41話 特異形質者
ギルド総本部の消火活動が一通り終わり、ジークたちは本部長室へと通された。
ペイルブルーの鮮やかな壁紙に深い飴色の柱が映える、いかにも貴族然とした執務室だ。
木目の美しいマホガニーのテーブルは綺麗に磨かれ傷一つない。
振り返ると、扉の前に一人の従者が立っている。
「慌ただしくてすまないな。まずはそちらに掛けてくれ」
ガンドはテーブルを挟み向こう側のソファに腰を下ろし、ジークたちはもう一方のソファに腰掛けた。
従者がそれぞれの席に茶の入ったカップを並べていく。
アアルの爆撃のおかげでギルド本部の外観は凄惨たるものだが、案外中へと入ってみると大した被害は出ていないように見える。
建築の構造が強固なのか、それとも特殊な魔法で守っているのか。
そんなことを思いつつジークが居住まいを正すと、ガンドはそれを面倒だとでもいうように手を払った。
「ラクにしてくれ。敬語もいい。あまりこうして畏まった態度を取られるのは好きではなくてな。無礼講で頼むよ」
そう言ってガンドはガラス製のコップを口に運んだ。
その様子を改めてまじまじと見つめる三人。
黒のスーツに紺のネクタイ。
白髪交じりの黒髪に、顎髭を蓄えたキツい印象の男性だ。
年齢は四十から五十くらいだろうか。
顔には彫刻のように深く皺が刻まれ、彼の人生が決して穏やかなものではなかったことを示している。
グレーに近い黒の瞳は蛇のような危うさがありながら、しかし妙な穏やかさをも兼ね備えている。
ガンドはコップをテーブルに置くと、改めてジークたちに視線を向けた。
「改めて自己紹介をするとしよう。私はギルド総本部長のガンドだ。ここから君たちの戦いの一部始終を見させて貰っていた。もちろん、君たちがギルドに仇なす存在でないことは重々承知している。話が終わり次第、無傷で解放することをここに約束しよう。その点については安心していてほしい」
男は穏やかな口調で約束し、対面の三人に視線を移していく。
「君たちをここに連れてきた理由は言わずとも知れたことだろう。あの宮廷騎士の女について知りうる限りのことを話してもらいたい。もちろん、既にこちらでも過去の書類からある程度の情報はかき集めてきてはいるのだが、さっきやり合っていた君の直接の証言に勝るものは無い。情報というものは鮮度が命だからな」
ガンドの質問に、ジークとクラウスは目配せをする。
アイコンタクトで何となく意思疎通を図るが、クラウスのことを隠しつつ説明するのは難しい。
アアルは宮廷騎士と名乗ってしまっているし、一介の冒険者が宮廷騎士に因縁を付けられる状況も浮かばない。
二人の様子にガンドは顎髭を撫でながら続けた。
「もちろん謝礼は十分に払うつもりだ。君たちの不利になるような話ではないと思うが……どうだろう? もちろん、仮に君たちに後ろ暗いところがあったとしても私は一切意に介さない。今は宮廷騎士が襲撃してきたことだけが問題だ」
そうは言っても限度というものがある。
「あ、そうなんですか。こちらにいるのが"元宮廷騎士"のクラウスくんです。敵に狙われていて大変で~!」などと言えるわけがないだろう。
話が余計にこじれて、最悪向こうに突き返される可能性だってあるのだから。
ジークの瞳を見据え、ガンドは溜息交じりにさらに続けた。
「どうしても話しにくい内容らしいが、それは君たちの出自に関係していることかな? たとえば"神霊クラウス"とか……」
三人はガンドの口から出た言葉に息を呑んだ。
「……なぜそれを知っている」
ジークの問いにガンドは肩を竦めた。
「私はギルド総本部長だ。世界中の情報が冒険者を通じてここに集積される。知っていておかしいかな?」
「なるほど、国の最重要機密であろうと、あなたにはお見通しというわけですか」
「ものによってはね。だから宮廷騎士がきみを追って襲いに来たと聞いても驚かないよ。だから知りたいのはより詳細な部分の話だ」
ガンドは背後に立っていた従者から資料を預かり、それをぺらぺらとめくっていく。
宮廷騎士は全部で九人。
世界でも有数の実力者揃いで、その実力はギルドランクで言うところのプラチナ――つまり最上位クラスの剣士と魔法使いの集団と言える。
その役割は多岐に渡るが、国王専属の騎士団というだけあり、多くの修羅場を潜り抜けてきた猛者たちである。暗殺、密偵、威力偵察に潜入捜査……必要ならばおおよそどのような作戦だろうと遂行するし、それを完遂するだけの技能と経験を持ち合わせている。
中には竜殺しの元冒険者もいると聞く。
それだけでも、この集団がどれだけの脅威であるのかがよく分かる。
「黒薔薇の騎士は一年前にヘッドハントされた旅の女ということらしいが、それ以前の情報は一切見つからない。宮廷騎士に入れるだけの実力がありながら名を隠し続けるのは困難を極める。おそらくは名前すらも偽名である可能性が高いだろう」
ガンドは書類をテーブルに置くと、目の前の剣士と視線を合わせた。
「君は何か知っているかな? 宮廷騎士と直接手合わせをして、生き残った君は……」
総本部長の厳かな声に、ジークは居心地の悪さを感じ咳ばらいをして、そっと息を吐いた。
テーブルのコップに手を伸ばし茶を喉に流し込むと、ガンドのほうへと視線を戻す。
「さっき初めて会った相手だ。剣技も魔法も確かなものがあったが、あれがアイツの本気であるのかさえ俺には分かりかねる。確かなことはひとつだけだ。アイツは杖を使わず、剣を持ったまま魔法を使える。それだけだ」
ジークは自分の中にあるすべての情報を吐き出した。
正真正銘これ以上のことは知りえないし、たとえ拷問されようが頭の中を覗かれようが提供のしようがない。
ジークの言葉に嘘が無いことを見定めると、ガンドは腕を組んで唸った。
「特異形質者か……」
「特異形質者?」
聞き慣れない単語にジークがオウム返しに呟いたのを見て、クラウスが解説を始めた。
――特異形質者
別名は神の加護、もしくは特殊能力者とも呼ばれる。
五十万人にひとりの割合で生まれる、普通では扱えない特別な魔法をひとつ以上持って生まれた、まさしく神に選ばれた才能。
その能力の程は凄まじく、現在確認されているものでは、転移魔法、千里眼、動物との会話、倍速化、数秒先の未来視、肉体の硬化能力などが挙げられる。
宮廷騎士の中にも、転移魔法を持ったミュシィ、動物との会話能力を持ったサーシャ、倍速化能力を持ったガレンという騎士がいるらしい。
それが彼女の場合、棒であればなんでも杖代わりに出来るという形質なわけだ。
「彼女の特異形質は千里眼や硬化能力と比べれば地味だけど、僕らのような凡人からすれば厄介であることに変わりはない」
クラウスの解説にガンドはご苦労と頷く。
「黒薔薇の特異形質を知れただけでも私としては十分な収穫だ。もっとも、払った代価は高くついたがな……」
ガンドは眉間に皺を寄せ、水平線の向こうを眺めた。
窓の外には未だ黒い煙が立ち昇っている。
「ギルド総本部にほとんど単騎で殴り込み、街に大打撃を与え、仲間を殺して口を封じ、挙句の果てには重油を満載した商船を使って街そのもの――海そのものを人質に取り、敵の総本山からまんまと一人で逃げおおせる……。おまけに剣技と魔法に長け狡猾にして残忍。さて、これは国王の差し金と取れるか否か……」
この一件により、リーシアでは死者17名、重・軽傷者を208名も出している。
船舶や建築物への被害も大きい。
ちょっとした艦砲射撃を受けたようなものだ。
ここまでやればギルドが黙っているはずもなく、誰がどう見ても王国からの宣戦布告だ。
しかし、本当にそうだろうか?
世界規模で各地に根付いたギルドに喧嘩を売ってオルフェリアに何の得があるというのか。
まして、この攻撃を行った宮廷騎士は仲間を自らの手で殺めている。
船着き場の重油を載せた商船を見れば今回の件が計画的な犯行であることは自明だが、どうにも動機のほうが釈然としない。
「今後のことはこれからの成り行き次第といったところだな。君たちにも、今後宮廷騎士の件で何らかの動向があれば伝えるようにしよう。神霊クラウスとしてもそのほうが都合が良いのだろう?」
ガンドは冷やかすようにクラウスに言葉の矛先を向ける。
無論、無償の善意からくる申し出であるはずがない。
「その申し出はありがたく受け取らせて頂きます。でもその先には"ただし"が付くんですよね?」
クラウスの問いにガンドはフッと笑う。
「なに、少しばかり戦力を借りることはあるだろうが……その程度のことで君たちの旅路の運命が変わることはないだろう? どちらにせよ君たちは宮廷騎士に狙われる身だ。いずれ戦う運命であるのなら、こちらから壊滅させてやっても結果は同じことだ。私からすれば、むしろこのほうが能動的で好ましいとすら思えるがね」
ガンドの言葉にクラウスは瞼を閉じて答える。
「僕は出来れば戦いたくはありませんが……。どうしても戦わなければならないとなれば、そうですね。あなたの言う通り、剣を交えて勝利をもぎ取るまでです」
その回答にガンドは口端を上げ、
「今の言葉気に入った。それでこそ神霊というものだ」
ガンドとの問答を終え、総本部の扉をくぐる頃には、既に日は落ちかけていた。
外に出ると、街の消火は全て終わっていて、人々はみな疲れきった様子でいた。
ある者は路上で呆けたような顔をして空を眺め、またある者は瓦礫に背を預けながら、足を放り出して座り込んでいる。
魔法使いたちは瓦礫の片付けや消火活動、怪我人の救護などで体を酷使したからか、魔女帽子を顔の上に乗せ、ベンチの上で死んだように眠っている者もいる。
「来て早々にこの有様とは、幸先が悪いな」
ジークの言葉にクラウスは瞑目し、自らを呪うように語る。
「原因を作ったのは僕だ。もっと上手く身を隠していればこうはならなかった……」
「もっと上手くって、何か具体的な対策があったのか?」
ジークの言葉に、クラウスは息を詰まらせる。
「クラウスが目を付けられたのは、たぶんジードフィルでの毒鳥騒ぎの時だ。あの時、あれより早く、あれより確実に、あれより目立たずに解決出来る方法が、何かひとつでも俺たちにあったか?」
ベストは尽くしたはずだ。
結局、それでもどうしようもないことは湧いてくる。
いくらでも。
ジークはそう言って、肘でクラウスを軽く小突いた。
「過去を悔やむより、これから先のことを考えろよ。俺たちはいつもお前の作戦に助けられてるんだぜ? お前が前見ねえでどうすんだ」
ジークの言葉にリルも頷く。
「ジークの言う通りだよ! 儀式に勝って人類を救うんでしょ? これくらいでヘコたれてどうする! コカトリスの時だって、クラウスがいなかったらどうしようも無かったんだから!」
ジークとリルの言葉にクラウスはフッと微笑む。
「そこまで言われて泣き言を言うのは、さすがに男らしくないね。ありがとう二人とも。自分の中での覚悟が、少し曇っていたのかもしれない。しっかりと前を向くよ」
顔を上げ、水平線に沈む太陽を見据える。
焼けた煉瓦の匂いと、風に揺られる黒煙と、黄金色の夕暮れ時。
儀式を巡る戦いは、まだ終わっていない。