第8話 理想のヒーロー
「後ろを向いててやるから服を着終わったら教えな」
和樹はキザなセリフに微かに頷くと、嘉穂は静かにすすり泣きながらゆっくりと服を着始めた。暫くたった後、彼に恐る恐る声をかける。
「あ、あの」
「何だ?」
「その、き、着終わった…」
力なく言う嘉穂の方に再び身体を向けて和樹は一言言い放った。
「もう泣くなよ」
僅かに沈黙があった後、まだ涙目の嘉穂が口を開いた。
「あの」
「何だ、はっきり言え」
「その、助けてくれて、ありがと」
嘉穂は羞恥心からか目を彼からそらしながら言った。
「当たり前だろ、目の前に困ってる人がいたら助けるのはヒーローとして、いや、人間として当然だ。俺は人類史上初の魔法少年な訳だが、今の魔法少女たちの目指しているものには常々疑問を感じている。金銭や報酬、人間関係の損得を考えて行動しているなんて、ヒーロー失格さ」
「その、ごめんなさい。私も人間関係の損得しか考えてなくて…」
再び泣き出す嘉穂。
「今回の件で良く分かっただろ、私利私欲のためだけに動いている奴らがどれだけ怖いか。過去のことはもう仕方ないさ。反省する気持ちが少しでもあるなら、それを今後に生かしていけばいいんだ。」
和樹は颯爽と立ち去った。
その姿を見て、嘉穂は彼のことをとても格好良いと感じた。
数日後のことである。松下理恵は自宅に帰って何気なくテレビをつけた。見覚えのある顔がそこに映った。無意識のうちに彼女の顔が歪む。
「お姉ちゃん、どうしたの?」、妹の由奈が優しく声をかけてくる。
「ううん、何でもない。」
穏やかに返答する。外では威厳を示して恐れられている理恵だが、家では良い姉を演じていた。いや、家族のことは本当に心の底から大切だと思っている。だから、家では頼りにされる存在でありたい。笑顔を装いながら目の奥を鋭くしてテレビを見つめる。そこには憎い顔が映っている。西園寺和樹…人類史上初の魔法少年。将棋の盤面が映し出される。あらゆるボードゲームで最年少記録を更新し続ける若き天才少年、西園寺和樹六段と現在史上最強のAIと呼ばれるヘラクレスの対決。AIの評価値は39対61を示していた。和樹が最強のAI相手に苦戦を強いられている。だが、理恵にとって人間とAIどちらが勝つかなど興味はなかった。彼女は画面を見つめながら嫌らしい笑みを浮かべた。和樹が対局中、左胸の辺りを手で押さえていたのだ。何か深刻な病を抱えていることは、人間観察を最も得意とする理恵の目には明らかだった。彼女が、和樹があの後AI相手に信じられないような逆転勝ちを収めたのを知るのは翌日になってのことであった。