小さな歯車 2
「じゃあ次ー……和樹くんと菫子ちゃん入りまーす!」
カメラマンが呼ぶ声に「はいっ」と裏返った声で返事をした菫子は、人生最大に緊張している。ギクシャクしながらセットへと歩いていく菫子の背中に、「緊張したら、周りはみんな大根だと思えばいいよー!」と微妙に違うアドバイスが杏子から送られた。
そして菫子と和樹はカメラマンの下に着くと「よろしくお願いします」と丁寧に頭を下げた。
今まで相手にしてきた子供たちとは違い明らかに教養が高いと分かる二人に、カメラマンは「よ、よろしく」と返すとごくりと唾を飲んで気を引き締めた。
二人の撮影のセットは、外国のカフェのようなテラス席。『大人の真似事をする背伸びした子供たち』がテーマらしい。衣装も少しタイトで色も暗め。それを纏う二人は大人っぽい印象を抱かせる。
テキパキ位置を決められ、全身を整えられる菫子は人形のように微動だにしない。そんな菫子を見て、和樹は「ふっ」と笑いを零した。耳聡くそれを聞いた菫子はキッと和樹を睨みつけるが、それさえも面白いものを見たように笑われたのだった。
そんな二人だったが、「じゃあ始めまーす」と言うカメラマンの声に意識を切り替えると、二人の撮影が始まった。
――のだが。
「うーん……ちょっと表情が硬いなー」
少し困ったように笑うカメラマンの先には、ぎこちない表情を浮かべる菫子と和樹。
「笑ってー」、「自然な表情で」、「二人で見つめ合ってみて」など色々指示を出されるが、初めてモデルを経験する二人にとってはどれも難しく。さっきは緊張をしてないと言った和樹も多少は緊張しており、菫子と言えば初めからガチガチ。これでは撮影にならない。
どうにかして緊張を解かさないと。腕を組んで考えたカメラマンは「じゃあ」と二人にある指示を出す。
「二人でちょっと普段通りに話してくれる?」
「話、ですか?」
「そう。学校の事でも何でもいいよ。カメラを意識したくていいし、撮影だってことも忘れていいから」
カメラマンはそう言うとカメラを構え、一言も声を発しなくなった。
普段通りに話しをしろ、と言われても。
二人は目を合わせるも、お互い苦い表情しか出来ない。意識するなと言われたら、余計意識してしまうのが人の常。
「ど、どうしましょう」とあわあわする菫子に和樹は一瞬視線を逸らすと、いつものように話し出した。
「そういえば、この前のテストの結果はどうだった?」
突然和樹から振られた話題は、この間行われた中間考査のこと。まだ順位表は張り出されていないがテストは返却されており、菫子はもちろん自分の順位を把握している。
「……い、一応今回のテストも全て満点でしたので、一位ですけど」
まだ小学五年生。そう簡単に間違える訳にはいかない。
それがどうしたのかと首を傾げる菫子に、和樹はニィッと口角を上げた。
「ふーん……俺もだよ」
「え……え?」
「俺も今回のテスト、全部満点だったから一位だ」
「――えぇっ!?」
和樹のテスト結果に、菫子は目を見開いて叫んだ。
そんなまさか。相変わらず花之宮学園のテストはレベルが高い。今回のテストも、普通の小学五年生のテストよりも難しい。はずなのに。
(ご、五年生で追いつかれるなんて……!)
同率一位という結果にショックを受ける菫子を見て、和樹はしたり顔で笑う。
「今回は狙ったからな」
「ね、狙ったら取れるんですね……」
「毎回満点のお前が言うな」
普通に嫌味を言われ、和樹は軽く菫子の額にデコピンを食らわせる。額を押さえて「……もう総合一位なのですから、いいではありませんか」と菫子がぼやけば、「どうせならテストも一位がいいだろう」と当たり前のように返された。
負けず嫌いな和樹なら至極当然な思いだが、菫子には嫌味にしか聞こえない。
テストの点数以外では、菫子は和樹に何一つ優っているものはない。天才と凡人の差を見せつけられ、いつも焦燥した気持ちになっているのだ。
もしこれでテストの一位の座まで奪われたら。
(前世の記憶を持ってる人ってこう……もっとチート的なんじゃないの!?)
「うぅ……勉強以外では勝てないのに……」
「――――別にそんなことも無いだろう」
「何か言いました?」
「いや、別に」
和樹が小さく呟いたその声は聞き取れず、聞き返すもはぐらかされた。少し不思議に思うも何か和樹に勝てるものはないだろうかと考える菫子は「……あれはダメ、これも無理」とぶつぶつ呟く。そんな菫子の様子に和樹は少し呆れたように苦笑した。
「なら、何か新しい習い事でも始めたらいいんじゃないか?」
「うっ」
自分でも気にしていたことを言われ、言葉を詰まらせる。だが特別やりたい習い事も無い。他にも何か始めようかと考えている内に五年生になっていたのだ。
目に見えてへこむ菫子に和樹は「ははっ」と声を上げで笑うと、優しげな笑顔を向けた。
「一応はダンスはやっているんだから、無理して探さなくてもいいだろう。今度また一緒に考えてやるから」
「……和樹さん」
その笑顔は何故だかとても眩しくて。
思わず見惚れてしまった菫子だが、すぐに我に返り和樹から視線を逸らした。
(いかんいかん。何やっているんだ私は。相手は小学生! そして何より死亡フラグ! そう、顔は良いんだ。顔が良いんだから仕方ない。でも次は無い!!)
うっかり色付いてしまった頬を押さえ、心の中で自分を叱責する。
落ち着けー落ち着けー、と目を瞑って心を静ませる菫子を見ていた和樹は、ちらっと横目で周りを確認すると、ふっと不敵な笑みを作った。
「まぁ、そろそろテストの一位も俺が貰うわけだし。勉強するのが一番かもしれないな」
「……まだまだ負けるつもりはありませんので、和樹さんこそ精々頑張ってください」
和樹のわかりやすい挑発に一瞬驚いた菫子だが、すぐにニッと口角を上げてその挑発に受けて立つと宣言した。
「はいオッケー!」
「あ」
そして聞こえてきた第三者の声で、菫子は忘れていた現状を思い出す。
和樹が満点を取ったという衝撃で、いつの間にか撮影のことをすっかり忘れてしまっていたのだ。まんまと和樹の策に嵌った菫子は放心していると、和樹に「お疲れさま」の言葉と共に朔也がするような楽しそうな笑顔を向けられた。
和樹の手の平で踊らされていたような気分で、菫子はぷるぷると込み上げる衝動を押さえつけていた。
後日。出来上がったカタログ本を貰った菫子は、写真を見て固まることになる。
カタログ本では、菫子と和樹の写真は見開きで大きく使われていた。
そのこと自体はいいのだが、問題はその写真だ。
それは優しげに微笑む和樹と、照れたように頬を赤く染める菫子が見つめ合っている写真。
何でこの写真!? と誰もいない部屋でカタログ本を放り投げたことは内緒だ。
このあと。家族からは称賛と共に撮影のことを問い質され、西條にはからかわれ、朔也や杏子たちからは生暖かい目で見られ、和樹ファンからはさらに殺気立った目で見られることを、菫子は知らない。
そして
この出来事で小さな歯車が動き始めたことも、菫子はまだ知らない――
◇◆◇
「じゃあちょっと出かけてくるから。戸締りちゃんとしてね」
「んーいってらっしゃーい」
日曜日のとある日本の一角。
外出する両親をリビングから見送った子供は、ぐだーっとソファーでだらけていた。
時刻は午後一時半。二時から友達と公園で遊ぶ約束をしているため、微妙に暇な時間を持て余していた。ゲームをしても途中でやめるのは嫌だし、漫画も最後まで読み切れないし、勉強だってしたくない。でも暇なのも嫌だ。矛盾した葛藤に子供はさらにソファーに凭れ掛かった。
何しようかなーと考えていたそんな時、子供の視界には机に置かれたある一冊の本が目に入る。
何故かそれが妙に気になってしまい、ソファーから降りて手に取って見てみると、それはとあるブランドのカタログ本だった。大人の女性が表紙を飾るその本は、おそらく子供の母親が読んでいたもの。
もちろん子供はそんなものに興味は無かったが、無意識にページを捲っていた。椅子に座ってつまらなそうにパラパラと見ていた子供は、あるページでその手を止める。
「あれ、この二人……」
そのページに載っていたのは、見つめ合っている二人の子供。
一人は金に近い茶髪を遊ばせた少年で、もう一人は長い黒髪を緩く巻いている少女。
二人の子供はとても美しく整った顔立ちをしており、子供とは思えぬほど優雅さと気品を醸し出している。
そんな二人に、生きる世界が違うんだなーと子供ながらに理解した。一生関わる事なんて無いなとページを捲ろうとするのだが、子供はどうしても二人が気になってしまう。
もちろん面識なんて無い。見かけたことも無い。無いはずなのに、子供にはその二人に見覚えがあるような気がしていた。
どこかで会ったのだろうか。曖昧すぎる記憶を探る子供は、そっと本の二人を撫でた。
――その時。
「え」
子供の頭に、とある記憶が流れた。
それは知らない筈の誰かの一生。
でも子供は、その誰かを知っていた。
「――――はっ、はぁっ、」
次から次に押し寄せる激流のような記憶に、子供は上手く息が出来ない。
そして
「――あ…………ぁあ……、あぁっ、ああああ!!」
突然奇声を発した子供は、ガタンッと音を立ててイスから転げ落ちる。
この拍子に机の上にあったグラスが床に落ちて粉々になるが、子供は気にしていられなかった。
ドクンッドクンッと激しく脈打つ胸を押さえつけ、覚束ない足取りで洗面所に向かう。
そして鏡に映し出された自分の姿に、目を見開いた。
そこにあるのは、もちろん子供自身の姿。でも、子供にとっては違った。
「…………思い、出した……思い出したっ! なんで……ま、まさかこれって……て、転生?」
自分の身体をペタペタ触りながら思い至った結論に「そんなまさか」と呟くも、それ以外はあり得なかった。
子供は必死に混乱する頭で現状を整理しようとするが、はっと我に返ると慌ててリビングへと戻っていく。そしてばっと手に取ったのは、先ほどまで読んでいたカタログ本。
震える手でページを捲った子供は、再び目を見開くことになる。
そのページに載っているのは、先ほどと同じ二人の子供。
しかし違うのは、子供がその二人のことを確かに知っていることだった。
子供は信じられないものを見たかのような顔で、食入るように本を見る。
「この二人……まさか、菫子と和樹……?」
「子供だけど……似てる」そう呟いてペラリとページを捲り、隣のページにいた違う子供たちを見て「……朔也と杏子もいる」と再び呟く。
「なに、これ……だって、これじゃあまるで――――」
そう声を出した瞬間、子供は全てを理解した。
自分が何者なのかを。
この世界が、乙女ゲームの世界であるということを。
「――――はっ、ははっ、はっははは! あははははっ!」
全てを思い出し、理解した子供は狂ったかのように声高らかに笑い出した。
「すっごい……ここって『Flower Princess』の世界だ!」
子供は嬉しそうにそう叫ぶと、カタログ本に載る四人を至極楽しそうに眺める。
「すごいすごい」、「本物だ」などと興奮した様子で呟いていたが、子供はある事に気付いてしまう。
「……そっか、このままじゃ会えない」
そう。子供の知っている乙女ゲームの中の四人は、有名な私立学校に通っている。この世界でも、おそらくそこに通っているはず。しかしそこは金持ち学校。もちろんそんな学校に通うためのお金なんて、公立に通う子供の家にあるはずも無い。
今のままでは、四人に会うのは難しいだろう。
「いや、いけるじゃん」
だが、子供には一つだけ方法があった。
子供が、あの『花之宮学園』に通うための方法が。
「――――会いに行かなきゃ」
決意した子供の瞳に宿るのは、喜びと興奮と期待とそれから――――
「善は急げってね」
子供は早速、ゲームの舞台に行くための準備を始めたのだった。
時計の針は、午後二時を指している。
しかし子供には、もうそんなことはどうでも良かった。




