47話 宣戦布告
アウスレーゼが倒れると同時、奴隷鳩からの情報は途絶えた。
放ってから三時間、術式の効果が切れてしまったのだ。
『……こりゃあ……言葉が出ねえな』
テーブルの札が発光し、ダリオの声が聞こえてきた。
重い沈黙が部屋中を支配する。
奴隷鳩の共有情報は視覚のみ。
彼らが何を言っていたのかは分からないが、アウスレーゼが殺されたことだけは確かだろう。
最強の冒険者の死に、ガンドやジークは息を詰まらせている。
「……時刻は?」
クラウスがそう問うと、エリックが時計を確認する。
「……0時10分です」
「タイムリミットを過ぎちまった」
ジークの言葉に、誰も何も言えなかった。
三十人の傭兵と、アウスレーゼ、その弟子の二人を併せてさえ、アアルの凶行は止められなかった。
重苦しい空気の中でガンドが地図に線を引いた。
北の国境線を強調するその赤線は掠れ、それが瀬戸際の状況を却って強調しているようにも見える。
「とにかく、奴に国境を越えさせるわけにはいかない。その点だけは初期から変わらない絶対条件だ。アウスレーゼが死に、現在アテネス周辺ですぐに動員出来る傭兵たちも全滅した。あとはこの真夜中に依頼を受けてくれた十数人の北の冒険者たちが頼みの綱だが……」
『どこに現れるとも知れねえ奴が相手じゃあ、そいつらも大した成果は期待できねえわな……。まして相手はあのアウスレーゼを殺した女だ。俺だったら泣いて逃げるね』
ダリオは当然のことのようにそんなことを言うが、誰も彼の言葉を窘めるようなことはしなかった。
現にあの戦いを見て、アアルとの交戦を他人に強制出来るような輩はいない。
『もう仕方がねえんじゃねえの? こりゃあ無理だろ。転移能力と千里眼持ち、雑魚相手なら爆発魔法で一網打尽。しかもアウスレーゼを三対一で殺せるバケモンだぞ? マジで始末に負えねえよ』
だが、無敵というわけではないのだ。
当然だが相手は人間だ。
体力を消耗すれば魔力も消費する。
扱える魔法の種類には限りがあるし、剣術や魔法の威力だって無制限ではない。
確かに強い。
だが本人の能力そのものはアウスレーゼに及んでいなかった。
レイピアは失っているし、爆発魔法も防がれウォールシルトも破られ、剣術は通用しなかった。
それなのに、何故か彼女はあの男に勝った。
武器も魔法も剣術も封じられて、それでも最強の冒険者の命を屠っていった。
彼女には実体がない。
アアルという人間を構成するものの中で、これこそが彼女の本質だと言えるようなものが何もない。
ジークであれば剣。
リルであれば魔法。
アウスレーゼであれば硬質化魔法。
それぞれにそれぞれの役割がある。
得手不得手がある。
しかし、彼女は違う。
全部、何もかも同じくらいだ。
故に彼女には彼女を現す記号が無い。
捉えどころがなく、彼女が本当は何者であるのか誰も知らない。
「なあクラウス、ダリオ。お前たちは何か知らないのか? 元宮廷騎士のお前たちなら何か知ってるんじゃないのか?」
その問いにクラウスは首を横に振り、札からはため息がこぼれる。
「僕は彼女と面識がないんだ。たぶん、僕が抜けた席に後釜として収まった人だと思う……」
『その通りだ。まあクラウスが抜けてからアアルが入るまでにはかなりの期間が空いていたが……まあ、アイツは騎士歴二年ちょいくらいだったな。一切の経歴が不詳。王ですらよく分かっていなかったんだからお笑い種さ。俺が知ってるのはアイツの年齢くらいのもんだね』
22歳とだけ言って、ダリオは黙った。
だから何だと言うのだ。
なんの役にも立ちやしない。
『話が振り出しに戻ったな。で、どうするよ総本部長』
「今回以上の戦力をかき集めるのは無理だ。北の国境を徹底的に固めて対処するしかないが……今からでは何もかもが遅いな」
時計の針は40分を指している。
あれから30分が経った。
転移が出来るなら既に国境へと辿り着いているはずだ。
奴隷鳩の術式が時間切れで解けたおかげで捜索も不可能となった。
万策尽きている。
「とりあえず国境へと向かえる者を全て国境へ配置する。エリック、北のギルドに手配してくれ」
エリックの首が落ち、それを楽しそうに見つめる黒髪の乙女。
ニタニタと笑みを浮かべながら、ジークの隣に座っている。
目と目が合うと共に、ニヤリと笑う。
ジークは思わず悪寒が走り、勢いよく立ち上がった。
「アアル……お前っ!!!」
リル達も一斉に席を立ち、彼女から距離を取る。
「いつからそこにいた……!」
「ついさっきだよ♪」
「何をしに来た!」
ジークは剣を抜き、いつでも斬り殺せるよう構える。
「ちょっとした挨拶に、ね? みんなに面白いもの見せたかったし、アナタにも会いたかったから♪」
アアルはジークに投げキッスを送り、ウィンクをした。
ジークはそれを相手にもせず、ただ黙して睨む。
リル・クラウス・ガンドはアアルを起点に四方から取り囲むようにして彼女を包囲し、各々の武器を担う。
「面白いものとは、なにかね」
ガンドの問いかけにアアルは大喜びで声を上げる。
まるで目の前の敵が武器を向けているのに気付かないかのような余裕の様子で。
「中央広場でパーティーを始めるの! ちょうどあなたの位置から、窓を覗けば見えるはず♪」
「パーティーだと……?」
ガンドが窓から外を覗くと、リーシアの中央広場に目を向けた。
そこには見慣れぬ十字架が高く掲げられ、一人の男が磔にされ、照らされている。
「アウスレーゼ……」
「屍を見世物にして楽しいか……?」
「屍……? 私、そんなつまらないことしないわ! ちゃんと生きてるわよ!」
「なんだと! アウスレーゼが、生きている……」
ガンドは小収納の引き出しから双眼鏡を取り出し、磔となったアウスレーゼを凝視する。
胸の辺りが僅かに動いている。
呼吸をしているのだ。
「アウスレーゼは死んでいない! 誰か! 今すぐ中央広場へ迎え!!」
ガンドはギルド全体に響くような大声で叫ぶ。
「ふふっ……嬉しそうね。喜んでくれて私も嬉しいわ♪」
「なんのつもりだ。敵に塩でも送ったつもりか?」
「いいえ? 言ったでしょう、私、つまらないことはしないの」
窓の外で、アウスレーゼが動き出した。
意識を取り戻し、彼は自らの状況を確認する。
「生きている……奇跡だ。今だけは神に感謝してもいい……ああ、神様!!」
中央広場での出来事に、リーシアの市民は徐々に目覚め、騒ぎになり人々が集まってくる。
アウスレーゼは自らの醜態と、それを見物する市民に自嘲気味に笑った。
「まあいいさ。生きていればどうとでも……いや、なんだ?」
胸に、違和感がある。
首を動かし確認すると、見覚えのない傷がある。
首から下へと真っすぐに、紫色に変色した縫い目。
腹の中に何かが埋まっている。
そして、その何かが膨張し、輝きだした。
「ま、まさか……やめろ! やめてくれええぇ!!!」
発光は徐々に強まり、アウスレーゼの腹の膨張は止まらない。
そして、彼は気付いていなかった。
頭の中にも、それが埋め込まれているということに。
「いやだ! 嫌だ嫌だ嫌だ!!! こんな死に方嫌だ!!! 究極硬化変質――!! 身体強化――!!あああああ!!!!! 助けて! 助けて神さ」
破裂。
飛び散ったものは広場に散らばり、人々の顔に真っ赤な飛沫が降り注いだ。
臓物のかけら
赤い肉片
ねっとりとした脳漿
散らばった四肢
転がる眼球
それらが人々をパニックにした。
十字架からアウスレーゼだったものがずり落ち、隠れていた文字が姿を現す。
ようこそ混乱へ。戦争のはじまりはじまり
「ふざけるな!!!!」
ガンドがテーブルを叩き壊した。
「アハハハハッ!!! 超おもしろーい!!」
大笑いするアアルの許へと詰めより、ガンドは彼女を殴りとばした。
アアルは床に倒れ、なおも狂ったように笑っている。
「痛いよ……女の子を殴るとか最低!!」
ガンドは彼女の胸倉を掴み壁に叩きつけた。
アアルは暫し噎せこみ、しかし先ほどの光景が面白過ぎたのか、苦しそうに笑い続ける。
「貴様は何がしたい? 何が目的だ? 何をしにここへ来た!!」
「怒らないでって♪ パーティーだよ、パーティー♪ みんなで大騒ぎしようよっ!!」
「人格破綻者め……ぶっ殺してくれる!!」
「それはダーメ♪」
ガンドの首を横に切り裂き、ナイフを彼の死体で拭う。
「アウスレーゼ最後まで面白かったなぁ!! あ、そうそう。あの弟子の双子の女の子たち、最期どうなったか知りたい?」
ジーク達が何も言わずに各々の得物を向けていると、アアルは勝手に語りだした。
「マナって子の右脳を切り出してね? マヤって子の左脳と繋げてあげたの。ちょうどいいから、眼球も片方だけ取り換えてあげて、右がマナちゃん、左がマヤちゃんて感じにね? それで、身体は流石にくっつけられないから仕方がなくマヤちゃんを使ったんだけど、これがもう大笑い!!」
アアルは満面の笑みで語る。
「目が覚めて、凄く混乱してるの! それで鏡を見せてあげたら、発狂して自殺しちゃった!!! アハハハッ!! 双子の脳ミソくっつけるの面白かったぁ~!! 結局、どっちがどうとか分からなかったんだけどね!!!」
散々笑うと、まあいいやと言ってナイフをくるくると回しながら、目の前の少女に声をかける。
「あれ? なんで泣いてるの?」
リルは涙を流しながら、アアルを睨みつける。
「あなたは命を何だと思っているの? 人の尊厳を……人の命を、人生を!!! みんな大切な人がいたはずなのに!!!」
リルの絶叫に、アアルはニヤリと口端を上げる。
「仕方ないよ。運が悪かったとしか言いようがない♪」
「あなたがやったことでしょう!?」
「そう、私がやった。私が殺した。楽しかったなぁ~!!」
「殺す……」
リルは歯軋りし、涙を拭った。
杖を握り締め、その矛先を彼女へと向ける。
「リル……落ち着け。お前がやるべきことじゃない」
ジークはリルの前に立った。
彼女に殺しをさせるわけにはいかない。
リルは……かつてフェンリルとして、散々神霊たちを葬ってきた。
そのトラウマが一度は彼女の心を自死へと誘ったことさえある。
もし、それを思い出させるようなことがあれば、また彼女の心の傷を抉ることになるかもしれない。
「ジーク、どいて。コイツは私が殺す!! 許せないの!!」
「ダメだ。殺すなら俺にやらせろ」
ジークは、何があろうと彼女だけは守ると決めている。
それは肉体的なものだけではない。
心にも、傷を負って欲しくないのだ。
彼女は神霊であることをやめ、人間として、魔法使いとして生きていくことを決めた。
それは生半可な意思では達成できない望みなはずだ。
神霊である限り、儀式という呪いが付きまとう。
血の匂いに穢れた、纏わりつく呪いに。
そんな彼女がようやく得た望みを穢したくない。
リルが人間として生きるためなら、ジークには獣になる覚悟がある。
得物の首筋に噛みつき、食いちぎり、血に濡れてしまっても構わない。
それが、大切な人を守るためなら。
「俺に会いたいと言っていたな、アアル」
ジークは剣を翻し、その刃に煌々と輝く室内魔石灯のオレンジ色の輝きを乗せて、言った。
「相手してやる。かかってこい」