猫になった貧乏令嬢は婚約者に嫌われたくない!
私はミア・ターキッシュ。貧乏だが一応父が伯爵位を持つ貴族令嬢である。今から信じられないことを言うが聞いてほしい。
そう……気が付いたら猫になっていた。
私だって信じられないし、なんなら信じたくない。しかし目の前の姿見に映るのは、まんまるで宝石のようなエメラルドの瞳、赤褐色の豊かな体毛、ゆらりと揺れる尻尾。そして頭の上にピンと立つ大きな三角の耳……。普段はパッとしない顔立ちだが、今はなんて可愛い猫ちゃん!じゃなくて……
「にゃああんにゃああああ!!!!(どういうこと!?今日はエドワード様と会う予定があるのに!)」
両親が決めた未来のお婿さん(婚約者)と会うという大事な予定があるのだが、侍女に着せてもらった他所行きのドレスは、身体が猫サイズになったことで脱げて床に広がっている。
あの無愛想でいつも不機嫌な婚約者との予定を無視なんてしたら、なにを言われるか分かったものではない。
睨み付けられて嫌味を言われるならまだしも、嫌われたとなれば我がターキッシュ家の没落回避政略結婚計画が破綻してしまう。猫になったことよりそっちの方が百倍恐ろしい。
この状況を説明できるのは私しかいない……ならば成すことは1つ!エドワード様にこのことを伝えるべく、窓から外に飛び出した。
部屋を飛び出した私は人の目を掻い潜り、なんとか屋敷の外へ出る事に成功した。幸いエドワードの屋敷はそう遠くはないので、半刻ほどでエドワード様宅に到着した。外から彼の部屋を探す
(部屋はたしか2階だったはず、あっあそこだわ!)
視線の先に彼の瞳と同じ紺碧色のカーテンが風に靡いている。運良く窓が開いているようだ。
私は近くの木に登り、その枝からひょいと窓枠に飛び乗った。我ながら猫の身体能力に関心する。
カーテンをくぐり部屋の中へ入って行く。見渡すと彼は姿見の前で自身の身嗜みをチェックしていた。
(まず今日会えないと伝えなくちゃ!)
私は窓枠から降り、にゃおにゃお鳴きながら彼に近づいた。
「……なんだ?……猫?」
エドワードは紺碧色の瞳を見開き、驚いた表情でこちらを振り向いた。ネクタイが映えるように金糸の刺繍の入ったジャケットとズボンは黒で統一され、スラリとした体躯が際立たせている。刺繍とよく似た色の髪を後ろにキッチリ撫で付けており、整っているが少しばかり厳つめな相貌を覗かせていた。猫を視認すると眉根に皺を寄せ、よく見る不機嫌そうな表情をした。
私はその場でパタパタ足踏みをし、大変なことになった!と身振りで表す。
「にゃーーぉにゃあにゃあー!(大変です!私、猫になって今日は会えません!)」
しかしエドワードは眉間に皺を刻んだままで固まっている。正直怖いが事態の大きさを示すため、後ろ脚で立ち上がり両前脚で円を描く動作をした。
(このくらい!大変なことなんです!)
必死に何度も前脚を動かしていると
「なんて可愛らしい猫なんだ!!」
エドワードはいきなり大声を発し、私を抱き上げた。急に持ち上げられた事に驚き彼の腕の中でジタバタ暴れて抗議する。
「……うちの子にならないか」
(……は?)
鼻同士が付く程の距離で予想外の発言を受け目が点になってしまう。
(お金持ちに飼われる……悪くない……いや違う!私は結婚してターキッシュ家ごとハッピーになるの!)
チラついたお金に目が眩みそうになったが、なんとか思いとどまり無理矢理思考を戻す。
その後も声と身振り手振りで説明を試みるが、その度に「可愛い」や「うちの子にする」など普段のエドワードからは想像できない言葉を頂戴した。どうやら彼は猫が大好きなようだ、婚約者なのに知らなかった。
しばらくそんなやり取りを繰り返したが、「予定がある」と言い、今まで見たことがない悲しそうな表情をして部屋を出て行った。その予定私です……とは言えず、なんだエドワードとのやり取りで疲れてしまった私はその場でうずくまった。
扉が開く音で目が覚めた。どうやら床で眠っていたようだ。窓の外はまだ明るく、正午くらいに見える。
「こんな所で寝ていたのか?」
部屋に帰ってきたエドワードは優しく声を掛けると私を抱き上げた。そして寝台まで移動し、そこに腰掛ける。
(は!約束の件!どうなったの!?)
彼の胸を前脚で繰り返し叩いた。
あのいつもむすっとしているエドワード様は約束を予定をすっぽかした私に対して怒っているに違いない。ものすごい勢いで言い訳が頭の中を駆け巡る。ああ猫のままではいくら叩いたとしても伝わらないではないか!
「……今日は婚約者に会う予定だったのだが、どうやら私はとうとう嫌われてしまったらしい……」
(……へ?)
エドワード様がぼそりと独りごちた。
私はエドワード様に多少びくびくはしているものの、嫌ってなどはいない。だって我がターキッシュ家没落回避政略結婚計画の要人で、頭も良くてお金持ちでイケメンなのに、こんな私を選んでくれたことに感謝しかしていないのだから。あとイケメン。
「私が口下手で愛想がないのは分かっている。ミア嬢と会話をする時はいつも彼女が率先して話題を振ってくれてた。でも彼女にとってはそれが苦痛だったのかもしれないな……」
目を見張る、それは違う。私はつまらない女じゃないですよアピールとして話題を振っていたのだ。そして毎回一方的に話してしまった……と反省会をしていた。
「去年の社交会で見かけたミア嬢の天真爛漫な雰囲気を見て惹かれて……それで婚約を申し込んだのだが、好きな女性ひとり幸せにできない情けない男だ」
彼は眉尻を下げ自嘲するかのような表情をした。いつもむすっとしているとは思っていたが、裏ではそんな自分自身を情けないとかんじていたのか。
……ああ、この人は本当は優しくて純粋だけど、驚くほど不器用なんだろう。
そう思うと胸の奥がきゅんと甘く締め付けられる気がした。政略結婚だと割り切っていたが、弱い部分を見せてくれた彼とだったら良い夫婦になれるかもしれない……素直にそう思った。
私はそっと腕を伸ばし、彼の頬にそっと触れた。一瞬目を見開いた彼だったが、ふっと息を吐き出し柔らかい笑みを浮かべた。
「心配してくれているのか……優しいな、君は」
そしてその大きな手で私の頭を撫でると、私の鼻先に触れるだけのキスをした。
「ありがとう」
彼がそう告げた瞬間、私の体が白く光出した。
「にゃっ!(なに!?)」
「な、なんだ!?」
彼は私の身体をぎゅっと抱き締める感覚がした。キーンと耳鳴りが脳内をこだまし、徐々に強くなる光はやがて部屋全体を飲み込んだ。
私もあまりの光の強さに目を閉じた。でも不思議と怖くなく、心は温かい気持ちで満たされていた。それはきっとエドワード様が側に居てくれるから……安心する胸にそっと頬を寄せた。
しばらくすると耳鳴りも遠ざかり、包み込むエドワードの服の感触も鮮明になってきた。思わずその感触を確かめようと、再度温かい胸に擦り寄った。
「おっと」
「きゃっ」
すると彼の身体がグラリと傾く。手を付きすぐに体勢を整えたが、私も思わず目の前の胸板に抱きついてしまった。
「……えっ?」
「は?」
2人の声が重なった……ふ、2人……?
咄嗟に自分の手を確認した。白く透き通る肌、綺麗に整えられた爪先。まさにそれは人間の、私の腕だった。
「え!あれ!?猫じゃない!?」
「ミア……?なぜここに……?」
エドワードは訳が分からないといった声で呟く。
「エドワード様!さっきまでの猫、実は私でした!理由は分からないのですが突然猫になってしまって……」
「とりあえず、何か着てくれないか……っ?」
彼は顔を背けた。その横顔の頬が赤く染まっているように見える。心なしか目も泳いでるようだ。
「今朝は会う約束を破ってしまってごめんなさい……わざと破ったわけではないのです。」
「説明の前に服を……」
「でも猫っていいですね!身体が軽くてたくさん動けるし
なにより可愛……」
「ふ、服を着ろ―!!」
「わっ」
ぼふんっと、目の前が柔らかい布で視界が遮られた。どうやら彼が薄い掛け布団を投げつけたようだ。布団から顔を出そうともがく。
ん?ちょっと待って……服を着ろって……そういえば先程確認した腕に服はなく、足元にドレスの裾などもなかった気が……?
恥ずかしい事実を自覚し、みるみるうちに顔に熱が集まる。
「いや――――!!!!」
羞恥に身体を戦慄かせ悲鳴をあげた。戻れた喜びで服を纏っていなかったことに気付かなかった。
エドワードの顔が見れず、投げつけられた布団に自ら包まる。なんて失態だ、男の人に素肌を晒してしまうなんて……!
お父様お母様ごめんなさい、娘はもうお嫁に行けないかもしれません。没落回避政略結婚計画は失敗する可能性が高いです……エドワード様もさぞ呆れていることでしょう。
「猫に戻りたい……」
ぼそりと漏れた言葉とともに、涙が一筋頬を伝った。