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第一章 乙女は誰が為に泣く

 はるか昔。

 ひとと獣のたまを統べ、あめつちの声を聞く者がいた。

 それは、神に近しく仕える者。

 崇めよ、畏れよ。

 

 これは、アレカンドラ大陸に伝わる古い古い伝承歌。

 人と動物と、多様な異形の種が生きるこの地でも、今や人々の暮らしは文明に支えられ歌の中の人ならざる力を持つ者の存在は物語や信仰の中だけのものとなった。

 それでも今もなお残るこの歌が、どれほどの年月を歌い継がれたのか。

 それは誰も知らないーーー。



 剣の交差する音が広い園庭に響く。

 緑の芝が広がる一角に設けられた専用の鍛錬場には、筋骨隆々の武官らしき男と、対照的にすらりと手足が伸びた長身の少年が打ち合っていた。

 武官の男が打ち込んだ剣を、青年は軽々と弾き返す。その反動で隙が出来たところに少年の剣は武官の首元に突きつけられた。

「参りましてございます」

 武官は汗を流しながら一歩下がり、頭を下げた。

 少年は剣を下げて端正な顔に笑みを浮かべた。短く切った艶やかな黒髪が風にそよぐ。

 手合わせの様子をこっそり見ていた城の女達は、思わず溜め息を漏らした。

 今年18歳になるその少年、アレカンドラ大陸にある小国の一つ、セル・ウェン王国第二王子デュイトレンは、城の女達からは密かに月星石の君と呼ばれていた。月星石とは、夜色の石の中に小さな光が煌めく大陸産の希少な宝石である。

 いかにもきかん気で凛とした光をたたえた宝石のような瞳は、見る者を釘付けにする。独特の近寄りがたい空気を纏うが、剣を好み兵に混じって鍛錬する姿や意外にもやんちゃな性格は人を惹き付けた。

「ひと雨くるかも知れないな。今日は終わりだ、ご苦労だった」

 デュイトレンは空を見上げて言った。 

 その日、王都ワイアを薄く覆っていた灰色の雲は、夜になって堪えきれずに細い雨を降らせ始めた。それでもうっすらと差す月明かりが、糸雨を金色に照らしている。

 セル・ウェン王国では、そのどこか幻想的な月夜の雨を、乙女の涙と呼んでいた。

「乙女も、わざわざこのような日に泣かずとも良いだろうに」 

 涙の雫に濡れる王都の南端にそびえる王の居城、ウォンベル城の一室でデュイトレンは雨を咎めるように呟く。峻厳な物言いとはやや裏腹に、形の良い唇をこどものようにとがらせ窓から天を仰いだ。

 デュイトレンは、星のような瞳で天を睨んだまま、城の最上階で行われている筈の儀式を思った。

 今宵、城の祭礼の間では、セル・ウェン王国第一王子エレクバーンの継承の儀が執り行われていた。

 セル・ウェン王国の王族は、遥か昔アレカンドラ大陸で「神の側近」と呼ばれた一族の末裔であるとされている。

 類いまれなる叡智と人ならざる力を持ち、人々を導いたと言い伝わる一族は、やがて支配を望む者と共存を望む者とに袂を分かち、更に、大河の流れが支流になるにつれ細るように血筋が枝分かれし薄くなり力も弱まっていったという。

 セル・ウェン王家に伝わる国史には、最初に支配者を望み分かれた者達が興した国が滅んで、八百年が経つとある。

 今や唯一の血を受け継ぐというセル・ウェン王家は、次期王位継承者が25歳になると「神の側近の力」を国王より継承するしきたりがあり、エレクバーンの25回目の生誕日が今日なのだった。

 力と呼ばれるものがどのようなものなのか、それは王族と言えど代々の王とごく限られた者しか知る事は出来ない。

 デュイトレンは、こどもの頃は力が何なのか知りたいと思ってたまらなかった。

 やがて知る事が出来る兄を羨ましがったりもしたが、今は、力などとは王家の為に神話化された作り話だとさえ思っていた。それよりも、敬愛する賢く優しい兄が、今日正式に次期国王になることが心から嬉しい。

 兄上なら素晴らしい国王になれる。

 止まない乙女の涙の音を聞きながら、兄の継承の儀が終わるのを待っていた。

 その時。

「ゴアアアアアッ!!!!」

 突然、咆哮とも悲鳴ともつかない、この世のものとは思えない音が城を揺らした。

「何だ!?」

 身体の中まで引き裂くようなその音をかろうじて堪えながら、窓を開け放ち、音の方向ーー城の上階を見上げたデュイトレンは、思わず息を呑んだ。

 糸雨の中、恐ろしいほど青い炎が、渦を巻き城の上空を覆っていた。

「あれは一体…!?」

 上空を覆った炎は、まるで生きているかのようにくるりと帯状になり、次の瞬間、流星の如く東の方角へと飛び去った。

 あまりの禍々しさに、炎が消え去る一瞬の間動けなかったデュイトレンは、すぐに我に返り剣を取って上階へ向かった。儀式で何かあったのでは!?

 混乱の様相の城内を抜け、祭礼の間がある最上階までの長い階段を一気に駆け昇った。

 祭礼の間への扉は固く閉ざされ、その前には儀礼の衣裳を纏った臣下が立っていた。

「ヘルザック!何があった!あの炎は?兄上や…父上は無事なのか!?」

 ヘルザックと呼ばれた痩躯の男は、陰気な目を更に暗くし、デュイトレンに告げた。

「…殿下、たった今、エレクバーン様が…。…ご逝去されました」

「な…」

 思ってもみない言葉に、デュイトレンは言葉を繋ぐ事が出来なかった。 

 上空を包んだ禍々しい炎の光景が蘇る。

「何と言った?」

「エレクバーン様は、儀の最中奇禍に遭われ、お命を落とされました」

 呼吸の仕方を忘れてしまったかのように、うまく息が出来ない。

 何事にも常に完璧だったあの兄上が儀式の最中に死ぬなど、そんな筈がある訳がない。

「…馬鹿な事を!…どけ、自分で…確かめる!」

「なりません。何人たりとも…殿下とて中には入れません。お堪え下さい」

「私に命令するな!宰相とて許さん!貴様の言葉だけで兄上が死んだと信じられると思うのか!!…どけ斬るぞ!」

「私を斬ってお心が済むのならどうぞお斬り下さい。しかしこれは国王陛下のご命令です。どうかご自分の居室にてお待ち下さい」

「…な…に…」

 滅多に言葉を交わす事のない父王の姿が浮かぶ。

「陛下のお嘆きを…ご心中をお察し下さい、殿下」

 ヘルザックは、表情の無い暗い闇をたたえた目でデュイトレンを見据えたまま言った。

 その目にすら何も映っていないようだった。

 歴史に残る賢王となる筈だった兄の姿が浮かんでは、消えていく。

 兄の死にあの炎は関りがあるのか。 

 一体何があったというのだ…。

「…誰が…儀の失敗を、エレクバーン様が命を落とされるなどと予想出来たでしょう…」

「黙れ!黙れ!黙れ!……嘘だ…!!」

 デュイトレンは、その場に崩れ落ちた。

 あの不気味な音が、身体中に渦巻いているようだった。



拙い作品ですが読んで頂いて有難うございます。

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