53話 アアル
風切り音が頬を掠める。
少し遅れて、微かな赤い筋がにじんだ。
銀の月光に濡れた刃が甲板を駆け抜け、死に満ちた風がその後を追う。
マストを避けて船首へと走る。
アアルの剣をやり過ごし、ジークは帆脚綱の一本を切断した。
帆を操るロープを斬られ、風を受けた船体が大きく揺られる。
レイピアの剣筋がブレ、その隙にクレイモアを叩き込んだ。
「……ッ、は!!」
「――っ♪」
閃光。
即座に身を翻し反撃へと移るアアル。
二人の攻防は互いに隙を作っては反撃するというカウンターの応酬となっていた。ジークが叩き斬り、アアルが突き刺す。
二つの刃が互いを削り合い、そこから生まれた閃光が闇夜の海を照らしている。
帆の麻布が月光にひらめき、甲板上に青白い微かな明かりが投げかけられた。
鍔迫り合い、アアルがジークをマストの柱に押し付けた。
「アナタの剣は対魔法使い戦に特化している。重心を可能な限り地に下ろして、下段から獣のように喰らいつく……。アナタの剣技は、魔法による遠隔射撃対策の最適解。遠隔射撃は杖を地面に対して平行に持った状態が最も射程が長く、下に向けるほど射程は下がるもの」
「何が言いたい……」
ジークは身体強化を施したアアルに、悲鳴を上げる筋肉を酷使し圧し潰されぬようなんとか鍔迫り合いに耐える。
「アナタの剣技は確かに優れているわ。状況を読み最適解を選び取るセンスもある。それなのに、基本の型が対魔法使いに特化し過ぎている。相手が剣士だろうが何だろうがね……それが逆に面白い♪」
さらに剣を押し込まれ、マストに押し付けられた背骨が軋みを上げる。
ジークは苦悶の表情で背後へと左手をやった。
「よくそんな歪な剣で戦えるね。凄く強いよあなた」
「んなこと知るかよ……。これでも喰らってろ!!」
ジークがクロスボウを抜き取ると同時、アアルは危険を察知し背後へと飛び退いた。
刹那、放たれた矢が頭上の支索を散切り取り、支えを失ったマストから巨大な麻布が勢いよく二人の間へと落ちてきた。
アアルは壊された帆に肩を竦め、苦笑い。
これ以上船を壊されれば帆走は不可能となるだろう。
仮にジークを倒しても、死体を運ぶというアアルの目的は達成が難しくなる。
しかしそんなことは意に介する様子もなく、彼女は続きを語りかける。
「……アナタに剣を教えたひと、実は魔法使いなんじゃないの? 自分が相手にして一番嫌だった戦い方、一番印象に残った戦い方。それを剣の基本と間違えて、アナタにその剣を教え込んだ。アナタの剣が不自然なのは、アナタの性格と剣術が一致していないからね。力任せに相手を圧倒するつもりなら、重力を味方に振り下ろせる上段からの袈裟斬りが一番だもの」
足元の麻布を蹴ってどけ、アアルはレイピアを構え直す。
「だけど、細かいことはどうでもいいの♪ 強い相手と戦える。これ以上の幸せはどこにもないもの♪」
下段からレイピアが襲い来る。
ジークはそれを身を翻して躱し、反撃にクレイモアを突き出した。
アアルはその攻撃を予知していたかのように軽やかに避け、ジークの背後へと滑り込む。
「今まで戦ったどの剣士よりもあなたは強い!」
背後の剣戟に咄嗟に剣を叩き込み、火花を散らして一歩退く。
それに対してアアルは甲板のケヤキ材を蹴破って飛び掛かる。
刃が爆ぜ、激しい衝撃が骨にまで伝わり痺れを起こす。
「それだけで十分♪」
翻した刃が火花を散らし、指を鳴らす動きと共に、彼女の烈火掌が顔を焼こうと襲い来る。
なんとか身を捻って回避した瞬間、脇腹を掠めていく銀の刃。
「最初に戦った時より強くなってる。たった一日で……私の剣を真似してね」
剣と剣が絡み合い、互いを弾き血がにじむ。
頬を斬られたアアルは、ジークの返す刃を左手で受け、骨が砕けるのも構わずレイピアを突き出す。
ジークもそれを左手で逸らし、裂けた肉に構わずアアルの腹を蹴り上げた。
「ぐ――っ、あははは!! やっぱり真似っこ!! これって相思相愛かしら♪」
ジークの追撃を避け傷を癒し剣を交える。
「ねえ、あなたも楽しいんでしょう? 今までなまっちょろい相手としか戦ってこなかったんでしょう? だってそうじゃなきゃおかしいもの! あなたの成長速度は化け物染みてる!」
アアルは距離を取りすっと息を整え、袈裟斬りにレイピアを振り下ろす。
今までとは違う、しかし見慣れた動きにジークはクレイモアの刃を叩きつける。
激しく散った火花が赤く燃え、黒く闇に溶けていく。
「お前……」
「真空断裂だっけ……。あの人、あの剣だけは悪くなかったよ……ふふ、真似っこが得意なのは自分だけだと思ってた? 違うんだなあ~私もあなたと同じくらい強いからさあ~♪ ほらほら、このままじゃあ死んじゃうよぉ~?」
アアルに押し込まれ、膝を着くジーク。
リルの身体強化が徐々に弱まってきている。
このままでは単純な身体能力の差で圧されかねない。
「ダリオ……、リルたちはまだか」
「ダリオ? まさか……」
ジークは懐から札を落とした。
アアルの気が札へと逸れたほんの一瞬、ジークは剣を弾き、横へと転がる。
『呼んだか?』
「呼んだが別にいい。アイツの意識を逸らせるか試しただけだ」
立ち上がったジークを前に、アアルは頬を上気させ股間を抑えながらニマニマと微笑んでいる。
「まさかここまでしてくるなんて……本当に好き……♪ ねえ、ねえ……結婚しよ? 本当に好き過ぎておかしくなっちゃいそうなの……」
ジークは何も言わずに剣を構え直す。
札の存在を明かしてしまったのは言うまでもなく悪手だ。
本来ならば、ジークはリルたちの到着まで時間稼ぎに徹するべきだった。
しかし、こうしなければ斬られていたのもまた事実。
黒薔薇の騎士はレイピアで帆柱を削りながら、照れ照れと身体を揺らし、目を細めてジークを眺める。
「ねえ……やっぱり私にはアナタしかいないわ。ここまで凄いのは本当に初めてなの……想像を超えてきて、もうなんて言っていいか分からないの……ねえ、この気持ちどうしたらいい? こんなに燃え上がったら、私もう止められないよ……」
「既にギルドはこの船の居場所を掴んでいる。投降して裁判を受けろ」
「裁判? えへへ……受けるわけないじゃん……だってどっちにしろ死刑だし♪」
『だったらここで死ぬか? どちらにせよお前の計画はご破算なんだよクソ女』
「アハハ!! だから言ったじゃん!! 計画なんてどうでもいいの。私は楽しそうなことがあったらそっちに飛びつくだけ!! だから」
その瞬間、ふっと重力が消えた。
三人の足が宙へと浮き、。そして次の瞬間甲板へと叩きつけられる。
激しい揺れと共に水飛沫が舞い、土砂降りの雨のように船上が押し流される。
ジークは咄嗟に船のロープに掴まり、激しい揺れと暴風雨に耐える。
「クソ……急になんだ!!!」
『おいでなすったか……』
札の声に顔を上げ、水平線の向こうにそれを見つけた。
真っ黒な夜の闇の中、甲冑のような鱗に覆われたそれが視界に映る。
商船など一飲みに出来るほどの、長く、色褪せた、海の化け物。
神霊――ヨルムンガンド