小説家になろうにおける転生についての考察
注意、この小説は転生についての考察です。何、設定の荒をつついてんだと思われますが、あまりにも多くの作品で主人公が転生することで生じた疑問を述べていく文章です。
ここでの「転生」とは、前世と全く同じの記憶と思考を有して、次の人生を歩むことと定義しています。
小説家になろうでは主人公が転生して、異世界や現代で新しい人生を歩んでいるような小説は、よく見かけ一大ジャンルになっている。
転生した主人公はまるで、朝目が覚めたかのように意識を覚醒させ、戸惑いながらも前の人生と同じ思考で「自分」が転生したことを受け入れている。
小説家になろうのある有名な作品では、主人公が前世の自分の自堕落さを後悔し、今度の人生では真面目にいきることを誓うのである。
しかし、ちょっと待って欲しい。
人間の精神は肉体が変わっても問題なく、転生前のような思考するのはおかしくないだろうか?
そもそも、精神や思考は同じ肉体を持っている今でさえ、お腹が空いているときは食欲に支配され、風邪を引いたときは普段は考えないようなネガティブな思考をしたりする。
精神と思考は肉体に依存するのである。
断じて精神そのものが存在しているわけではなく、肉体と精神は不可分の存在なのだ。
そのため、目を覚ませば赤ん坊になっている困ったなどという思考が成り立つはづがなく、自分には強烈な違和感を覚えるのである。
赤ん坊の未発達な肉体と脳で、そんな前世の記憶やら思考をすることが不可能であると思えるのである。
そもそも、なぜ彼らは記憶を与えられたと感じるのではなく、「自分」は転生したと思ったのだろうか?
自分が自分であると証明するものは何一つないと言うのに。
いや、話の中で転生した後の自分と転生前の自分は別人だと考えている話も多いと思うのだが、そもそも自分は前世の記憶を持って生まれたとしても、それが自分だと思うことじたいがあり得ないと思うのである。
おそらく、出来のいい映画を見たような感覚で、それが自分には関係ない人間の人生の記憶であると思うのだと思うのだが、どうだろうか?
なんせ、転生した後の自分と前では共通点を探すほうが難しいような容姿と肉体をしている場合が多いのだ。
ここまで読んでもらった読者の方は魂が転生して、魂に記憶と人格が刻み込まれていると、設定ではなっているのではと思う方もいると思う。
しかし、魂が仮に存在していて記憶と思考がそこに保存されているなら、主人公には本来その働きをしている脳みそがいらないことになってしまうじゃないか。
だから、自分は魂だけの存在になった時点で記憶と思考の機能はなくしており、転生した肉体に宿った時点でその肉体の脳みそに記憶と思考が刻み込まれたと考えた。
だけど、一度記憶と思考をなくして後から肉体に刻まれてしまうと「前世」の記憶を持っていると勘違いした全くの別人が生まれるのであって、転生したわけではないと思う。
この場合では、記憶と思考を有した人物が連続して存在せず、一度消滅しているので、これは転生の前と後は別の存在であろう。
まぁ、同じ記憶と思考を持つ人間を同じ存在だという考えもあるが、自分は違うと考えている。
だってそうなら、同じ情報が保存されており、同じソフトウェアを搭載するパソコンが商品棚に二つあるとしても、そのパソコンは同じ製品で同じ存在になってしまう。
このパソコンの二つそれぞれは別の存在であろう。
話がずれたが、結論として転生して同じ記憶と思考を持つことはありえないし、例え同じ記憶と思考を持っているとしても転生前と後の「自分」は別の存在である。
以上で考察を終わりますが、ここまで拙作を読んでもらい感謝します。