本の紹介44『48億の妄想』筒井康隆/著
メディアの幻想に支配された社会を痛烈に描き出す風刺作品
48億という数字は本作が発行された1970年代の世界人口を指します。現在の世界人口は80億超となっているので、半世紀のうちに人類はその数を倍近くまで増やしていることになります。地球という住処の広さは変わらないのに大丈夫なのでしょうかね。きっとどこかで多大な無茶をしているのでしょう。
物語の舞台はテレビ全盛の時代、人々は毎日テレビに齧り付き、画面を通してもたらされる情報と刺激に踊らされる生活を送っています。
あらゆることがショーとして加工され、事件・事故や裁判、葬儀、そして戦争でさえも娯楽として人々を楽しませるものとなっています。ニュースなのかバラエティなのか分からないような番組やネット動画が氾濫する現代にも通じる話ですね。
人々はテレビに出演すること、注目を集めることを何よりも生き甲斐にしており、そういった人間心理の滑稽さ、そして不気味さはプロローグで端的に描写されています。
本作を象徴するガジェットはテレビ・アイと呼ばれる装置です。いわゆるテレビ・カメラのようなものなのですが、これが日本全国至る所に設置され、人々は常にカメラを意識して行動することになるのです。
このテレビ・アイが捉えた映像のうち、視聴者のウケが良いとテレビセンターが判断したものは全国に放送されることになっており、人々はあわよくば自分の姿を放送してもらおうと躍起になっています。そのため、常に演技をしているような、現実を生きていないような人間が溢れることになるのですが、そういった社会で巻き起こる奇妙な出来事をユーモラスに、そして時に鋭い筆致で描いたお話になります。
主人公はテレビ局に勤める番組ディレクターで、この社会では成功者に分類される人間です。視聴者を熱狂させる番組作りに血道を上げる、いわばメディア社会の価値観に染まった存在なのですが、とある出来事を契機にその価値観が揺らいでいきます。外務大臣の葬儀を中継している際、大臣の一人娘がカメラの前で笑顔を見せ、カメラのないところで号泣するという姿を目撃するのです。カメラに全く媚びることをしない人間との出会いが彼に衝撃を与えることになります。
ある種のディストピアを描いているのですが、これを他人事として笑うことが出来る読者はそういないのではないでしょうか。確かに、私たちの生きる社会において、テレビ・アイのような装置があからさまに設置されているところは少ないでしょう。しかし、私はそれに変わるものとしてスマホなどの情報端末をその手に忍ばせています。
自分で自分のことを発信することが常態化した社会というのは、本作で描かれるメディア至上主義社会をさらに先鋭化したもののようにも思えます。現実が小説よりもダメな方向に進んでいるとでも言いましょうか。
本作を現代版にリメイクしたらどうなるかなと少し考えましたが、本作で描かれる人間の滑稽さ、愚かしさは残念ながらそのまま今にも通じる内容であり、リメイクするまでもないと気がつきます。せいぜい、ガジェットがテレビからネットに変わるくらいでしょう。ガワの問題であり、本質的には何も変わりがありません。
選挙やら五輪大会やら、メディアがもたらす熱狂に夢中になる昨今だからこそ、本作の描く社会の恐ろしさを体感してみる価値があると感じるのです。終わり




