして絶望に襲われる。

 その時。

 遥か天から声が聞こえてきた。

 謙斗は捕まえられたまま顔を空に向ける。

 黒い点があった。

 雄叫びを上げながら、みるみるうちに大きくなっていく。

(だーい)(せーつ)(ざーん)

 女の声だった。青マスクたちが慌て始め、謙斗も自由になった。急いで月乃の元に駆け寄る。

「カミナリオコシ」

 空から降って来た女は、手に持った刀のようなもので柱の天辺を叩いた。柱の上から下まで一気にひびが入り、砕けた。

「いつまでもうずくまってないでさっさと立って」

 謙斗と月乃に声が投げかけられる。目を開けると半分の面積になった柱の天辺には怪しいものの姿はなく、代わりに一人の女と、大きなドアがあった。

「ほら、早くくぐって」

「そのドアって……」

「はよくぐれ言うてるやろ」

 謙斗は月乃の手を取って、急いでドアをくぐる。

 ドアの向こうは、最初にいた公園の木立の中だった。二人に続いてドアをくぐって来た女がドアを閉め、ひょいと掴むとあっという間に小さくなり、女はそれをビキニのボトムスに突っ込んだ後、腕を組み、脚を広げて立った。

 その姿は十代の少女のように見えた。いくら暑いとはいえ、街中を白いビキニ姿で出歩くのはどうかと思う。首の後ろで結んだ長い金髪が、たなびいている。風は吹いていないのにたなびいている。頭に被っている青いサンバイザーにはひらがなで「せいぎ」と書かれていた。

「君は?」

 訊かれるのを待っているような気がしたので、謙斗は思い切って訊いてみた。

 少女は右手の人差し指を立ててサンバイザーの庇を上げると、自信満々に、大きな声で名乗った。

「正義の時空人X(えーっくす)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ