・第4話・「外出へ向けて」
日々は過ぎ、家の雑事に庭の畑と薬草園の手入れ、そこに貨幣の使い方などの一般常識の獲得、体術特訓が加わってから、早いもので一年が経過し、エルシャは10歳になった。
護身術として提案していた体術に関しては、年齢が幼く体が出来上がっていない事もあり、受け流しの技術取得と走り込みによる体力作りを主に行い、棘玉や煙玉などの小物も使って、立ち向かうのではなく迅速に逃げられるようにする、を目的として行っていた。
髪色の誤魔化しについては銀色だと言い張ることで決まり、合わせてお団子に結い上げて見える面積を減らしていく方向になった。
そして本日、メリアがフード部分が大きめのローブを近くの村の行商から買ってきた。
「サイズはどうだい?」
「ちょうどいいと思う!かかさま、ありがとう」
くるりとその場で回り、エルシャはメリアへ笑顔を向ける。
手始めに、といよいよ明日、エルシャは初めての人里への外出をすることになったのだ。現在の二人は、そのための服装と注意点の最終確認中であった。
目的地はメリアが時々買い出しに出向く村で、普通に歩けば家から半日ほどの距離にあるという。
ちなみにメリアが赴く時は身体強化の魔術を使って速度をあげているそうだ。日が昇りきってから出発し、落ちるまでの間にいつも帰ってきているのを知っていたので、思っていたよりも遠いのだな、とエルシャは独りごちる。
メリアがこれまでに薬屋のような立ち位置で築いてきた信用があり、養い子がいることのみ以前から知らせていた───まだ幼く体も強くないため連れて来られないと伝えていた───ため、とりあえず物は試しで向かう場所として選ばれたのだ。
「はい、復習さね。『なんでフードを被ってるのか?』と聞かれたら?」
「『陽に当たり過ぎるとしんどくなっちゃうの』」
「よし。……変に奇を衒い過ぎてもボロが出た時に困るからね。元々言っておいた体が強くない、てのと合わせて疑われるようなこともないだろう。まぁそもそも、あそこの連中はおおらかで気の良いやつが多いしね。根掘り葉掘り詮索してくるようなのはいないだろうさ。それにもしアンタが何か世間知らずな行動をしたとしても、世間知らずなのは事実だからね。『知らなかった』と言えばいいし、『教えてほしい』と言えば知る意欲があるってんできっと気前よく教えてくれるよ。そうすりゃ変に浮く事もないだろうさ」
「ん、わかった。頑張る……!」
気合い十分で握り拳をつくるエルシャの頭を、メリアは優しく撫でた。
「アンタの同年代は確か三人ほどいるはずだから、特にそこと交流できそうなら遊んでおいで」
「はーい!」
エルシャの元気な返事に頷き返しつつ、メリアは居住まいを正す。メリアの様子の変化を感じ、エルシャもピシッと背筋を伸ばした。
「最後に確認だ。アゼルのことは?」
「言わない。悟らせない。姿を見たら即被せる!」
「ん、そしてそうなったらすぐアタシのとこにおいでね」
エルシャがドヤ顔で掲げた大きな布をコンパクトに包んだ塊を見て、メリアは頷く。
今回の外出にあたって、メリアとエルシャは外の人間に対してどう対応するか、その対応の中で特にやってはいけない事が何かを共有する時間を何度か設けた。その中で、アゼルの存在は絶対に秘密にする、ということで落ち着いた。
何故かというと、その原因は大きく三つある。
一番目の理由として、死んだ人間を蘇生する力を有しているという点である。とは言ってもこれはそういった能力を持っている、というだけで見た目でわかるようなものではない。その上エルシャの両親は生き返らせられなかったという、何らかの条件付きの能力であろうと推測しているため、そこまで大問題ではない。
二つ目に、顔に常時貼り付けてある面と、常に薄らと纏う濃い灰色の靄が挙げられる。これは生物として異質であった。
大道芸人などが笑いを誘うようなデザインの面を被ることは珍しくない。メリアも見た事がある。
しかしアゼルの面は普通の生物が必要とするであろう目鼻口の穴もなく、さらに薄気味悪さを感じる何とも言えないデザインをしていた。そして常に貼り付け続けているのだ。
靄についても同様で、魔物が濁った紫の靄を纏うことはあるが、灰色の靄を纏う生物など見た事も聞いた事もない。しかし色と質は違えど、魔物が纏うモノに似通ったモノを纏っている、などと。
最早感心してしまうほど、どこをどう見ても怪しさしかない。異質過ぎる。
そして三つめにして一番の大問題。それがとある日の情報共有の中で発覚した。
アゼルはエルシャにしか姿を見せていない時があったのだ。
まさかとお互い確認したところ、メリアがアゼルを見た回数より、メリアの前でアゼルとやりとりした記憶があるエルシャが伝える回数のほうが、明らかに多かったのだ。
その後も意識的にメリアがエルシャの様子を確認した結果、独り言のような動きをしている時が何度かあり、そのどれもエルシャはアゼルとやりとりしていた、という事実がわかった。
出会った時に村人達がアゼルを認識できていなかったのには気付いていたが、保有する魔力量や体質的な部分で、物質体を持たない魔力の塊である精霊はその見え方が人によって異なる、という話があった。
メリアも精霊は見ることができないタイプだったので、その時はそういう類いの生物かと考えていた。エルシャの蘇生や髪色の変化などで、メリア自身が自覚していた以上に動揺しており、急いで村を離れたためにあまり考えられなかったせいもある。
しかしその後、アゼルが突然姿を見せたり、逆に忽然と消えたりする姿を見た。見てしまった。
そこで精霊とも違う生き物であると悟り、メリアは思わず天を仰いだ。
精霊は物質体こそ持たないが、精霊という個として確立されたらそこから変化することはほぼない。姿を消すのは、還る時だ。
自身の存在の認識を操るなど、どの生物でも聞いたことがない能力である。
そしてそこからさらに話を進めたところ、ただ消えたり現れたりするだけではないことがわかってしまった。
エルシャがメリアの前でアゼルと顔を合わせた回数と、メリアが認識していた回数が、一致しなかったのだ。まさかとその後改めて確認したところ、メリアが独り言と認識していた部分がアゼルとの会話であったと発覚した。
そう、違ったのだ。
アゼルは、自分を認識できる相手さえも選べる。
そんな芸当ができるなど、お伽噺でも聞いた事がない。そしてメリアの認識さえ外すアゼルが、外に出た際に周囲の他人へ自身の姿を認識させるかわからない。
そんな状態で存在とその能力を知られれば、アゼルの不気味とも言える外見がわからない者達は『自分達の目には見えないが、精霊に近い不思議なモノに守られている子ども』として、エルシャを担ぎ上げるかもしれない。
反対に姿を見せた場合は、『魔物に近い異形のモノが側にいる子ども』として迫害される恐れがある。
どう足掻いても最悪の展開しか予想できない。
話題に出すことさえ危険だ。
しかもアゼルが姿を見せる時に決まった何かはない───エルシャの危機を除く────ため、傾向は考えられても絶対はない。そしてエルシャが外出する、となった場合にアゼルがどのように、どこまでついていくか、それも未知数だ。
一応今回の外出は、その見極めのためでもある───ちなみに今回件の村を指定したのは、辺鄙なために何か見られたとしても情報が外に漏れず風化するだろうという打算から決まったのだった───。
外では姿を見せないように、とアゼルが姿を現した際に2人で何度も言い聞かせた。その内数度は頷きが返ってきたため、多少の協力は得られるようだが、それを全面的に信用するには不安がある。
しかし悩んで怖気付いていても事態が好転する訳でなし、と取り敢えずアゼルが姿を現した場合に上からすっぽり被せられる布を二人とも携帯することにした。さらにそれを目撃された場合に行う、相手の意識の撹乱と目くらまし用の魔術と道具も二人それぞれ用意した。切実に出番が来ないことを祈り、アゼルに頼むから自分で気を付けてくれと何度目になるかわからない念を送るメリアだった。
(…………胃が)
正直前途多難と言うしかない状況だが、これ以上先延ばしにして解決するとも思えない。そのため、メリアは今回の決行を決意した。時間も短時間としている。
だがしかし、思い切ったからといって心労が消えるわけではない。むしろ増している。
エルシャにバレないようにキリキリと痛む胃を押さえつつ、メリアは村での動きのシミュレーションを続けるのだった。
*****
夜。
エルシャは落ち着かない様子でベッドの上をコロコロ転がっていた。
「…………」
もう一回転し、クローゼットにかけた大きなフード付きのローブへ視線を向ける。
「……私、まだまだ子どもだなぁ」
そのローブが、エルシャを守る物であることを知っている。
身を守るための手段を得られるように、苦心したことも。
今回の村訪問を、根回しと下調べを充分に行った上で考えてくれたことも。
養母がエルシャのために行った事を、全てでなくともある程度察し、理解する程度の力がエルシャにはすでに備わっていた。
「……かか様、今日も疲れた顔してた」
エルシャは観察力もある。エルシャには隠しているつもりの───実際隠れている───苦労の大部分が、自分のせいである事を察する程度の頭も持っている。
「……かか様が、頑張ってくれてる。……おとうさんも、おかあさんも……頑張って、くれた。私は、助けてもらって、ここにいる」
また回転し、天井を見上げる。
「…………私は、……私が、できることって、なんだろう」
そう、メリアはもう少し、エルシャの精神面のケアをするべきだった。
自分『だけ』が生き返ったこと。
メリアが決めた事とはいえ、生き返った時の諸々で負担を強いてしまっていること。
それは無意識の内に、エルシャの中でしこりとなっていた。当然だ。早熟であるからこそ理解があり、その上でまだ10になったばかりの子どもなのだから。
私にしかできないことを、見つけなければ。
父の分まで、母の分まで、『良い人生』を送らなければ。
ずっと心の奥底で、エルシャ自身でさえ知らず知らずに存在していた思いが、形になってしまった。
そしてそれをどう解決するかで、頭を悩ませることになったのだ。
「〜〜〜……っよし、一回夜風にあたろう!」
上着を羽織って窓を開け放ち、窓枠を乗り越えて外に出る。メリアが庭の周りに巡らせている獣避けの鈴ギリギリのところまで走り、思いきり深呼吸をした。
「…………すぅぅ、はぁあ〜〜〜〜」
二回、三回と吸っては吐き、目を瞑って頬に当たる風に意識を集中する。
そよそよ
柔らかな月明かりと涼しい風に、徐々に気持ちが落ち着いていく。
何も解決はしていないが、悶々としていた先程よりは頭がスッキリした頃。
「……ふぅ。しまった、窓から出てきちゃったな。かか様にバレてないといいけど……」
衝動的にとんでも行動をしてしまった事に(バレてたらどうやって誤魔化そう)と思いつつ、踵を返し─────
ゾワッ
凄まじい悪寒を感じて、バッと振り向く。
目の前には、見た限りでは先程と変わらない真っ暗な森が広がっていたが……悪寒は止まない。エルシャは腕をさすって身震いしつつ、目を凝らす。
「だ、誰かいるの……?」
恐る恐る声をかけるが、暗闇から返事がくる事も、何かが出てくる事もない。
しかし気になる。見に行かなければならない、と直感が告げていた。
戻れるように警戒しつつ、しかしゆっくりと、エルシャは鈴を越えて森の奥へと歩みを進めていくのだった。