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0系と少女の夢

作者: 寛 忠

 鉄道車両の製造工場の片隅に、一台の電車が留め置かれていた。東海道山陽新幹線を最初に走った0系新幹線電車。その特徴的な先頭部分である。彼もこの工場で造られた一台である。

 当時、時速200キロを誇り世界から注目を浴びた。しかし、2階建て車両の100系や初代のぞみ300系、鼻先が長い500系、そして最新鋭の700系等が出てくると、古くて遅いと言われ、各駅停車の「こだま」として細々と走り、駅に止まる度に追い抜かれる日々を過ごした。そして1999年に東海道新幹線、2008年に山陽新幹線から姿を消し、仲間たちは鉄屑にされた。彼は運良く、この工場に引き取られた。

 彼は入口から離れた所にいるので、普段は工場の関係者でないと近付けない。それでも中に入ろうとしたり、望遠レンズを使って写真を撮ろうとするマナーの悪いファンが来るようになり、その度に追い払うのに苦労していた。

「こらこら、写真を撮るのはやめなさい!」

「チェッ。ケチ!」

 この事態に工場長もお手上げだった。

「いやぁ、君がここに来てからこの通りだ。まだまだ君の人気は高そうだね。まあ、ゆっくり休みな」

“ゆっくり休む”と言っても、二度と走れないとでも言うのに休めは無いだろう。工場長は彼が長いこと走ってきたことを労らって言ったことだが、彼はまだ走りたいと思っていた。ただし、今となっては、どうすることもできなかった。


(はぁ、つまんないなぁ)

 夜遅く、工場は閉められた後、0系は独りぼっちだった。独り寂しい夜は、いつも自分が「ひかり」号として線路の上を走っていた時のことを思い出していた。やがて各駅停車の「こだま」だけになったことも思い出し、寂しさを紛らわすことはできなかった。

 そんなある日、工場に笑い声が聞こえた。しかもこちらに近付いてくる。

(おかしいな。工場は閉まってるはずだぞ)

 工場の出入り口には警備がいて、常に監視があり、勝手には入れないようになっている。

 0系の前に姿を表したのは、小学校中学年くらいの女の子だった。

「こんばんはっ!」

「こ、こんばんは。ってダメじゃないか!こんな夜遅くに外を出歩いてちゃ。親が心配するよ」

 少女は首をうなだれて話した。

「今ね、家にお父さんもお母さんもいないの。だからつまんないから外に出ちゃった」

「共働きなんだね。それじゃあ、なかなか家で会わないから寂しいか。ところで、どうやって入って来たのかな?」

 少女は正門がある方向を指差した。

「あそこからだよ」

「あそこに警備のおじさんがいるんだけど、止められなかったの?」

「おじさん、寝てたよ!」

 0系は明日にでも工場長に告げ口しようと思った。

「君、名前は何て言うの?」

「私?のぞみ。新幹線ののぞみから取ったってお父さんから聞いたの」

「のぞみちゃんか……。いい名前だね」

 その名は0系にとって聞きたくない名前だった。一度もなったこともない種別だったからだ。のぞみは0系の鼻に触れた。

「かわいいお鼻してるのね。こんなに近くで見たの初めて!」

「オイオイ、そんなに触らないでよ」

のぞみには夢があった。

「私ね、新幹線の運転士になりたいの」

「へぇ、女の子が電車を運転したいって珍しいね。でも、僕は運転できないから残念だね」

「うん、0系運転したかったなぁ」

「新幹線を運転したいなら、新幹線のことを知っておかないとね。僕が教えてあげるよ」

 0系はのぞみに、新幹線の基礎知識を話した。新幹線の計画はいつからあったとか、なぜ新幹線が200キロ以上の速さで走れるのかなど、必要なことは全てのぞみに話したが、彼女は黙ってそれを聞いていた。

「難しくなかったかな?」

「ううん、すっごく分かりやすかった!」

「ああ・・・そりゃ良かった」

「ねぇ、0系くんの夢は何?」

 0系は突然の質問に戸惑った。

「夢・・・って言われても、もう走ることはできないし、どうせ・・・」

「ふさぎ込んじゃダメ!何かひとつはあるでしょ?何でもいいから言って!」

「もう一度、線路の上を、走ってみたいんだ・・・。でも、もうこんなんじゃ無理だよね」

 すると、のぞみは意外なことを口にした。

「できるわよ」

「えっ?」

「私があなたをもう一度走らせてあげる!」

「な、何言ってるんだよ。僕は見ての通り、後ろがないだろ?しかも線路が通ってないし、電気もない。こんな状態で走れるわけがないよ」

 それでものぞみは、0系の正面にまわり、笑顔で答えた。

「大丈夫、私に任せて!」

 0系は嘘くさいと思いながらも、のぞみの言うことを聞くことにした。

「じゃあ、目を閉じて、私が3つ数えるから、いいよと言うまで、絶対開けちゃダメなんだからね」

「わ、分かったよ……」

 0系は目をギュッと閉じ、見えないようにした。

「3・2・1……」

 0系は3つ数を数えた。

「もういいかい?」

「もういいよぉ!」

 のぞみの声が遠くから聞こえた。0系は恐る恐る目を開けた。すると、意外な光景が目の前に広がった。

「うわぁ!」

 0系が目にしたのは、東京駅の新幹線ホームだった。もちろん線路が続いている。

「あの子を信じてよかった。あれっ?のぞみちゃんは、どこ行ったんだろう」

 0系が見られる範囲に、のぞみの姿はなかった。すると、ホームの階段を駆け上がる足音が聞こえた。その足音は確実に0系に近づいてくる。

「あれっ?君は……」

 0系の前に制服を着た女性が現れた。

「ふぅーっ、お待たせっ!」

「あの、どちら様で?」

「えっ?もう忘れたの?ひどぉい!ちゃんと覚えてよね!のぞみよ、のぞみ!」

「ああ、のぞみちゃんだったね・・・」

 0系は女性がのぞみであることを信じられずにいた。

「ってことは、のぞみちゃん、僕を運転するんだ」

「そうよ!ここまで来るのに大変だったんだからね。さぁ、発車まで時間ないから準備するわね」

 0系は、ここであることに気が付いた。

(あれっ?のぞみちゃん、足元が変だぞ……)

 0系の疑問をよそに、のぞみは0系の乗務員室の扉を開け、運転席に座った。室内に広がる計器類に異常がないかも確認していった。

「僕って、どうかな?」

「完璧よ!異常ないわ」


 発車のベルが鳴り響く。車内に緊張が走り、マスコンレバー(自動車のアクセルペダルに相当)を握る手にも力が入る。0系のドアが閉じられた。のぞみが運転を担当する「ひかり号新大阪行き」は、発車の時を迎えた。

「信号70、戸閉め点、時刻よし、発車!」

 のぞみは大きい声を発した後、マスコンを手前に引いた。車輪に力が加わり、ゆっくりと前へ進む。

「うわっ!本当に動いてる!」

 0系は久し振りに自分が線路の上を走っていることが信じられずにいた。しかし、東京を出たばかりではまだ、線路にカーブが多く速度は早く出せずにいた。

「うーん、もっと早く出したいなぁ」

「だめよ、新横浜を発車するまで我慢して!」

 運転中はATC(自動列車制御装置)が示す速度以上は出せない。それ以上の速度が出ていたら減速がかかるようになっている。

 0系は新横浜駅に停車した。ATCによって速度が落とされるが、これで停車するわけではないので、最後は運転士のブレーキハンドルの操作で停車位置に止めていく。0系は、のぞみの巧みなハンドルさばきで衝撃を受けることなく、停止位置に止まった。

「ふう、やっぱり止める時が一番緊張するのよね」

 新横浜駅でお客をさらに乗せると、発車時刻になった。のぞみはマスコンを引いて0系を発車させた。しばらくしてATCが切り替わったことを示すベルが1回鳴り、速度表示が変わった。

「信号210!」

 のぞみはマスコンをさらに手前に引いた。0系は自分の最高速度、210キロへ加速した。

「どう?0系君、久し振りに走ってみて」

「そうそう、これだよこれ。これでこそ走ってるって思うんだよ」

「フフッ、良かった!」

 0系はのぞみの運転で順調に進路を西へ進めていた。富士山を右に見て浜名湖を越え、次の停車駅は名古屋駅。その間も、加速や減速の操作で、のぞみは忙しかった。

「もう、前の電車が遅れるとすぐ響くから嫌なのよね」

「しょうがないよ。この線路の上にはたくさんの電車が行き交ってるからね」

 もうすぐ名古屋駅が近づいてきた。ATCにより速度が下がり、また車内に緊張が走った。

「停車場接近。名古屋停車……」

 0系はゆっくりと名古屋駅のホームに滑り込んだ。のぞみもブレーキ操作で速度を落とし、停止位置にこれまた停車させた。

「名古屋、停車。定着」

「すごい!君、けっこうやるんだね」

「べ、別に、これはできて当然なんだからねっ!少しでもズレたりしたら許さないんだからっ!」

 のぞみは顔を赤くした。

(まぁ、ほとんどの運転士はかなりドキドキしてるんだよね)


 名古屋を出ると、残りの停車駅は京都と新大阪。運転も終わりが見えてきた。

「あと二駅だね。ここまで良く頑張ったよ」

「まだよ。終点まで運転するまでは気が抜けないのよ。でも・・・」

「でも?どうかしたの?」

「ううん、何でもない。最後まで気を引き締めなきゃ!」

「そうだね!」

 0系は、のぞみが何を言おうとしたのか。この時は分からなかった。

 

 京都駅を発車し、残すは終点の新大阪駅。あと少しで運転が終わる。

「よし、新大阪に止まったらまた折り返して東京に戻るぞ……」

 0系は、異変に気付いた。

「あれっ?のぞみちゃん、のぞみちゃん?」

 運転席では、のぞみがうつむき、涙を流していた。

「のぞみちゃん!どうしたの?」

 のぞみの口から、衝撃的な言葉が放たれた。

「私・・・死んだの……」

「な、何言ってるんだよ。こうして新幹線の運転をしてるじゃないか!」

「見たでしょ?私のおかしなところ……」

「おかしなところって・・・あっ!まさか」

「そのまさかよ……」

 0系は東京駅を発車する前、のぞみが自分を点検している時に、足元がおかしかったのに気付いた。

「君、足が薄くなってたよね。ってことは・・・」

「そうよ、だから死んでるって言ってるじゃない!」

「のぞみちゃん、僕、君が言ってることが分からないよ」

「0系くん、今まで、本当の線路を走っているとでも思ってたの?これはね、あの世へ行くためのレールなの。その上を走るなんて誇らしいでしょ?今、0系くんの中にいるお客さんもね、私と一緒にあの世へ一緒に行くんだよ。もちろん、あなたも一緒よ。工場に置かれて、雨ざらしになって錆びるよりもずっと楽よ」

 0系は今、何が起こっているのかが分からずにいた。

「えっ?の、のぞみちゃん。何を言ってるの?もうすぐ終点の新大阪だよ。最後まで気を抜かずに運転しようよ。お客さんに迷惑を掛けるのだけはやめよう」

「だから、この線路はあの世に行くためのものって言ってるでしょ!私、本当に新幹線の運転士になりたかった・・・でもあのクルマのせいでメチャクチャにされたのよ。だからもう、引き返せないの。このままあの世へ行くしかないんだから!」

「のぞみちゃん・・・落ち着こうよ。まずはしっかり仕事を最後までしようよ」

 すると突然、車体が揺れ出した。0系は、激しい揺れに動揺した。目の前が明るく光り、近づくに連れて大きくなってきた。まるで異次元への入り口のようだ。

「うわあっ!今の何だ?」

「そろそろあの世の入り口ね。さぁ、行きましょう!生まれ変わって、今度こそ新幹線の運転士になるのよ!」

 のぞみは、マスコンを精一杯引いた。0系は速度を増して光に吸い込まれていった。明らかに最高時速250キロは超えている。

「うわあああああああああああ……・・・」


 それからどれくらいの時間が経過しただろうか。0系は目を覚ました。

「はっ!?もしかしてここ、天国?」

 0系は見える範囲で周りを見た。見えるのはいつもの鉄道工場である。

「はぁ・・・なんだ夢か。変な夢を見ちゃったなぁ」

 すると、工場長が0系に近づいてきた。

「おやおや、こんなに汚れてたか?よし、綺麗にしておくか!」

 工場長は0系の車体を水で洗い出した。

「なぁ聞いてくれ。今日はお前に会いたいって人が来るんだ。その人たち、すごく寂しいんだって。だから暖かく出迎えてやってくれ」

(僕に会いたい人って、誰だろう)

 しばらくして、工場に黒い服を着た男女の二人組が入ってきた。

(この人たち、なんで泣いてるんだろう)

 男性は写真を手にしていた。二人は0系の前に立つと、写真を向けた。

「ほら、のぞみ、お前が運転したかった0系だよ」

「新幹線を見ると、いつも喜んでたのにね。そんな笑顔も、もう見れないなんて・・・」

 0系は写真を見てみた。そこにはあの夜、工場に入ってきたのぞみの笑顔が写っていた。その瞬間、二人が誰であるかが分かった。

(この二人、のぞみちゃんとお父さんとお母さんなんだ!)

 のぞみは0系の前に姿を現す前、学校からの帰りの細い道を歩いていたところ、制限速度を超えて走ってきたクルマと接触し、帰らぬ人となってしまった。最近、このような事故が増え、幼い命が奪われていることを知った0系は悲しくなった。


「きっと、天国の新幹線を運転してるのでしょうね」

「もしかしたら、お婆ちゃんも乗ってるかもしれんなぁ」

 0系は、泣き崩れる二人に話しかけた。

「大丈夫ですよ。お父さん、お母さん。のぞみちゃんは、きっと天国でも新幹線を運転できますよ。だって、僕を天国まで運転できたんだから……」

 しかし、0系の声は二人に直接聞こえはしなかった。

「ねぇ、今、のぞみがきっと天国でも新幹線を運転できるって聞こえなかった?」

「いや、俺には何も聞こえなかったなぁ」

 二人は0系に背を向け、工場を後にした。

 なぜあの時、のぞみは0系に乗ってまで天国に行きたかったのだろうか。考えるとすれば、あの世へ行く前に夢を達成したかった他は、何も思い付かなかった。


 夏を迎え、鉄道ファンには待ちに待った工場見学会が開かれた。噂を聞きつけたファンたちのお目当てはもちろん0系に。車内も開けられ、瞬く間にごった返した。

「ほらほら、そんなに焦らなくてもいいじゃないか。時間はまだたっぷりあるんだよ」

 0系はこの時が一番嬉しかった。

 

 時間になり、工場は閉められた。先ほどまでの賑わいが嘘のように、工場の中は静まり返った。

(のぞみちゃんも、せっかくだから来れば良かったのにね)

 0系はそう思いながら空を見た。

「おーい!0系くん。私ね、今、天国の新幹線を運転してるの。だからそっちには行けなかったんだ。ごめんね。また遊びに行くからね・・・」

(そうか、そりゃしょうがないよね。僕はいつでも、君が来るのを待ってるよ!)

 0系は、のぞみが空から自分に微笑みながら呼び掛けられているように思った。


(終)

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― 新着の感想 ―
[一言] 最近は夢すら叶えられずに消えていく命があるという現実があるというのが悲しいですね。 0系ですか…。懐かしいです。今はリニア館で弟の100系と300系と一緒にのぞみちゃんを待っているのでしょ…
[良い点] 短いながら0系の視点に立ったストーリーはまるで小説よりも絵本を読んでいるかのような感覚で読みやすかったです。 私も小さい頃はそうだったように、いつまでも子供達の夢の憧れとしての新幹線であり…
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