第170話 さらば愛しき人よ
駆逐艦『タシュケント』、ドイツに接触され傀儡国家ロシア共和国に引き渡された艦である。
装甲も施されていないその貧弱な駆逐艦は日本海軍の希望を打ち砕こうと42ノットの高速で近江に迫っていた。
「敵戦艦との距離4万!」
「まさかこんな状況になるとはな…」
タシュケントの艦長は遥か彼方で火の海に包まれている2隻の戦艦を見て言った。
一隻はロシア連合艦隊の戦艦『スターリン』そして、日本海軍の戦艦である。
距離8千。そこまで行けば動きを止めた戦艦を仕留めるのはたやすい。
この距離で主砲を撃たないのは撃てないからに違いない。
「スターリンの敵だ」
かつて嫌悪した男の名と同じ名前の船の敵をとるべくタシュケントは突撃を続ける。
そして、タシュケントの艦魂の少女も三連装魚雷の横でふっと笑った。
「森下艦長駄目です!艦はもう…」
「分かってる…」
副長の言葉を聞かずとも森下はどうすべきか分かっていた。この状況でできることは一つ。
『総員退艦』
艦魂が見えるものにとって1番したくないことだ。
だが、だからと言って兵に心中してくれとは言えない。
森下は決断した。
「総員退艦だ…」
胸が押し潰されそうだった。
あの駆逐艦がくるまでもう時間はあまりない。その間に復旧は不可能だった。甲板の火は消えていないのだ。
「副長…総員退艦だ」
「は…い」
副長は涙を流し命令を伝達する。
「…」
「艦長どちらへ?」
副長が聞くと森下は振り返った。
「私は近江と共に逝く…君達は退艦しろ」
「そんな…森下艦長!あなたはこれからの戦いに必要な人です!退艦してください!」
副長が慌てて言うが森下は首を横に振った。
「あいつを一人でいかす訳にはいかない…退艦しろ!時間がないぞ」
「…」
艦僑にいたもの達は皆、森下に敬礼した。
森下も敬礼を返すと外に出て言った。
「距離2万!」
タシュケントは距離を2万まで詰めた。
だいぶ戦艦が大きく見えてきた。
夜、炎に包まれているだけによく見えた。
血の海に倒れている零は朧げな瞳を夜空に向けていた。
力が入らない。
推進部が破壊されてしまったためだ。
船体は今のところ無事だが接近してきている駆逐艦の魚雷を受ければもたないだろう。
「淳一さん…」
零は夜空を見上げてつぶやいた。
「悪いな青羽ではない」
森下の顔が零の瞳に移った。
驚きで目を丸くする零。
「も…りした艦長…なん…で?」
総員退艦命令が出たのは零は自分の体なので知っていた。
なのになぜ森下が…
ああ、と零は思った。
最後に自分に会いにきたのだと納得する。
森下は優しい艦長だから…
「お別れ…です」
「そうだな…」
森下は零の横に座った。
零は仰向けのまま彼を見た。
「早く…退艦してくださ…い…手遅れになります」
しゃべるたびに激痛が走る。
森下は首を横に振った。
「俺も逝く。青羽の変わりだ」
「駄目!いっ!」
零は目を見開き起き上がろうとしたが再び血の海にびしゃりと落ちた。
「おい!無理するな」
森下は慌てて言ったが零は首を横に振った。
「駄目…駄目…森下艦長は生きてください…お願いです」
「俺は沖縄特攻の大和から生き延びたらしい…退艦したんだ。でも今回は違う。責任なんかじゃない。俺はここにいたいんだ」
「わがままです…」
「なんとでも言え」
森下は苦笑しながら敵駆逐艦の方角を見た。
ぼんやり見える気がする。
もう、あまり時間はない。
「すまんな…近江」
「零…です」
「ん?」
「私の…真名…」
淳一と艦魂達にしか呼ばせない真名。
「そうか零」
森下はそれだけ言った。
零は最後の力を振り絞って森下の手を握った。
「ん?」
森下は孫を見るような穏やかな目で零を見た。
「生きないと…駄目です…」
零が何をしようとしているのか森下には分かり慌てて手を振りほどこうとした。
「やめ…」
光の粒子が散り森下は零の目の前から消えた。
艦魂の能力で彼を転移させたのだ。
パシャンと血の海に再び零は沈んだ。
悔やむのは会えなかった姉達。
きっと史実の信濃もこんな気持ちだったのかもしれない…
「いやだ…死にたく…ないよ…」
急速にせまる駆逐艦。距離は1万ほどだ。
もう逃げられない。
「死にたく…ないよ…」
涙を流して彼女はつぶやいた。
「敵艦との距離1万」
「魚雷発射用意!」
タシュケントの三連装魚雷が近江に向く。
死の一撃だ。
タシュケントの艦魂は静かに目を閉じ黙祷した。
「う…」
「敵機突っ込んでくる!」
「何!」
撃つ直前に入った報告の機体、それは一機の『烈風』だった。
「やらせるかぁ!」
青羽 淳一の烈風は最大速力で闇の中のタシュケントに向かい対艦ミサイルを発射した。
バシュ
「と、とりか…」
タシュケントは逃れようとしたが対艦ミサイルはタシュケントに飛び込み爆発を起こした。
装甲なんてないぺらぺらの駆逐艦である。
あっという間に轟沈した。
しかし、轟沈する直前魚雷は放たれたらしく3つの魚雷が近江に向かっていく。
「くそ!」
淳一は烈風を垂直離陸の態勢にすると30ミリバルカン砲を魚雷に向けて発射した。
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド
凄まじい勢いでバルカン砲が魚雷を襲う。
ズドオオオオオオンズドオオオオオオン
2つの巨大な水柱が上がった。
だが、近江に迫る魚雷はまだ、残っていた。
「しつこいんだよ!」
バルカン砲のボタンを押したがピーという弾切れの警告。
「っ…そんな!」
魚雷は近江に向かっていく。一発でもあれだけのダメージの近江には十分な留めになる。
距離はもはや千もない。
ミサイルも駆逐艦を撃破するため使い尽くした。
「僕は…」
淳一は垂直離陸をやめ操縦根を押し倒した。
その光景は零にも見えていた。
自分を守るように駆逐艦を撃破し垂直離陸で魚雷を撃ち落とした淳一。
ミサイルとバルカン砲が無くなったのが零には分かった。
「十分です…ありがとう淳一さん…」
最後に大好きな彼に会えて零は微笑んだが烈風が魚雷に向かうのを見て悲鳴をあげた。
「駄目!駄目ぇ!」
痛みも忘れ零は立ち上がって絶叫した。
魚雷が見える。
闇のはずなのに見えるのは烈風の性能のおかげだ。
時間は一瞬なのになぜか遅く感じられる。
零の姿が淳一には見えた気がした。
やめてと泣いている。
思い出すのは彼女と過ごした日々。
「艦魂?」
始めて近江に乗った時、零は無表情に私は艦魂ですと言った。
始めは分からなかったけど彼女と過ごす内に呉にいる妹とよく似ていることに淳一は気づいて何かと話し掛けることが多かった。
それだけではなかったのかもしれない。零はなぜか自分の側にいてくれたし淳一もそれを望んでいた。
もしかして…いや、好きだったのだ。
無表情だが偉大な姉達の話をする彼女はかわいかった。
このまま姉にも会えずに死ねなんて駄目だ。
だから…
「僕は君を守るよ…」
『零』
ズドオオオオオオン
魚雷に突っ込んだ烈風。近江の眼前に巨大な水柱が巻き起こった。
ザーと水柱が零に降り注いだ。
「あ…あ…」
烈風の破片が零の近くにおちてくる。
そして…ひらりと落ちてきたのは…彼が従軍するさい家族より渡されていたお守りだった。
零は震える手でそれを握る。
「淳一さん…淳一さぁぁぁん!」
その場に崩れ落ち零は泣きじゃくった。
海に浮いていた森下は多数の兵達と共にその様子を見ていた。
零の叫びも…
「総員!偉大な勇者に敬礼!」
海に浮いていた日本兵達は森下の声を聞き敬礼した。
スターリンの艦魂アリシアはずぶすぶと自分が沈んでいくのを感じながらその様子を見ていた。
零の叫びも…
「あなたは…生き残りなさい…零」
ズドオオオオオオン
スターリンは爆発を起こしその巨体を釧路沖の海に沈めていった。
(よくがんばったなアリシア)
花畑の向こうに立っているのは散っていったアメリカの艦魂達。
アリシアは大好きなな姉の胸に飛び込んだ。
釧路沖海戦は近江は大破するもロシア連合艦隊を退けることに成功した。
偉大な勇者の犠牲と共に…
(またね…零)
作者「何も…いえません…何も」