地球みたいな異世界で、僕が恋に落ちたのは
※ほぼ主人公の独白です。
僕は今、恋をしている。
恋なんて甘酸っぱい言葉に浮かれながら、今日もあの人の応援に行くのだ。
――今はただの一ファンとして。
……そんな、十年後の僕が聞いたら憤死しかねないだろう詞を、頭の中だけで繰り返しながらペダルを漕ぐ足に力を込める。十字路に備えられたミラーを素早く確認し、ブレーキを握ることもせずに角を曲がった。
やがて見えてきたのは、色とりどりの閃光が走る馴染みの公園。
いや、普段は閃光なんて走ってないんだけどね。
情報を得たのはもちろん僕だけじゃないので、教室程の広さしかない公園の周囲には既に、たくさんのライバル達が集まっていた。ライバルと思っているのは僕だけかもしれないけど、あの人にとって特別な存在になりたいと思っているならやっぱりライバルだと思うんだ。
自転車を邪魔にならない所に乗り捨てて、息を潜めて人だかりに近づいていった。
ライバル達は一様に熱に浮かされたような顔をしながら、各々声を張り上げている。
中には横断幕なんてものを持っている者までいた。
ああ、しまった。僕も何か目立つ応援道具を持ってくればよかった。
少しだけ後悔しながら、逸る胸を両手で押さえ、大きく深呼吸する。
これはいつもの儀式だ。ぐるぐると僕の中で暴れ回る感情に指向性を示すための。
毎度毎度こんな感じで躊躇ってしまうのも情けないと思う。
でも、そもそもあの人のためでなければ家すら出ないのだから、僕にしては頑張っている方だ。
顔も知らない友人には、愛が足りないとか揶揄されたりするけども。
意気地の無い僕を嘲笑うかのように、ワッと歓声があがった。
いけない。早くしないと終わってしまう!
震える足を叱咤して、人垣の中へと潜り込んだ。
「す、すいませーん。通りますよお」
蚊の鳴くような声量で声をかけながら、十四歳にしては小さいと思う身体をいかし前へ前へと進む。
ぎゅうぎゅう押しつぶされ、罵声を浴びつつも、足を止める事だけはしない。
ニュースというニュースは予約してきてあるから、家でぬくぬく待っていてもあの人の姿を見る事は出来る。
でも、やっぱり生で応援したかった。それがあの人の力になるって、僕は知っているから。
緊張と期待と何かよくわからない想いが頭を締め付けはじめ、服を着たまま水に入ったような感覚が手足を襲う。
大した時間も経っていないのにこんな状況がいつまで続くのか、もしかしたら前に進めていないのだろうか、そんなことが浮かび始めた時。
唐突に、世界が開けた。
「えっ」
ざわめきを、遠く背中に聞いた気がした。
一瞬、戦いの音が止まる。
いつの間にか僕は人垣を超えて、公園の中――戦闘空間へと踏み込んでしまっていた。
がむしゃらに進んでいたため最前列に辿り着いたことに気づかなかったらしい。
現状を理解するとともにどんどん血の気が引いていく。
はやく戻らなきゃと思うのだけど、身体がいう事を聞かない。
視線、視線、視線。
苦笑、嘲笑、失笑。
振り返らずとも、多くの人々の注目を集めているのを感じる。
見られている。
その事実を認識すると、僕の頭が急速に活動を停止し始めた。
対応するかのように動悸の音だけが、やたら強まっていって。
足から力が抜ける感覚。視界が大きくぶれ始める。ああ、これは。倒れ――
「落ち着いて。大丈夫だから」
不意に、声が聞こえた。芯の通った、それでいて包容力に満ちた声。
思考停止した頭で半ば無意識に声の方へ顔を向けると、
真っ赤なコスチュームに身を包んだ――あの人が立っていた。
同色のマスクが頭半分を覆っているため表情はわからないが、黒いバイザーの向こうにある瞳は目視できなくても、こちらへと優しげに細められているのを感じる。
戦闘は、と油の切れたブリキ玩具のようにぎこちなく彼女の後ろへ目を向けると、彼女の仲間だという色は違うが同様の格好をした人々が、全身黒タイツ集団を牽制しているのが見えた。
「あなたに危害は加えさせない。さあ、早く戦闘空間外に」
「は、はひ!」
やっと頭に血が巡りはじめ、なんとか返事を返すことが出来た。
ひどく裏返った男らしさの欠片もない間抜けなものだったけど。
彼女はそんな僕を馬鹿にするわけでもなく、一つ頷くと、優しく背を押してくれた。
「おい、ボウズ! はやくしろ」
人垣から怒声と共に伸びてくる複数の腕に絡めとられ、僕の身体が群衆へと吸収される。
最後にちょっと振り返れば、再び戦いへと戻っていく後姿が目に入った。
彼女の復帰と共に、束の間膠着していた戦いが再び動き出す。
その後、僕という乱入者がありながらも戦闘は滞りなく進められ。
お決まりの台詞と共に必殺技が繰り出された所で、今回も危なげなく地球側が勝利することとなった。
☆★☆
この世界にはヒーローがいた。
そう、ヒーローとしかいいようのない存在。
かつて自分がいた世界ではちびっこ達に夢と希望を与えていたような存在が、この世界には実在していた。
彼等は僕らのような人々を守るため日夜、地球外からやってくるなんとか団っていう侵略者と戦い、あちらの世界と同様に夢と希望を与えている。
夢と希望。
なんだか言っていて恥ずかしくなるようなフレーズだが、そのために態々パフォーマンス性を高めた戦いを行っているのだから仕方ない。
あちらの記憶がまだ色濃く残っていた幼い頃は、不思議に思ったものだ。
ただ敵を撃退するだけならもっとひっそりと、それこそ必殺技を無理に最後までとっておいて高らかに宣言しながら倒すなんて面倒なコトしなくてもいいのではと。
あちらでも、長くお決まりのパターンを繰り返す所謂ヒーロー番組を、大人になった者達がそう嘲笑することも少なくはなかったと思うし。
でも、どうやらこの夢と希望とやらが彼等の力になるらしい。
なんとか団と対立する――ええと、なんだっけかな。とにかく、僕たちにとっては味方の勢力が彼等に戦う力を与えているんだけど、その正義の勢力がもたらしている技術は、不可視な人々の想いをエネルギーに変える事が出来るとか。
特に希望のような、明るい力に満ちたモノであれば尚有効なようだ。
うん、未だによくわからない。
全く仕組みが想像できないけど、とにかくそうなっているらしい。
☆★☆
家に帰った時には、もうすっかり暗くなってしまっていた。
母親の「夜出かける時は行先を告げなさい」から始まった小言を聞き流しながら、ぼんやりと薄い箱状の物体――まあ、テレビなんだけど――の画面を見つめる。
右上の小さなスペースに居るアナウンサーが邪魔だなと思いつつ、いつものようにあの人の姿を探した。
もし今こうして先程の様子をテレビで見ていなかったら、味付けのやたら濃いスナック菓子を食べていなかったら。台所から電子音が聞えなかったら、外を前の世界とほぼ同じ形状の車が走っていなかったら。
ううん。
せめて、ここが地球なんて名称の星じゃなくて、自分が住む国は日本となんて呼ばれてなかったら。
きっともっとすんなり信じられたと思うんだけどな。
別の話題を流し始めたテレビを消す。
ふっと沈黙した黒い画面に映る、黒髪黒目の一般的な少年の姿を捉え、僕はそっと息を吐いた。
異世界転生なんて物語の中だけだと思ってた。想像の中の、夢物語。
そもそも転生をするのは生きる事への執着が残っているからというのを、前の世界のどこかで聞いたことがある。
生きて死んで、また生きてを繰り返し、やがて悟ると転生しなくなって……その後はよく知らない。
転生したということは僕も生きることに執着していたのだろうか、と何度も振り返ってみるのだけど、未だ答えは見いだせないでいる。
ああ、もう。こんなこと、考えてても仕方ない。
暗くなった画面をいつまでも眺める僕を、心配そうに窺う母親に軽く笑って見せて、逃げるよう自室への階段を昇って行った。
☆★☆
部屋に戻ると付けっぱなしだったパソコンを起こし、ブックマークバーの中からいつものサイトへポインターを滑らせる。
僅かなタイムラグと共に、画面一杯に浮かんで点滅する『我ら、チーム・ファミリータイズ、応援し隊!』の文字。ちなみにピンク枠に白抜きである。
……なんというか、とても。いや、何も言うまい。
この文字を作ってくれたのはライバルであり、大事な友人でもあるのだから。
青、赤、黄色。三色の☆★☆。三人を象徴するそのマークをクリックし、中に入った。
チーム・ファミリータイズとは、僕が追っかけているあの人が所属するヒーローの一チームである。
ヒーロー達が与えられる力は何故か様々で、いつでも普遍的な力を発揮するものもいれば、特定条件下でのみ強力な力を発揮するものもいる。
例えば魔法少女スイート☆ポテトさんは、必ず誰か最低一人の一般人の前で、私服から変身しないと力を得られないらしい。他の人は大体、基地で着替えてから出動するのに、彼女だけは顔だけ隠した少女の姿で出動するとか。
ああ、もちろん。人々からの支持の大きさが一番影響を与えるんだけどね。
あの人の場合も後者にあたり、必ずチーム三人一緒ではないと力を十分に発揮できないという特性を持っていた。
それがチーム、ファミリータイズ。
あの人がレッドさんで、他にイエローさんとブルーさんがいる。リーダーであるレッドが女性というのに違和感を感じるのは、転生の弊害だろうか。ちなみにその配色から一部のファンからはチーム信号機とも呼ばれている。
ちかちかする目を瞬かせながら、いつものように更新されたコンテンツが無いかチェックしていく。
先程戦闘があったばかりだからか、履歴にはたくさんの情報が流れて行っていた。あとあと全て見るつもりであるけど、ちょっと沈んだ今は気持ちが明るくなるものがいい。
そこへ「レッドの雄姿」なる文字列が飛び込んできて、何気なく添付ファイルを開く。
表示された写真に、思わず息を呑んだ。
どこから撮ったのだろう。
それは先ほどの戦いで、レッドさんが壁のように立ちはだかっていた複数の黒タイツ達を鮮やかに一蹴する姿だった。
これはヤバい。溢れんばかりの彼女の魅力を余すことなく写し取っている。
戦闘中の写真の多くは、戦闘空間の特性もあって遠くからぶれぶれのものが多いのだけど、これはまるで目の前で撮られたかのような。躍動する一場面を絶妙なアングルから切り取っていた。
投稿者を見ればアレクの文字。ああ、彼か。彼はいつもいい写真を提供してくれる。
きっと僕みたいな中学生じゃ買えない、高いレンズとか使ってるんだろうなぁ。
ほうっと見惚れる僕を尻目に画像の横にある、Goodのカウンターだけが忙しなく動き続けていた。
☆★☆
政令指定都市であり、それなりの産業を抱えるこの町『稀川市』には、チーム・ファミリータイズやポテトさん以外にも複数のヒーローが存在している。
田舎町だと大体は一つか、二つであり、町ぐるみの付き合いをするらしいんだけど、僕の町のような場合はどうしてもヒーローの間で人気に偏りが生じてしまっていた。
特に平凡仮面とあだ名されている、なんとかっていうヒーローは地味さ故に、あまり多くの想いを集められず苦労しているようだ。
同志ということもあってヒーロー間の仲は悪くないという噂だから、だからといって物凄く切羽詰った戦いをしたりはしてないんだろうけど。
僕の町で群を抜いて人気なのが、我らがチーム・ファミリータイズ。
彼等の戦いにはいつも多くの人々が詰めかける。どんな時間、どんな場所であってもだ。
その人気を牽引しているのは、やはりリーダーのレッドさんである。
彼女はいつでも的確に仲間を助け、無駄な動きも少なく敵を仕留めていく。効果的なパフォーマンスも心得ており、彼女の戦いを見た者は皆、演舞を見ているようだったという。
その戦闘における判断力に加え、性格は落ち着いていて包容力に溢れ、でもいざという時は熱くなるというまさにリーダーを体現したもの。
そして見た目も――マスクのおかげで顔は見えないが、ピッタリとフィットした燃えるようなコスチュームは身体のラインをよく見せてくれ、……その、簡単に言えば、とてもスタイルがいいのだ。無駄なく引き締まって出るべき所は……。
いいや、僕は中身派なんだから。見た目等、どうでもいいのだ。
そう、僕は決して彼女の艶やかな見た目に、恋をしているのではない。
ヒーローになるべきしてなった存在である彼女と僕が出会えたのは、本当に偶然だった。
よくある話である。
内気で気の弱く、またそれを見た目からも滲ませている僕は、外に出ると絡まれることが多い。
それを助けてくれたのが、任務から帰ろうとしていた彼女であった。
助けてくれたヒーローに惚れるヒロイン。
本当、世に溢れる物語の導入のような出会いだったと思う。
助けられたのが可愛いヒロインでは無く半泣きの少年で、悪役からじゃなく町のチンピラからってところが、なんとも切ない話であるけど。
でもとにかく僕はその時恋に落ちた。
力があるのに痛めつけるわけでもなく言葉で説き伏せ、腰を抜かしたままだった僕に気を使って滅多に上げないバイザーをしまいこみ、優しく微笑んでくれたあの人。
家族以外からの真っ直ぐな視線を、怖くないと思ったのは。
今思うと、あれが初めてだ。
褐色の柔らかな、全てを受け入れてくれるような瞳。
応援に行く際、外へ出ること自体に怯む僕の背を押すのは、決まってあの瞳の記憶だった。
転生者でなければ、彼女にちゃんとお礼を言えたのかなと今でも思う。
☆★☆
物語では転生するとチートが与えられるという。でも僕に与えられたのは前世の業、だった。
前世の僕――もう名前も憶えていない――は、異常なまでに人々からの視線を恐れる少年で、そのために家族とも友達とも上手くいかず、何も為さぬまま死んでしまった。
若くして死んだといっても、確か自殺ではなかったような気がする。死因は不思議と最初から憶えていなかったので、よくわからない。
そんな特性は今世で意識を持ち始めた頃から既に威力を発揮し始め、今の家族には多大な迷惑をかけてしまった。
それでも根気よく愛してくれたおかげで、家族の視線だけは今は怖くない。
世界の全てを恐れていた僕は有用な記憶も持たず、生身では家族以外には怯えて暮らしている。
転生するのは前世への執着だという。
だから物語の人々は例えその前の人生で何も出来ずとも、転生後はあんなに頑張れるのかなとたまに考えたりする。
前世から更に拗らせたこの症状を、いつか克服できたら意味があったと思えるんだけどな。
ものおもいに耽っていると、チャットの通知音が場違いに明るく響いた。
ハッとして、画面に焦点を戻すと《アレクが入室しました》の文字。その名前にホッとする。
会ったこともなく本名も年齢も知らないけれど、このファンページの題字製作者であり、腕のいいカメラマンであり、レッドさんを想うよき強敵であり、また――僕の数少ない友人でもあった。
すぐに「I (ハートマーク) Red」と書かれた、某Tシャツを彷彿とさせる四角いアイコンから文字が飛び出す。
「おっすおっす!」
「ちわー」
「今日のレッドちゃんの雄姿は見たか!?」
「今日のっていうと、秋川公園での?」
「そそ。まじ天使、いや神だったわぁ。あ、今日も見にいったん?」
「う、うん……」
「なんだよー、顔色悪いなー。さてはまた人ごみに入れなかったな! この鶏少年め!」
「顔色なんて見えないじゃないですか。……いや、今日はちゃんと入れたんですよ」
「おお! じゃあ、何かあったのかー? ものごっついおっさんに足踏まれた、とか?」
明るく、といっても文面だけであるけど、尋ねてくるアレクに、自然に打っていた返信を送るのを一度躊躇する。もし戦闘空間に乱入してしまったなんていってしまったら、僕を認識されてしまうかもしれない。彼も熱心なファンの名に相応しく、今日も見に行ってたようだし。
すると、またもチャットルームへの入室を告げる通知音が響いた。
《鳴時が入室しました》
「こんちー久しぶりッス」
「おや? 鳴時君じゃないかね! 旅に出たと聞いていたが生きておったのかね!」
「旅行に行ったくらいで殺さないで欲しいンすけど」
「お久ですー」
「ユリさん、お久ー」
「僕の名前も呼んでくれよう」
「相変わらずキモいッスねー俺がいない間もキモかった?」
「ですです」
「ユーリまで……ひどいっ」
そう、僕の名前は悠陸と書いて、ゆうりと読む。だからハンドルネームもユーリ。響きはなんとなく中性的だけど、優しく穏やかな生涯を送ってほしいと両親がつけてくれたこの名前を、僕は好きだった。
小さなおじさんがふるふると震えながら涙する画像を送ってくるアレクに、鳴時は下から拳を突き上げる画像を送る。
この鳴時も古い追っかけ仲間だった。九州の方まで何かを癒す旅行に行ってくると言って、暫く個通メールすら拒んでいたから何かあったのかと思ったけど、あまり変わらないようだ。
対するアレクも☆のマークを返して笑っているあたり、そのことを察しているらしい。
「皆さんここでのんびり駄弁ってるっつーことは、掲示板の方は見てないンすか?」
「え?」
「何々? なんかあったの? おじさんにチャットの画面を開いたまま見に行く方法を教えておくれ」
「また忘れたんか……いや、見に行かなくていいッスよ。気持ちいいものじゃないから」
「荒らし、ですか?」
「というか、規約違反。仲間のことを悪く言うのは禁止っていうこのHPのルール守れねぇ奴がいる」
ギクリ、と肩が揺れる。誰もいないのつい、周囲を見渡してしまった。
このタイミングでの仲間、つまり同じファンに対する中傷というと、身に覚えがありすぎる。
胸騒ぎを覚えながら、どんなのかを尋ねた。
「今日の秋川公園の戦いでなんか男の子が戦いに乱入しちゃったらしくて」
「あぁ、それ見たよー。うっかり押されちゃった感じだったねー」
「そうなンすか。俺は見てないんで、あれですけど。でもどっちにしろ規約違反だからサクッと丸っと消していいスよね。てか消します。ポチ」
「相変わらず容赦ないねー」
「褒めても何もしないッスからね」
「そんなこと言わないで、前々から頼んでるレッドちゃん画像専用のコンテンツ作ってくれよう」
「いや、そもそも褒めてないですよね……?」
彼が言うにはやはり僕を悪しざまに言う書き込みが多数行われていたらしい。
それに対する諌める者、煽る者も後を絶たず、とにかく暴れる者まで表れてひどい有様だったとか。
実は、この鳴時はこのHPの管理人をしている。旅行中は僕が代理をしていたから、権限はまだ僕も持っているのだけど彼がやった方が早いので、未だ残っているらしい者達のことも等いろいろお任せすることにした。
「それにしても、ふうん……」
「アレク……きもいナ」
「なんでだよっ! 鳴時、お前最近ますます僕に対して辛辣になってない!?」
「ユリさん。あんま居るとキモいのうつるッスよ」
「え、あ、もう0時過ぎてたんですねー」
「こいつら……と、確かにユーリはもう寝る時間だな」
「家族が心配するもんナ」
「えぇ。いつも盛り上がってるとこ水差す感じでスイマセン」
「うう、いい子だ。鳴時とは全然違う!」
「気にすンナ。てか俺も落ちるし」
「無視かよう。皆いなくなるんだね。じゃあ僕も落ちよーっと」
「みなさん、またですー」
「またのん」
「またまたー」
もしかしたら鳴時は気付いていたのかな。そして、アレクも。
じわりと膨らむ不安から目を逸らすように、デスクトップの電源を落とした。
布団に転がり、毛布を頭まで被って小さく呻く。
あのHPですら悪辣な言葉が飛び交っていたという事は、規制されない外ではもっと酷く言われていたことだろう。いや、現在進行形なのかも。
知らない誰かの中に、僕の一部分が入り込み、勝手に形を成していく。
それがたまらなく、嫌で――恐ろしかった。
そんな僕が恋なんて。しかもヒーローに。
やっぱり、無理だよなぁ。
「そんなこと、ない」
声に驚いて目を開けると、気が付くと昨日の戦闘空間内に居た。
絶えず揺らめく防護障壁内において、閑散とした公園は何故か色を失っており。
中心に立つレッドさんだけが、鮮やかな赤色を身に纏っている。
ふわりと微笑む気配がした。
呼吸が止まる。
気が付くと彼女はすぐ目の前。
ゆっくりと伸ばされる腕。
僕は避けるわけでもなく、ただ受け入れた。
「だから、泣かないで」
撫でられている。優しく、優しく。
でも嬉しくなくて、何かの言葉を発しようとした瞬間。
目が覚めた。
一瞬、自分がどこにいるかを見失い、やがて鳴り始めたにアラーム音に、僕の部屋だと思い出す。
なんだか無性に恥ずかしくて、大きく頭を振った。
嫌なことを考えて寝ると、決まっていい夢を見るんだ。
自分を追い詰めきれない甘さに苦笑しながら、微睡む身体を引きずるように布団から這い出たのだった。
☆★☆
その日は暑かった。
いや、ただ暑いんじゃなく、湿気も高くむしむしとした最悪な暑さ。
だからきっと、仕方ないんだと思う。
イライラしてしまっているのは、きっと彼等自身のせいじゃない。
可能性の一つとして考えていた癖に、大丈夫という根拠のない予感を信じて不用意に外へ出た僕にも非はあるんだ。
「なんとか言ってみろよ!」
怒号が頭に響いて、一瞬意識が遠くなる。
反射的に泣きそうになる顔を見られたくなくて、草臥れたスニーカーをジッと睨みつけた。
そう、僕は絡まれていた。昨日の戦いを共に応援していた人々に。
普段であれば、家に引き籠っている時間なのに、と俯いたまま、ひっそりため息を吐く。
迂闊だったとしか言いようがない。
チーム・ファミリータイズはこの町一の人気者。
そんな彼等の邪魔をした同朋を、許さない人だっているんだってこと。
わかってはいたんだ。
でもどうしても前々から欲しいモノがあって、今日は自転車で移動のしやすいよく晴れた休日で、だからつい外に出てしまった。
両親が買ってくれるのを待っているだけじゃ、いつまで経っても手に入らない。
視線が怖いといっても、見られていることを意識しなければ大丈夫だし、事前に売り場も混む時間帯も調べてあったから多分大丈夫。ピッタリお釣りなくお金を渡せば、レジを通った時点で逃げ出したって許してもらえる。
そんな感じで買うこと自体にだけ気を取られ、彼等みたいな人に出会った時の対処法を考えていなかった。
幸い、絡んできたのは数人で、直視しなければ倒れる程の視線ではない。
直視してしまったら瞬殺だろうけど。
ああ、どうしよう。
じっとしていればその内飽きてどっかいってくれるはずなんだけど、今日はそれを待つわけにはいかなかった。
今日はチーム・ファミリータイズの活動日だ。早く帰って情報をチェックしなくては。
そう、この町のヒーロー達はどうやらシフト制らしかった。
地域毎に活動するんじゃなくて、事件が起きた時、当番のヒーローが出動するみたい。
そのシフトは公開されていないんだけど、長く追っかけしている僕はある程度周期性を把握している。そして、今日も昨日に引き続き彼らが当番のはずだから、事件が起きたらあの人を応援しにいかなくてはならない。
年甲斐もなく地団駄を踏みたいような気持ちで、心の中だけで頭を抱えていると。
突然、僕を囲む気配に動揺が走る。
ちらりと顔を下げたまま窺えば、ちょうど小さな青い生き物が疾走するのが見えた。
弾かれたように顔を上げて、その姿を目で追う。
あれは、ヒーロー達に力を与える勢力の使役する、伝令用の生物。
ヒーローに先駆けて現場に辿り着き、情報をヒーローに送ることと、防御障壁を張るという役目を担う。
あの生き物が急いでどこかに向かうということは。
頭が結論を導くより早く、自転車へと踵を返す。
突然出現した青の生き物と、気の弱そうな少年の前触れの無い行動。
わたわたと追い縋ろうとする彼等を置き去りに、僕はひたすらその青を追った。
何処まで行くのだろう。
脇目を流れる町並みがだんだんと寂れていく。
どこか錆臭い匂いに顔を顰めていると、大きな箱型の建物が見えてきた。
確かあれは、随分昔に操業を停止した何かの工場だ。
不思議なことに門は閉ざされておらず、滑り込むように敷地へと侵入する。
自転車のタイヤが立てた砂を擦る音に、集まっていた人と――侵略者が一斉に振り返った。
「君、昨日の……!」
彼女の焦った声が耳を打つ。
同時に広がる奇妙な違和感と浮遊感。
空を仰げば痛い熱線を放っていた太陽も、雲一つない青空も、鈍く揺らめく膜のようなもの覆われていた。
防御障壁。
町に被害を与えないための、空間を隔絶する力。
この中に入ってしまったら敵を倒すまで、外から導かれない限り出ることは出来ないのだ。
中から己の力で飛び出そうとする物質を阻止する力は、彼女等を逃がさないよう囲う力でもある。
ええと。つまり、誰かが通りかかって、手を伸ばしてくれなければ僕は出ることは出来ない。
そして、その誰かが情報を発信して、運よく拡散でもしない限り、人々が応援をしにくることもないのだ。
「俺たちも舐められたモノだな。こんな小僧が迷いなく障壁内に入ってくるなんて」
「ふふ、やってしまいましょうよ。そうすればあのいけ好かない司令官も少しは慌てるでしょうし」
背筋を凍らせるような、独特の響きを持つ仄暗い声。
黒タイツの後ろには、彼等を統率する侵略者の姿があった。しかも今回は二人組のよう。人間みたいなカタチをしているのに、纏う雰囲気は戦闘経験のない小僧でも分かる程禍々しい。殺気に人のカタチを与えたら、こうなるのではないだろうか。
レッドさんから覇気が迸る。
「させない! させてたまるか!」
「――レッドちゃんッ! ここは任せて、あの子を安全な場所へ!」
「ブルーの言う通りよ! 時間稼ぎなら、あたしたちの方が得意だから」
そんな彼女を遮るように青と黄色が飛び出して、彼女は一瞬躊躇した後、こちらへと走り寄ってきた。
「なんで、こんな所に。ここは危険よ」
穏やかにでも緊張感を内包しながら促してくる彼女を見上げ、ぼんやりと考える。
この状況で僕がするべき、選択すべき行動を。
ふと、ほろり、と頬を涙を伝った。
彼女は驚くこともなく、ゆっくりと腕を伸ばす。
夢と同様に、優しく優しく撫でてくれた。
――選択肢は二つある。
このまま彼等に守られて、他のヒーローの到着を待つのが一つ。
苦戦はするだろうけど、僕という想いの提供者がいるし、負けることはまずないだろう。
この町に居るヒーローの数は多い。
どれくらい時間がかかるかわからないが、非番であれ誰かは来てくれるはずだ。
もう一つは、僕が今ここですぐ恥ずかしい姿を晒すこと。そうすれば、きっと。
彼女は苦戦することなく、あんな敵倒せるはず。
ただし、好きな人に見られたくない姿を見せることになってしまう。
僕はもう、気弱で無害なただのファンではいられなくらるだろう。
目を閉じる。記憶の中の褐色の瞳が、ゆっくりと微笑むように細められた。
そして、僕は。
諦めることを選択した。
彼女のために、僕は僕の恋から手を放す。
「ひかないで、くださいね」
そのくせそんなことを口にしてしまうのは、我ながら未練がましいけど。
☆★☆
ショルダー型のバックを躊躇いもなくひっくり返す。
嫌な音を立ながら落ちていくたくさんの――電子端末。
こちらの日本もモノ作りには定評があって、そんなことじゃ壊れないのはわかっていた。
驚いたように動きを止める彼女には構わず、淡々と作業を開始する。
大きさも色も様々な端末それぞれで、多々あるSNSやコミュニティアプリにログインし、
「秋川町三丁目 廃工場にてチーム・ファミリータイズ戦闘中」
「NIHHANの廃工場で今日もばっさばっさ。まるで演舞みたい」
「レッド様が素敵な雄姿を見せているわ! 場所は三丁目の廃工場!」
「黄色、今日もマジ妖艶。廃工場なう」
そんなフレーズを多様な場で呟いたり、拡散したりしていく。
手を止めず、彼女へと顔を上げた。
「戦ってきてください。人は僕が集めますから」
何か言いかけた彼女の言葉を、端末の通知音が合唱して阻んだ。
目を戻すと、早速反応が返ってきていた。
「でも廃工場ってちょっと遠いね」
「今回はパスかな」
「熱心な信者乙。ひくわ」
大方が情報に感謝を述べる言葉であったが、今回は場所も場所なせいかそんな言葉が散見された。
思わず歯噛みし、今度は別の情報を電波に乗せる。
「知ってる? ヒーロー達って僕らの応援を力に変えるんだって」
「この説を検証したのが、この動画で――」
「平凡仮面が弱いのはそのせいらしいよ」
「ポロニウムとアルミニウムがうんたらかんたら――とにかく、そうなってるらしいぜ」
じわじわ増え始める驚きの声がやがて、前向きな声へと変わる。
傍らで息を呑む気配がした。見上げればこちらを見下ろす彼女の姿。
なんだ。まだ行ってなかったのか。
「君、何で知っているんだ。私たちの力の源を」
彼女らしくなく震えた声に、僕は鷹揚に頷いて見せた。落ちついて、と言わんばかりに。
そう、彼等が僕らの想いを糧に戦っていることを、世の中の大半の人は知らない。
意地悪な正義の勢力によって、公開されていないから。
僕が気づけたのも本当に偶然だったと思う。
ひたすら追っかけて、ネット上にあがる彼女に関する情報を逐一チェックして、いつも直接見にいってたから気づいた。
彼等の力にはムラがある。
人の多い住宅街で戦う時と、今回のような少し外れにある場所で戦う場合とでは感じさせる余裕が違う、と。
気づいてからは、工作活動に勤しんだ。
PCの知識が始めからあったのは、いいことなしの僕の転生において、唯一の利点だったように思える。
だっていくら説明書を読んだところで、あの独特のコミュニティに馴染むには普通、時間がかかるものだから。
彼女の情報を広め、ファンサイトなんて作って想いを凝縮させていく。
アレクや鳴時に声をかけられてからは、もっと活動が大きくなっていって。
真実と虚構を上手く利用し、僕達はどんどん布教していった。
最も、元々魅力のある彼等の力によるものが大きいけれど。
バラバラだった人々の想いを集め、増幅する。そのためには嘘も厭わない。
堂々とした正義の味方である彼女には知られたくなかった姿。
話が逸れたが、とにかく多くの人は知らなかった。
僕も教えてやるつもりなんてなかった。
自分達を守ってくれる存在に感謝もせずに、敵の力が増大して苦しめられるのなら自業自得だとも思っていたし。
何より、僕だけが知っていれば、僕だけが彼女には力を送れるとわかっていたから。
でも、そんな格好悪い独占欲に気づかれるかもという不安も、もうどうてもいいのだ。
僕は諦めたのだから。
彼女の前でだけは晒したくなかった姿を晒す。
「あなたに、恋をしてましたから」
自分に恋をする僕が、彼女の中で形成されていくのを感じる。
僕みたいな人間がどう見られるかなんて、二回分の少年時代を過ごしたせいで嫌というほど知っているのだ。
みっともないんだろうな。だから嫌だったのに。
バイザーの奥の瞳が大きく揺れる。
真っ赤なマスクを無感動に見返した。
彼女と目を合わせようとしたのではない。バイザーに映る光景を眺めていたのだ。
黒く滑らかな面に、映る複数の影。
人が集まりかけていた。
視線。視線。視線。
困惑。疑問。心配。
振り返らずとも、多くの人々の注目を集めているのを感じる。
見られている。
その事実を認識した僕は嗤った。
それなら、都合がいい、と。
立ち上がって、彼女を追いやる。
「みんな! 見てわかる通り、ファミリータイズはピンチに陥っている!」
目を合わせないように、背を向けたまま叫んだ。
自分でもびっくりするほどよく通る声だった。
「だから、一緒に応援しよう!」
僕の声を足掛かりに、バラバラと上がり始める応援の声。
人がまだ少ないせいか、皆どこか恥ずかし気である。
子どもじゃあるまいし、と嘲りを耳にし、咄嗟に怒鳴った。
「声を合わせて! 子どもじゃないなら、それくらい出来るでしょ!」
一瞬、静寂が彼らを包む。
その隙を狙って、更に声を張り上げた。
「いくよっ、せーの!」
☆★☆
自暴自棄になると、何でも出来ると聞いたことがあった。
だからお前も一回、自分の全てを捨ててみろと前世でカウンセラーに言われたことがある。
今思い返すと、なんて適当な言葉だろう。
よく知らないけど普通、自分への自信をつけさせるものじゃないのかな。
なのに、捨てろだなんて。
それにいいことをするとは限らないじゃない。
どうでもよくなって、悪いことだってするかもしれない。
だから今回上手くいったのは偶々なんだ。もうしない。絶対に、だ。
いつもの三人の掛け声が聞こえて、高揚感に浸りどこか他人事だった状態から、現実へと引き戻された。
必殺技の時間だ。早く戻らなくては。
防御障壁が解かれたのと同時に戦闘空間から出ると、人ごみにそっと紛れ込んだ。
「ねぇ」
そんな僕の腕を何者かが掴んだ。驚いて振り向くと、同年代くらいの少女の姿。
勝気そうな大きな瞳が印象的な、可愛らしい女の子だ。
服装も最近の中学生女子という感じで、特に変わった所はない。
ただ、胸に下がったお芋のネックレスはちょっとどうかと思うんだけど。
そんな子が、どうして僕に?
「あんた、ユーリ?」
一瞬で全身が冷たくなった。先程までのうだるような暑さが嘘のよう。
何で、僕の名前を知っているんだ。
その問いに、冷やされた頭が一つの可能性を提示する。
もしかしたらチーム・ファミリータイズの熱心なファンなのかも。
それで昨日の僕の行動と今日の僕の行動に反感を抱いて、それで。あわわ、どうしよう。
血の気の引いていく僕を見て、彼女はちょっと視線を逸らした。
「ついてきて。キモい奴が呼んでるわ」
拒むことも出来ずに、動転した僕は引きずられるよう群衆からから連れ出された。
少し離れた曲り角を曲がると、そこには一台のキャンピングカー。
ますます膨らむ嫌な予感にパニックを起こしていると、僕が押し込まれる前に中から人が下りてくる。
「やぁ、君がユーリか! うんうん、好青年じゃないか! いや、好少年というべきか」
快活な声が、うら寂しい路地においてよく響いた。声の主は渋い顔立ちを、人懐っこく崩して笑う。
僕はというと、ひたすら目を丸くしていた。
だって、マスクを外してはいるけど、この青いコスチュームは、彼女と同じ。
つまり、彼は。
「警戒しなくても、僕はアレクだよ。なかなかの美中年だって? いやあ、ありがとう」
返事がないのも気にせずに、彼は更に衝撃の事実をぶちまけた。
「え、えぇ! だって、え、ブルーさんじゃ。え、ブルーさんはアレク? アレクはブルーさん?」
「君は僕らの秘密を知ってるみたいだからね」
うんうん、と頷く彼にいよいよ混乱が最高潮に達する。だめだ、もう何も考えられない。
「あ、怖がらなくても大丈夫だよ。適当に嘘の検証動画とか上げれば、あの程度の情報を信じた人達ならすぐにまた騙せるし。ただ、君はどうやら本当に自分の目と耳で、事実に気づいてしまったらしいから。素質のない人を本来仲間には出来ないんだけど、特例だってさ」
つまり、どういうことなのだろう。
もう少しわかりやすく、いや落ち着かせてから話してほしい。
そんな僕の切なる願いなど、気にしないようで。
ブルーさん、もといアレクは意地悪そうに口の片端を釣り上げる。
「そうだ。僕の娘を紹介しよう」
カツン、とキャンピングカーのタラップを踏む、軽やかな靴の音。
泣きそうになりながら顔を上げれば。
「あの、さっきの言葉なんですけど」
真っ赤なコスチュームを身に纏ったあの人が、声に戸惑いを乗せて言葉を紡いだ。
放り棄てた恋心があっという間に復元していく、呆れた音を聞いた気がした。
☆★☆
僕は今、恋をしている。
恋なんて甘酸っぱい言葉に浮かれながら、今日もあの人の応援に行くのだ。
ただし、今は後方支援を担当する、一人の――仲間として。