変わる関係
どうしてこうなった。
「えっと……あの、どうしていらっしゃるのでしょうか?」
「……」
菫子の目の前には、不機嫌そうな顔を隠そうともせずふてぶてしく座る鬼門、鷹ノ宮和樹がいた。
パーティーから数週間たったある日、突然桐島家に和樹がやって来たのだ。あらあらと目を輝かせて歓迎した葵は菫子の部屋へ案内し、一緒に来た楓と意気揚々と別室へ向かってしまった。
娘を男と二人きりだなんて! と親ばかな藤吾が卒倒しそうなシチュエーションの中、部屋のソファーに我が物顔で座る少年に悟られぬよう、菫子はひっそりとため息を吐く。
ギスギスとした雰囲気の中、使用人が用意してくれたジュースとお菓子をつまみながら、菫子は相手の出方を窺っていた。
「……母さんがもっと子供同士で遊べって、無理やり連れて来たんだよ」
「はぁ」
「あの様子じゃ自分が来たかっただけだろうけど」
「確かに」
期待に満ちた目を向けて楽しげに去っていった母親たちの姿を思い浮かべ、どちらともなくため息を吐いた。そのうち、母親の苦労話でお茶会でも開けそうだ。
二人は暫し無言でジュースを飲んでいたが、和樹はチラッと菫子の顔を窺うと、気まずそうに話し出した。
「……体調は大丈夫なのか?」
「え、どうしてですか?」
「どうしてって……先週まで熱が出て寝込んでいたんじゃないのか?」
そう、菫子はパーティーの次の日案の定熱を出して倒れた。初めてのパーティーと和樹とのやり取りに、人生の約半分はベッドの住人だった身体は耐えてくれず。和樹が来る数日前まで、過保護な家族により再びベッドの住人へと返り咲いていたのだ。
おそらく楓から聞いたそれを、わざわざ心配してくれるとは。案外優しいところもあるんだな、と菫子がくすりと笑ってしまうと、和樹はムッと不機嫌そうな顔になった。その顔は年相応で、それを見てさらに笑いが込み上げそうになるが、あまり機嫌を損ねたくないのでぐっと我慢する。
「何だよ」
「いえ、すみません。もう何ともありませんわ。みんなが少し大げさなだけですから」
素直に「ありがとうございます」とお礼を言えば、「あっそ」と和樹は顔を逸らした。ぶっきらぼうな態度だが、少し赤みがかった頬が少年の心情を明かす。
そんな和樹を見ていた菫子は、逸らした顔をそのままに、何か言いたげな視線を向けてくるのに気が付いた。その視線を不思議に思っていると、おずおずと目線を合わせてきた和樹が、菫子にとっては予想外の言葉を口にした。
「……この前は悪かった」
「え?」
「だ、だから! この前の……パーティーの……」
先日のパーティーでのやり取りを、ばつが悪そうに謝る和樹。
まさか謝られるとは思っていなかった菫子は、正直驚愕していた。ゲームの横暴な印象がこびり付いている菫子にとって、和樹の謝る姿はまさに青天の霹靂なのだ。
だがその時ふと思った。もしかしたら、現実の和樹は少しひねくれていて素直じゃないけど、根は真面目で優しい子なのかもしれない、と。そう思えば、中身が成人の菫子にとっては、今までの態度が反抗期の子供のようで、微笑ましさすら感じた。
「気にしていませんわ。わたくしの方こそ、勝手な事を言ってすみませんでした」
だから菫子は素直にぺこりと頭を下げたのだが、和樹は「あ、いや……」と言い淀みその目は不安げに揺れる。その姿は迷子の小犬のようで、妙に庇護欲を掻き立てるものだった。
女というものは、こういう目にはどうも弱い。それはもちろん、菫子も同じこと。相手が将来自分を死へと導く者かもしれないのに、撫でまわしたくなる衝動に掻き立てられる。
(な、何なのこの子! 今日はなんかものすごく可愛いんだけど!)
無意識に手をわきわきさせていると、その不審な動きを見た和樹に少し怯えた顔をされた。その顔に我に返りこほんっとわざとらしく咳払いをする。見た目は幼女なのをすっかり忘れていた。
菫子は気を取り直し、和樹の真意を探る。謝るだけならば今の謝罪で終わりだが、見る限りそうではない様子。
じっと和樹を観察していた菫子は、再びふと思った。子供ながらにプライドの高いこの少年は、誰にも、親にさえ弱みを見せることがないのではないか、と。それはどんなに寂しいことかこの少年は知らないのだろう、と。
和樹の学園での交友関係は知らないが、少なくともゲームでは特定の誰かと話しているシーンは無かった。それに、あのパーティーの女の子たちの様子。学園でもあんな状況なのは、目に見えている。
そう思うと菫子は放っておけなくなってしまう。自分を死に導くかもしれない者だが、こんな不安そうな目をされたら仕方ない。お節介ながらも助言でもしてあげるか、とお姉さん気分になった菫子は、優しい声色で和樹に話しかけた。
「鷹ノ宮さまは人の判断基準とはどこにあると思いますか?」
「……何だよそれ」
「人が人をどんな人間かと判断するのは、見た目がほとんどを占めているらしいのです」
人の感覚の中で最も情報力を持つのは視覚。顔、姿勢、仕草など視覚的に感知できる情報、いわゆる見た目で人は相手を見定めている。前世にそんな事を記した本があった事を思い出し、覚えている内容を簡単に話す。ちなみに、出所は病院の医者からということでごまかした。
突然そんな事を話し出す菫子に怪訝な顔をする和樹だが、内容を聞いているうちに真剣な表情に変わっていった。
「確かに見た目だけで判断されるのは嫌だという気持ちも分かります。けれど、鷹ノ宮さまの評価はどれも称賛するものばかりです。マイナスな評価ではない分、いいとは思いませんか?」
「まぁ……そう、だな」
「むしろ長所だと思って胸を張るべきですわ」
「いや、それはナルシストだろ」
釈然としないながらも、納得できることもあり考え込む和樹。その様子を見て、やはり頭がいいなと菫子は感心していた。話し終わってから子供にする内容じゃなかったと後悔したが、それは杞憂に終わったようだ。自分が子供であったなら理解できなかったであろう内容を、目の前の少年はしっかり理解していた。
これじゃほとんどの子供は相手にならないんだろうな、と菫子は天才過ぎる少年に思わず同情する。
「家のことは……仕方ないと思いますよ。鷹ノ宮家と言えば、世界的に見ても財力、権力を持っているお家。お近づきになりたいと思う人はいっぱいいます。大人も、子供も」
何が何でも取り入りたい。
そう思わせるほど、鷹ノ宮家は人によっては甘美な魅力を与えるもの。そこに生まれてしまった者の宿命。和樹もそれを悟ったのか、下に向いて小さく項垂れていた。
「家なんて関係ない、あなたはあなたじゃない」というお決まりの台詞があるが、それは違うと思っている。鷹ノ宮家の人間であるということも、鷹ノ宮和樹を形成する重要なものだから。
これらの事を考えれば、「顔と家にしか興味がない」というのは当たっているのかもしれない。けど、それは狭い視界でしか世界を見てないだけであって――
「まぁこれはパーティーの時も言いましたけど、親しくない人には、ですよ」
その言葉に、和樹はハッと顔を上げた。
「親しくなければ、見た目や家柄以外に得られる情報なんてないと思いませんか?」
逆に言えば、親しくなれば自分自身の持つ、内面的な魅力を見てもらえるようになる。見た目によらず優しい、などという評価は親しくならなければ分からないこと。
「もっと自分自身を理解してほしいと思うなら、人を拒絶していては何も始まりません」
「とは言っても、いきなりは難しいですよね」と言うと、スッと和樹の前に手を差し伸べた。対して和樹は突然差し伸べられた小さな手に困惑気味だ。菫子の顔と手を交互に見る和樹に対し、菫子は無邪気な笑顔を向けて告げた。
「ですから手始めに、わたくしとお友達になってみませんか?」
「え?」
何を言われているのか分からないといった表情をする和樹に対し、菫子は笑みを深めてぐいっと身体を近づける。
「何事も初めてでは上手くいきません。ですから、練習をしませんか?」
「練習って……」
「それにわたくし家からあまり出してもらえないので……その、友達がいなくてですね……」
後半は菫子の本音。七歳で友達がいないという悲惨な現状は、想像以上に虚しかったりする。しかも、来年学園に入った時、友達が一人もいないというのは色々な意味で絶望しかない。
少しの間菫子の手を見て考え込んでいた和樹だったが、諦めたように息を吐くとその手を握り返しぶっきらぼうに答えた。
「……仕方ないから友達になってやるよ」
「鷹ノ宮さまにそう言っていただけて光栄ですわ」
俺様な口調の和樹だが、その頬は先ほどと同じく赤く色付いている。やっぱり素直じゃないなと、菫子は声を上げて笑った。
それから、二人は少々ぎこちない雰囲気ながらも家族のことや、学園のことなどを話していた。特に学園の話は同級生から聞くのはとても興味深く、いつになく前のめりな菫子に和樹は苦笑を漏らす。だが不意に、和樹はじーっと菫子のことを見つめた。
「あのさ」
「何でしょうか鷹ノ宮さま」
「その呼び方やめてくれない?」
え、と思わず呆けた顔をする菫子。当初思っていたように友達関係になれそうなのはいいが、仲良しこよしの関係になりたいわけではない。それこそ、母親にさらなる誤解を与えてしまえば婚約ルート一直線。付かず離れず、良い距離感がベストなのだ。
「いえ、でもそれは」
「鷹ノ宮さまとか、長いだろ」
「別に気になりませんわ」
「俺が気になる」
「……でもパーティーの女の子たちもそう呼んでいましたし」
「へぇー。お前は友達に様付けなんだ」
ふーん、と目を細めて菫子を見つめる和樹に、言い返せずにぐぬぅと苦渋な表情を浮かべた菫子。子供らしからぬ言動ばかり見せていた少女の初めて見たそんな顔に、和樹は声を上げて笑う。
子供に笑われた! と菫子は地味にショックを受けた。
「……やはり鷹ノ宮家の方が家柄がいいですし」
「お前がそれを言うのか? というか、桐島家だってそんなに変わらないだろ」
「全然違います」
それはもう比べるのもおこがましいほどに。諦めてくれないかなと縋る目線を送るも、意地悪そうな笑顔が返される。
やっぱりゲーム通り横暴で俺様な性格だ。数分前に可愛いと思った自分を殴ってやりたい。イラッとした菫子だが、相手は子供だと自分に言い聞かせる。
「……では、和樹さまでよろしいですか?」
「却下」
「……和樹さん」
「和樹でいい」
「それは色々な関係で無理です!」
何てこと言うんだこの子供は! 菫子は若干取り乱しながらも「和樹さんで! これ以上は譲れませんわ!」とテーブルをバンッ叩き、今までにない真剣な眼差しを向ける。
名前呼びだけでなんでそんなに真剣なんだ、と呆れ顔をする和樹だが、あまりに真剣な顔にまぁいいかと諦めた。
「様付けよりましか」
「様の方が素敵だと思いますけど」
「なに拗ねてるんだよ、菫子」
ふて腐れた顔をする菫子に、和樹は満足気に笑っていた。
『菫子』
ゲームでは、和樹から呼ばれることのなかったその名前。ゲームの菫子が、焦れていたであろう呼び方。
菫子は胸がギュッと締め付けられるの、勘違いだと思い込む。
そのあと、二人は帰って来た撫子と椿が和樹の来訪を知り突撃してくるまで、他愛もない話をしていた。
そして帰り際、「ではまた」と挨拶をする二人を見て、母親たちが顔を見合わせてニヤニヤと意味深げに笑うのを、菫子は見ないふりをするのだった。
変えてしまった、二人の関係。
これが、この世界にどう影響を与えるのか。
もしも、ゲーム通りヒロインが現れたなら。そして、和樹と恋をしたら。
ライバルではなく、味方として、友人として応援してあげよう。
だから――
未来を変えたい菫子は、デッドエンドの先の未来へ夢を抱く。