もう一つのデッドエンド 6
大きな物音の後、会場は静まり返った。
舞台上に広がっているのは、明らかに異常な光景だったからだ。
大きな音を立てて倒れた舞台の背景。
そして、そのすぐそばで倒れる菫子と蘭。
しかし、静寂は一瞬。一拍後には客席は波打つ様に騒めき出し、舞台袖も顔面を蒼白させて慌て出す。
誰がどう見ても、これはあってはならないアクシデントだった。
緊迫した雰囲気の中、間一髪でセットを避けた菫子は蘭に覆い被さったまま、必死に考えていた。
下にいる蘭は一連の出来事で呆然としているが、見たところ怪我はない。もう一人舞台上にいた麗奈はもちろん無傷。菫子自身も倒れた時にぶつけた腕が少し痛むくらい。
大した怪我が無かったことは、不幸中の幸いと言えるだろう。
しかし、このまま何事もなかったように劇を再開することは出来ない。数秒もしないうちに教師が飛んできて、この劇は幕を下ろさせるだろう。そうしなければならないのは、菫子も分かっていた。
だがここで終わらせれば、この劇は失敗に終わる。一人の子供の、馬鹿みたいな嫉妬の念のせいで、台無しになって終わってしまう。
蘭がその真実を知れば、どう思うか。優しい彼のこと、何も悪くないのに自責の念に駆られるだろう。
ぐっと悔しげに唇を噛み締めた菫子だが、ふととある案が頭に浮かんだ。上手く事が運べば、このまま劇を再開させることが出来る方法が。
しかし、それにはもちろんリスクもある。けどこのまま終わらせないためには――
(やるしか、ない)
菫子は腹を括り、ふぅーと一つ大きく息を吐き出した。
そして勢いよくがばっと起き上がると、蘭に向かって今までで一番大きな声を張り上げる。
「王子様っ! お怪我はありませんか!?」
『――えっ』
すべての視線が、菫子に集中した。
状況が飲み込めず呆然としていた蘭は、その声でようやく我を取り戻し慌てて身体を起こす。そして自分を助けてくれた目の前の少女の心配をした。
「は、はい僕はなんとも。でもっ先輩の方こそ怪我は」
「あぁ、ご無事で何よりですわ!」
だが菫子はそんな心配の声をかき消すように再び大声を張ると、自然な流れを装い蘭に抱き着いた。
そして耳元に口を寄せ、囁く。
「――私に合わせて」
真剣な声色で伝えられたその言葉に、蘭はごくりと唾を呑む。それを感じ取った菫子はゆっくりと蘭から離れ、一歩前へ出た。
菫子の一挙一動に観客は注目している。それだけじゃない。蘭も、麗奈も、この場にいる全員が、菫子の行動を固唾を呑んで見つめていた。
この状況なら出来る。
そう確信した菫子は、神妙な面持ちで語り出す。
「……王子様、お気を確かに聞いてください。実は、あなた様は今、そのお命を狙われたのです」
「え……え?」
いきなりそんなことを言い出した菫子に、蘭は動揺した。それもそのはず。そんな台詞、台本のどこにも書かれていないのだから。突然のアドリブに同じく舞台上にいた麗奈も目を丸くし、舞台袖に至っては余計慌てふためき出す。教師が必死に手でバツ印を作っているが、そんなものは見ないふり。
しかし、何も知らない客席からは「え? あれも演出だったの?」「とてもそうは見えなかったわね……」と戸惑いと疑問の声が飛び交っていた。
その反応に菫子はよしっ! と心の中でガッツポーズを決める。
そう、菫子はこの劇をこのまま終わらせないためには、あのアクシデントを演出の一つにしてしまえばいいと思ったのだ。幸いと言っていいのか、倒れた背景セットに描かれていたのは木々の絵。木が倒れたという設定は、あり得なくはない。
それに観客さえ取り込んでしまえば劇は続けられる。所詮は学校の劇、多少無茶な設定をしても許されると菫子は踏んでいた。
ただ、そのためにはストーリーを変更しなければならない。
これは一種の賭け。
誰かがボロを出せば、すぐに崩れるその場しのぎのもの。主要の役者が、特にあの役の人物が、菫子の意図を理解し乗ってくれなければ成立しない。
でも、あの子なら絶対に乗ってくれると信じていた。
だから――
その人物の姿を捉えると、ビシッと指差し声高らかに告げた。
「そう……これはすべて、あの魔法使いの仕業なのですわ!!」
『――え?』
蘭と麗奈が揃って呆けたように間抜けな声を発した。
しかしそんなキョトンとする二人などお構いなしに、菫子は畳みかけるように続ける。
「そこの娘を助けていたあの魔法使いは、我が国でも散々悪事を働いた悪い魔法使いだったのです!」
先ほどまで罵っていた麗奈に近づくとその両手をぎゅっと握りしめ、ずいっと顔を近づけた。
「いいですか? あの魔法使いはね、あなたを騙していたのよ!」
「え……えぇ?」
「――そういう設定にして」
麗奈だけに聞こえる声でそう囁くと、再び声を大にして告げる。
「今のことでハッキリしました。あの魔法使いの本当の目的は……王子様、あなた様の暗殺だったのです!!」
突然の展開に観客は呆気に取られていた。それはもちろん、舞台袖も同じこと。
そんな何とも言えない空気の中。名指しされた全身真っ黒の魔法使いだけは、面白そうに口角を上げた。
「ちょっ、桐島さん何やってるの!?」
「せ、先生っどうしましょう?」
「とりあえず一旦幕を――」
「ダメだよ」
暴走し始めた劇に幕を下ろそうとした教師の言葉は、力強い声にかき消された。声の主はもちろん、魔法使い役の杏子。
彼女はニヤッと不敵な笑みを浮かべ、その視線を事の元凶である菫子に向けていた。瞳を炎のようにギラギラと輝かせているその姿は、女優の風格を醸し出す。
「菫子が劇を終わらせないために頑張ってるじゃないですか。私たちが協力しないでどうするんですか?」
「で、でもね、これじゃあ劇がめちゃくちゃに」
「どうせこのあとはラストシーンだけだし、なんとかしてみせますよ」
慌てる教師を宥めるその様子は、どっちが上なのか疑わしい。しかしこと演技に関してなら、年齢=芸歴の杏子が何枚も上手である。
軽い調子で返す杏子だが、もはや完全にこの劇の主導権を握っていた。
「悪役は魔法使いに変更。お姫様は多分途中で退場するから、とりあえずみんなはすぐにでもラストシーンにいけるように準備してて」
『は、はいっ!』
「あと先生、どこかのクラスからドライアイスを貰ってきてください」
「ドライアイス? 煙でも使うの?」
「はい。タイミングは合図出すんで、お願いしますね」
指示を終えた杏子はフードを脱ぎ去ると、堂々と舞台上に登場する。
「――――おーほっほっほ! よく気付いたわね!」
声高らかに登場した人気子役五条杏子に、観客は騒然とした。
フードの下に隠されていたその顔はニィッと意地悪気に歪んでおり、魔法使いから悪い魔女へ華麗な変身を遂げている。
悪役に成りきった杏子の登場に菫子は待ってました! と目を輝かせ、より一層演技に力を入れた。
「やはりそうだったのね!」
「ふふふ、まーさかお姫様にバレているなんて思わなかったわ」
二人のやり取りに麗奈はやるしかないのかと悟り腹を括ると、きゅっと唇と結んでアドリブに乗り始める。
「ま、魔法使いさん……私を騙してたの?」
「えぇそうよ。あなたに渡したあの魔法の薬ね、本当は毒薬だったの」
「そ、そんなっ!」
「ふふふ、まんまと毒入りのクッキーを作らせたまでは良かったんだけど……このお姫様に邪魔されちゃってだーい失敗」
それは、台本を貰った時に二人で話していたこと。魔法の薬を渡すなんてどこかの童話の悪い魔女みたいだね、なんて冗談半分で言っていたそれが、まさかこんなところで生かされるとは。
「ただ嫉妬していただけだと思ってたんだけど、ずいぶんと演技がお上手なのね」
「あなたに褒めていただけるなんて光栄ですわ」
「ほんっとすばらしい演技だったよ。どう? お姫様なんてやめて一緒に役者の道を目指さない?」
アドリブならではのネタ要素も忘れない。
即興なのに息の合った二人の演技。それを見て蘭も道が一つしか残されていないことに気が付いたのか、ぎこちないながらも一生懸命アドリブに応え始める。
「……そう、だったんですか。姫は、私を助けてくれていたんですね」
「ご、ごめんなさい王子様! わたっ私、魔法使いさんが悪い人だなんて知らなくてっ!」
「い、いやっあの……あ、あなたは騙されていただけです。だから、あなたが謝る必要はありません」
「王子様……」
「いいのーお姫様? あんな小娘に負けるなんてプライドが許さないんじゃない?」
「……確かにわたくしは王子様をお慕いしていますが、そのお心が手に入らないのならなんの意味もありませんわ」
こうなったからには先ほどまでの悪いイメージを払拭させようと、自分は優しいアピールを欠かさない菫子だ。
「あーあ。王子の心が手に入らないならいっそこの手で! って展開も期待してたんだけどなー」
「それは残念でしたわね。さぁ、観念なさい魔法使い」
「ふっ、お姫様に何が出来るっていうの?」
「あら、ここは王城ですのよ? 声をかければすぐにでも兵士たちが集まってきますわ。ねぇ王子様?」
「え? あ、はい! もちろんです」
「……それじゃあさすがに多勢に無勢。私に分が悪いわ」
杏子はそう言うと、パチンと指を鳴らした。それは演出の合図だ。
「しょうがないから王子のことは諦めるわ。精々そこのお姫様に感謝することね」
その言葉と共にどこからともなく煙が立ち込め、魔法使いを覆い隠す。そして「おーっほっほっほ!」と高笑いを残し、煙が消える頃にはその姿はどこにもなかった。
残された三人。あとはお姫様が退場すればラストシーンに繋げられる。菫子は最後だと気合を入れ、ドレスの裾を摘むと優雅に二人に頭を垂れた。
「それでは、わたくしも消えますわ」
「あ、あの、私っ」
「何も仰らないで。わたくしはあなたがあの魔法使いの差し金だと思って、冷たく接してしまったの」
「……お姫様」
「そんなわたくしに、王子様のおそばにいる資格はありませんわ」
「姫……」
菫子は伏し目がちに「様々なご無礼、お許しください」と告げると、カツカツッと足音を鳴らし二人の横を通り過ぎる。すれ違いざま「――このあとは台本通りに」と指示するのも忘れずに。
そして舞台裏に戻ると、
「おーようやく帰ってきたなお姫様?」
「……さ、西條先生ではありませんか。どうかしたのですか?」
「分かってんだろ?」
「……はい」
額に盛大な青筋を立てた西條が待ち構えており、問答無用で医務室に連行されるお姫様だった。




