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プロローグ

「調子はどう?」


俺がそう声をかけると、病室の外を眺めていた美幸さんがこちらを向いて目を細めた。むき出しのコンクリートに囲まれた部屋はしんとしていて、彼女が身を動かした音すら僅かに聞こえる。斜めに持ち上がったベッドに患者衣で横たわる彼女を、窓から差し込む陽光が薄橙色に染めていた。


「快調。このまま行けばすぐ治るんじゃないかってくらい」


だからこそ、対照的に青白くなっていく美幸さんの姿を見るのが辛くて、最近は日が落ちてから訪れることが多かった。だが、それも昨日までのこと。今日からはそんな()()なことに悩む必要はない。


「よかった。なら、これからの生活も大丈夫そうだ。そういえば昨日、久々に煙草が納入されてたけど――」

「もちろん、もらってきたんでしょ?」

「当然。ほら、ここに」


カバンから紙でできた小包を取り出して見せると、美幸さんは嬉しそうに笑った。こういう些細なことでも喜んでくれるから、毎回何かを持ってきたくなってしまう。食べ物、本、小物……でも、彼女が一番喜んでくれるのは、こういう病人向きじゃないモノだ。


「天才。じゃ、ここで吸っちゃおうかな」

「あーまだダメ、家につくまで我慢して」

「冗談だって。そうそう、新しい家はどういう場所なの?」

「いい場所だよ。山に囲まれた大きなアパートでね、隣の倉庫も借りられた。こっちから()()としてマシンも何台か持ってきてるし」

「やるね、着くのが楽しみ。柚もそっちに?」

「車で待ってる。病室にも来たがったけど……」


そこまで話したところで、唐突に病室の扉が開く。振り返ると、診察カバンを持った老齢の医者と――紺色の工場作業着に身を包んだ、忌々しい(アイツ)がいた。ドクン、と心臓が大きく脈打つ。


「英生さん、考え直していただけませんか?」


偉そうにそう問いかけてきた准の言葉を聞いて、思わず舌打ちが出てしまった。クソ、美幸さんの前でこういう姿を見せたくなかったのに。


「……お前はとりあえず病室の外に出ろ。先生と美幸さんも、また後で」

「はいはい」


気の抜けた返事をした美幸さんを背後に、俺は准を睨みつける。白衣を着た医者は荷物を抱えて気まずそうに脇を通っていった。黙って廊下に戻っていくアイツを追うようにして、俺も病室を出る。そして、


「てめえ、今更どの面下げてきやがった――!」


扉を閉めたことを確認してから、俺はアイツに掴みかかる。薄汚れた作業着の襟首を引きちぎるくらいに引っ張ってやるが、准は微動だにせず、俺をまっすぐ見据え続けた。そう、コイツはいつもこうだ。人間らしさを感じない、冷徹で冷酷なロボットみたいなやつ。俺は最初からコイツが嫌いだった。そして今は、殺してもいいくらいには嫌いだ。


「美幸さんのことは申し訳ないと思っています。ともに生きていた仲間ですから、英生さんが憤る気持ちもよく分かる。私だって、できるなら何とかしてあげたい」


白々しくそう言い切る准に、俺の口調はさらに荒々しくなる。


「そうかよ、分かってんだったら――」

「ですが、これは全員で決めたことです。このままだと我々は共倒れで、待つのは飢餓と殺し合いだけです。もちろん、美幸さんだって守れない」

「だが、彼女は入院患者だぞ!」

「分かっています。だから滞在期限の延長もしてきましたし、今後も支援は続けるつもりです。とはいえ、このまま例外にし続けるわけにはいきません。『不公平』として不満の矛先が向いてしまったら、本人にも危険が及びかねない」

「だから追い出すのかよ」

「心苦しいですが、それが最善かと」

「クソが!」


突き飛ばすようにして、俺は准から手を離す。准は数歩だけ下がると、澄ました顔で襟を整えてみせた。一挙手一投足、エリート仕草がつくづく鼻につく。


「しかし、これはあくまで一時的な措置です。現在練っている戦略では、近い将来、モミジを元に戻すことができる見込みが十分にある。鍵になるのは、英生さんが主導する強化外骨格(パワードスーツ)です」


准はやはり落ち着きはらった口調で、淡々と主張を述べ続ける。


「英生さんのスーツにはモミジ全員を救うだけの力がある。設計を手伝った私には分かります。ご協力いただければ、さほど時間をかけずにモミジを立て直せる。逆に英生さんがいなければ、かなりの遠回りが強いられるのは確実です」

「……」

「だからお願いします、どうかモミジに残ってください。美幸さんと、柚さんのためにも」


演説が終わってしばらく、俺は何も言わなかった。もちろん、返す言葉は決まっている。悩んでいるわけではない。だが、この言葉は軽い気持ちで言うものでもなかった。美幸と柚、そして()()()()全員に影響がある決定になるから。

だからこそ俺は責任を噛みしめるように、じっくりと言葉を咀嚼する。そして、俺たちの総意、渾身の力を込めた最後の抗議として――ようやく、言い放つ。


「お断りだ。()()はもう、お前らの道具じゃない」

「……残念ですよ、本当に」


准は右手で目元に手を当てて、わざとらしくため息をつきながら言った。


「一旦お別れですね。近いうちに会えることを、心から祈っています」

「あばよ、クソ野郎」


俺の暴言も意に介さず、准は踵を返してその場を去っていった。静謐な廊下に、アイツの足音だけが反響する。それも段々と小さくなって、やがて聞こえなくなった。

ほどなくして医者に支えられながら、私服に着替えた美幸が出てきた。「すみませんが、杖を」と医者に急かされ、俺は慌てて病室から松葉杖を一本持ってくる。


「しかし、こんな別れ方になってしまうとは。全く、自分の無力さが心底腹立たしい」

「先生のせいじゃないですよ、悪いのはアイツです」


美幸さんが杖をついて数歩歩いてみたところで、医者がぽつりと漏らす。小さくうなだれた彼に対して、俺はかぶりを振って答えた。


「……二人とも、どうか元気でな」

「お世話になりました、先生」

「私も、いままでありがとうございました」


医者に別れの挨拶をして、俺と美幸さんは歩き始める。杖をつきながら、一歩ずつ、ゆっくりと。病院の出入口を出たところで、離れた場所に出迎えの小型車両が停まっているのが見えた。俺が車に手を振ると、我慢できなかったのか、ドアを勢いよく開けて柚が降りてくる。その小さな姿は途中で転びそうになりながらも、一生懸命にこちらへ走ってきていた。


「ねえ、ヒデちゃん」

「うん?」

「私、今、幸せだよ」


杖によりかかりながら、美幸さんが俺の手を握ってくる。だから俺も、それを強く握り返して答えた。



***



美幸さんが息を引き取ったのは、それから百十二日が経った朝だ。「お悔やみ申し上げます」と一文だけ書かれた手紙が届いたのは、さらに二日経った日の夕方だった。俺は手紙を受け取ってすぐにアパートを飛び出し、近くの湖へと走った。息を切らしながら湖畔に辿り着いて、落陽する湖の向こう岸――『モミジ』にいるであろう准を睨みつけながら、こう誓ったのだ。


「このまま無事でいられると思うなよ、准。そして、モミジの裏切り者ども――」



***



――それから、十年の歳月が過ぎて――



本作品は、文芸サークル「変態美少女ふぃろそふぃ。」が2022年に発行した同人誌「東雲銀座広報 ゆり時計」に寄稿・収録されたものを修正・加筆したものです。


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