第四話
六時を過ぎると陽も落ちて、少しは外に出ようという気になってくる。pHを調整する機械を持って苗畑へと向かう。クーラーが効いた部屋を出ると、体中から汗が噴き出す。
私がやっていることといえば、四つの容器にそれぞれpHを変えた培養液を入れて苗木を栽培し、一週間に一度、長さと直径を測っているだけだ。時期が来たら全部刈り取って、枝、葉、根に分けて乾燥させて重さを計るらしい。「こういう条件で培養したら、こうなりました」と言って、あとはどこかの論文を引用して考察して、卒論の出来上がりというわけだ。確かに、朝顔の観察日記に毛が生えたようなものと言えなくもない。とはいっても、一年足らずで一体なにができるというのか。なんとなく先輩のやっていることを見様見真似でやってみる、それ以外のやり方を私は知らない。この学校の教育制度の問題なのか、学生に問題があるのか。二十歳やそこらの私たちに言われても、「そんなこと、私に言われても」の一つも言いたくなってしまうのだった。
院試が終わった翌日、それとなく先生から来年の話をされた。暗に合格であることを仄めかされているのだった。暑さはまだ続きそうだけど、そうして私の大学生活最後の夏は、あっさり終ろうとしている。
「こんなんでいいのかな、なんか簡単すぎじゃない?」
先生が出て行ったあと、思わず美枝ちゃんに訊いてしまう。
「いいんじゃない、楽できるときにしとけば」
「若いころの苦労は買ってでもしろって言うのにさ……」
「苦労してるかどうか知らないけど、森井ちゃんは森井ちゃんで頑張ってるって」
本当にそうなのだろうか。みんなそんなことを言ってくれるけど、自分ではぴんとこない。単に頑張ってるふりをするのがうまいだけなのではないだろうか。
「それに、ただ頑張ればいいってもんでもないじゃない? ほら、中村君とかさ、あの人、この間も、ゼミで青井さんにこてんぱにやられたみたいだよ。土、日も来て勉強してるってうわさだけど、全然身になってないってことだよね」
「まあ、彼はちょっと別格って気もするけど……」
「とりあえず、今は卒論のこと考えようよ。あーあ、私も早く結果出ないかなあ」
朝顔の観察日記、と心の中でつぶやく。私はそれ以上なにをしたらよいのかわからないし、かといって青井さんに「だったらどうしろって言うんですか」と挑む気もない。まあ、そもそも青井さんが正しいとも限らないけど。若手の中では頑張ってますねと認めてもらったからって、その賞がどんなものか知らないし、それ以外にどんな業績を上げているのかも知らないのだから。
でも、もしかしたら私も、青井さんから「頑張ってるな」と言われたら、素直に喜べるのだろうか。まあ、あの人が私にそんなことを言うことはまずないだろうけど。
二杯目のコーヒーを淹れようかと話していたら、綿貫さんが現れた。綿貫さんは、なぜか手の平をすぼめたまま上に向けている。よく見ると、セミの抜け殻を載せているようだ。
「どうしたんですか? それ」
「ああ、もらったの」
美枝ちゃんがコーヒーを淹れる準備をしているのを見ると、綿貫さんは「私も、もらっていい?」と言って、抜け殻をそっと本棚の隅に置いた。
湯が沸くと、自然の流れで綿貫さんがドリップ係になった。先輩にコーヒーを淹れさせておいて、おしゃべりに興じているのも気が引けるからか、部屋の中が一瞬静まる。
この鳥首の薬缶も、当たり前のように置いてあるソファーやテーブルも、そして金属の本棚も、私たちは誰が置いて行ったのか知らない。学生のために新品の家具を買ってくれるような学校とも思えないので、かつていた先生か誰かが、家具を買い替えるときにでも、置いていったものなのだろう。昔、実家にこんな雰囲気のテーブルや棚があったような、そんな感想を抱かせる、古めかしい家具の数々。今まで何人の人たちがこの部屋を通り過ぎていったのだろう。
コーヒーが入り、三人でテーブルを囲むと、美枝ちゃんが、
「そういえば青井さんって、ずいぶん早く学校来てますよね」
と言った。
「真面目な人だから」
と綿貫さん。私たちのいる講座は特に研究室にいる時間を定めていないので、みんなゼミのとき以外は、かなりまちまちの時間に来るのだ。ゼミの前以外は姿を見せない人だっている。毎日来ているにせよ、夜型の人だと、夜の八時くらいに来て、日付が変わってから帰ったりするので、昼間来ている私とはほとんど顔を合わせなかったりもする。
「たいてい、七時前には来てるみたいよ」
「そんな早くから、なにしてるんですか?」
「勉強してるんじゃないの」
「努力家なんですね」
美枝ちゃんの言葉が皮肉に聞こえて、あれ? と思う。
青井さんは、学生にも、それに先生にも厳しいこと言う。いつかの酔っていたときのときのように手あたり次第攻撃するわけではないけれど、気になったことには、淡々としながらも、相手が言い返せなくなるまで、理にかなったことを言い続ける。憎たらしいけど、細かいところまで考え尽くされているし、誰が聞いても、いつも青井さんが正しいのだった。それに、経験者談によると、最後の砦とばかりに相談に行くと、けっこうちゃんと相談に乗ってくれて、ぐりぐりやられながらも教えるべきことは教えてくれるらしいのだ。
みんな、わかってはいる。怖くてうるさいだけではなく、あの人は人の何倍も努力している、頑張っている。本当に困っている人を見捨てないのは、そういう人だからなのだ。単に偉そうなだけでないのは、私も認めざるを得ない。
青井さんは大学に入るときに一浪しているらしいけど、博士課程は三年で卒業して、ポスドクになって二年目、今年で二十九歳になるらしい。これは私が密かに青井さんファンだから知っているわけでは決してなくて、狭い世界だからなんとなくみんなが知っていることなのだが。
そんなことを考えていると、青井さんの机が思い出されてくる。植物置き場ではなくて、勉強するほうの机だ。壁に向かって置いてあり、背の高い本棚で左右が固められていて、背後に暖簾が掛かっていて、半ば個室のようだった。本棚には難しそうな本が、高さや分野ごとにきっちり整理されていた。あまりに整然としているので、中村君が戯れにびしっと面がそろっている背表紙を、こっそり一つか二つ前後にずらしてみたことがあったという。翌日確認したら、それらはなにごともなかったように直っていたらしい。
そんな青井さんだって、研究の仕事を見つけるのは至難の業なのだ。彼が朝七時から研究室に来て、夜も七時ごろに帰って、つまりは十二時間学校にいて――家でも勉強しているのかどうかは知らないけど、そういうのを見ていると、あっさりと研究の仕事についている人はいったいどれだけやってるんだろうと思ってしまう。まあ、若くして研究職につける人なんて少数派なのだろうけど。なりたい人に対してポストが少ないのがいけないないなどとよく聞くけれど、確かにこれはもう我慢の競争なのかもしれない。いつまでの間、立場も収入も安定しないまま、それでも研究を続けたいとアピールし続けることができるのか。それに勝ち残った者だけがたどり着くことのできる道――、自分が体験したわけではないので、詳しくはわからないけれど。真面目なだけでなんとかなることではないし、ではどうしたらいいのか。いろいろ大変そうだなと思うのだった。
「そういえば、青井さん、今度ゆっくり森井さんと話してみたいって言ってたよ」