小さな歯車 1
――カシャッ、カシャッ
カメラのシャッターを押す音が、眩いフラッシュと共に降り注ぐ。
そして音が鳴り止むと、カメラのファインダー覗いていた男は「うーん」と少し困ったように笑うと一旦ファインダーから目を離した。
「ちょっと表情硬いねー、もっとリラックスして。はい、深呼吸」
「すぅーーはぁーー……」
「そうそう。じゃあもう一枚撮るよー」
そう言うと、男はもう一度カメラのファインダーを覗き込む。
再びカシャッと音を立てたカメラの先には、菫子がぎこちない笑顏でポーズを取っていた。
それは、三日前の昼休みのこと。
「モデルですか?」
「そう! どうかな?」
こてんと小首を傾げる朔也の前には、菫子、和樹、そして杏子がいた。
その日、一緒に昼食をとっていた菫子と杏子の下に、突然朔也が和樹を連れてやって来て開口一番、三人に「モデルをやってくれない?」とお願いしてきたのだ。
詳しく話を聞いてみると、朔也の母親がデザインしているブランドのカタログ本の撮影が三日後に予定されているのだが、用意していたキッズモデルが朔也以外インフルエンザにかかり、撮影が出来なくなってしまったらしい。
他のモデルを用意すればいいのだが、今回のモデルはオーディションで厳選して決めたようで、朔也の母親のこだわりも強いことから簡単に代役が見つからず。しかし、ギリギリで日程を組んでいたために延期も出来ない。
そこで菫子たちにモデルの依頼をしたのだ。
「でも……それってわたくしたちでいいのですか? 素人ですよ?」
「うーん。まぁ大丈夫じゃない? だってお母さんにみんなの写真送ったら、連れて来いってメール来たし」
「ほら」と朔也が掲げる携帯に映されているのは、【絶対に連れてきてちょうだい!】と書かれた朔也の母親からのメール。文面からも切羽詰まった様子が感じられた。
菫子たちの写真がデザイナーのお眼鏡に適ったのは嬉しいことだが、杏子は兎も角モデルの経験なんて無い菫子には一抹の不安が残る。むしろどちらかと言えば目立つ行動はしたくない。
どうやって断ろうかと思案する菫子は、隣で少し仏頂面になっている同じくモデル経験の無い和樹に問いかけた。
「和樹さんは? どうするんですか?」
「……まぁ仕方ないだろ。時間も無いみたいだし」
「和樹ありがとー!」
ため息を吐きながらもやる意思を示した和樹に、朔也は嬉しそうにお礼を言った。
一番嫌がりそうだと思っていた和樹が承諾するとは。和樹が断れば流れで断れると思った菫子の思惑は外れてしまう。しかし和樹は「仕方ない」と言ったが、きっと朔也が困っているなら断らないのだろう。この二人は順調に友情を育んでいるようだ。
それを微笑ましく思うも、そんな場合ではない。ならば、と菫子はもう一人に託すことにした。
「あ、でも杏子さんは事務所とか」
「もしもし杏子ですけど、今大丈夫ですか?」
事務所に所属している芸能人の杏子なら、そう簡単にモデルをやるとは言えないはず。と、思っていたが、すでに杏子は事務所に連絡をつけていた。
そしてモデルのことを伝えると「はい! 頑張ります!」と明るい声で返事をした。どうやら簡単に事務所の許可が出たようだ。しかも意気揚々と朔也に「お母さんにあとで私の事務所に連絡してって伝えてくれる?」と既にビジネスの話をする始末。
「そ、そんな簡単に……」
「え? だって超人気ブランドのカタログだよ? そりゃあオッケーくれるよ!」
「……そういうものですか」
「むしろこっちがお願いしたい」と言った杏子の瞳は『これでモデルの仕事も!』と野心に燃えていた。
仕事の速さに唖然とする菫子だが、これで他人に便乗することは出来なくなったことに気が付く。追い詰められていく菫子に、朔也は「そうそう」と思い出したように声を発した。
「急ぎだから、とりあえず和樹と菫子ちゃんの家には連絡したらしいんだよね」
「え?」
携帯を弄りながらそう言うと、再び携帯を掲げた朔也。
「もちろん菫子ちゃんの家にも連絡したら、是非って言ってたみたいだよ」
その画面には、【娘をよろしくお願いします】と書かれた菫子の母親からのメールが映されていた。いつの間に家族に連絡を取ったのか。若干朔也の母親に恐怖するも、これで外堀が完全に埋められてしまった。
先ほどからやたら携帯にメールの着信があるなと思っていれば、そういうことらしい。
「それで、菫子ちゃんはどうする?」
「で、では……やらせていただきます」
菫子に断る術は無かった。
そして三日後の日曜日。
指定されたスタジオでは、すでに撮影が始まっていた。多くの大人が忙しそうに動き回っており、そこはまさしくプロの現場。
初めて見たそれに、菫子は「おぉ……!」と緊張と共に感動を覚えた。嫌がってはいたものの、やはりこういう現場は興奮してしまうもの。他の三人は平然とした様子だったが。
菫子たちは他にも何人かいたモデルに軽く挨拶をしていると、「ここにいたのね」ととある女性に声をかけられた。
「今日は来てくれてありがとう。本当に助かったわ」
その人物は、今回の事の発端とも言うべき朔也の母親、橘香澄だ。彼女は一児の母とは思えぬほど抜群にスタイルが良く、立っているだけで存在感がある。なんでも昔モデルをしていたらしい。
周りにテキパキと指示を出す姿はかっこよく、理想の働く女性像を地で行く香澄は密かに菫子の憧れだ。
将来はあんな女性になりたいと菫子は羨望の眼差しを向ければ、香澄は朔也と何やら話し込んでいた。会話の内容は聞こえないが、朔也の純粋な笑顔から楽しい会話をしていることが分かる。
(うん。仲が良さそうでなにより)
医務室で朔也と話し合ったあと、橘親子の間でどんなやり取りが行われたのか、菫子は知らない。直接聞くことも無かったし、朔也から聞かされることも無かった。けど少し柔らかい雰囲気になった朔也から、きっと上手くいったのだなと推測出来た。菫子への態度は、友達になったとはいえあまり変わらないのだが。
そこは納得いかないが、それでも関係が修復したのならきっかけを与えて良かったなと思えた。そしてじっと見つめる菫子の視線に気づいた朔也が振り返ったので、菫子は朔也にニンマリとした笑顔を送る。
その笑顔の意味が分かったのか、若干顔を赤くした朔也は和樹を連れてそそくさと控室に向かってしまった。
菫子と杏子もスタッフに連れられ、控室に移動する。そこで衣装に着替え、メイクやヘアセットをしてもらい全身を整えれば、菫子たちの撮影が始まった。
「いいねー二人とも。じゃあ今度は――」
スタジオにカメラマンの指示が飛び、それに合わせ朔也と杏子のポーズが変わる。
現在、朔也と杏子はペアになって撮影をしていた。大小様々なボールが置かれ、その中で二人は楽しそうに笑っている。『可愛らしい子供たち』がテーマだそうだ。
二人はさすがというべきか。元々モデルをしている朔也はもちろん、カメラに慣れている杏子は、カメラマンのリクエストに難なく応えている。二人の撮影は順調に進んでいた。
そんな二人を撮影しているカメラの奥では、菫子と和樹は二人並んで自分たちの番を待っている。緊張からキョロキョロと落ち着きなく視線を彷徨わせる菫子に、和樹は不思議そうな顔を向け小声でコソコソ話していた。
「どうしたんだ?」
「だ、だって撮影ですよ? 緊張しませんか?」
「……しないな」
「あ、嘘ですね、間がありました。和樹さんも緊張していますね」
「してないって」
菫子は緊張を紛らわそうと和樹に突っかかるが、和樹はそれをしれっと流す。
「大体、菫子なら写真を撮られることなんて慣れているんじゃないか?」
「……家族に撮られるのとでは全然違いますわ」
「そういうものか?」
「そういうものです」
モデルの撮影を舐めきっている和樹に、ピシッと指を突き付けて指摘する菫子。実際、菫子も撮影がどういうものか全く知らないのだが。
「まぁ和樹さんは他人に撮られることなんて慣れているかもしれませんけど」
「……どういうことだ?」
「あ」
うっかり口を滑らせてしまった菫子は、己の失態に気が付いた。
実は和樹を好きな女の子の中に、こっそりと隠し撮りをしている子がいるのだ。女子の中では周知の事だが、もちろん本人には知られていない。知られれば怒られることはもちろん、嫌われるかもしれないから。
だが隠し撮りとはいっても、決して後を付け回してストーカーみたいな真似をしているわけではない。たまたま居合わせたところをカシャリと撮るだけで、あくまで個人観賞用。悪用しているわけではないので、菫子も和樹にチクることはしなかった。むしろ、禁止された後の欲求の矛先が、何処に行くのかが恐ろしいというのもあるが。
そんな和樹には内密にされている話をしてしまい、菫子は問い質すような視線を受けるが、菫子は「ほ、ほら! パーティーなんかでよく写真を撮られているではありませんか」と誤魔化す。その答えに和樹は納得した顔をしなかったが、「あははー」と曖昧に笑って流したのだった。
そうやって待っていると、「はいオッケー!」とカメラマンの声がスタジオに響く。どうやら朔也たちの撮影が終わったらしい。
「いやー素材が良いからいい写真が撮れたよ」と笑顔で褒めるカメラマンに、二人は揃って「ありがとうございます」とお礼を言うと、菫子たちの下に歩いてきた。
「お疲れさまでした」
「お疲れ」
「うん、ありがとー」
「いやーさすがに緊張したぁー」
菫子たちの労いに笑って応えた朔也に対して、杏子は意外にもほっとした顔を浮かべる。
「全然そんな風には見えませんでしたわ」
「なら良かったんだけど……」
「ほんと、さすがだね杏子ちゃん。そこらのキッズモデルより全然いいよ」
「そうかな? 橘くんに言われたら自信出るなー」
先ほどの撮影の感想をお互いに言い合う朔也と杏子。そんな二人の様子に、菫子はうーんと首をひねった。
杏子の台本が無くなったあの日。てっきり菫子は杏子が朔也に惚れたものだとばかり思っていた。しかし、その後の杏子の態度は恋をしているそれでは無い。楽しそうに話すことはあるが、傍から見てもそれは友人同士にしか見えないのだ。
思い過ごしだったのなら、ヒロインと朔也が恋をした時に杏子が傷つくことが無いので安心出来るのだが。それでも釈然とせずじーっと二人を観察する菫子に、視線に気づいた朔也は先ほどのお返しとニンマリした笑顔を向けた。
「次は和樹と菫子ちゃんの番だね、頑張ってー」
「うっ」
「あはは! 菫子ってば顔が強張ってるよー」
朔也の言葉に再び緊張が込み上げて硬直する菫子に杏子は笑うと、むにゅっと菫子の頬を摘まんだ。
「そう緊張しなくたって大丈夫だよ」と緊張を紛らわそうとしてくれるが、それは杏子が慣れているからと心の中でぼやく菫子の内心は荒んでいる。
そうこうしている内に、ついに菫子に撮影の順番が回ってきた。




