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デッドエンドのその先へ  作者: 美真
初等科編
15/30

朔也の事情 2



 橘朔也は愛に飢えた少年だった。


 社長の父にデザイナーの母。日々仕事に追われる夫婦は海外を飛び回り、朔也は幼い頃から母方の伯母の家に預けられることが多かった。けれど、親族でも朔也にとっては所詮は他人の家。また伯母も朔也の母に劣等感を抱いていて、朔也の最低限の面倒は見るが、決して歓迎してはいなかった。

 そんな環境でも朔也は親に迷惑をかけないよう、寂しい気持ちを笑顔の裏に隠して育っていった。

 しかし愛に飢えた朔也は、そのうち多くの女性と浮名を流すようになってしまう。来るもの拒まず、去る者追わず。彼の周りは常に偽りの愛で溢れていた。



 これが、ゲームの朔也の心の闇。



 だからあの日、朔也の前で家族の話をしたのは失敗だった。

 他意は無いながらも、家族と仲が良いと、家族から愛されていると主張したのはいけなかった。


「……菫子ちゃんは……家族とすごく仲が良い、から……だから――」



『嫌いなんだ』



 声にならない声が、聞こえた気がした。



「……そうだったんですか」


 小さな声でそう呟いた菫子は居住まいを正し、しかと朔也を見つめる。


 これで謝れる。


 あとは「わたくしの方こそごめんなさい」と謝って和解するだけ。そうすれば、朔也との(わだかま)りも無くなって安心安全な未来が待っているはず。



 ――と、思っていたが。死亡フラグはそう簡単に回収されてくれなかった。



「……それに、和樹だって」

「……和樹さん?」


 朔也が溢したその名前に、菫子は首を傾げた。

 思えば、朔也は初対面の時から菫子を敵視していた節がある。あの時点では、菫子の家族関係なんて知らない筈なのに。

 では何故。和樹が何か余計なことでも言ったのかと、自身の死亡フラグのトップを走る少年を思い浮かべる。

 うーん、と唸って答えを出せない菫子に、朔也はムッと拗ねたような顔を見せた。



「……菫子ちゃんは和樹の()()だから」



 ぶっきら棒に言われた予想外の言葉に、菫子はさらに首を傾げる。


 ()()、とは何の事か。


(婚約云々のこと……まだ疑っているとか?)


 あの日きっちり「ありえない」と否定したつもりだが、朔也は信じていなかったのか。そもそも、仮に特別な存在だったとしても、朔也に何の不都合があるというのか。


「前にも言いましたけど、和樹さんとはただの友達で」

「和樹が言ってたよ。菫子ちゃんが変えてくれたって」


 とりあえずいつも通り和樹との関係を否定しようとしたのだが、その言葉は遮られた。


「前より色んなこと話してくれるようになったし、笑うようになったし。……女の子にも優しくなったし……友達も、増えたし……」


 指を折って和樹の変化を数える朔也。そして、チラリと菫子に視線を送った。


「……全部菫子ちゃんのおかげだって……菫子ちゃんはすごいって、和樹はよく言ってるんだよ」


(な、なんかちょっと恥ずかしい……)


 面と向かっては絶対に言ってこない和樹の心の内を聞かされたようで、菫子は罪悪感やら羞恥心やらで思わず赤面してしまう。

 顔を赤くした菫子に、朔也は弱弱しい笑みを向ける。


「……僕が和樹と友達になったのって、伯母さんが仲良くなれって言ったからなんだよね」

「へ?」


 朔也からの思いもよらぬ告白に、菫子は間抜けな声を出してしまった。


 話によれば、娘と和樹を仲良くさせたかった伯母が朔也に色々と吹き込んだらしく、パーティーで伯母の教え通りに行動したところ、思惑通り和樹と息が合って見事友達になったらしい。

 ということは、和樹が『似ている』と言っていた朔也の話は嘘ということになる。なるほど、以前に感じた朔也の違和感はこのせいだったかと、一人納得した様子を見せる菫子に対し、朔也はそのことに後ろめたさがあるのか悄然(しょうぜん)とした面持ちで話を続けた。


「……でも、和樹と友達になったら、お母さんたちもよろこんでくれてさ」


 あの鷹ノ宮家と繋がりが持てる。それは朔也の両親にとっても、喜ばしいことだったのだろう。


「和樹と一緒にいるのも、思ったより楽しくて」


 たとえ始まりは嘘だったとしても、その後の二人の友情は本物だ。傍から見ていても、お互いが唯一気心知れた仲なのだと分かるほどだから。


「それに……特別、だったからうれしかったんだ」

「……その特別とはなんなのですか?」


 そして、再び出てきた『特別』。

 それが指す意味とは何なのか。考えても答えは導き出せず率直に尋ねる菫子に、朔也は何でもないように答えた。



「特別は特別だよ。だって、たった一人の友達だったから」



 嬉しそうな、照れたような声色で朔也は語る。



「でも――」



 しかし、その声色はすぐに悲しげなものに変わった。



「――和樹の()()は、菫子ちゃんに変わったんだよ」



 その言葉と共に、朔也の瞳からぽろりと涙が零れ落ちる。まさか泣くとは思わなかった菫子はギョッとして固まった。

 そんな菫子なんてお構い無しとばかりに朔也は続ける。


「僕だけの友達だったのに、そうじゃなくなって」


 自分以外の友達が出来たことが悲しくて。


「和樹は前よりずっと楽しそうで、僕も楽しかったよ」


 それでも、喜ぼうとしたけど。


「でも、和樹の隣は菫子ちゃんのものになって――」


 その喪失は、耐えられなかった。 



「……だから僕、の欲しいもの……全部持ってる菫子ちゃんが……きらいっで…………すごく、すっごくうらやましいんだよっ……!」



 それは、朔也の心の叫び。


 嗚咽を必死に殺す朔也の頬には、ぽろぽろと零れ落ちる涙の筋が引いていた。あとからあとから流れる涙をごしごしと乱暴に拭うせいで、朔也の目元は赤く染まる。それを見て菫子ははっと我に返り、ポケットからハンカチを取り出してぐしっと朔也の目元に押し付けた。


「いっ……ぐずっ……い、いたい……」

「男の子なら我慢してください」

「……女の子ならっ……もっとやさしく、してよ」


 涙声でぶつぶつ文句を言いつつも、抵抗はせずされるがまま。

 菫子はハンカチを押し付けながら、朔也の吐き出した言葉を思い返していた。


 そして、そんなことだったか。と、ほっと息を吐き出した。



 朔也は菫子に嫉妬していたのだ。


 菫子が持つ『親愛』と『友愛』に。


 家族から愛される姿――親愛。和樹と親しげな姿――友愛。

 朔也が欲しかったそれらを持っている菫子が、羨ましくて仕方なかったのだ。

 そしてその苛立ちをどうすることも出来なかった結果、今までのような行動をとってしまったのだろう。


 知ってしまえば、何とも子供らしい行動だなと菫子は微笑ましくも思うのと同時に、愛されたいとするその姿は菫子と重なって見えた。そして、ゲームのことは忘れて少し手助けしてあげようと思ったのは、果たして偽善か、自己満足か。


「わたくしだって頑張ったんですよ?」

「……え?」


 朔也の涙が引いたのを見計らい、菫子は静かに話し出す。


「わたくしは嫌われたくないんです」

「きらっわれたく……ない?」

「はい。親からも、兄弟からも、友達からも……和樹さんからも嫌われたくなくて、必死なんです」

「……なんで、そんなこと」

「――嫌われたいと思う人なんて、いないでしょう?」


 ――ゲーム通りになりたくないから。


 なんて、言えるわけもなく。

 当たり障りのない言葉で濁しながら、苦笑気味に答える。


「だからわたくしは頑張ったんです」


 どうしたら嫌われないか。

 どうしたら愛してくれるか。


 否、



 ――どうしたら()()()()()()()()()()()



 そんな事ばかり考えた結果、今の自分(菫子)になった。

 これが良いことなのか、悪いことなのか。今はまだ分からないが、少なくとも()の菫子は、満足している。

 だってそれは、努力の結果だから。


「橘さま、嫌われないための……いえ、愛されるための努力って、必要だと思いませんか?」


 ――無償の愛なんて、所詮はただの理想なのだから。


 言外にそう伝えると、その言葉を聞くと朔也はキッと鋭い瞳を菫子に向けた。

 そして込み上げる涙をぐっと押さえ、悔しそうにくしゃりと顔を歪めると、苛立ちを隠そうとせず声を荒げた。


「――――っ、そんなのっとっくにしてるよ!」

「……そうですね」


 そう、朔也は努力していた。親に愛されようと、今も頑張っている。

 朔也もまた、和樹と似て大人びた子供だ。勉強も運動も和樹が目立ってしまうが、朔也もとても優秀な成績を収めている。子供ながらに明るく社交的な振る舞いも出来る。


 それらはきっと、親に褒めてもらいたいが為に、愛されようとして努力した結果なのだ。


 全くよく出来た子供だと、菫子は関心する。末恐ろしいと戦慄さえ覚えるほどに。

 けれど今の朔也に必要な努力はそんなことではなく、もっと簡単なこと。


「では、その気持ちを伝えていますか?」

「……え?」

「寂しいと、もっと話をしたいと――ちゃんとご両親に言葉で伝えていませんよね?」

「――っ!」


 菫子が確信めいて聞くと、言い当てられた朔也はぎくりと身体を強張らせた。

 朔也の両親は決して子供を愛していないわけではないのだろう。伯母が関係を拗らせているのもあるかもしれないが、橘家には圧倒的にコミュニケーションが足りていない。朔也は親に遠慮し、親は良く出来た息子に甘えている。

 悪いことではないが、このままではゲーム通り高校まで家族関係が拗れたままだろう。


「言葉にしなければ、本当の気持ちは伝わりませんよ」

「……で、でもっ」


 もっと話したい、でも迷惑はかけたくない。そんな葛藤からか、朔也は言葉に詰まりぐっと奥歯を噛み締める。

 ゲームではヒロインが自ら橘家に乗り込み、「なんでもっと朔也を愛してあげないんだ」と説教をして両親と朔也の関係をある意味力技で修復させていた。

 しかし、もちろん菫子はそんな事をするつもりは毛頭ない。面倒なのもあるが、まだゲームのような年季の入ったすれ違いではないのだ。必要すらないだろう。


「子供は大人に迷惑をかけるものですわ」

「……めい、わく」

「このままでは、いつまで経っても何も変わりません」


 一言、「寂しい」と言えばいいのだから。

 たったそれだけで、きっと朔也の悩みは解決する。

 菫子が介入する必要など、どこにもない。



 ――何より、自分の未来は自分の手で変えるべきだと思うから。



「もしそれがダメでも、また違う案を考えればいいだけですわ」


 だから頑張ってくださいね。優しく朔也の背中を押す菫子の気分は、子供の成長を見守る世話焼きなおばさんだ。

 「そう、かな……」とぼそりと呟く朔也の表情はまだ懸念が消えず不安そうではあるが、希望も持てたのか口元には小さな笑みが浮かんでいた。

 その顔に菫子はよしよしっと満足気に頷くと、続けてもう一つの懸念についても口にする。


「それに、橘さまは十分和樹さんの特別ですわ」


 唐突に特別だと断言する菫子に朔也は怪訝な顔を向けられるが、心配はいらないとばかりに得意気な笑みを返した。


「だって、和樹さんの初めての友達は橘さまではありませんか」


 ――それってとても特別なことだと思いません?


 諭すように優しい声色で言うと、朔也は意表をつかれたように目を丸くした。少し間抜けなその顔に菫子はくすくすと可笑しそうに笑う。

 あんなに仲が良いというのに、何を心配しているのか。確かに和樹と菫子が一緒にいることは多いが、その倍以上は朔也といるのに。

 何も気にする必要などないのだと、菫子は此処ぞとばかりに畳み掛ける。


「心配しなくても、和樹さんは橘さまのこと大好きだと思いますわ」

「え、だっ」

「わたくしに橘さまの話をする時は、とても楽しそうに喋ってくれますし」

「うぅ、えっと」

「男女の友情より、男の友情は固いと言いますし」

「ちょっ」

「気になるようでしたら、和樹さんにも自分の気持ちを伝えてはどうですか?」

「い、いや! それは、いいや!」


 口をはさむ余地など与えず一方的に(まく)し立てると、さすがに恥ずかしかったのか朔也は直ぐさま菫子の提案を断って黙り込んでしまった。

 朔也の様子に少しやりすぎたかなと反省するものの、大好きは言い過ぎだがこれくらいなら許容範囲だろうと勝手に開き直る菫子。誇張したのが和樹にバレて怒られるのは、もう少し先の未来の話。



 朔也ルートの死亡フラグもこれで少しは安心かな、と満足した菫子はすっかりリラックスムードでソファーに身を預けていると、隣の朔也が何か言いた気にそわそわしているのに気が付いた。


「どうかしましたか?」

「……えっと、あのさ……今の話、だけど……」

「あぁ、大丈夫です。今日のことは誰にも言いませんわ」


 言い淀む朔也の心理に気づき、菫子は安心させるように微笑みかけた。

 己の心の内を晒したことや、女の子に泣かれたところを見られたのは、やはり子供でも恥ずかしいことだろう。誰にも言わないと約束すればほっとしたように朔也の頬が緩んだ。


 何とも和やかな雰囲気になったその時、菫子ははっとある事を思いつき、朔也に気づかれぬようニヤリと不適笑った。

 そして「もちろん――」と今日一の明るい声を朔也に投げかけた。


「鼻水垂らして泣いていたこと()言いませんのでご安心を」


 今までの仕返しだとばかりに、人差し指を唇に当てていたずらっぽく笑った。

 一瞬キョトンとした朔也だが、見る見るうちにその顔はりんごのように真っ赤に染まる。熱のせいとは違うその色に、悪戯が成功したと内心ほくそ笑んだ菫子は実に大人げない。


「……僕、やっぱり菫子ちゃん嫌いだな」

「あら、それは残念ですわ」


 嫌悪感たっぷりに言い放たれた『嫌い』という言葉。あの日と同じ言葉なのに、それは温かくてどこかくすぐったくも感じるものだった。





◇◆◇





「もう平気なのか?」


 結局菫子は放課後まで保健室でダラダラ過ごし、「いい加減帰れ」と西條に追い出されて教室に向かっていると廊下で和樹と鉢合わせた。朝とは違い心底心配そうに顔を覗き込まれるが、朔也とのやり取りの後では妙に照れくさく感じ、素早く一歩下がって笑いかける。


「はい。少し寝不足だったみたいで」

「……はぁ。人騒がせなやつ」


 あはは、とばつが悪そうに笑う菫子に和樹はため息を吐くが、最後に見た時より大分良い顔色に安心したのか、その顔には笑みが浮かんでいた。

 手短に話を終わらせ「ではまた明日」と去ろうとした時、うしろから「あ、いたいたー」と間延びした声が聞こえ足を止める。

 聞き覚えのありすぎる声に二人揃って振り返ると、菫子より前に医務室を出た朔也が手を振って立っていた。


「和樹久しぶりー」

「朔也……お前も風邪はもう平気なのか?」

「まだちょっと熱あるけど、もう大丈夫だよ」


 「あとは帰るだけだし」と笑っている朔也の姿は、先ほどまで泣いていたとは思えないほどいつも通りだ。

 和樹と朔也。隣り合う二人の様子からは、遠い未来でも笑っている姿が容易に想像することが出来た。

 子供の成長を楽しみにするおばさんのような気分で微笑ましく二人を観察していた菫子だが、「あ、そうだ」と何かを思い出してくるりと振り返った朔也の笑顔に、嫌な予感が過った。


 まだ何か言いたいことでもあるのかと菫子は身構えるが、朔也は笑顔を浮かべたまますれ違いざま耳元でそっと囁いた。


 その笑顔は、以前のような食えない笑みで――




「和樹と菫子ちゃんが婚約者だって噂ね




 流したの僕なんだ」




「…………は!?」



 朔也の告白にたっぷり間を空け、言葉を理解した瞬間ばっと振り返った菫子だが、当の人物は「じゃーねー」と今までにない満面の笑みで走り去ったあとだった。

 朔也の言葉がぐるぐると頭を駆け巡る菫子はわなわなと震え、やっぱり手助けするんじゃなかった! と数時間前のことを後悔して「どういうことですか!?」と猫かぶりを投げ捨てて全速力でそのうしろ姿を追いかけた。

 その様は、今まで医務室で寝ていた者達とは思えぬほどの元気っぷりだったという。


 置き去りになった和樹は「いつの間に仲良くなったんだ?」と不思議そうにしながらも、少し嬉しそうな顔で見当違いなことを言っていた。




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