-弐-
街の名物と言えば、山にある巨大な紅梅の木だが、目立つもの、といえば中心部にある呉服店をあげる者も多い。
山にある紅梅の女神から教わったという特殊な染め方による紅色の着物が評判となり、大きくなった──と言われている。
一番の名物は由来にもなっている紅色に染めた反物ではあるが、それ以外の品ぞろえも豊富であり、レンタルや今風の「お手軽に着られる和服」や柄、生地も普段使いしやすい物も多く、その他の小物類も豊富に取り揃えており、呉服を中心とした何でも屋、という方が正確かも知れない。
店で働いている者も、そうでない者も。皆が店の主人を「大旦那様」、跡継ぎにあたる人物を「若様」と呼ぶのは古くからの習慣のようなもので、何故そうなるのか?を聞かれても「なんとなく」「皆が呼んでいるから?」といったような曖昧な答えしか返ってこない。
そんな呉服店の「若様」が一郎であり、従者として傍にいる伯は番頭のような存在。
──というのは表向きの話。
この呉服店は「あやかし」や「神」と呼ばれる者達が、人の世界と繋がるための場所なのだ。
大旦那様とは一郎の父親の事で、いわゆる「この土地の神様」である。
随分と昔、この場所は近隣の妖たちの奪い合う土地であり、誰のものでもない土地であった。
誰のものでもない、ということは、誰の加護もない、ということでもあり。弱いあやかしや精霊達は争いに巻き込まれぬよう、どこかの勢力を頼るか、逃げるか、巻き込まれて消滅するか。
そんな中、ふらりと立ち寄った父親が紅梅の木の精霊に頼まれ、周囲のあやかし達との戦いの末にこの辺り一帯を自身の護る土地としたのが始まり。
やがて人が集まり、村が街になり──現代に至る。
その間に神様と梅の木の間に生まれたのが一郎であり、庇護を求めたあやかしの一人が伯である。
伯が「この街一番の梅の枝」と称したのは、言葉通りの意味であり、本人の言うように「世辞」ではない。
メジロが一郎に懐いたのも、彼の香が周囲の枝と違ったものであったからであろう。
そんな伯の本性は白い毛皮に金の眼を持つ妖狼。周囲の闘争から、力の足りぬ眷属を守っているうちに傷ついてしまい、通りがかった父親に救われて以来、文字通り「命を賭して」働いてくれている。
ほんの少し身内贔屓──というか、一郎に対しての敬意──が過ぎるところがあるが、それを差し引いても有能な人物──いや、あやかしであろう。
二人は時折、こうしてこの店に顔を出しては、人の世の移り変わりや店で働く眷属達に不都合がないかを確かめているのである。
この店は山に住む精霊や、あやかし達が人の姿を借りて、世に馴染む訓練の場になっているからだ。
店には独自の結界があり、単独では人の姿になることの出来ぬ者達も、この店の中であれば人の姿をとり、動くことが出来る。
無論、従業員全てがあやかし達というわけではなく、普通の人間達もいるので、配達等は主に彼らに頼んでいた。
そして今。山から下りて日の浅い者達を休憩させるために、立ち寄ったのだ。
「しの。ゆき。奥で少し休みなさい」
一郎の言葉に頷いたのは、15,6の少年二人。どことなく伯に似ているようにも見えなくもないが、髪の色はそれぞれ黒と鈍色である。
「ありがとう、わかさま」
二人はぺこりと頭を下げた後、従業員以外は立ち入り禁止と書かれた暖簾の奥へと姿を消す。
廊下を歩き、小さな庭に面した縁側に出ると、そのまま床へと寝転がった。
「わかさま、やさしいねー」
「ねー」
ごろごろと。転がる二人の身体はだんだんと小さくなっていく。
「おひるねしたら、またおみせもどろうねー」
「ねー」
やがて。動きが止まった後、残ったのは二人の着物──のように見えたが。よく見ると、折り重なった布が緩やかに上下し、布の中に「何かいる」事がうかがえる。
もぞりと布が動き、黒く濡れた鼻先が外に出た。鈍色と黒い毛皮に包まれた、ふわふわとした毛玉が二つ。
着物に包まれているのは子犬──正確には子狼。柔らかな日差しの中、心地よさそうに寝息を立てている。
彼らが結界の外で伯のように人型を保てるまでは、永い時を経ねばならない。
その間、人の世の事を学び、共存していくための知識や作法を身に着けていくための場所。
それがこの呉服店なのである。