おしまい
4
それから、鼠達が世代交代をしていくのを見ながら数年経ち、少女は15歳になった。
鼠達が傷付き病気になる度にロザリオの力で少女自身に症状を移し助ける内に『慈母』と少女は呼ばれるようになりいつも薄く微笑むようになっていた。
ヒョウドルが死の間際、貴方は微笑んでいる姿が一番素敵だったと伝えてから、気付けばその微笑みが絶えることはなくなっていた。
細やかで慎ましやかな生活を送る1人と数十匹の元に、足が千切れてしまった伝令のハスタから凶報が飛び込んだ。
捨てられ荒廃したこの街に、人の軍勢が来ていると。
そして、共に行動をしていた伝令のキリークとウニアは殺されたと。
その言葉を伝えた後、ハスタも静かに息をひきとった。
少女は『えも言えぬ暗い感情』を知った。
一匹が言った。
徹底抗戦するべきだ、と。
一匹が言った。
我々は兎も角、慈母様をどうするのか、と。
一匹が言った。
慈母様、どういたしますか、と。
慈母と呼ばれたボロを所々血に染めた少女は一瞬悩み、笑ってこう言った。
「ここから離れて別のところに行こう。
ハスタとキリーク、ウニアの死は悲しむべきことだけど、報復することによって皆の命を奪われる事になる可能性があることの方が耐えられない。」
その言葉を聴き鼠達は納得したように頷き、身支度を始め、夜の闇夜に紛れ移動し始めた。
されど、あての無い逃避行であった。
何度も太陽が昇り、何度も沈む。
そんな中で、鼠達も徐々に数を減らしていった。
ある者は眠っている間に食われ、ある者は川に転落し、ある者は少女の食糧がなくなるのを察して自ら藪の中に消えていった。
少女はその状況に涙しつつ、鼠以外の野生動物をゆっくりと隊列に加えていった。
鳩、鶏、鹿、山猫、猿、熊や豹に至るまで。
声をかけ、傷を受け、感銘を受けた動物達が少女の元に集っていった。
それから幾日もの時が経ち、少女達は小さな街にたどり着いた。
元いた街と同じで、爆撃をされ、人がいないように感じられるその街の端も端に、大きく屋根に穴を開けた巨大な廃教会があった。
いつか母に聞いた磔られた聖人の像に崩落した屋根の隙間から光が差し込んでいるその姿を見て、少女は気付けば膝を折っていた。
様々な生き物達も少女に習い思い思いに目を瞑り、少女のと同じような格好をとる。
そして、少女が聖人の足元に座ると、皆が思い思いの場所に腰を下ろした。
少女と生き物達はその場を居住地と決めた。
それから、鼠達を筆頭に生き物達が食事を探す以前と同じような生活が始まった。
熊や豹は主に少女の周囲を守り、鳩達は空から周囲の様子を伺い、山猫や猿や鼠達が食事を探し、全員が一つの共同体として生活する。
そんな楽園の様な生活。
そんなものが、長く続くことはなかった。
ある日、少女より少し幼い少年が廃教会の中に駆け込み、気を失った。
肩口から臍の上までバッサリと斬られた様に見えるその傷を、少女は笑みを絶やさずに受け取った。
途端、少女の体に悪寒が走る。
ミリミリと肩肉が弾け、ミミズ腫れが臍の上まで裂傷の様に奔る。
喀血と鼻血、そして流れる血涙。
のたうつ少女。
それは今まで動物達から受け取ってきた傷とは全く異質な物だった。
その傷をつけた者の感情が少女の身に流れ込んで来る。
人を人とすら思っていない、駆除対象、家畜としか思っていない様な無機質な刃がミミズ腫れを通して幾度も通る感覚。
人の悪意そのものを一身に受け、まとったボロの襟首を真っ赤に染める。
何事かと見に来た豹と熊、立ち上がる少年。
殺気立つ動物達。
それを、少女は片手で諌めた。
「大丈夫、ですか?」
肩で息をする少女は怯える少年にそう声をかけると、恐る恐る少年が頷いた。
よろよろと後退りながら、お礼も言わずに少年は走り去っていった。
それでも、少女は笑みを絶やさず、動物達を見渡すと聖者の足元に座り、ゆっくりと寝息を立て始めた。
翌日。
少年が老婆を背負い、引きずりながら連れてきた。
鹿に突かれ、少女が目を覚ます。
「ばあちゃんを、助けてくれ。」
少年が引きずってきた老婆は外傷は無いものの意識を失っており息も浅く、高熱を帯びていた。
少女は微笑みながらゆっくりと喉を鳴らした。
それは先日のかなりの痛みを伴ってしまった反動からだろうか、それとも在りし日のスカーチと自分を重ねてしまったからだろうか。
ともあれ、少女は目を瞑り深呼吸をするとロザリオを老婆に翳して見せた。
刹那、今度少女を襲ったのは怖気だった。
体の芯を通り脳髄まで達する様に、下から上へと冷たさと鋭さを兼ね備えた球体が、神経を裂きながら走っていく感覚。
昨日食べたものを少女は喉奥から胃液と共に吐き出し、吐瀉物の中に少女が倒れ伏した。
熊が吠え、猿が叫び、豹と山猫が唸り、鳩と鶏が鳴き、鹿が蹄で地面を掻き少女と少年と老婆の間に立った。
皆、待って。
殺気に溢れる動物達を吐瀉物に塗れながら息も絶え絶えに、半身を起き上がらせ、少女が諌める。
少女の言葉にそれぞれ、吠え立てる動物達。
少女にしか分からないその声で口々に、駄目だ、こんなに苦しめたのはコイツらだ、殺そう、と。
しかし、少女はそれぞれの動物達に声をかけた。
貴方は足の傷、貴方はお腹の銃創、貴方は体の熱、貴方は腕の爪傷、貴方と貴方は喧嘩した時に出来てた擦過傷。
皆の傷を受け取ったのと同じ様に、私は受け取っただけだ、と。
劇症を伴ってはいるが、貴方達にした事と変わらない、と。
そう諭すと、動物達はそれぞれ小さく鳴き、少女の言葉に納得するかの様に頷いていく。
少女の周りに傅く様に、動物達が腰を落ち着け終わると同時に、老婆が目を覚ました。
辺りを見渡し、磔にされた聖者の像と、血と様々な汚れで変色したボロ切れを纏う少女を見て、老女は唐突に察した。
そして、地面に額を擦り付け、少女に手を合わせ祈り始めた。
慌てて、顔を上げてくださいと伝える少女。
その言葉を拒絶するかのように、平伏したまま首を横に老婆は振った。
「何が起きたのかは私には理解できません、ですが何かしらのガスの散布を受け余命幾ばくもない私を助けてくれたのは間違いなく貴方様です。
まだ幼い孫が一人前になる前に死ぬのを助けていただけたのです。
私に今できることは貴方を、『聖女様』を拝む事しかできません。」
少女に老婆はそう言い、手を重ねて握っていた。
その手を少女はそっととると、老婆に優しく言葉をかけます。
私は、その様に呼ばれるほど高潔な者ではありません。
私は昔、人を見殺しにしました。
私は昔、自らの病を他者に移しました。
私は昔、死体から食料を漁っていました。
私は浅ましい人間です、間違っても聖女様などと呼ばれる存在ではありません。
それに、人にはそれぞれ役割や出来る事があります。
私が他者の傷を自らの身に受け入れられるのは、それが私の役割だからです。
そう言いながら、にこりと老婆に笑いかけました。
老婆は、少女に縋るように泣きました。
この一件で少女は『決意』を固めました。
自分の身を犠牲に命を救ってくれた母がいた。
自分が熱を移したにも関わらず、騎士と支えてくれた彼がいた。
動物達を助ければ、それに恩を感じ、動物達は自分たちを助けてくれた。
いつ死んでもおかしく無い自分のことを見てくれる、いつ死んでもおかしく無い自分自身を守ってくれる、いつ死んでもおかしく無い自身のことを慕ってくれる、いつ死んでもおかしく無い自分を思ってくれているーーー。
自分自身が果ててしまってもいい。
この世から、私が受けることで一つでも苦しみが消えるのであれば。
この世から、私が受けることで一つでも命が救われるのであれば。
この世から、私が受けることで一つでも悲しみが消えるのであれば。
ーーーーそれで自身の命が尽きることになろうとも。
その翌日から、人を伝って少女の噂は流れていきました。
曰く、どんな重病でも治してくれる存在がいる。
曰く、致命傷ですら治してくれる存在がいる。
曰く、神の使いである。
曰く、肉食の動物すらも傅く聖女である。
噂に尾鰭はどんどんと付いていき、太陽と月が十五回も昇り降りしない内に少女達が根城にしていた廃教会は自身を治して欲しい人で溢れかえった。
その人々を少女は見返りも求めず、ただひたすらに治し続けた。
少女の身からは絶えず血が溢れ、傷の絶える日は来ない。
口から、目から、鼻から、耳から、腕から、足から、胸から、腹から、背から。
ミミズ腫れが、裂創が、刺創が、切創が、挫創が、剥皮創が。
ありとあらゆる傷を身に受け、生傷が絶える日はなかった。
2年ほど経ったある日、動物達がほぼ出払っている時に後方で待っていた卑屈そうな痩せた男が列を無視して少女の元にやってきた。
曰く、金ならいくらでも払うから俺を早く治せと。
その男は左腕を骨折していた。
だが、その程度の怪我だった。
少女は穏やかに笑いかけながら、順番が来るまでお待ちください、と伝えた。
男は激昂し、少女に手をあげた。
それを止めたのはいつかの少年と、少年を連れてきた鳩だった。
自宅にあった調理用のナイフを箒にくくりつけたものを男に向ける。
男は刃物を向けられた恐怖の中、悪態をつきながら這々の体で元いた場所に戻って行った。
その日から、少年は少女を守るために足繁く通う様になった
幾日も幾日も少女は一日も休むことなく人の体を治していった。
そして、同時に動物の体も治していた。
朝から夜まで、人の体を。
夜から朝まで、動物の体を。
休むという言葉を忘れたかのように。
人々は少女の事を敬えども、休息を与える者は一人たりともいなかった。
重篤な劇症から、ただの擦り傷まで、人々は少女に傷を、病気を押し付けた。
少年はその姿をずっと見ていた。
休まず、体を治し続ける少女の姿。
朝から夜まで、寝ずにいつまでもいつまでも人を癒やし続ける姿を。
ある日、いつも最後の1人の治療を見て帰宅していた少年が、たまたま忘れ物をした為に夜に廃教会を訪れ、その状況を見てしまった。
少年は言葉を失った。
人だけ救えば、体をきちんと休ませれば、少女は元気になれるのでは無いかと。
ある日少年は少女に提言した。
「一日置きに体を休ませましょう。」
少女は首を横に振った。
「私が休むその1日の間に死んでしまう方がいらっしゃるかもしれません。」
少年が言います。
「なら、せめて3日に一度休みましょう。」
少女は首を横に振った。
「それも同じです、人を見殺しにすることなど私には出来ません。」
少年は頭を悩ませ、言葉をかけます。
「でもこのままでは貴方が死んでしまいます、どうか休んで下さい。」
少女は少年に「貴方は優しいのですね」と言いながら、口の端についていた血を拭い笑いかけた。
そして、そのまま列をなしていた動物の先頭にいたイタチにロザリオを当てると、イタチの前足の傷を受け、掌に小さな裂傷が出来た。
イタチが口に咥えていた何かの果実を少女にそっと置いてキュイキュイと鳴くと、少女はそれに応えるようにイタチの頬を撫で、手を振り見送る。
少年は拳を握りしめ、唇の端を思いきり噛みしめ、出来る限り感情を抑えて、意を決したように少女に言葉を投げかけた。
「君自身が傷ついてまで、どうして人を癒すんですか...人どころか、動物すらも癒すんですか!」
少年の言葉はそれでもなお、悲痛なものだった。
少女はこの3年の間に、白い肌に複数の傷をつけ、人の傷を受け血を吐き、まともな休みを取らないために頰が痩け、指も骨と皮になり、顔から血の色が引いているのが、誰の目から見ても明らかだった。
もはやいつ死んでもおかしく無い。
そして、その噂を聞きつけた人達が我先にと殺到し、夜の間も野営し、外に列をなし待っている状況。
それにも関わらず、少女は見返りも求めず、ただ傷を受け取り続けていたのだから。
その言葉を聞いて、少女は、薄く目を伏せ少年に軽い笑みを浮かべて見せると、言葉を紡いだ。
「貴方を助けた時、貴方の祖母を助けた時。
足の動かなくなったお爺さんを助けた時。
高熱で今にも死んでしまいそうな赤ん坊を助けた時。
下半身を動かせなくなってしまった男性を助けた時。
怒鳴り込んで来た後に怯えながら貴方を見ていた骨折していた男性を助けた時。
身体中に吹き出物ができてしまって苦しんでいた女性を助けた時ーー。」
肌に残っている傷跡を服の上から撫でながら、少女は愛おしそうに呟きます。
「これは、鼠さんの傷を直した時。
こっちは罠にかかっていた鳩さんを助けた時。
この傷は鶏さんのお腹に刺さっていた棘を抜いた時。
これは、山猫さんの銃創を治した時。
これは、イバラの中でもがいていた鹿さんを助けて傷をもらった時。
こっちは足を滑らせて崖から落ちた猿さんの傷を受け取った時。
これは豹さんと熊さんが喧嘩をしていたのを止めてお互いの傷を治した時ーー。」
掌、足首、腹部、肩部、手首と頬、背中、二の腕と首。
それぞれの思い出を噛み締める様に、反芻する様に。
目を瞑り、口角を少し上げ笑い歌う様に、今までの傷を語り、少年の方を少女が向いた。
その目は確かな決意が燃える瞳。
普段の笑みはそのままに瞳だけは真剣そのものだった。
「偶々、神様に見そめられて。
偶々、この力を得ただけなのです。
人も動物も変わらない、この世界に生きている存在でしょう?
そこに壁なんて無いんです。
それにーーー」
「それに...?」
「きっと、これが本来死ぬはずだった私が与えられた役目ですから。」
血に塗れたままの笑顔。
少年の喉が鳴る。
少女の瞳と力強い言葉に踏み入る勇気は少年にはなかった。
目の端から出そうになる涙を堪えて少年は目を瞑り、唇を強く噛み締め思う。
嗚呼、この人の信念はきっと曲げられない。
この人はきっと近い内に死ぬ。
そして、それまで人を癒やし続け、動物を癒やし続けて、一切の悔恨なく死んでいくのだろう。
少年は自身の『無力』と少女の『信念』を知った。
その話をした数日後。
ある早朝少女は野犬の傷を治癒している最中、眠りに落ちてそのまま目覚めずに息を引き取った。
聖者の足元で。
動物達の見守る中。
薄く笑みを浮かべ幸せそうに。
だが、人々はその亡骸を見て唾棄した。
傷を治す予定の人々は、自身の傷を治してもらえなかった事を。
病にかかっていた人々は、自身の病が治らない事を嘆いた。
誰も、少女が死んだ事を悲しまず、便利な道具がなくなった事を嘆いていた。
あれほど伸びていた列は、少女が亡くなったことが発覚して、一日経つ頃にはもう無くなっていた。
まばらに人がやってきては、少女の亡骸を見て溜息をつき、喚き散らし、実際に唾を吐き棄て帰っていく。
少年は、その様子を見て、血の涙を流しながら動物たちと共に少女の亡骸を近くの森に持っていき、老婆を呼び、埋葬した。
その晩、森に様々な動物が集まり、悲しむ鳴き声が重なり辺りに響いた。
その声を聞き、人々は恐怖した。
少女の献身により、救われた人はいる。
だが、少女は人々に嫌忌された。
最期の時まで人のことを案じ続け、その文字の通り献身を続けた少女は、消耗品と同じ扱いをされた。
付き添った少年は、負の感情を溜め込み、それでも少女が望まぬだろうと解き放つことだけはしなかった。
献身の少女 了
あとがきという名の独白。
この話は私がおおよそ12年前に見た夢の内容を元に書いています。
私がこの少女の人生を見始めたのは、最初の爆撃の後は廃協会に移る直前からであり、その間のことは完全に私の継ぎ足しです。
また、少年の話の一部は私の夢の中の体験となっております
動物に囲まれていた少女がロザリオを用いて人々を癒し、動物を癒し、痩せこけていくのを第三者の視点で見ていた私は、気付くと少女を近くで支えていた少年の中にいて、「何故、こんな状況で人も動物も助けるのですか!?このままではあなたが死んでしまう!」と叫びながら伝えていました。
少女の返答は
「きっとこれが私の役目だから。」でした。
その話をした翌日に彼女は死んでいました。
少女の遺体の横にはたった一匹の鼠が寄り添っていました。
本編で書いた通り少女は人々に唾棄されました。
口々に少女を汚く罵り、嘲り、唾を吐く者、までしか本編には書きませんでしたが、実際は遺体を蹴る者や髪の毛を引っ張り上げ耳元で喚き散らす者もおり、少女の亡骸は蹂躙されていました。
その時には既に少年の外に出ていた私は、俯瞰した視点で彼女への無体を見ていることしかできませんでした。
その状況を見て自身の腸が夢の中にも関わらず煮え繰り返る気分を感じた覚えがあります。
どす黒い感情に自我が侵食されていく感覚とでもいうのでしょうか。
有り体に言ってしまえば、少女を汚し、利用した者達を殺してしまいたいという強い感情でした。
ですが、その感情が全身を支配する直前に、少女の声で「恨まないでほしい」と聞こえてきました。
その瞬間、目が覚めて私は現実に戻ってきました。
目が覚めた時に、目が霞んでおり、頬を何かが流れる感覚を感じ自分自身が泣いているのが分かりました。
その後、私は少女の言っていた内容について何度も考えました。
『コレが私の役目だから』と少女は言っていました。
誰かから押し付けられた役目なのか。
それとも自分で決めた役目なのか。
自分が死ぬのがわかっているはずなのに、それでも尚、その役目に固執をする理由。
当時の私にはよく分かりませんでした。
『恨まないでほしい』と少女は言っていました。
本来、寝て覚めればすぐ頭から抜けるような夢の内容。
それに対して恨むなと言う言葉。
あるいは、夢の中にも関わらず、私を蝕んだ激烈とも言うべき感情を、私が夢から覚める間際に気付いていたのかもしれません。
そして、今でも鮮烈に思い出せる状況、言葉、少女の意思を宿した強い瞳と、うっすらと浮かべていた笑顔。
もしかしたら、あれはどこかの世界の一つの現実であり、それを垣間見ていた私に対する言葉だったのか。
素っ頓狂という言葉一言で片付けてくださっても構いません。
この様な妄言を吐く人間は、人から見れば狂っている事に間違い無いでしょう。
ですが、当時の私は考えました。
この話は何かしらの形で残さなければならないと。
小説でも、漫画でも、童話でも、動画でも、なんでも構わないからと。
ですが、就職し、仕事に流されていき、趣味で絵を描き、小説を書き続けるうちにいつの間にか、この話の事が頭から抜けていっていました。
いつか書きたい、否、書かなければならない。とあれほど思っていたのに。
そして、ついこの間。
Twitterでは伝えましたが、cigaretteの短編を上げるという話をしていた数日後の2021年11月4日にその夢の話を知り合いに話している夢を見たのです。
目の前の知り合いは知り合いの筈なのにどこか曖昧で、パーカーを着ており、何故かぼんやりとしていて、誰であるというのは言い辛いのですが。
何となく、私が入ってしまった少年の様な気がしました。
実際に彼なのかどうかは分かりませんが、彼は頷き私の言葉を聞き続けてくれていました。
目が覚めた時に焦燥感に駆られた私は、随分昔に触りだけ書いていた文章を引っ張り出し、この内容を書き切った。
そういう訳でございます。
この作品を書き上げるにあたって何度も筆が止まりました。
少女が死ぬことが決まっているからです。
cigaretteの時は自身の生み出したキャラなので平気でした。
随分昔に書いた完結せずに置いてしまっている、二次創作の深海棲艦翔鶴VS瑞鶴も人が作ったキャラだからか、嬉々として殺すことができました。
ですが、これは私が生み出したキャラクターでもなく、他人が生み出したキャラクターでもない。
私の夢の中でその一生と、死の先の無惨さを見せつけてくれた少女の話だったのです。
死が決まっている少女の話が進むたびに筆は重くなり、少年を治し始めた辺りから数秒打つ手が止まることが増えました。
目頭が熱くなり、薄く涙が目の端に滲むことも度々ありました。
それでも、「書かねばならない」という何処か強制力を感じながらなんとか書き上げましたが、書き切った時に凄まじい喪失感が私を襲いました。
書いた事に後悔はありません。
話を書き換えたことに若干の抵抗感はあります。
ですが、せめて、私の中だけでも、死んでしまう運命は違わないにしても、死んだ後くらいは少しは幸せであって欲しかった。
こんなことを書いては、(言わないでしょうが)少女に「傲慢だ」と言い切られてしまわないとも限りませんが。
わかっています、どんな状況になろうと自身の死ぬ間際まで、少女は自身の身を捧げることが当然であると信じ、それで結果死んでしまっても、誰かしらを恨むことはなかったであろうことも。
ここまで、私の独白も含めて読んで下さった皆様、ありがとうございます。
心の片隅に出来ればこの少女のことを置いてあげてください。
傷だらけになりながら、それでもこの世のありとあらゆる生物の命を助けようとした少女のことを。
2021年11月6日。
冬草。