第一話
ある日、一人の男が銀行へと入って行った。それを見てにやりと笑う男がいる。
銀行に入った男は、銀行の誘導係に向かい、
「融資の相談をしたいのですが」と言い、誘導係は事務的に整理券を出し、
「こちらの番号でお呼びしますので、椅子に座りお待ちください。」
男は整理券を眺めて番号を確認する。
「8番」
男は、複雑な気持ちで、その番号の整理券を握りしめ、椅子に座った。
「お待たせしました。8番でお待ちのお客様、3番の窓口にお願いします。」
窓口担当の行員が言い、男は立ち上がり3番の窓口に行き、座る。
「融資のご相談ということでしたが、個人でのご相談でしょうか、それとも法人でのご相談でしょうか?」
行員がマニュアルそのままのような応対を見せる。しかし、男はその質問に答えないままに
「あまり人に聞かれたくない話なので、個室でご相談させて頂きたいのですが。」
と言った。行員としても特に珍しい注文ではなかったため、
「それでは、お客様のお名前をお願いします。」
「小田と申します。」
「小田様ですね、担当を変わらせて頂きますので担当者が来るまで、待合でお待ちください。」
小田と名乗った男は立ち上がり、窓口の行員に軽く会釈して、待合室の椅子に座った。数分後、
「融資相談でお待ちの小田様」とスーツ姿の30代半ばくらいの男が現れた。
小田は立ち上がり、「私です。」と答え、スーツ姿の男の方に向かって歩き出した。
「お待たせいたしました。こちらにどうぞ。」
スーツ姿の男は笑顔で手を出し、行く先を示していた。
スーツ姿の男に従い、個室に入るとスーツ姿の男が、
「小田様の担当をさせていただきます、篠田と申します。よろしくお願いします」
篠田と名乗った行員は、小田に対しての印象として、40代半ばくらいで、格好を見る感じでは、町工場の経営主や、中小企業の事業主というような自分が今まで担当してきたような人種ではなく、ごく一般の会社員のような印象を受けた。
「窓口での確認が済んでおりませんのでご確認させて頂きますが、個人でのご利用ですか、それとも法人でしょうか?」
篠田が確認すると、小田は、
「個人なのですが、私はある資産家の使いの者ですので、私の身なりから融資の是非の判断はしないで頂きたいです。」と言い、篠田は慌てて、
「そのようなことはありませんよ。書類の審査等で厳正に判断しておりますので。」
篠田は自分が小田の服装を見て、どういう人間かを判断しようとしたかを察知したのかと驚いたが、次の小田の言葉でさらに驚いた。
「篠田さん、申し訳ありませんが支店長さんとお話がしたいので、支店長さんを連れてきてもらえますか。」
「えっ、すみません。私の対応に何か問題がございましたか?」
「いえ、篠田さんが悪いというのではなく、希望融資額が高いと支店長の判断が必要になるからと主に言われておりまして、至急お金が必要なので、篠田さんを挟まずに、直接支店長さんとお話をさせていただきたいのです。」
「なるほど。しかし、支店長も忙しい人なのですぐにというのは・・・。
私が、概要をお聞きし、その上で支店長に話をするというのが現実的な手順かと思われますが、いかがでしょうか。」
篠田は、融資自体を渋りたいわけではない。なぜなら、支店自体の融資実績が悪いため、できるだけ融資は行いたいし、今までの話から高額の融資を希望していることことが判明している以上、この話を断りたくはない。
しかし、高額の融資を希望している客を自分を挟まずに支店長とされると、融資実績は支店長の手柄になり、自分につくはずの実績が支店長の物になることを危惧しているのである。そのため、少しでもこの話にかみたいと思っていたのである。
すると、小田がスーツの胸ポケットから茶封筒を出し、篠田に差し出し、
「これを篠田さんに差し上げますので早急に支店長さんに話をさせてください。」
差し出されるままに篠田は、茶封筒を受け取り、中身を見ると、10万円入っている。驚いて小田の方を見ると、
「篠田さんは、支店長さんに高額の融資希望の人が支店長と話したいと伝えてくださるだけで結構です。」
「しかし、支店長が出てくるとは限りませんし、この様なものを受け取ることもできません。」
篠田がそう言うと、小田が「それでは・・」と言いながら先ほどとは逆の胸ポケットから、もう一つ茶封筒を取り出し、
「これを支店長さんに渡してください。これを見れば支店長さんは自分から来てくださると思います。あと、篠田さんに渡したものは貰っていないことにしてくだされば問題にならないと思います。」
さえない中年の男だと思っていた小田が強気にそう言いだし、引き下がる感じもしない上に、密室である この部屋の中でこの10万を受け取ってもまず発覚することはないと篠田は思い、
「わかりました。一度支店長のところに行ってきます。」
「ありがとうございます。あと一つだけ、篠田さんはその支店長に渡す封筒の中は絶対に見ないでください。もしかしたらあなたが首になるかもしれませんから。」
最後の言葉に驚き、小田の方を振り返ると、冗談だよと言った感じの笑顔があるかと思っていたが心底かわいそうにといった感じの顔をしている。篠田は悟った。「これは絶対に見てはいけない」と。そして、小田に向かって、
「わかりました。それでは行ってきます。」と言って、部屋を出た。
「コンッ、コンッ」
部屋のドアをノックする音が聞こえ、書類に目を通していた男が目を上げ、
「どうぞ」といい、ドアが開き、
「失礼します。篠田です。」
「どうしたんだ篠田?今は、融資相談中じゃなかったか?」
「はい、実は融資額が高額でかつ至急融資をお願いしたいということで私を挟まずに直接支店長と話したいとお客様が申されまして、ご判断を頂きたくて」
「そうか、だが概要も分からんのに私が出るのもなぁ」
「わ、私もそういったのですが、それなら、これを渡せば支店長は自分から会いに来ると言われまして、こちらを預かってきました。」
そう言って、篠田は茶封筒を渡してきた。支店長は封筒を手に取り、
「何が入っているんだ?」
「私には絶対に見るなと言われたので、何かわからないんです。見たら私は首になるかもしれないと言われたので。」
「そうか・・・。」そう言いながら支店長は封筒を開けた。
中には、手紙と写真が入っていた。とりあえず、手紙から読むことにして、取り出すとパソコンで打ち込んだ文字が並んでいる。
「 支店長様へ
同封いたしました写真はご確認いただけましたか?
銀行内にいくつか爆弾を仕掛けさせて頂きました。要求に関しては、銀行に行っている者から致します。もし警察や外部の人間に知れ渡るようなことになればその場で爆破いたしますので、ご賢明なご判断をよろしくお願いいたします。」
手紙を黙読し、支店長は慌てて、同封された写真を見る。
天井裏か床下かわからないが確かに人の目につかなそうな場所の柱に爆弾のようなものが取り付けられている。
支店長は、手紙と写真を握りつぶして、勢いよく立ち上がり、篠田に向かって、
「この客は今どこにいる?」
「2番応接室ですけど…」
「わかった。」支店長は言い、大急ぎで支店長室を出た。
篠田は、大急ぎで出ていく支店長に驚き、もしかして浮気とか、ばれたくないようなネタでも突き付けられたのかもしれないと思いにやりと笑った。
「ガチャッ」
ドアが開き、その先に50代半ばから60代くらいの男性が少し息を切らせて入って来た。「ふうっ」と一息ついてから男は、
「当銀行支店長の長田です。お待たせいたしました。」
「よろしくお願いします。」
小田を見て、長田は驚いた。爆弾を仕掛けたという人物にしては、勢いというか強気な感じが全くしない。
しかし、支店長という立場上、現在銀行にいる人の命を救うことが重要であるため、小田に向かって、
「要求というのを教えてください。」
「その前に・・・」と小田が言って、一枚の写真を取り出した。長田は写真を見て、まったく理解できなかった。写真には椅子に縛り付けられた小学生くらいの男の子が写っている。
「何ですかこれは?」
「私の息子です。今年8歳になりました。」
「おっしゃっていることが全く理解できないのですが。」
小田は下を向き、うなだれえるように、
「私の息子は誘拐されました。犯人の指示通りにしないと命はないと言われています。」
「息子さんが誘拐されたことは気の毒だと思いますが、私にできることは何もありませんよ。身代金を融資してほしいという話であれば、かなり難しい話だと言わざるを得ないですし・・」
「違います。息子の写真の椅子の下にあるものを確認してください。」
長田はもう一度写真を見た。椅子の下に爆弾のようなものが置いてある。
「確認いただけたら、次は、先ほど私が篠田さんに渡してもらった写真を見てください。」
銀行内に仕掛けられているという爆弾を見て、長田は、
「同じもののように見えますね。」
「そうです。これは、爆弾を仕掛けた人間と誘拐を行った人間が同じであることを意味しているんです。」
「なっ、どういうことですか?」
「最初からお話します。」
そう言って、小田は今日自分に起きたことから話し始めた。
いつも通りの朝でした。朝食を食べて出社したのが8時半ごろで仕事の準備をしていたら、会社の受付の方から親族から至急伝えたいことがあるから取り次いで欲しいと言われたのを回してもらって電話に出たのです。すると、機械で変えたような変な声がして、
「小田さん、あなたの息子を誘拐した。今からいう指示に従わなければ息子の命はない。」
「身代金を払えということですか、いくらですか」
私が聞くと、機械の声は、大きな声で笑い、
「あなたに身代金を払うだけの経済力がないことぐらいわかっている。
受付に行き、あなた宛ての荷物を受け取って最寄り駅のコインロッカーに行け。そこに次の指示とあなたにして欲しいことが全て書いてある。その通りにしてくれたら、息子の命は保証する。」
そう言って、電話が切れたので、私は受付に急いで行って、荷物を受け取りました。封筒の中にはコインロッカーのカギが一つだけ入っていたので、それを持って駅に向かい、コインロッカーを開けると、この銀行の名前と位置、銀行に入った後の銀行側の対応の仕方、それに対する受け答えの仕方などの指示が書いてありました。
そして、私はここに来て、指示通りにしてきたのです。
「これが私に起きた出来事です。わかっているのは指示に従わなければ息子が死ぬかもしれないということだけです。」
小田は、「以上です。」といって、篠田が用意したであろうお茶を一口飲んだ。
「ということは、ここまでのことは全て犯人の指示通りに運んでいるということですか?」
「そうなりますね。」
「それでこれからどうすればいいんですか?その前に爆弾は本物なのですか?」
つまり小田は、犯人によって無理やりこんなことをさせられているだけであることはわかったが、爆弾が偽物であれば、取引に応じる必要はない。ここは慎重に爆弾の真偽を判断すべきだと思っていると、小田がスマフォを取り出し、
「これを見てください。」と言ってこちらに差し出してきた。
すると動画が再生され、機械で変えた声で、
「そろそろ爆弾が本物か偽物か疑いだしたころかなぁ~。じゃあ、いいもの見せてあげるよう」そう言って、
地面を映し出していた映像がだれも座っていない椅子を写し、その椅子の上に先ほど見たものより小型だが同種の爆弾のようなものが置かれている。そして、機械の声がして、
「行くよ~、3、2、1。」
「ポチっ」という音がして、「ドカン」と音が鳴り、椅子が炎を吹き、燃え上がる。そして、また機会の声で、
「これの5倍の威力の爆弾が息子さんの椅子の下と銀行の各所に10個仕掛けてあるからね~。一斉に爆発すれば子供の命はおろか銀行も跡形もなく吹っ飛ぶよ~。だから、逆らわずに大人しく従ってね~。」
「ブッ」という音ととともに動画が終わった。
小田がスマフォを取り上げて、
「息子の椅子の下の物や銀行に仕掛けられているという物が偽物だと言いきれない以上、私もあなたも指示に従うしかないんですよ。」
小田が諦めた感じで言い、長田も従うしかないことを理解して、
「要求の金額は?」
「新札でない1万円札で5億円ということです。」
「そ、そんな・・。無理ですよ。通常時では新札でない1万円札はそんなに大量にはありません。」
「犯人がそう言っているのだから、私が要求を変えることはできません。」
「先ほどの携帯で連絡はとれないのですか?」
「私も何度か試しましたが無理でした。」
「とりあえず、いくら用意できるのか聞いてみます。」そう言って、
内線電話を使い、とりあえず、先ほどまで一緒にいた篠田に繋がせ、
「篠田か、今銀行内に新札でない1万円札がどれくらいあるかを確認してくれ。」
篠田は驚いた声で、
「今すぐですか?」
「一刻を争うから、直ぐに頼む。わかり次第電話で知らせてくれ。」そう言って電話を切った。
数分後、電話が鳴り、
「篠田です。新札でない1万円札は6億近くありました。」
「本当か、じゃあ今すぐに5億分用意してくれ。」
「すぐですか?」
「すぐだ。できたら持ってきてくれ。」
「支店長、塊いくらずつでしますか。」
「待て、小田さんまとめるのは、100万や1000万と色々ありますがどうしますか?」小田は何かの紙を見て、
「1000万でお願いします。」
「わかりました。篠田、1000万で頼む。」
「了解しました。」電話を切ると、小田が
「5億ありましたね」
安どの表情を浮かべている。当然指示に従わなければならない状況であるから理解できる。
「そうですね。」
私も安どの表情をして見せた。
「ああっ、もう。」
篠田は急に支店長からされた指示に取り掛かっていた。5億円もの大金を用意することは大変である。新札であれば帯を付けた状態で金庫にあることが多いから楽だが、今回は新札でない1万円札という条件付きであるため、さらに大変である。ATMの中にあるものが大半であるため、係の者に言って1万円札を回収し、代わりに新札を補充することまでしなければならない。心底、支店長に文句を言いたい。
「用意しろで終わるあんたはいいよな」と。
篠田に最後の電話をしてから、30分が経過した頃、
「ガチャ」とドアが開き、篠田が台車にお金を積んで入って来た。
「失礼します。支店長ご要望の物をお持ちしました。」
「ああ、ありがとう。小田様、お金の方を確認されますか?」
「いえ、一刻を争いますので、銀行側を信じますので、このスーツケースにお金を移してください。」そう言って、
小田は自分が持ってきた旅行に持っていくような大きなスーツケースを二つ机の上に乗せた。
「篠田、急いで入れてくれ。」
「わかりました。」そう言って、
篠田は慣れた手つきで札束をスーツケースに入れていく。
しかし、量が量だけにもたついて見えるので、長田は自分も手伝うことにした。
1000万の束を50個入れるとスーツケースは両方ともパンパンになった。
「以上で、5億円になります。
小田様、この後のことについて教えていただけますか?」
「支店長さんには、とりあえずこれをお渡しします。」そう言って、
小田は先ほどの動画の入ったスマフォを差し出した。
長田はそれを受け取り、
「これをどうすればいいのですか?」
「私がこの銀行から離れると例の物がどこにあるのかが送られてくるそうです。
それと、気を付けていただきたいのは、銀行を出た後を誰かに付けさせたりすると例の物が発動して大変なことになりますから、例の物のありかがわかるまでは大人しくしておいてください。」
「あ、あの~、先ほどから何の話をされているんですか?それに、支店長融資の書類などが見当たりませんが大丈夫なのでしょうか?」
篠田の反応は当然である。銀行員としては融資を行ったことを証明する書類は必ずあるものであるし、話の内容もかなり物騒なものである。
「篠田、この件については、時が来るまで他言無用だ。書類に関してもその時が来ればすべてわかることだから、今は小田様を上客の御帰りといった体で、玄関までお送りする。」
「で、ですが」
「篠田、全責任は支店長である私が取る。お前は何も知らずに私の指示通りにすればいい。それがお前のためだ。」
「わかりました。それでは、小田様こちらにどうぞ。」
「スーツケースは自分で持つので大丈夫です。」
「タクシーなどをお呼びしましょうか?」
「いえ、支店長さんにこれ以上ご迷惑をかけられませんし、主人が用意しておりますので大丈夫です。」
「そうですか」
銀行の入り口まで行くと支店長と篠田が横並びになり、
「ありがとうございました。」と言って深く頭を下げた。
それに見送られて小田は銀行から去っていった。
長田は頭を上げて、巻き込んでしまった篠田を見ると、まだ頭を下げたままの篠田はどこか笑っているようにも見えた。