レッスン
「はい、ワン・トゥー・スリー、ワン・トゥー・スリー」
「う、うぅ……」
華やかな音楽が流れるとある一室。
手拍子でリズムを取る女性の視線の先には、菫子と和樹が手を取り合い音に合わせて踊っていた。
和樹は菫子をリードしながら慣れた様子で踊っている。それ対し菫子はというと、下を向きたどたどしく足を動かしていた。
「菫子ちゃん、もっと足を動かして」
「はっはい」
「菫子、足そっちじゃない」
「あぅ、ご、ごめんなさい」
「――はい。じゃあ今日はここまで」
その声と共に音楽が止まると、菫子ははしたなくもその場にへたり込んだ。肩で息をしながら、今さらながらダンスを習おうとしたことを後悔していた。
学校も夏休みに入って本格的に暇を持て余した菫子は、和樹の母、楓にダンスレッスンを受けないかと誘いを受けたのだ。以前の和樹との会話を聞いたようで、「なら、和樹と同じダンス教室に通えばいいわ」と半ば強引に連れて来られ、今に至る。
そして基本動作を教わって試しに和樹とペアで踊ってみたところ、案の定悲惨な結果となった。
前世ではフォークダンスくらいしか経験のない菫子にとって、簡単なワルツでも高難度な壁として立ちふさがる。初めてだから仕方ないと思いながらも、目の前の少年が完璧に踊る様を見るとどうも悔しい。主に大人(精神年齢)としてのプライドが傷つけられる。
汗を流す菫子に、元凶の和樹がパサッと頭にタオルを乗せて隣に立った。
「大丈夫か?」
「つ、疲れました……」
「いつもなら今の三倍は練習しているぞ」
「さ、三倍っ……」
すでにこんな汗だくなのに! 日々の運動不足を改めて痛感させられる。
がっくり落ち込む菫子にダンスの先生が近づくと、少し困ったように笑った。
「初めてだもの、仕方ないわ。これからたくさん練習しましょうね」
「……はい」
「じゃあ菫子ちゃんはこのまま休んでもらって……和樹くんは他の子ともう一曲踊りましょうか」
「分かりました」
先生の言葉に和樹はタオルを菫子に預け、少し離れたところにいる子供のグループに混ざっていく。しばらくすると再び音楽が流れ、何人かの子供たちがペアとなって踊り始めた。
その様子を邪魔にならないよう隅に移動して、菫子はぼんやりと眺めていた。
(やっぱり絵になるなー)
和樹と踊っているのは、同い年の可愛らしい女の子。どちらも上手く、優雅さすら漂っている。子供同士で踊っているのにお遊戯会に見えないとは。何となくムカついた菫子は、和樹のタオルをぺしっと床に投げつけた。
しかも女の子の方は頬を染めていて、明らかに和樹に気があるのが見て取れる。対して顔色一つ変えない和樹に、女の子への同情を隠しえない。
(そういえば……ゲームでもヒロインとダンスを踊るスチルがあったっけ)
学園主催のパーティで手を取り合い微笑みあう二人。着飾った二人はどこぞの王子様とお姫様のようで、その姿に前世の姉がテンションを上げていたのを思い出す。
もちろんそんな場面でも邪魔者は登場し、会場を引っ掻き回して強制退場させられる。そのあたりから菫子の転落が始まった。大勢の前での醜態を晒し、婚約者から軽蔑の視線を向けられるその姿は、どこまでも無様で滑稽。
絶対にああはなりたくない。菫子は改めて悪役回避の道を決意した。
そんな事を考えているうちに音楽が止まり、菫子は意識をゲームから現実に戻した。ふと時計を見ると針はちょうど正午を指しており、レッスン終了の時間を示している。
先生も時計を一瞥し、集合の声をかけて生徒に二、三言話すと、そのまま今日のレッスンは終了した。
疲れてへとへとな菫子がゆっくり着替えを終え更衣室を出ると、和樹が仁王立ちで待ち構えていた。
「遅い」
「……女の子は準備に時間がかかるものですわ」
「車が来たから早く行くぞ」
「……はーい」
さっさと前を歩く和樹にため息を吐きながら付いて行く。相変わらず横暴だが、ちゃんと待っていてくれるだけ優しい。ちなみにこの後は二人の母親も交えて食事をするため、否応なしに帰りは和樹と一緒なのだ。
ここでも学園と変わらず多くの視線を受ける中教室を出ようとする和樹に、先ほど和樹と踊った女の子が声をかけてきた。
「あ、あの、鷹ノ宮さま」
「何だ?」
「えっと……その……」
顔を真っ赤に染めてもじもじしながら言い淀む女の子。少しうしろには、母親らしき人物が固唾を呑んでその様子を見守っている。初々しい娘と必死な母親のギャップがなんとも言えない。
ぎゅっと手を握りしめた女の子は、意を決したように顔を上げてしっかりと和樹を見つめた。
「も、もしよければ、今日、ここに一緒に行きませんかっ?」
そう言って女の子が差し出したのは、菫子も行く予定がある人気の観劇のチケット。
これはもちろん、子供ながらもデートのお誘いだ。菫子は目の前で繰り広げられるラブコメもどきに目を輝かせる。女の子はこの種のネタは大好物だ。
そんな女の子の前に立つ和樹は、ちらりと見た菫子の楽しそうな笑顔に少し眉を顰めた。しかしすぐに視線を戻すと、あっさりと女の子の申し出を断った。
「今日は用事があるから」
「そ、そう、ですか……」
目に見えて落ち込む女の子に和樹は「じゃあまたな」とだけ言って背を向けて歩き出す。
菫子は和樹のうしろに付いて行きながらこっそり振り返ると、少女が母親に慰められている光景が目に入った。少し申し訳ない気持ちになるが、視線に気が付いた母親にぎっと睨みつけられ、慌てて前を向いて和樹の後を追い誤魔化すように話しかけた。
「あの、いいのですか?」
「前に一回行ったからいいだろう」
「えっ、行ったんですか?」
「……なんで驚くんだよ」
あの和樹がまさか女の子の誘いに乗るとは。「前は母さんも一緒で食事しただけだけど」と何事もないように話すが、それでも少し前なら一、二もなく断っていただろう。和樹の変化に目を丸くする菫子に、少しばつの悪そうな顔をしてぼそりと呟いた。
「……お前が言ったんだろ」
前を歩く和樹の顔は見えないが、少し赤くなった耳が髪の間から覗く。
――あぁ。ちゃんと良い方に変わっている。
菫子は思わず笑みを浮かべ、足取り軽く和樹の背を追った。
教室の前で待機していた鷹ノ宮家の車に乗せられ、疲労でうとうとしているうちに鷹ノ宮邸に到着した。
桐島邸も十分に大きいが、鷹ノ宮邸はそれの二倍以上はあるだろうか。案内されるがまま家に入れば、沢山の使用人に出迎えられる。菫子はその光景に若干たじろぎながらも和樹に付いてリビングに入れば、二人の母親が食事の準備を終えて待っていた。
「お帰りなさい、菫子、和樹くん」
「二人ともお疲れ様。お腹空いたでしょ? さぁ、早く食べましょう」
招かれるまま席に着き、食事か始まる。
豪華で美味しい料理に舌鼓しながら、話題は先ほどまでのダンスレッスン。悲惨だった様をそのままを伝える和樹に、頬を膨らませて恨めしい視線を送る菫子。そんな仲睦まじい子供達を見て、満足そうに微笑む母親たち。菫子以外には穏やかで楽しい食事の時間となった。
食後、母親たちは大人のティータイムを楽しむからと菫子達を追い出した。見え透いた思惑に、慣れた二人はニヤニヤしている母親を視界に入れずリビングから出る。廊下ですれ違う使用人の生暖かい視線は勘違いだと言い聞かせ、和樹の部屋へと急いだ。
ようやく辿り着いた和樹の部屋で、運ばれてきたジュースを飲んでほっと一息つく。菫子が何となしに部屋を見回していると、和樹が頬杖をついてじっとこちらを見つめていた。
「……」
「な、なんでしょうか?」
観察するようなその視線に引き攣った顔をする菫子に、表情一つ変えず和樹は何かを確かめるように話し出す。
「菫子、今日転んだ回数は?」
「……ろ、六回……」
「俺の足を踏んだ回数は?」
「…………じゅ、十回……」
「十五回だよ」
律儀に覚えてやがるこの男。菫子はむっと唇を尖らせて内心で悪態をつく。
それを見て和樹は意地悪そうに笑いながら、菫子も見ないようにしていた事実を口にした。
「前から思っていたけど、体力というか運動神経がないよな」
自分でも薄々感じていたそれを指摘され、誤魔化そうと視線をすいっと逸らす。
「……そ、そんなことありませんわ」
「そんなことでサマーパーティー出られるのか?」
嘲るようなその言葉に、菫子は今度こそ「うぐっ」と言葉を詰まらせた。
そう。菫子がダンスを習おうと思ったのは、サマーパーティーがあるからだった。
サマーパーティー。
花之宮学園主催で行われるパーティーの内の一つ。美味しい料理を食べたり色んな生徒と交流するだけでなく、ダンスなど日々の教養の披露する場でもある人気行事だ。基本自由参加だが、夏休み中の開催にも関わらず多くの生徒が参加する。
学園に通ってから初めてのパーティー。もちろん菫子も兄弟と参加するのだが、そうなると確実に椿とは踊ることになる。下手なダンスを披露したくないというのもあるが、自分はもとより兄弟に恥をかかせるわけにはいかない。そう思い、ダンスを習おうと決意したのだが。
パーティーまでは幾日もない。
そのことにがっくりと落ち込む様子を見て、和樹は仕方ないなと立ち上がり菫子の前に立つ。怪訝そうな視線にニヤリと口角を上げると、すっと手を差し伸べた。
「ほら」
「……なんですか?」
差し出された手を見つめ首を傾げる。そんな菫子の様子に、和樹は得意気に笑う。
まるでこれは、立場は逆だがあの日の再現のようだった。
「仕方ないから俺が教えてやる」
「和樹さんがですか?」
「あぁ。ほら、練習しないと上手くならないぞ」
「え、――きゃあっ」
和樹は菫子の手を掴んで無理やり立たせる。小さく悲鳴を上げ転びそうになる身体を難なく抱き留め、ダンスの姿勢を取った。
「まずはしっかりステップを覚えろ」
こうして、本日二度目のダンスレッスンが無理やり始められた。
最初こそ強引ではあったが、意外にも和樹の教え方は丁寧で分かりやすい。これなら少しは上達するかも、と思ったが――
「ここでツーステップ」
「こ、こうですか?」
「そう。次はターン」
「……ターン」
「それ逆」
「うぅっ」
菫子は忘れていた。
和樹は天才であるが、努力家でもあるということを。
自分にも厳しい彼は、もちろん他人にも厳しかった。
「ここはそうじゃない」
「は、はい」
「もう少し早く」
「……はい」
「よし。じゃあもう一回最初からな」
「…………はい」
好意で教えてくれているため、もうやめてくれとも言い出せず。
結局和樹のスパルタレッスンは葵が迎えに来るまで続けられた。
もちろん、次の日菫子は一日中筋肉痛で寝込むことになるのだった。
ダンス知識はないので、何を踊っているかはご想像にお任せします。




