「嘘」
祖母が死んだ日
彼は確かにそこにいて
一緒に泣いたはずなのに
遺影を見た彼の言葉は
「トシ子は死んだのか?」
祖母は死んだ と答えると
「そうか、じゃ葬式をあげなきゃな」
と言う
今日がお葬式だよ と言うと
「そうか、誰の葬式だ?」
と言う
祖父の話は
『壊れたレコードプレイヤー』
同じ事を何度も繰り返している
祖父の記憶回路は
『山手線』
覚えては忘れて 覚えては忘れて を
グルグル回っている
だから
何度も悲しみを繰り返す
祖父の涙は
濡れては渇き
濡れては渇き
同じ問いに答える私は
まだ受け容れられない祖母の死を
認めては否定し
認めては否定している
例え嘘をついて
「祖母は出かけている」と答えても
祖父はまた
同じ事を私に問うのだろう
「トシ子はどこへ行ったんだ?」
少なくとも
祖父は涙を流さずに済むだろうけど
いつかバレるから嘘と言うのよ
だから嘘で幸せになれる人はいないの
祖母は嘘がキライだった
でも
繰り返す悲しみの中を
彷徨う祖父のために
あなたは生きていると
嘘をついてもいいですか
まだ受け容れられない
私の心の脆い所を
嘘で包んでもいいですか
祖父は祖母の遺影を見て
「トシ子はどこへ行ったんだ?」
と繰り返す
繰り返す悲しみの中を
彷徨う彼の心は
いつ救われますか
繰り返す悲しみの中で
止まらない私の涙は
いつ乾きますか
このまま
本当の事を言い続けるのが優しさか
それとも
嘘をつき続けるのが優しさか
分からない私の心の葛藤は
続いている
【第37号掲載 「入選」】