55話 この墓地は見晴らしがいい。
――リーシア近郊
――墓地
剣士は瞼を開くと、下に向けていた頭を上げた。
旅人と魔法使いが少し離れたところで待っている。
二人のもとへと歩いていき、剣士はリーシアの街並みへと戻っていく。
この墓地は見晴らしが良い。
冒険者の街リーシアと無数の島々、うつくしい青い海。
きっとここに眠った者たちはこの景色を気に入ることだろう。
そよ風が吹いた。
少し前を歩く魔法使いの髪を揺らして、風は海のほうへと向かっていく。
その風に、死した者たちの願いを運んでほしいと思う。
どこまでも遠く、見知らぬ異国まで。誰も知らない場所へと。
それが彼ら冒険者たちの生き方だから。
あれから一週間が経った。
騎士たちの遺体は全てギルドに回収され、極秘裏にオルフェリア宮廷の中庭に埋葬された。
ゼーランディアへと死体は渡らずアアルの計画は破綻、リーシアを始めとする西方世界が戦争の渦に呑まれることはなかった。
そして、黒薔薇の騎士たちの死体は未だ見つかっていない――。
――港湾都市リーシア
――午前11時
傷付いた街並みはこの一週間でほとんど修繕が完了し、閉じていた店もちらほらと営業を再開している。
アウスレーゼを始めとする傭兵の犠牲者たちはリーシア近郊の墓地に埋葬され、多くの人々がその死を悼み、あの墓地へと足を運んでいる。
騎士によるギルドへの襲撃。
その衝撃はリーシアの人々にオルフェリアへの不信感を募らせ、連日に渡って新聞には宮廷へのバッシングの記事が取り沙汰され、残された二人の騎士はその対応に追われている。
一方でギルドのほうはどうかというと、この件に関しては過激派の宮廷騎士によるクーデターであると説明。オルフェリアと連携して今後の対策と方針を検討するとの声明を発表し、裏では関係各所への隠蔽工作や火消しに追われている。
そして、今日もいつものようにジーク、リル、クラウスの三人はギルド本部に関係者として召集されていた。
ギルドやら役所やら新聞社やら、様々な場所から押し寄せた人でごった返しになったギルドの一階を抜け、関係者以外立ち入り禁止の二階へと上がっていく。
半壊状態の扉を開き、天井を布で覆った執務室へと入った。
「よく来た。まあかけてくれたまえ」
スーツ姿の壮年の男は、壊れて開けっ放しになった窓からリーシアの街並みを眺めていた。
振り返った彼は悪びれる様子もなく、机の上から三枚の書類を取り出し、テーブルの上に並べた。
その前にリルが歩み出た。
「私たちに何か言うことはないの?」
真っ直ぐな瞳に見据えられ、ガンドは蛇のように瞳孔を細める。
この一週間のやり取りは全て、ギルド職員から手渡される書類上での出来事だった。
こうしてガンドと顔を合わせるのは、あの日以来だ。
「そう睨むな。すまなかったと思っているさ。まさかあそこから生きて帰ってくるとは思わなかったがね」
「この……っ!!」
ガンドに掴みかかろうとするリルをクラウスが止めに入る。
「お前!! よくもジークを殺そうとしたな!!」
「落ち着いてリルさん!」
「結果的に俺は大丈夫だったんだ。リル、ここは俺に任せてくれないか?」
ジークの言葉にリルは不本意そうに押し黙る。
ガンドを睨みつけ歯軋りをしている。
「そういうわけだ海蛇野郎。この前はよくもやってくれたな。マジで死ぬかと思ったぜ。……まあそのことは水に流してやる」
すっと息を吸うジークに、ガンドは目を見開いた。
壁にぶつかり、すぐ傍らに立て掛けられていた本棚にもたれ掛かる。
「ジーク……!?」
いきなりガンドを殴り飛ばしたジークにリルとクラウスが言葉を失う。
ジークは殴ったほうの拳を撫でながらガンドと視線を合わせた。
「水に流してくれたのではないのかね……?」
「あぁ、それはリルを悲しませたぶんだ」
ジークの言い分にガンドは不敵に笑い、立ち上がる。
「殴るなら先に言ってほしいな。舌を噛んだら危ないじゃないか」
「噛んだところで死なねえだろうが。拳一個で済ませてやるだけありがたく思え」
「菩薩のように寛大な処置だ。菩薩はそもそも殴らんだろうが」
ガンドの軽口には付き合わず、ジークはリルの方へ問いかける。
「リル、これで納得したか?」
「……もう一発で納得する」
ジークはもう一度ガンドを殴り倒した。
ガンドは壁に後頭部を強く打ち、ため息を吐いた。
リルは「よし」と呟き、クラウスは苦笑いで二人を見守る。
「舌は噛まなかったか?」
「まったく……。しかし、これで許してもらえたのかな?」
「ジーク」
「おっと待て、待て。君はついさっき「もう一発で納得する」と言った。さて本題に入ろうか。まずは席に座りたまえよ」
ジークたちはガンドに促され、席へと腰を下ろした。
テーブルに並べられた各種の書類はギルドランクに関するものだ。
ギルドランク・ゴールドへのランクアップ。
アアルを倒した功績を称えて……というよりも、これは今回の件の補償という意味合いのほうが強い。
アアルの件では世間に公に出来ない情報が多すぎた。
ガンドとしても、ジーク達が旅先で何をしでかすのか常に監視しておきたいという思惑もあり、より高位のギルドランクを設定することによってギルド職員による情報のやり取りを行いやすくしたいという側面もあるのだろう。
今の下級ランクのままでは、かえって何故この冒険者たちの情報をやり取りするのかと職員たちから訝しまれる。かといってあまり高すぎるランクに設定しては経歴を探られることにも繋がる。
その結論として提出されたのがこのゴールドというランクだ。
メッキのようなランクの付けられ方だが、このランクによる優待措置自体は問題なく受けることが出来るらしい。どちらにせよガンドはこの西方世界の隅々まで情報網を持っている。拒んだところで何の意味もないだろう。
「それと、この札をお前たちに渡せと言い付かっている。どうやらあの二人はお前たちのことをいたく気に入ったらしいな」
ガンドから札の束を受け取り、クラウスはそれをパラパラとめくる。
「ダリオたちの使っていた札だ。念じればいつでも繋がる」
「これはどうも」
クラウスはその札を懐へと仕舞い込み、書類をまとめた。
「これで用件は済みましたか? あまり長居しても皆さんのお邪魔でしょうし。僕たちは早々に引き取ります」
「もう少しゆっくりしていってもいいのだがね、まあ出ていきたくば出ていくがいいさ」
ガンドの言葉に三人は立ち上がり、部屋を出ていく。
最後に部屋から出るジークはふと立ち止まり、振り返った。
「ひとつお前に聞いておくことがあった」
「何かな」
ガンドに対し、真っ直ぐに、狼のような瞳で見据える。
「お前の願いは何だ? 神霊ヨルムンガンド……」
その問いかけにガンドは微笑み、壁によりかかった。
「人の世の平穏とでも言えば満足か……?」
「答えろ……」
殺気立った剣士の問いに、総本部長はやれやれとかぶりを振り、溜息をついた。
「言ったろう、人の世の平穏だよ。でなければこんな冒険者ギルドなどという馬鹿げたシステムを作ったりはせんよ。儀式に勝つだけなら、もっと手っ取り早いやり方はいくらでもあるんだからな。どうだ? 答えてやったぞ。これ以上痛くない腹を探られても何も出はせんが」
「その回答が嘘でないことを願うぜ」
そう吐き捨て、三人は部屋を後にした。
一人部屋に残ったガンドは椅子に腰を下ろし、リーシアの海原を眺める。
平穏な青い海には帆船が往来し、カモメたちの鳴き声が響いている。
扉をノックする音、ガンドはその音の主に部屋へ入るよう命じた。
入ってきたのは、一人の女性。
真新しい制服におどおどとした佇まい。
先日の事件でギルド職員にも欠員が出ている。
彼女は秘書としての適正を見込まれて採用された、新規のギルド職員だ。
「総本部長……明日の予定についてなのですが、先方から調整したい用件があると連絡がありまして……」
受け取った書類に一通り目を通し、スケジュールの調整を行う。
穏やかな昼下がり、外から聞こえてくるのは冒険者たちの喧噪。
船の汽笛と、階下で慌ただしく応対をしているギルド職員たち。
この騒ぎもここ数日で多少はマシになったほうだ。
うるさい中での仕事も悪くはない。
そう思いながらガンドは書類の記述を済ませた。
「書けた。エリック、明日の午前中は予定を開けておいてくれ」
ガンドは秘書に書類を渡して顔を上げた。
秘書の少女は首を傾げ、不思議そうな表情でその書類を受け取る。
「エリック……というのはどちら様の名前でしょうか……?」
彼女と視線があい、その言葉にガンドは頭に手をやった。
「忘れてくれ。いつもの癖でな」
「……分かりました。明日の午前中の予定についてですが、どうしても開けられない用件が入っていまして……」
「どうにかしろ。何か一つくらいは後回しに出来るものがあるはずだ。そうでなくともここ数日、分単位で予定を詰め込まれて疲れが溜まっているんだ。まったく、人間というのはどうしてこう面倒なやり取りばかりを……」
総本部長の独り言に、秘書は黙って手帳を開いた。
しばらく手帳の文字と睨めっこを続け、それから顔を上げて口を開く。
「新聞社の会見をキャンセルすればなんとか……」
「ああ、そうしてくれ」
「先方には何と伝えれば……」
適当に決めておいてくれ、そう言うガンドに秘書は頭を抱える。
その様子に、ガンドはため息を吐いた。
エリックであれば適当に対処しておいてくれただろうに。
「墓参りとでも言っておけ」
そう言ってガンドは席を立ち部屋を出ていく。
一階の人混みは、総本部長の登場と共に一斉に雪崩れ込んでくる。
メモ帳を持った記者たちを押しのけ無理やり外へと出ると、表通りに用意しておいた馬車に何とか乗り込んだ。
「ああ、面倒だ……人間というものは本当に……。誰のおかげで今の暮らしが成り立っていると思っている……」
それを思い、ガンドは外の景色を眺めた。
街路樹の傍らに槍を背負った男と、買ったばかりの杖を大はしゃぎで振り回す女の姿が見えた。
その向こうにはコップに入った水で魔力制御の練習をする少年。
それから剣を背負った三人の壮年の男たち。
色々な冒険者たちが、いつも通りの日常を暮らしている。
「誰のお陰で……か。随分と驕ったことを言ったな、ヨルムンガンド……」
ガンドは疲れた様子で瞼を閉じた。
エリックやギルド職員たち、アウスレーゼに大勢の傭兵たち。
商人や船乗り、農民や役人……一人ひとりの人間たちの営みが作り上げたのがこの街、港湾都市リーシアだ。
冒険者発祥の地、ギルドの総本部。
かつて、数百年前に共に海を渡った仲間たちも、今に続く全ての者たちが作り上げたこの世界を見守ってくれているだろうか。
「人の世の安寧を……」
死んでいった者たちの願い、今を生きる人たちの営み、それら全てを繋ぎ、この世界を守るために作り上げたシステム。
それが冒険者ギルド。
「出来ることなら全員を救いたいさ。だが、私には難しい。神霊フェンリル、これが私のやり方だ。いつかまた対立する時が来るだろう。だが、私は一歩も引きはしない。犠牲の無い明日はないからだ。私たちは先人の屍の上に立っている。そして、私たち自身も、未来のための礎になろう」
そのためにも、今はこの立て込んだ状況を治めなければならない。
暖かな日差しと馬車の揺れに身を任せ、ヨルムンガンドは暫しの仮眠を取ることにした。
今日のリーシアの平穏にフェンリルとあの剣士が多大な貢献をしたことだけは、認めないこともない。