もう一つのデッドエンド 5
「はい、この薬をあげるわ」
「魔法使いさん、これは何の薬なの?」
「これは私特製の惚れ薬よ。これを王子様に飲ませて、あなたの虜にしてしまいなさい」
「そ、そんなのダメだよ!」
「ふふふ、冗談よ。これはただの回復薬。王子様はとてもお疲れな様子だったんでしょう? だから、これを混ぜたクッキーでも作ってあげればいいわ」
「なんだぁ……ありがとう、魔法使いさん!」
『まぁ。町娘役の子、とても可愛らしいわね』
『さすが入江さんの家のお嬢さんだわ』
『魔法使い役の生徒もお上手ですけど……一体誰なのかしら?』
魔法使い役の杏子と町娘役の麗奈が演技している最中、舞台袖にいた菫子は、忌々しげに客席を睨み付けていた。その心は、とても荒んでいる。
(くっ……こうも露骨とは……)
先ほどの自分の演技による観客の反応を思い出し、この期に及んで「やっぱり悪役なんてやりたくなかった!」と心の中で駄々を捏ねていた。
ちなみに菫子に対する観客の反応はというと――
「そんなみすぼらしい食べ物をあの方に差し上げるつもりなの?」
「み、すぼらしいかもしれませんが……ちゃんと心を込めて――」
「口答えするんじゃないわよっ!」
「きゃあっ」
「庶民の小娘が……身の程を知りなさい」
「おーっほっほっほ!」と高笑いを決める菫子は、観客がドン引いていくのを空気で感じていた。
『まぁ……あの子とても怖いわね』
『本当に。……どちらの家の子なのかしら?』
『桐島さんのお宅の子供なの? あんなに綺麗なのに……勿体ないわね』
こんな感じで、反応は練習の時の生徒たちと大して変わりなかったのである。
若干一名心に傷を負っているが、劇は至極順調に進んでいた。
身分違いの恋に悩む町娘を、観客は応援し。
身分を圧してでも愛を貫こうとする王子様に、観客は感心し。
そんな二人を引き裂こうとするお姫様を、観客は恐怖し。
期待通りの反応に、舞台袖から満足気に頷くのは劇の脚本を書いた先輩である。
そして隣で待機していた菫子に「この調子でもっと客を怖がらせてね!」と親指を立てて向けた清々しい笑顔は、一生忘れないと心に誓う。
そんな観客を恐怖に陥れる菫子だが、もはや自棄になり先輩の望み通りのお姫様を演じていた。自分は台本を読む人形だと言い聞かせ、「これは仕事なんだ」と言い訳をしながら。そうでもしなければ、ゲームの菫子に似すぎているお姫様の台詞を発する度に「ぎゃああ!」と叫びたくなる衝動に駆られるのだ。
敢えて気休めを言うなら、この劇のお姫様は死なないということだろうか。しかしそれも、菫子にとっては大した慰めにもならないのだが。
ちなみに。観客席の最前列で菫子の勇姿を一瞬たりとも見逃さない! とばかりにビデオカメラを構えて目を輝かせている家族の姿に、初めて家族が疎ましく感じたのは仕方がないことだ。
「あなたなんかに、あの方は渡さないわ」
お姫様らしく綺麗で妖艶な微笑みを浮かべる菫子を、多くの者たちは恐怖しながらもその美貌に見惚れていた。
――そして劇も終盤。
ここまで誰も台詞を忘れることもなく、アクシデントもなく、まさに完璧な出来だと言える劇。
観客の反応も上々で、あと少しだから頑張ろう! とみんな気合を入れ直し、残りのシーンを演じていた。
そして今、舞台上には菫子、蘭、麗奈がいる。
お城で開かれた舞踏会で王子様と町娘が踊っていたことに嫉妬したお姫様が、王子様の目を覚まさせてやろうと二人を中庭に呼び出すシーンなのだが――
「こんなところに呼び出しとは……何の御用ですか姫?」
「ふふふ、分かっておいででしょう? わたくしとあなた様の未来のお話をしたいのです」
「……姫。何度言われようと――」
――ミシッ
(……なに、この音?)
舞台に立つ菫子の耳が、不可解な音を拾った。
それはミシミシとした、木が軋むような音。
しかし音はとても小さいので、おそらく菫子にしか聞こえていない。蘭たちが気にする様子がないことからそう推測できる。
じゃあこの音は一体どこから聞こえてくるのか。蘭と麗奈が台詞を言っている隙に、菫子はさっと周囲を見回す。しかしどこにも異変らしきものは見当たらず、客席にバレないようにそっと目を閉じて耳を澄ませた。
その音の出所は、意外にも近く――
(舞台セットの……裏?)
その音は確かに舞台の背景セットの裏から聞こえてくるのだ。さらに集中すると、小さな声も聞こえてきた。それは何か話していると言うより、小さく唸っているような声。
セットの裏で何かやっているのだろうか。しかし練習ではそんなこと一度も無く、トラブルが発生したなら舞台袖も動いているはず。ちらりと舞台袖を確認するも、特に変化はない。
――じゃあこの音は何なんだ。
しかし考える間もなく、劇は続いていく。
演技を続けている蘭は麗奈から離れると、ゆったりとした足取りで菫子の下へ向かう。
「姫、分かってください。私は彼女と生きていきたいんです。いくらあなたに想われようとも、私があなたの手を取ることはありません」
「――っそ、んな…………わ、わたくしは」
音に気を取られて一瞬言葉に詰まった菫子だが、なんとか台詞を思い出し、続きを告げようとした。
蘭と菫子の距離があと五歩まで近づいた、その時――
――バキッ
『――え?』
何かが折れたような音と共に、蘭の頭上に影が差す。
不思議に思って上を見上げれば、蘭に向かって倒れていく舞台セットが――
「――な、んで……?」
たかが学園祭の劇のセットとは言っても、今回の劇では本格的な舞台で使用する材料で作られている。つまりダンボールなんて軽いものではなく、木材で作られた、そこそこ重量があるもの。
そんなものが直撃したら、無事では済まない。打ち所が悪ければ、最悪の事態だってありうる。
だから自然に倒れることなんて、余程の事がない限りあり得ないのに。
――じゃあどうして?
そう思った瞬間、菫子の目がとある人物を捉えた。
(――っ、そういうことか……!)
セットの隙間から見えたのは、ニヤリと狂気に狂ったような笑顔を浮かべて蘭を見つめる下野だった。
この時、ようやく菫子は理解した。不可解な音の正体と、彼が教室にいなかった理由を。
蘭があの場所を通過するタイミングを見計らい、下野はセットを倒したか、支えを壊したのだろう。
セット裏は色々な物が置いてありごちゃごちゃとしているため、子供一人隠れることなんて簡単だ。一応は下野も劇に関わっている人間だから、いたところで不思議に思うこともない。
それに例え一人でそんなことが出来ないとしても、今は学園祭だ。協力者が侵入するなら、これほどいい行事はない。
あとがないからこそ、こんな暴挙に走ったのだろう。
やはり大人しくしてなかったかと、菫子はぐっと奥歯を噛み締めた。
一瞬の出来事だが、菫子にはスローモーションのように映る。動かなきゃと分かっていても、菫子は蘭に向かって倒れていくセットをどこか他人事のように見つめていた。
そして脳内には、とある映像が走馬灯のように流れる。
【俺が、俺があの時、もっと気を付けてたら! あいつは死ななかった!】
そう叫び、悔しさを滲ませているのは蓮。
それは、乙女ゲームでの蓮ルートの一コマ。ヒロインに己の心の内を晒すシーンだ。
【あなたのせいじゃない! 蘭くんだって、そんなこと思ってないよ!】
そんな蓮を抱きしめ、自分のことのように涙を流すヒロイン。
心の優しいヒロインに、蓮は蘭の面影を感じる。そして自分の失ったモノを埋めてくれたヒロインに、恋心を抱くのだ。
そして場面は変わる。
そこにいるのは、はしたなく床に座り込んで蓮を睨み付ける菫子と、そんな菫子を憎々しげに見下ろす蓮。
【……どうしてっあんな女……!】
ヒロインを傷つけるのを邪魔されて苛立つ菫子の声は、まるで怨嗟の念のよう。
【あんたみたいな奴のせいで、あいつは死んだんだ。だから――俺はあんたが死ぬほど嫌いだ】
しかしもっと深い憎しみが込められた声を発した蓮は、己の仇と言える人物を菫子に重ね合わせた。
それはきっと、下野のことなのだろう。
(このままこれが倒れたら……あぁなるのかな)
その可能性は、なきにしもあらず。
しかしここで菫子が想っていたのは、自分の死よりも蘭の死だった。
死ぬのは悲しい。
一度死んだ菫子は、その気持ちを痛いほど知っている。
まだまだやりたいことがあるだろう。叶えたい夢もあるだろう。そばで生きていきたい人がいるだろう。
死んだら、もっと生きたいと願うだろう。
前の菫子が、そうだったように。
だから――
(……そうだね。やりたいように、やればいいんだよ)
この前言われた西條の言葉を思い出し、菫子は一歩踏み出した。
(ゲームの世界と似てるから死ぬだなんて、馬鹿げてる)
呆然として動かない蘭に向かって、精一杯手を伸ばす。
(だから――――死なせたくないっ!)
そして蘭の身体を押し倒すように突き飛ばして――
――ガッターンッ!!




