もう一つのデッドエンド 3
予想外のアクシデントで資料を取りに行くのが遅れた菫子たちだったが、それを特に咎められることはなく。菫子たちクラスの学園祭準備は、順調に進んでいた。
「あーあ。やっぱり飲食系がやりたかったなー」
「いいから口より手を動かす」
一部を除いて。
ぶつぶつと愚痴を言って作業をサボる朔也に、杏子は持っていたペンでぺしっとその頭を叩いた。「杏子ちゃんが冷たいー」と泣き真似をするも誰にも構ってもらえず。朔也はムッと唇を尖らせた。
「これだけのメンバーがいるのに、なんで展示物なわけ? 勿体ないじゃん」
「……それ、自分で言っちゃうんですね」
これだけのメンバーとは、朔也、和樹、杏子そして菫子のこと。四人は同学年では群の抜いて容姿が整っており、それぞれにファンも多くいる。それに加え、過去にブランドのカタログ本に出たことから、学園外にもその人気が広がっていた。
自分でそれを言ってしまう自信満々といった朔也の態度に、苦笑しながらも突っ込みを入れるひかり。「だってさー」とまだ愚痴る朔也に、隣で黙々と作業をしていた和樹はキッとサボり魔を睨み付けた。
「……お前、去年のことを忘れたのか?」
そう言った和樹は、苦味の薬でも飲まされたかのように嫌そうな表情を浮かべていた。
それは、一年前の学園祭でのこと。
昨年の菫子たちのクラス発表は、喫茶店だった。クラスには人気者が多くいるということで、学園祭前から期待値は高く、みんなのやる気も満ち溢れていた。
そしていざ学園祭が始まれば、予想通りそれはそれは大盛況。売り上げもぶっちぎりの一位という結果をみせたのだった。
もちろん、その結果にみんな大いに喜んだ。だが、そこには問題もあった。
喫茶店に来る客の多くが人気者目当てだったため、その彼らに過重労働が強いられたのだ。
交代しようにも引き止める客が放してくれず、休憩を返上して働く姿はまるでブラック企業。そのせいで学園祭を楽しむ余裕などなく、和樹は不機嫌になり、菫子と杏子は疲労でダウンし、楽しんだのは朔也のみ。
そんな昨年の学園祭を反省し、今年は無難な展示物で行こうとほぼ満場一致で決まったのだ。
「和樹ってば、まだ根に持ってるの?」
「……とにかく、俺はもうあんな面倒なことはしたくない。そんな事より、早くそれを終わらせろよ」
「ちぇー」
和樹は朔也のからかうような発言をシカトし、彼の目の前にある手つかずの紙をペンで突く。さすがに朔也もそれ以上文句を言うことはなく、諦めたようにようやくペンを動かし始めたのだった。
そして、今日の作業も終わりかけた頃。
「そういえば、劇の練習はどんな感じ?」
またしても作業に飽きた朔也が、新たな話題を切り出した。とは言っても、朔也がそれを聞いたのは純粋に気になったから。和樹と朔也は菫子たちとは違い校内装飾なので、劇の進行具合を知らないのだ。
「もちろん順調よ。菫子の悪役っぷりなんてすごいんだから」
「あ、その噂は聞いた。クオリティー高すぎって」
「最初に見た時は驚きました。演技も上手だなんて」
「私もちょっとだけ見たけど、結構怖かったなー……」
杏子は何故か自分の事のように胸を張り、朔也は楽しそうな笑顔を菫子に向け、環奈は感心したように菫子を褒め、ひかりは決して菫子と目線を合わせようとはしなかった。
すでに噂が広がっているのかと、話を聞いていた菫子はがっくりと項垂れる。慰めるように菫子の肩にポンと手を置く和樹だが、そこからは震えが伝わっており、笑いを堪えているのがバレバレである。とりあえずその手をむぎゅっと抓っておいた菫子だ。
「主役は確か麗奈ちゃんだったよね、和樹と仲良しの」
「……別に仲良くない」
「そうなの? 同じダンス教室に通ってるじゃん」
「それなら菫子も同じだろ」
「それはそうだけどー」
ニヤニヤと含み笑いを浮かべる朔也に、和樹は言いたいことがあるならはっきり言えと目で訴える。それを見てさらに笑みを深める朔也だが「そういえばさー」とはぐらかすのだった。
「王子役って誰だっけ?」
「九重蘭くんですね」
その名前を聞いた瞬間、菫子はビクッと身体を強張らせた。
「警察一家の双子くんかー。蘭くんって、お兄さんの方?」
「そう。この前二人でいるところを見たけど、やっぱり似てたなー」
「へぇー。まぁ双子だから当たり前か」
「でも雰囲気は全然違うんだよね。ねぇ環奈」
「そうですね……一卵性なのに二卵性、みたいな感じがしました」
「あははっなにそれ!」
盛り上がる会話に入ることなく、ふっと目を伏せる菫子。和樹が心配げな視線を送るのだが、菫子がそれに気付くことはなかった。
放課後、劇の練習が始まるまで少し時間があった菫子は当てもなく学園内を歩き回っていた。いつもは上品で静かな学園だが、この期間は賑やかな声が飛び交っている。色々なクラスを覗いては楽しそうに準備している姿を見て、くすりと笑みを浮かべる。
だがそんな周りの雰囲気とは対照的に、菫子の心は黒い霧がかかったかのように、もやもやが広がっていた。
原因はもちろん、蘭と蓮。
蓮に関する菫子の死亡フラグは、他のキャラと比べたらとても低い。蓮もそのライバルキャラも一つ下の学年のため、ゲームでも直接関わることはほとんどなかった。だから仲良くして好感度を上げなくても、ヒロインをいじめさえしなければ死ぬことはないだろうと思っている。
それでも確実に死亡フラグを無くすなら、蘭を生かす選択肢がある。
しかし、それこそが菫子にとって一番の悩みどころだった。
ゲーム通りなら、あと二年以内に蘭は死ぬ。しかも、現在二人に悪意を持っている人間がいる状態。
このまま何もしなければ、蘭は本当に死んでしまうかもしれない。
それはあまりにも後味が悪すぎるし、出来ることなら死んでほしくない。蘭はとてもいい子だし、可能性に満ち溢れた、将来を期待されている少年だ。いなくなれば蓮だけでなく、多くの人間が悲しむことになる。
――だからといって、自分に何が出来るのだろう。
そう自問して、菫子は考えを巡らせる。
ずっと蘭に纏わりついて守ってみようか。
学年も違い、劇以外では接点もない相手なのに、そんな事出来るわけがない。
では、「もうすぐ蘭は死ぬかもしれない」と二人に伝えてみようか。
どう考えたって、頭のおかしい人間だと思われて終わる。しかも本当に死んだら、あらぬ疑いをかけられそうだ。
じゃあ、下野を諌めてみようか。
プライドが高い彼のこと。後がない状況で、何を仕出かすか分からない。
結局、いくら考えたところで出来ることなんて思いつかず。菫子は、ははっと自嘲気味に笑う。そして、同時に思うのだ。
――前世の記憶があるからといって、他の人間の生死にまで干渉していいのだろうか、と。
そう考えると、自分のしようとしていることはまるで神様みたいで。そんなことしていいのかと、先ほどとは矛盾した思いが生まれ、葛藤さえ憶える。
助けたいと思うけど、出来ることなんてなくて。それ以前に、誰かの生死に関わっていいのだろうかと迷って。
でも。だって。どうしたら。
そんな言葉のいたちごっこが止まらない。
「前世の記憶って、肝心な時に役に立たないんだな」
ポツリとぼやいたその言葉は、誰にも拾われることはなかった。
◇◆◇
学園祭まで数日に迫ったある日、菫子は西條に定期検診で呼び出された。
それは別段不思議なことではない。通い始めた当初は二日に一回だった定期検診は、今も週一のペースで行われている。だが、その定期検診は三日前に受けたばかり。
そのことに少し疑問に思いながらも、勝手知ったる医務室のドアをコンコンッと叩いてから中に入ると。
「失礼しま――」
「あれ、菫子先輩?」
そこにいた先客を見て、目を見開いた。
「……蘭、くん?」
「おー菫子、ちょっとそこ座って待ってろ」
テキパキと蘭を手当する西條がソファーを指差すので、動揺しながらもそれに従って腰を下ろして二人の様子をじっと観察した。
西條がくるくると器用に包帯を巻いているのは、蘭の右足首。それに加え、医務室内は独特な湿布の匂いが充満している。
(……捻挫かな)
そのことからそう結論付け、重い怪我ではなさそうなので少しだけ安心する。だが問題は――
(事故か、それとも――)
嫌な予感が、胸を過る。
「どうだ?」
「はい、大丈夫そうです」
足を動かし感覚を確かめた蘭は満足そうにそう言うと、「ありがとうございました」と笑顔で西條にお礼を言った。「よし、じゃあちょっと待ってろー」と西條が替え用の湿布などを用意している隙に、菫子は蘭のそばに寄って話しかける。
「その怪我はどうしたのですか?」
「あ……ちょっと転んでしまって」
「……それは」
視線を逸らし曖昧に笑う蘭に、菫子はすぐに嘘だと分かった。だが、問い詰めていいものかと言い淀んでいる内に、西條が戻って来てしまう。
「はいこれ。劇の練習くらいなら問題ないだろうけど、出来るだけ安静にしておけよ」
「分かりました」
蘭はこれ以上追及されないよう、自然な動作で菫子から離れていく。
そして西條から湿布を受け取り、注意事項を聞いていたその時。医務室のドアがバンッと大きな音を立てて開かれた。
「蘭っ!」
勢いよく飛び込んできたのは、蘭の弟である蓮だった。
若干顔色の悪い蓮は挨拶もなしに蘭の下に駆け寄ると、包帯の巻かれた足を見て悲痛な表情を浮かべる。
「れ、蓮、どうして」
「怪我したって聞いて……蘭、お前それまさか」
「これはただ転んだだけだからっ! あーほら、邪魔になるから早く行こっ」
慌てて蓮の言葉を遮った蘭は、そのまま蓮の腕を引っ張って医務室を出ていこうとした。その必死な様子に怪訝な顔をする蓮だが、菫子の存在に気がつくと、うっと気まずそうな顔になる。ちなみに菫子も同じような顔をしていた。
だがお互い声をかけることはなく。結局、蓮は蘭に連れられるまま医務室を出ていったのだった。
嵐のように現れては去っていった蓮。何も知らない西條はのんきに「仲良いんだなーあいつら」と言うと、菫子の診察に移った。
特別身体に異常はなく、健康そのものといった診察結果に西條は満足そうにカルテを書き込むと、仕上げにと菫子の頭をぐしぐしと撫でる。
「もうすぐ学園祭なんだから、お前もあんまり無茶するなよ」
「……はい」
「……何かあったか?」
心ここに在らずといった様子の菫子に、西條は何かあったのだと悟った。そこを濁さずに直球で聞いてくるあたり、なんとも彼らしい。
だからこそ、自然と何でも話してしまいそうになって。
「……ねぇ、西條先生……もし――」
――もしも目の前に死ぬことが分かっている人がいたら、どうしますか?
そう言いかけるも、言葉として発せられることはない。
(……こんなこと、医者に聞くことじゃないか)
医者なら、なんとしてでも助けると答えるだろう。愚問だし、それにこんな事を聞くのは不謹慎だ。
「――やっぱり何でもありません」
「…………そうか」
うまく笑えているだろうか。
誤魔化そうと自然な笑みを浮かべたつもりだが、付き合いの長い西條には下手くそな笑顔にしか映らない。しかし西條は少し考える仕草をするだけで、言葉の先を追求することはなかった。
菫子にとってそれは有難いが、これ以上ここにいてはまた余計なことを口にしてしまいそうになる。だから「そろそろ時間なので」と逃げるように医務室を後にしようとしたのだが、その背に向けて西條は語りかけた。
「お前が何を悩んでいるのかは知らないけどな、あんまり考えすぎるなよ」
かけられた言葉に驚いて振り返ると、医者の顔ではなく、思わず頼りたくなってしまうような優しい顔で微笑む西條がいた。
「頭使いすぎるとすーぐぶっ倒れるんだから」
からかうような言葉だが、その声はどこまでも優しい。
「だから深く考えずに、お前のやりたいようにやってみろ」
「……やりたい、ように……」
「その結果がどうなろうとも、俺は約束を守るから」
その言葉は、菫子の心の中にストンと収まる。
(やりたいように……か)
もう一度そう心で唱えた菫子は、スッと気持ちが軽くなるのを感じた。
少しだけいつもの顔に戻った菫子を見て、西條の脳裏にはとある子供たちの顔が浮かぶ。目の前の少女を心配して、話を聞いてあげてほしいと自分に頼んできた子供たち。
入院していたあの頃を知る西條にとって、それはとても喜ばしいことだった。
「それにお前には、周りに頼りになる奴らがいるんだから、一人で抱え込まなくていいんだよ」
最後は幼い子供を諭すようにそう伝えると、「ほら、もう時間なんだろ」と退室を促す。それはどういう意味なのか聞こうと視線を送るも、意味ありげな笑顔しか返ってこない。
答えてくれる様子もないので、菫子は渋々と足を踏み出した時、ふと思った。
(……そういえば、先生と何の約束をしたんだっけ?)
その問いを答えてくれる者はいない――
「大丈夫そうだな」
「ひゃあっ!」
そして医務室を出た途端、いきなり誰かに話しかけられた菫子は跳び上がった。
バクバクと音を立てる心臓を押さえながら壁に寄りかかっている原因の人物を見て、菫子は安心したように胸を撫で下ろした。
「ビ、ビックリしたー……。驚かせないでください、和樹さん」
「別に驚かせるつもりはなかったけど、悪かったな」
咎めるような言葉に、全く悪びれた様子を見せずに謝る和樹。そして菫子の隣に並ぶと、そのまま一緒に初等科校舎へと歩き始めた。
「どうしてここにいるんですか?」と訊ねそうになる菫子だが、何となく理由は分かっている。
(……心配かけたのかな)
そう思うから、野暮なことは聞かない。
しばらく二人は無言で歩いていたのだが、徐に和樹は口を開いた。
「下野のことだけど、この学園の中等科には上がらないみたいだ」
「え、そうなんですか?」
「家が倒産の危機だからな、学費なんて払えないんだろう」
「確かに、そうですね」
「あぁ。だから連んでいたんでいた奴らも、もう下野に関わることはないと思う」
「……どうしてそれが分かるんですか?」
「全員、同じような性格をしているからな」
メリットがないなら、一緒にいる意味はない。
社会に出ればよくあることであり、上流階級の子供が多く通うこの学園でも、見られる光景だ。
「一人になったあいつに出来ることなんて、そうないだろう」
「だからあんまり気にするな」と言外に伝える和樹。
あぁ、やっぱり心配してくれていたんだな。菫子は嬉しいような照れくさいような、くすぐったい気持ちが生まれる。
そして菫子はそんな気持ちを隠すように、和樹に向き直るとぺこりと頭を下げて謝った。
「ご心配おかけしました」
「……それ、俺だけじゃなくて他のやつらにも言ってやれよ」
「え?」
「朔也や五条たちも、気にしていたからな」
その言葉に、菫子はピシリと固まる。この時、ようやく西條の言葉の意味と、和樹が医務室の前にいた本当の理由を理解したのだ。
「も、もしかして……今日の定期検診は」
頬をひくひくさせながら聞いた問いの答えは、ニヤリとした笑顔。それだけで全てを悟れた。
(どんだけ自分のことしか見えてなかったんだ私はっ!)
小学生にこんな心配かけてどうするんだ! 成人している菫子の意識が、自己嫌悪に陥る。
「うぅー」と小さく唸った菫子は、和樹に赤く色づいているであろう顔を見られないように伏せると、足早に初等科校舎までの道のりを急いだ。
和樹は突然歩みを速めた菫子に目を瞬かせるも、照れているだけかと思い、のんびりとその背を追いかけた。
逃げるように先を歩く菫子だが、思わずニヤケてしまう頬の緩みを抑えられていなかった。
だって、自分のことを想ってくれる人たちがいることが、泣きたくなるほど嬉しかったから。
――前世の記憶を思い出してからのこれまでが、無駄じゃなかったのだと知れたから。
頬を伝う一粒の輝きは、音もなく地面に落ちて溶けていった。




