8話 地下での死闘
「とんでもないことになっちまったな……」
出口側の岩盤が崩れ、その中から無数の"人食い"が姿を現す。
「どうやらあの聖樹と関係があるとみて間違いないようだね」
崩れた岩盤から露出した木の根が、"人食い"の体に蔓のようにまとわり付いている。
"人食い"たちは自らの体に纏わりついた木の根を毟り取ると、咆吼と共にジークたちへと駆け出した。
一体や二体であればまだよかった。だが目の前の"人食い"の数は優に五十は超えている。そのうえ背後からは絶え間なく投石が続けられ、リルはその投石への対処に追われ、こちら側に障壁を貼ることが出来ない。
「どうするクラウス! リルを守り続けて、この数を捌ききれるか!?」
問いかけとほぼ同時、一体の人食いがジークに拳を振りかぶる。
無防備に腹を見せた一瞬の隙に体を上下に両断し、続く二体目、三体目の腕を続けざまに切り落としていく。
隣のクラウスは白蓮で三体の怪物をまとめて消滅させ、四体目の攻撃を受け流し、振り向きざまに首を飛ばす。
「このままではジリ貧だ。リルさん! 障壁を奥に進めて! 退きながら相手にします!」
「了解!あのクソ投石野郎、押し潰してやる!」
クラウスは、目の前の軍勢から一時退くことを選択した。
もちろん退くと言っても逃げるわけじゃない。
二人は徐々に、一歩ずつ退きながら"人食い"を仕留めていく。
「大抵のダンジョンには主の棲まう"大広間"がある。大広間へと続く経路は狭くなっている場合が多い。そこへ誘い込んで数の不利を押さえ込む」
敵を狭い場所へと誘い込んで、多対一の状況から、一対一の状況へと持っていく。
戦闘の技量で勝るジークたちがこの状況で有利になるには、地形を味方に付けるしか手段はない。
リルは主の魔力を近くに感じとっているし、ダンジョンの通路は徐々に狭くなっている。
「これなら前方の処理はなんとかなるか……リル、障壁はもつか?」
「余裕!」
余裕のなさそうな声で新たな障壁を張り直し、同時に古い障壁が破られる。
額には汗が滲むが、杖をかざしているため拭うことも出来ない。
リルは不快そうな声で答える。
「主の圧が強い。これ以上は下がれないかも」
「クラウス、ここで全部やるぞ」
「承知した」
ダンジョンの幅は十メートル弱。
一人が継続して二体ずつ相手にすれば、なんとか持ち堪えられる計算だ。
さっきよりは断然戦いやすい。
「白蓮――真空断裂!」
クラウスの白蓮が新たに二体の"人食い"を屠り、ジークはただひたすらに目の前の空間に斬撃を打ち込み続ける。
「クソがッ! キリがねえ!」
クラウスが徐々に片付けてはいるものの、奥から奥から新たな"人食い"が現れ、ジークたちは徐々に押し込まれていく。
(てめぇら……一匹でも充分だってのに、束になってかかってきやがって……!)
ジークはついこの瞬間まで"人食い"が無数に存在する魔物だとは知らなかった。
"人食い"はあの森に棲まう特殊な魔物で、亡き父の仇で、リルを襲い、近くの村を襲い、多くの人々を殺してきた、ただ一体の森の主だと信じてきた。
それが、これだけ大量に……無数とも呼べる量の軍勢で立ちはだかっている。
クラウスとの訓練の成果があるとは言え、ジークの心の奥に恐れの色が滲まないわけもない。
額から散る汗は冷や汗混じりで、グッと奥歯を噛みしめ、目の前の怪物に対峙するその表情は窮鼠猫を噛むといった面持ちだ。
かと言ってここで退くという選択肢はどこにもない。
追い詰められた剣士の連撃は剣筋こそブレないものの、徐々に彼の心の内に不安の色を滲ませていく。
(あとどれくらい……どれだけ斬れば終わるんだ!)
もはや斬った数は五十を超えている。
奥の岩盤から、新たな"人食い"が生み出されていることは明白だ。
「倒しても数が減らない。奥の主を殺る必要があるのかもしれない」
「かもしれねえな」
クラウスの言葉に適当な相づちを打ちつつ剣を走らせる。
言葉を放つ時間すら惜しい。一秒でも気を抜けば、そのまま戦線は崩壊する。
(こんなにいちゃあ、どれが俺の親父の仇だか分からねえ!)
クラウスが何かを言っているが、もはや聞こえやしない。
ただ、剣を振るだけだ。
走らせ、踊らせ、
閃かせ、両断し、
回転させ、突き刺し、
叩きつけ、切りかえし、
狂ったように無数の腕を切り払う。
腕の筋肉は悲鳴を上げ、肺は酸素が足りないと焼けるように主張し、心臓が張り裂けそうな勢いで鼓動し、口の中は血の味がする。
獣とも見違えるような剣戟。
もはや、何も考えない。
何も思うことはない。
ただ目の前の"敵"を斬るために、一筋でも多くの剣を振るいたい。
体内の酸素を残さず燃やし、その爆発力で以て全てを薙ぎ払う。
考えることは何もない。思考を捨て、全てを剣の赴くがままに走らせる。
――身も意志も真空にして。
ジークの異様な雰囲気にクラウスは目を見張った。
燃えたぎるような紅い炎を瞳に宿し、熱の滾った蒸気を身体中から沸き立たせ、ボロボロになった鉄くずのような剣を構え、その剣士は人の声とは思えぬ声で、絞り出すかのような声で呟く。
「心喰の剣――」
掴みかかる腕を。
殴りかかる腕を。
振り下ろされる腕を。
ただ、全てを斬り殺したい。
それだけが宿った"無心の境地"。
己の心すら喰らう、獣のような剣。
「心喰断裂!」
漆黒を纏った紅蓮の刃が、あらゆる空間という空間に爆ぜ、反射し、貫き、引き裂き、瞬く間に全ての"敵"を屠り、塵へと還し、そして消し去った……。
残ったものは紅き残光。
それも刹那のうちに漆黒へと飲まれて消えていく。
「ジーク……君は……」
クラウスは異様な雰囲気のジークに、思わず一歩退く。
投石は止み、辺りに"魔"の雰囲気は微塵もない。
(今の一撃で、主ごと切り裂いたのか……?)
信じられないが、確かに全ての"人食い"が消滅し、奥の主の魔力も感じられない。
リルはクラウスに「奥からの圧はもうない」と目で語る。
"奥からの"という注釈がわざわざ入るのは、ジークがまだ剣を離さないでいることに対する、二人の警戒心の現れだ。
少しでも動けば、あの"漆黒"が襲い来る。
そんな直感が二人の間に共有されている。
(ジーク……なぜ剣を収めない?)
クラウスは白蓮を腰に据え、居合いの姿勢で、ただジークの挙動を見据える。
何かあればすぐにでも抜ける、最速の構え。
それだけの警戒心を抱かせるほどに、ジークの剣は異様な雰囲気を纏っている。
「ジーク、もう戦いは終わった。君が全て倒した。剣を収めよう」
ジークはゆらりと剣を構え、クラウスのほうへと向く。
瞳には紅蓮の炎を宿し、手の中の鉄くずは全てを喰らい尽くす漆黒がある。
クラウスは嫌な予感とともに、「なるほど」と思った。
高速、そして長時間に渡る剣戟が、このダンジョンの"聖樹の根"を切り裂き、粉塵となったそれが、ジークの意思と感応し、その闘気が未だに纏わり付いたまま、ジークの意思を乗っ取っている。
神樹から造られた白蓮は、担い手の意思に感応して、その力を発揮する。
それと同様に、ジークは周囲に散った"聖樹の塵"を使って、白蓮を再現した。
(その意思が残留して、逆にジークを戦意に向けている。今のジークは……)
おそらく、意思を喪失した状態。
いわゆる"気絶"した状態だ。
その意思のない気絶体に、無理矢理、周囲の残留意思が宿っている。
「リルさん、下がっていて。一撃で取り返す」
リルはそっと、身を退き、クラウスはすっと息を吸った。
一撃で取り返すと言った。
実際には、一撃目で決めなければ、斬り負ける。
「白蓮――」
「心喰の剣――」
二人の声が交叉し、刹那、切っ先が触れた。
「真空断裂!」
「心喰断裂!」
全てを引き裂く紅蓮の漆黒と、ただ一条の銀の閃光。
その全てが宙に消えると共に、ジークはその場に倒れ伏した。
「ジーク!」
リルは倒れたジークに駆け寄り、その体を抱き起こした。
息も、鼓動も、脈も、ちゃんとある。
ただ疲れて眠っているだけのようだ。
「遅延発動――回復」
傷そのものは多くなかったが、前置きしておいたヒールを発動してジークを癒やす
「まさか、こんな現象が起きるとは……」
ジークの剣を拾い、クラウスはほっとしたように胸を撫で下ろした。
あの一瞬、クラウスは白蓮で周囲に舞う"聖樹の塵"を斬った。
より正確に言うならば、「残留したジークの闘気」を「白蓮に宿したクラウスの意思」で上書きした。
ジークに反応する塵を、クラウスに反応する塵に変えることで、このダンジョンからジークの肉体を取り返し、心喰断裂の軌道を変更した。
「リルさん、ひとまずはジークを連れて村に帰ろう。今の状態でここにいるのは危険だ」
「そうだね……」
リルは目元の涙を拭うと、杖を使ってクラウスを身体強化し、ジークを連れて村へと戻った。