第二章 二話
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食卓には、体にいいものを並べられるように努めた。残っていたそこそこ貴重な豚肉と、緑黄色野菜をふんだんに使ったサラダを真ん中の大皿に。畑で採れた大根を使ったしめじのスープと、賞味期限ギリギリのサバ缶のみぞれ煮、炊きたての白米はそれぞれ一つずつ。本当はアジとかアユみたいな魚料理にもしたかったけど、不漁という話で最近はめっきりみかけないのが残念だった。
「うー、どれも美味しそうだし、全部の料理から健康を考えてくれている芽衣の優しさが感じられる……! 私、芽衣の子でよかったよぅ〜」
「違うでしょ」
「いやいやそんなことないって、私だったらご飯なんか作ろうと思わない上に家事全部バックレる状況だから。くーっ、尊い。尊すぎるのでこれからは芽衣ママと呼ばせてください!」
「……少なくとも外では絶対呼ばないでよ」
「まさかの手応えありだこれ!?」
並んだ料理に柚が感涙しそうになっているのを見て、作って良かったなとホッとする。柚は反応が分かりやすいので嬉しい。ママ呼びは恥ずかしくて微妙な気分になるけど。
「じゃあ芽衣、俺も――」
「あ? どう考えてもダメに決まってんだろぶっ殺すぞクソ親父」
「なんだよ、普通の冗談だろ? 大げさに騒ぐな」
「カーッ、これだから男は困る。これからモミジへの復讐だってのに『ママ』を軽んじやがって」
「それを言うならお前が最初に『ママ』を軽んじただろ」
「うるせーよ!」
英生さんのジョークが柚にクリティカルヒットしたらしく、食事そっちのけで大喧嘩が始まる。梓さんたちとやり合って二人は疲れてるだろうに、どこからこの元気が出るのかが不思議だった。
「どうでもいいので早く座って食べてください。それと、話し合いの結果はどうだったんですか? それくらいは私でも聞く権利ありますよね」
「ん、あーまだ言ってなかったか」
犬と猿のように英生さんと睨み合っていた柚が、頭を掻きながらこちらを向く。彼女はあっけらかんとした顔で、
「やるよ、決闘。明日モミジに申し入れをして、うまくいけば来週あたり首脳会談ができるってさ」
「……そっか」
「そゆこと。じゃ、いただきます。あ、これ味が染みててうまい」
私の隣に座った柚が、何事もないように大根を頬張る。分かっていたことではあったけど、もしかしたら全部なかったことになるかもという希望が消えてしまった。
もとより、そんな楽観的な願いを持っていたのは私だけだったのかもしれない。英生さんと柚は常に苦しみや怒りを抱えながら生きていて、ようやくそれらを晴らせる場が来た……そう考えれば、むしろ歓迎するべきと思うし。
「むぐ。まあ、肝心のスーツがまだ完成しきってないから、実際の決闘はまだまだ先になると思うけど。父さん、ホントにあっちは戦闘用スーツを持ってないんだよね?」
「ん、ああ。戦時中、俺が戦闘用の設計を終える前に政府がポシャってな。もう不要ってことで、それをベースに農作業や工事を補助する作業用スーツの開発に切り替えたんだ。俺がモミジを抜けたときは、その試作機『壱型』が組み上がる直前だった」
向かいの席の英生さんはいつの間にかサラダに手を付けていて、切ったトマトを箸でつまみながらそう答えた。ちなみに英生さんはいつも最初に野菜から食べ始めて最後にお米を食べるけど、順序で絶対に損をしている。
「あれから十年で、元部下らがスーツを進化させてるのは間違いない。一昨年だったか、二世代目っぽいスーツの制御用プログラムと一部の設計を作る依頼が来てただろ?」
「そういえばあったね。父さんと半々でコード書いた覚えがあるけど、あれも作業用だったはず」
「な。だが、設計を主導してた俺がいなけりゃ向こうの進化速度は遅いはずだ。それに、こっちにはあいつの残した切り札がある。ハハ、スーツ技術における父さんの貢献はすごいんだぞ〜」
そう言い切る英生さんは相当の自信があるようだった。実際、十年かかったとはいえ、ほぼ一人で戦闘用スーツを製造してしまうような人だ。それだけ自身の能力と実績に裏打ちがあるのだろう。あいつというのが誰なのかが唯一分からなかったが、昨日の柚の件もあるし、モミジの過去に絡む人のようなので触れないでおいた。
「それ聞いたら安心した。でも、仮に決闘が成立したとしてさ、いつくらいまでにあっちは戦闘用を製造できるんだろ」
「モミジには軍事用ラボがある上、交易で得た資源や人手も多い。製造に時間はかからんだろうから、問題は設計とファームウェアになる。設計は何とかなるとして――」
「パワードスーツなんて複雑なものを効率よく制御しようと思ったら、サクラのエース級プログラマがいないと難しいよ。例えば、私とか」
「お前がエースかはともかく、専門じゃないモミジには難易度が高いのは間違いない。とはいえ半年もあれば動くものは仕上げてくるだろうし、逆に向こうからすりゃ、俺がいるにも関わらず一着製造に十年かかる時点で負けるわけないと思うだろうな」
誇らしげな英生さんが、続いてサバの入った皿に手を延ばす。柚はサラダの大皿から器用に豚肉だけを選んで取り皿へ運ぼうとしていたので、代わりに野菜をそこへ足してあげる。柚は小さく唸ったものの、じろりと睨むとおとなしくなった。これも本人の健康のためだ。
「っていうか、父さん、決闘についての会談って私たちも参加するんだっけ?」
取り皿に入った薄切りのタマネギを嫌そうに見つめながら、柚が英生さんにそう尋ねる。
「梓たちが帰り際にチラッと言ってたやつか。向こうが良いって言うなら行くつもりだが、なんでそれを訊く?」
「いや、会談に出るってなったらどうせ半日くらい潰れちゃうでしょ? そうなったら、また芽衣を放置することになっちゃうなって」
「確かに……なら、会談場所までは一緒に行くのはどうだ? 参加は無理だとしても、前後で食事くらいは一緒に取れるだろう。芽衣とスーツとの距離感をモミジに示せる意味でも悪くないかもな。芽衣はどうしたい?」
そう言うと英生さんは箸を置いて、私の答えを待ってくれる。数秒だけ考えてから、私は率直に気持ちを答えた。
「行きたいです」
「なら、決まりだ」
英生さんは私の返事に二、三回ほど頷くと、やっと白米に箸をつけた。
***
それから三日後の昼に和葉さんが部屋へやってきて、「決闘についての会談」が次週水曜日の夕方に開催されることになったと教えてくれた。会談にはモミジとサクラの代表に加え、第三者の監督として、一帯の一次産業を握るツバキの代表も来るという。また、モミジの意向でスーツ技術の代表――サクラの場合は英生さんと柚だ――の参加も認められたようだ。
「会談の場所は湖畔をぐるっと回った先、サクラとモミジの緩衝地帯にある会議所に決まったよ。距離はあるけど公式の会談ってことで車を使うから移動時間は気にしなくていい。ただ、失敗できない会談だからサクラの他の関係者も呼んで事前打ち合わせをしたいかな。交渉については孝介も意見をくれそうだし」
食卓を挟んで私たちの向かいに座った和葉さんがそう話す。丸刈りかつ黒のタンクトップ一枚というスーパーラフな格好は独特のオーラを放っていて、性格の奔放っぷりを感じる。一方で飲み物を尋ねたら「熱い話には熱いお茶が付きものだよ」と言うあたり、変なところでこだわりがあるらしい。
両手で湯呑みを傾ける和葉さんの表情を伺うも、特に問題はなさそうで一安心だった。なにせ我が家はみんなコーヒー派なので、滅多にお茶を淹れることがない。茶葉も古くなっていたし、変な味しないかが少し心配だったのだ。
「つまりさ、昼までにはサクラの集会所に来てほしいわけ。そこから夜まで家を空けるのは確定なんだけど、大丈夫そう?」
「ああ、俺と柚は問題ない」
英生さんがそう返事をすると、和葉さんは小さく首肯した。
「りょーかい。それで、英生さんから聞いてる通り、芽衣さんも来るってことでいいんだよね? 打ち合わせ中は機密保持のために別の部屋で待ってもらうことになるけど、ご飯は一緒に食べられるよ」
「はい、それで構いません」
「うんうん。じゃあ、その後の会談はどうする? こっちは警備上の都合で芽衣さんは中に入れないし、進行によっては夜遅くまでかかるかもしれない。おすすめはしないけど」
「それも行きます。大丈夫です」
「うーん、思ったより強情だなあ。そんなに二人と離れたくないのかい? それか、別にお目当てがいるとか」
「別にそんなの、ないですよ」
「そっか」
私を見る和葉さんの目がやや鋭くなったのを感じて、思わず視線をそらす。内心考えていた点を言い当てられてドキリとした。そう、会談になればモミジとサクラだけではなく……ヒマワリを潰した、あのツバキの代表もやってくる。過去のこととはいえ、前の居場所を潰した人間の顔を見られるかもしれない、なんて、下心が僅かにあったのは事実だけど。
「まあ、私としてはどうでもいいんだけどね。芽衣さんなら何もしなさそうだし……とにかく、理解したよ」
言い終わるなり、湯呑みをぐいと飲み干して、
「それじゃ今日はこのくらいで。お茶もどうも。古い割には、そこそこ美味しかったかな」
和葉さんは悪戯っぽく笑うと、席を立って玄関へと向かう。見送ろうと立ち上がる英生さんを、彼女はひらひらと腕を振って制した。
そうして時間が過ぎていき、日常生活の傍らで英生さんと柚がスーツの完成を進めつつ――あっという間に、会談当日が訪れる。
本作品は、文芸サークル「変態美少女ふぃろそふぃ。」が2022年に発行した同人誌「東雲銀座広報 ゆり時計」に寄稿・収録されたものを修正・加筆したものです。