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青井さんの机  作者: 高田 朔実
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最終話

 そうこうしていると、先生がふらりとやってきた。「ああようやく座ってお茶が飲める」と言って、まだ来ていない人の椅子に座り、持参したペットボトルの蓋を開けた。どこでなにをしているかよく知らないが、先生はいつも忙しそうだ。

「先生、青井さんが辞めること、ご存知だったんですか?」

「そりゃまあ、知ってましたよ。一応ここの教官ですからね」

「青井さん、研究者に向いてなかったんでしょうか」

 先生にしては珍しく、少し間がある。

「研究者なんてやくざな仕事ですから、ほかにできることがあるなら、無事そっちに落ち着いてよかったんじゃないですか。それに彼は頭がいいですからね、まだ若いし、どうとだってなりますよ」

 先生はお茶を何口か飲むと、「あなたたちだって、ねえ。他人事じゃないですからね」と笑い、颯爽と去っていった。

 

 青井さんか残していったものはもう一つあった。あの夜、カバンをがさごそしながら、「これ、餞別」と言って取り出したのは、ドーナツの割引券だった。

「お好きなドーナツを五個まで半額でお買い求めいただけます、だって。これ何枚あるんですか? 青井さん、そんな顔して、どんだけドーナツばっか食ってたんですか? まだここにいたほうがいいんじゃないですか。この券使い切るまでここにいましょうよ」

中村君の言葉に、みんな笑っていた。

「そう、買ったらまた新しい券もらっちゃって、それでずっと出られなくなっちゃうってな」

 ほかの人も茶々を入れる。青井さんはなにも言わずに、微笑んでいた。そんな思い出の詰まった券を、みんなで一枚ずつもらったけど、余ったので、私だけ二枚もらったのだった。

 せっかくだからということで、ある日の午後綿貫さんと二人で、ドーナツを十五個買ってきた。大量のコーヒーを用意して、ひたすら食べまくった。

 ドーナツを食べながら、私は綿貫さんにこんなことを訊いてみたかった。

 美枝ちゃんが言っていた、「あの人ならなんでもそつなくこなすでしょうよ」というのは、あれはつまり、青井さんは無理に研究者にならなくたってなんでもできるけど、なんでもできる人は、これが無理でも違うことをやればいいやと無意識のうちに思ってしまって、最後の一押しが弱くなってしまうのか。そうすると、なんでもできない、これしかできないという人の気迫に負けてしまう、そういうものなのだろうか。

 なんでもできる人は、誰でもできる仕事をやってくださいとばかりに、よそに振り分けられてしまうのが世の常なのだろうか。先生が言ったように研究者なんてやくざな仕事だから、青井さんのような人には向いていなかったのか。日々真面目に働いて、結果を出していたとしても、ちょっとタイミングが合わなかったら、全部無駄になるのか。ほかに選択肢があると、迷いが生じて、先の見えない道に進むのが難しくなってしまうのか。

 この間中村君と、青井さんのことを話した夜に、「忘れてたんだけど、青井さんから森井さんに伝言があったんだ。また忘れそうだから、メールしとく」と連絡があった。次の行には、「人のせいにしてたって、なにも始まんねえぞ、だって」と書かれていた。

 青井さんが好きだったクリームがたっぷり入ったドーナツが、最後に二つ、示し合わせたように残る。話をすることもなく、ひたすら食べて、飲んでを繰り返し、ようやく全部食べ終えると、もう日が傾き始めていた。まだ五時前だけど、電気を点けないと、窓の小さいこの部屋の中はやや薄暗い。

ガラスのポットに少しだけ残ったコーヒーを、綿貫さんは二人のコップに次ぎ分けた。ポットが空になると、一瞬手を止めて、じっと窓の外を見た。

 こっちに向き直り、ポットを鍋敷きの上に戻すと、「もうすっかり秋だね」とつぶやいた。膝の上に手を置いたころには、なにごともなかったような顔つきに戻っていた。



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