42話 大丈夫、私は怖くないわ
アアルは荷車を押して、森の奥にある廃屋へと訪れた。
「いる~?」
扉をノックし、間の抜けた声で呼びかける。
奥から足音が聞こえ、痩せこけた老人が杖を突きながら現れた。
老人は眉間に皺を寄せ、不満げな声を漏らす。
「誰がいるのかくらい言え」
黒薔薇の騎士は二っと笑う。
老人は彼女の表情に心底嫌そうな溜息を吐くが、アアルは気にしない。
「言わなくても分かるでしょ? それよりほら、例のアレ欲しいんだけど♪」
「お前はいつもいつも……ほれ、これでどうだ」
老人が投げ渡した小袋をひっくり返し、出てきたものを確認する。
「新しいギルド証明書に通行証に印章……いいね、ちゃんと揃ってる♪」
「お前のために何度偽造文書を作ったか数え切れんぞ。それで、今回は代金を持ってきたのだろうな? お前には二回分のツケがあるぞ」
「それが今ちょっと手持ちが無くってさ」
老人はこれ以上ないほどのデカい溜息を吐いた。
「代わりと言ってはなんだけど……」
アアルは曳いてきた荷車のほうへと、フラフラと歩いていく。
台車に被せられた黒い布の中をごそごそと漁り、「あれでもないこれでもない」と言いながら、一振りの剣を取り出してきた。
「あった! これこれ! はい、これでいい?」
差し出された剣を受け取り、老人は思わず息を飲んだ。
黒い鞘に収まった黒剣だ。
鞘の表面には黄金の装飾が施され、剣の刀身にはうろこ状の紋様が見える。
「まさか……これは竜鉄の剣か? しかもこの独特の紋様……」
「黒竜神の逆鱗を打ち直して作ったバスターソードだって。この世界にたった一振りの特注品らしいよ?」
黒竜神といえば竜系の魔物の最上位種だ。
狩ることは勿論、発見されることすら珍しい幻獣と呼ばれるほどの怪物。
前回に発見されたのは東のローディック公国の山岳地帯でのこと。
しかも200年も前のことだ。
それも伝承が正確であればの話で、実際のところがどうなのか、本当のことを知る者はいない。
「驚いたぞ……これ一振りでどれだけの値打ちがあるか……。一体どこで手に入れた? 長く生きてきたが、これほどの品はワシも見たことがない」
「ふふっ……まあ、色々……ね? 足りなければこれもあげるよ。赤翼竜の逆鱗で作った防御のチャーム♪ 一回だけ致命傷を無かったことに出来るやつ」
老人は、燃えるような朱のネックレスを、恐る恐る受け取る。
「いいのか……? 剣士や魔法使いに限らず、誰もが欲しがる最上級の防御アイテムだぞ」
「いいのいいの! ちょっと儲かっちゃったから! それに、私はそういうの使わない主義だし」
「ふん……まあ、貰えるというのなら貰っておこう。それで、何が目的だ? これほどのアイテムを渡しておいて何もないのはあり得んだろう」
「それがちょっと面白い話があってさ」
アアルは老人の耳元で面白い話を囁く。
「ほう……それは確かに面白いな。我々にとっても儲け話だ」
「でしょ? じゃ、交渉は成立ってことで♪」
「それではワシは準備をさせてもらうとするか……。このような辺境に落ちぶれ、文書の偽造をして老後を過ごし、いつか孤独に死んでいくものだとばかり思っていたが……。人生どんなことがあるのか分からんものだ」
「出世コース間違いなしだね♪ 頑張っちゃって♪ よっ重鎮幹部!」
アアルは荷馬車の持ち手を握りながら老人を茶化す。
老人は廃屋へと戻っていき、扉を開ける前に一度振り返った。
黒薔薇の騎士は、まるで先ほどまでの会話が全て幻覚だったかのように、完全に消滅していた。
地面には約束通り置き土産が残されている。
「転移魔法か……」
老人はそのまま、廃屋の闇の中へと消えていった。
――同時刻
――別の森の中
「ミュシィちゃん、転移魔法ありがとねん♪」
「ミュシィは命令に従ったまでです」
「それが偉いんだよ♪ 世の中には言ったことも出来ないような大人がうじゃうじゃいるからね。そうだ、よく出来た偉いミュシィちゃんにはご褒美をあげよう!」
アアルは荷台を漁り、眼帯と、羽根の付いた帽子をミュシィに取り付けた。
「似合う似合う! 流石、素材が良いと何を付けても可愛いねえ♪」
「アアル様……これは?」
ミュシィは眼帯と帽子をそっと触り、アアルのほうを真っ直ぐ見た。
「ガレンが甲冑の下に付けてた魔力消費軽減の眼帯と、サーシャのお気に入りだった帽子だよ」
「……そうですか。魔力消費軽減は助かります。私の魔法は日に三度しか使えませんので」
アアルはミュシィの頭を撫でると、荷車を押して歩き出した。
「付いてきて。目的地はすぐそこだから♪」
「目的地……? 私たちはどこへ向かっているのですか?」
ミュシィの問いに口端を上げ、心底楽しそうな声で答える。
「私たちは今、オルフェリア王国と冒険者ギルドの両方に追われてる。ひとまずはオルフェリアから脱出したいところだけど、あの総本部長も馬鹿じゃないからね。首都のアテネスから最短ルートの国境付近は既にガードされてるか、仮に気付くのが遅かったとしても私たちが速いか敵が速いか……まあ博打に近いでしょうね。かと言って、私たちは宮廷騎士と国王の死体を運んでいるわけだし、国内に長居も出来ない」
アアルの話にミュシィは首を傾げた。
ずれた帽子のつばをつまみ、位置を調整しながら問う。
「なぜ死体を運ぶのですか? アアル様の爆発魔法なら、跡形もなく証拠を隠滅できるのでは? 荷物が軽くなれば、私たちのほうが速くなるかもしれません」
「それはつまらないわ。最悪よ! いい、ミュシィちゃん……私たちは逃げてるわけじゃないの。攻めてるのよ! この死体はそのためのリーサルウェポン。私たちの秘密兵器ってわけ♪」
「死体が……ですか?」
「あれ、ミュシィちゃん知らないのかなぁ~? モノの価値は人それぞれなんだよ? この死体だって私にとってはとっても大切な宝物なんだから!」
「ミュシィにはよく分かりません……」
アアルは足を止め、向こうのほうに見える灯りを指した。
ミュシィは杖をギュッと握り、自らの主を見上げる。
「あれが私たちの目的地。私が乗り込むから、ミュシィちゃんは待っててね」
「……分かりました」
ミュシィの返事を聞くと、青い髪を撫で、アアルは小屋のほうへと歩いていく。
壁に耳を当て、中の音を聞く。
足音がひとつ。あとは老人の咳き込む声。
最低で二人。障壁系の魔法も張られていない。
「……手練れの魔法使いって噂だったけど」
アアルは近くの木に足をかけ、枝を伝って器用に上る。
窓にはカーテンが掛けられ、内部の様子は分からない。
侵入経路はあの窓からだ。
扉に錠は無かったが、少しでも身の安全を考える魔法使いは玄関に特殊な魔法をかけるものだ。
ゆらゆらと体を揺らし、タイミングを合わせて跳んだ。
窓ガラスをぶち破って部屋の中へと飛び込み、懐に仕込んでいたナイフを投げ、女の首を裂いた。
「な、なんだお前は!? ユリア!? あ、あああユリア……!」
男は倒れた女のもとへと駆けていき、ナイフを抜いて回復の魔法を使う。
血だらけのエプロン姿の女は、喉の傷を癒されるも、白目を剥いたまま意識は戻らない。
「即死だよ♪ 残念だったねえ♪」
「お、お前は誰だ……! なぜこんなことをする!?」
杖を構え抵抗の意思を見せるが、男は自らの杖を見て絶望する。
彼の杖は、彼がまったく気付かぬうちに真ん中で切断されていた。
男の絶望の顔に、女は蠱惑的な笑みを浮かべる。
「分かってるクセに♪ その見惚れちゃうような綺麗な瞳が欲しいのよ。ね、お願い♪ アナタの眼球、私にちょうだい?」
アアルはレイピアの刀身を舐める。
老人はアアルのその様子に恐れをなし、何も言えず、口をパクパクとさせている。
「んー? 私が怖いの? 大丈夫よ、私は怖くないわ♪」
アアルは男に近づき、人差し指で男の顎を上げると、その黄金色の瞳を覗き込む。
「千里眼のローガン……本当に綺麗な瞳ね。この世界の色々なものを見てきた、美しき黄金の秘宝……世界にたったひとつの輝き……」
「わ、私を攫って何をさせる気だ……」
男の言葉に、一瞬考え込むような素振りを見せ、アアルはそっと微笑んだ。
「攫わないよ」
「さ、攫わない……? それじゃあ何が目的だ」
老人は汗まみれになり、震えながら問う。
アアルは「なんだと思う?」とレイピアを首元に当てた。
「まさか殺すつもりか!? 馬鹿げてる! 私が死んだら千里眼は失われる! お前にはなんの得もないぞ!!」
「正解♪」
血飛沫が激しく床を濡らし、男は白目を剥いた。
ズボンには染みが広がり、床には尿の水たまりが出来上がる。
「正確には、半分正解♪ アナタは殺すけど、私には得があります♪ だって……」
アアルは台所からスプーンを取ってきて、男の眼球の奥にナイフを差し込むと、それを器用に掬い取り、黄金色の虹彩を覗き込んだ。
「水晶体が濁るまでには、まだ時間があるからね♪」