48話 密室での戦い
人々や草花が眠りにつき、月と星が静かに瞬く真夜中の闇。
それが本来あるべき夜の姿。
であれば、今あるこの混沌と狂乱の夜は、人工的に作り出された侵略されし夜と言えよう。
血に濡れた十字架が詠う。
英雄は死んだ。
むごたらしくその胎をひき裂かれ、血潮と肉が雨となり散った。
やがていくさの炎が踊り来る。
女子供の見境なく、鉄と炎が山を築くだろう。
それは死肉の山。生命の残骸の山。
英雄はその墓標となった。
死者の行列の先陣を、これから死にゆく人々の導となって。
恐れ、慄く人々が叫ぶ。
その音色が新たな混乱を生み出していく。
ジークは目の前の刃に自らの鉄剣を叩きつける。
続く連撃に頬を裂かれ、肩を抉られる。
「……ッ!!」
目の前に突き出された鋒を咄嗟に身を退いて回避し、さらに突き出された先端に光の壁が差し挟まれる。
この三十秒間、ジーク、リル、クラウスの連携によってなんとか拮抗を保っている。
しかしそれも、カミソリの刃の上を踊るかのような切迫したもの。
リルが狙われればジークとクラウスが必死に守り、ジークが狙われればリルとクラウスが死力を以て防御する。
端的に言って、防戦一方。
『お誘いは嬉しいけど、私のツレが一分後に転移を発動するの。それまでに私を倒してみせてよ♪』
三十秒前の彼女の言葉にジークは歯噛みする。
コカトリスの時と比べれば刃の密度は圧倒的に薄い。
それなのに、一本一本への対処が間に合わない。
彼女の一撃は重い。
ひとつひとつが必殺の刃だ。
全てが必要な一撃であり、不要なものはひとつもない。
一切の無駄がなく、それ故やり過ごすことは許されない。
先ほどの一撃にも見て取れるように、一突き逃げればもう一突きが確実に刺し込まれる。
「ぐっ……!!」
なんとか踏みとどまり必殺の群れを迎え撃つ。
リルが杖をジークのほうへと向けようとした瞬間、彼女はジークの脇をすり抜けリルの前へと躍り出た。
「回ふッ、――ッ!!」
回復の瞬間を、ずっと狙っていた。
まるでそんな様子の迷いのない突進。
レイピアの切っ先にリルは死の香り見た。
「は……ッ!!!」
突き出された刃が肉を裂き骨を断つ。
クラウスは壊れ血濡れとなった左手に構うことなく、リルへの強襲に失敗し一歩退いたアアルへと間合いを詰める。
「白蓮――!!!」
灰の刃が光を増し、魔力が限界まで収斂していく。
「真空断裂――!!!」
その袈裟斬りを真正面から受け止め、アアルのレイピアは軋みを上げる。
歯をぐっと噛みしめ、地面に膝をつくアアル。
「ジーク!! リルさん!!」
クラウスが死力を尽くして作った一瞬の好機。
ジークは鉄剣を振り上げ、リルは杖を突き出して叫ぶ。
「「ウォールシルト!!!」」
リルの放った壁とアアルの放った壁が互いを削り合い、天井を突き破って消滅する。
次いでジークから振り下ろされた鉄剣に、アアルは白蓮に対応していたレイピアを勢いよく引き抜き、身を捩って回避すると共に、鉄剣と激しく鍔迫り合う。
アアルは追加のウォールシルトでジークとクラウスを吹き飛ばし、リルは彼女に先端を尖らせたウォールシルトを放つ。
それを回避すべく足を回そうとした瞬間、アアルは死を予感した。
何かが足を掴んでいる
アアルはそのまま足をもつれさせ、床に尻餅をついた。
その刹那、光の槍は彼女のすぐ真横を貫き、壁に大穴を開ける。
倒れる方向を間違えれば即死していた。
アアルは自分の足を掴んだものを斬り捨て、立ち上がる。
「一本取られちゃったよ♪ さすがは冒険者ギルドの総本部長! まさか、さっきの激昂も演技だったり……?」
その死体は瞳に蛇のような老獪な光を宿し、ゆっくりと立ち上がった。
切り裂かれたはずの喉に傷はなく、ただ血液が塗りたくられただけのよう。
つい今しがた切断された右手には魔力が収束し、元の形状へと再生していく。
ガンドは壁にもたれ掛かり、アアルに視線を向け、静かに言った。
「つまらぬことを聞くのはよせ……。お前とは違って人並みの情緒はあるつもりだ。さりとて打算が無かったと言えば嘘になろう。老いたる者は若者以上に生きることに必死だ。現世への執着にまみれている。敵に回すと厄介だぞ」
「教訓として受け取っておくわ。でも、残念だったわね。もう時間切れよ♪」
アアルの周囲に魔力の風が舞い、彼女の姿が呑まれていく。
「逃がすかよッ!!」
「え、あ!? うわわっ!?」
ジークは咄嗟に彼女に飛びつき、アアルは予想外のジークの行動に、反射的に手を振り彼の鉄剣を叩き落とした。
「ジークっ!!」
「ちょ、離れ――!!」
瞬間、魔力がふたりを包み込み、執務室からその姿を拭い去った。
残ったのは静寂と、はたき落とされたジークの鉄剣。
ガンドはため息と共にボロボロのソファに腰を下ろし、リルとクラウスはアアルとジークの居た場所を何も言えずにただ見ていた。
「ジーク……?」
リルはさっきまでジークがいたはずの場所へ手を伸ばす。
クラウスは目頭を押さえ、そのまま壁にもたれ、崩れるようにして、床に尻を下ろした。