第二章 一話
翌日の朝から、サクラ代表の梓さんと和葉さんが実際にパワードスーツの視察をすることになった。まだ未完成とはいえ完成の目星はほぼついているそうで、四人で開発の状況と装備などを確認の上、モミジに打診するかを代表が決めるらしい。
英生さんと柚はアパート横にある倉庫――もとい、秘密研究所に昨日の夜から籠りっぱなしで、見学が終わるまではこっちに戻ってこないはず。倉庫は頑丈な作りで、入口には鍵がかかっているから勝手に見に行くこともできない。今日は風がよく吹いていて、窓辺の風鈴が涼しげな音を鳴り響かせている。ポジティブに考えるなら、私一人だけが風鈴の音色を独占できるわけだ。なんて寂しい話だろう。
一人分の洗い物を流し台に残したまま、冷蔵庫に入れてあったポットから昨日のアイスコーヒーの残りをグラスに入れて、私はリビングのソファに座った。冷えたコーヒーを口に含むと、ささくれだった心が少し落ち着くような気がする。
英生さんの演説を聞いたせいで、私は全く寝付けなかった。一緒に過ごしていても戦闘用のスーツなんて見たことがなかったし、英生さんも柚も、過去が絡むと本当に秘密主義者になってしまうんだなとショックだった。でも、それ以上に気になったのはスーツの装備で……もしかして刃物とか銃器が付いているんじゃないかと考えるだけで、心臓がバクバクとした。あればそりゃ強いだろうけど、それは明確に人を殺めるための武器だ。面白くて優しい英生さんにお調子者の柚が、裏でそれらを作っていたとしたら……私は、以前と同じように二人へ接せるだろうか。
「情報公開は製作に関わっていた俺と柚、そして代表二人に留めたい。どんな形であれ兵器だし、未完成の状態で無闇に見せるわけにはいかない」
どうしても気になった私は、帰宅してすぐ倉庫へ向かおうとした英生さんに、私にもスーツを見せてもらえないかを頼んでみた。でも返ってきたのはいつになくはっきりとした拒絶の言葉で、驚きと同時に怒りを感じた私は咄嗟に口答えしてしまった。
「それって、私を信用してないってことですか」
「違う。新型兵器の存在にモミジが気づいたとしたら、アイツらは情報入手のために何らかの工作を仕掛けてくるかもしれない。その時狙われるのは、当然兵器を詳しく知っている人間だろ。開発者の俺や柚を除いて、詳細を知るべきなのは決定権を持つ代表二人くらいだ。芽衣にまでリスクを広げたくはない」
「じゃあ、口頭でいいです。どういう装備なのかとか――」
「教えたら見せるのと変わらんだろう、勘弁してくれ」
「私たちは一緒に暮らしてる仲ですよね。昨日だって、私のことを対等って言ってくれたじゃないですか」
「その気持ちは今でも変わってない。だけどよ芽衣、頼むから分かってくれ。これは決闘と名が付いた戦争であると同時に、俺と柚の、十年越しの復讐でもあるんだ。この戦いにはお前を巻き込めない。それに、芽衣が望むなら……別の部屋や家に移動できないか代表に掛け合えってもいい。それくらい危ない橋なんだ」
苦い顔と声でそう話す英生さんは嘘を言っているように見えなくて、私は「部屋の移動はしたくないです」としか言葉を返せなかった。柚も昨日の夜から私といくつか短い会話をしただけで、それ以外、二人はずっと倉庫で過ごしているらしい。柚は今までも倉庫に何度か行っていたけど、日常生活より優先することはなかった。でも今は、二人とも朝の当番や食事すら忘れて、自分たちのスーツにかかりきりのようだった。
ああ、また私だけが取り残されている。ヒマワリのときもそうだった。
いっそ、英生さんが私にもっと敵対的だったらなとすら思う。そうすれば、怒りに任せて無理矢理にでも倉庫を襲撃、直訴してやろうという気が起きただろうに。でも、私の問いかけに答えた英生さんは……私のことを、ちゃんと考えてくれているように思えてしまったのだ。
それに、私が言われたことは正しい。今までの悪行から察するに、モミジは多少強引な手を使ってくる可能性がある。流石に直接武力行使されることはないはずだけど、関係者が嫌がらせを受けるとかはあり得そうだった。だから私を部外者だとアピールするのは、私にとってもいいことのはずなのだ。
だからといって納得できるかと訊かれたら、もちろん納得できない。ゆえにモヤモヤとイライラが混じって、おそらく人間として一番不快な心理状態になっている。気分も安定しないし、まさに最悪の気分だ。
ふと時計を見ると、時間はいつの間にか昼過ぎになっていた。梓さんたちはともかく、二人とも夜から籠りっぱなしで大丈夫だろうか。お腹は絶対に空かせていそうだし、食べやすいご飯とか作っておかないと……
「はあ。やっぱり、別の部屋へ移った方が良かったかな」
なんだかんだ二人が帰ってくるのを心待ちにしている自分に対して、若干の嫌悪感を覚える。ちゃんと拗ねないとますます舐められると意識する一方で、疲れて帰ってきた柚や英生さんが笑ってくれるところを見たいという気持ちもあって、ドロドロの感情が固まらないまま胸のあたりで渦巻き続けていた。私も柚みたいにはっきりした性格だったら苦労しないんだろうな。
でも結局、私は義務感に押されるようにしてソファから立ち上がると、そのまま台所に向き合った。流しに放置していた洗い物を片付けて、冷蔵庫の中身を確認して、作れそうな献立を考えはじめる。このまま座っていても死にたくなるだけだし、とにかく手を動かしていたかった……というのは、私の甘さだって分かっているけど。乱れた思考の渦を振り払うように、私は力強くまな板を掴んだ。
包丁が野菜を割いてまな板と触れる音に、風鈴が鳴る音。アパートの隣の部屋から微かに聞こえる、穏やかな女の人の声。足りない二つの音もそのうち戻ってくると考えれば、たったそれだけのことじゃないかと思えてくる。
それから二時間ほど経って空が橙に染まり始めた頃、紺の作業着を着た二人がようやく帰ってきた。梓さんと和葉さんを説得するためにかなり無理をしたのだろう、予想以上にひどく消耗した様子の二人に、思わず私はため息をつく。柚の髪はいつにも増してボサボサな上に、疲れた目元には仮眠でできたらしい目やにが付いたままだ。英生さんはいかにもウンザリという顔と疲労困憊のオーラを出していて、代表と実現可能性について何時間も激論を交わしたんだろうなということが如実に伝わってきていた。私は玄関から部屋に上がってきた二人の前に立つと、まずは温和に問いかけてみる。
「おかえりなさい」
「ただいま。はー、今日もクタクタだよ」
「さっさと眠りたいもんだな。明日もあるし」
私が下手に出たせいか、二人は生返事だけ残してさっさと部屋の奥へ行こうとした。その姿に苛立ちを感じて、私は二人の前に立ちふさがる。
「二人とも。私、今怒ってるんですよ。どうしてか分かります? はい柚、答えて」
「あ〜芽衣ごめんよぅ……私が、私を当番をすっぽかしたからだよね」
「違う!」
「エッ」
柚が猫背になって目をこすりながら答えたのに対し、私は鋭く否定した。シャウトに驚いて、柚の背筋が一気にピンと縦に戻る。英生さんもその隣でビクリと震えた。
「今日の当番のことはいいの。非常事態で、大事な議論をしないといけなかったのは分かってるから」
「いつの間にか許されてた」
「ちなみに許してない、あくまで延期。明日やらなかったら二度と口をきかないからね」
「ですよねー」
「とにかく、私が今怒ってるのはそこじゃない。柚の……というか、二人のだらしない格好と生活!」
私は二人の皺だらけの作業着をビシッと指差してそう言い切った。正直、一喝した段階で怒りの感情は割と収まったものの、半端に優しくしたらこの人たちはまた繰り返すだろうという確信もあった。私は妥協せずに説教を続ける。
「いくらサクラのためだからって、そんな風に無理しても意味ないでしょ。ご飯もろくに食べず、睡眠もどうせとってないだろうし。体調を悪化させて回らない頭で代表を説得しようとするから、英生さんも死にかけたカエルみたいな姿になるんですよ」
「珍しい例えだな、『蛇に睨まれたカエル』なら諺として存在するが――」
「口答えは禁止です」
「はい……」
「一万歩くらい譲って、私を疎外してスーツの開発や決闘の話を進めるのは許します。私のことを考えてくれてるのは分かるので。でも」
柚と英生さんがしゅんとしたところで、少しだけ口調を緩めて続ける。
「でも、そのせいで二人がこんな風にめちゃくちゃな生活になるのは許しません。まだスーツも完成してないのに、無理して体調壊して続行不可能になったらどうするんですか? 二人だけじゃない、サクラ全員を巻き込むんですよ」
「おっしゃるとおりで」
「だから、モミジとの対決云々の前にまず私と約束してください。決闘があろうがなかろうが、今後も無理せず規則正しい生活をすること。食事と睡眠は欠かさないこと。そして――」
私は一旦言葉を切ると、ようやく表情を緩めて、最後の一言を呟くように言った。
「私をこうやってずっと放置するのは、これで最後にすること。せめて食事くらいは三人で食べましょう。いいですか?」
それを聞いた二人は、徐々に表情へ明るさを取り戻して、
「……芽衣、ごめんね」
「悪かった」
求めていた謝罪をしてくれたので、私は小さく頷いて返す。二人の言葉を信じようと思う一方で、どうせ形だけなんだろうなと邪推するところもあるけれど。やっぱり、私は甘すぎるんだろうか。
本作品は、文芸サークル「変態美少女ふぃろそふぃ。」が2022年に発行した同人誌「東雲銀座広報 ゆり時計」に寄稿・収録されたものを修正・加筆したものです。