第2話 料理上手は男に不自由しない?
私が料理に目覚めたのは、小学6年の頃だったと思う。
母が小学校4年生の時に病気で亡くなったが、
父が映画監督で多忙のため、祖母としばらく京都で暮らしたのだ。
祖母は京女で、その昔は売れっ子芸者だったそうで、
小料理屋をやっていた。
『レイコ、女はな、料理上手やったら、男に不自由せんのやで。』が口癖。
『お祖母ちゃん、それは、どうして?』
『男ハンは、美味しいもん作る女が好きなんや。多少ぶさいくでもかまへんの。ホンマは。』
『ふ~ん』
『さ、そこのお芋さん剥いてくれるか?タダ飯は食わさへんさかいな。』
『ハイ!お祖母ちゃん!』
まだ小学生の私に、男と女の事を教え、包丁の使い方まで教えてくれた祖母。
『レイコは筋がよいなあ。何でもちゃっちゃっと出来るんや。』
褒め上手な祖母に褒められたくて、私はずいぶん腕を磨いた。
レパートリーを広げた私は夕飯を作って、祖母と食べる毎日が楽しかった。
でも中学生に入学前に、父が私を迎えに来たのだ。
女の人と一緒だった。再婚するのだと言う。
大好きな祖母と別れたくなかったが、祖母は怒ったような顔をして
こう言う。
『レイコ、新しいママと仲良うやるんや。お祖母ちゃんにも
大人の事情があるさかいな。ごねられても困るんやで・・。』
そんなの、私を帰らせる方便と思っていたが、
祖母はその後店の客だった紳士と電撃結婚をして、今は元気にハワイに暮らしている。
ハワイでも小料理屋をやってるそうだ。
父の再婚相手は、売れない女優だった加世子さん。
ちょっと小太りで、見た目あか抜けない人なのだが、
妙な色気があった。
『先生がね、お前はもうこの先売れそうにないから、あとは脱ぐしかないが、
そんなプヨプヨ誰も見んぞ。俺のとこに来て家事でもしろ!』
と言われたのよと加世子さんはウフフと笑う。嬉しそうだった。
当時まだ28歳くらい、年の離れたお姉さんのよう。父は40歳だから
若い奥さんだ。
しかし家事はするのだが、料理だけは下手な加世子さん。
『先生がね、料理は黎子がやってくれるさっだって。』
『もう仕方ないなあ~。』
私はしぶしぶ台所に立つが、盛り付けがイマイチセンスのないのを
『黎子ちゃん、私が盛りつけくらいするわ。』と加世子さんがカバー。
意外にもセンスありで、同じメニューでも見違えるくらい美味しそうだった。
そして父が嬉しそうにビールを飲み、私が作って、加世子さんが盛り付けた
夕飯を食べるのが楽しかった。
後で聞いたが、加世子さんは子供が産めない身体だった。
『その分,不憫な黎子を可愛がってやってくれ。』と父は頼んだらしい。
その加世子さんは、今も私のよきパートナーで一緒に暮らしている。
(お祖母ちゃん、料理上手は男に不自由しないって言ってたじゃない。)
佐藤が去った後、そんな事を何となく思い出した。